FC2ブログ
西浦和也さんの実話怪談。



「獄の墓」がJR板橋駅近くにあると、ネットでは書かれているようだが、埼玉にあるらしい。

2017.05.16 | ├ 実話怪談 | トラックバック(0) | コメント(144) |

獄の墓は確かに埼玉県某所に有りました

西浦和也さんのTwitterを遡ると
ヒントが隠されております。

私は、サワリの森について調べた後の次に、獄の墓を調べ、場所にたどりつきましたが、
障りを生じました。

今は完治しましたが、正直、お勧めできません

2017.07.17 16:35 URL | 獄の墓を探して障った野郎 #- [ 編集 ]

ご忠告ありがとうございます。

2017.07.17 23:23 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

北与野

2017.08.05 06:28 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

…というより、さいたま新都心。

2017.08.05 10:35 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

あの下を北与野に向けて暗渠が通ってて、その先
手付かずの土地っつったらあそこしかないじゃん

2017.08.05 14:42 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

>手付かずの土地

獄の墓には、フツーに家が建ってると西浦さんが言ってるから、手付かずの土地ではないでしょ。

むかしの中山道は県道164号で、コクーンシティが下原刑場跡。暗渠になっているのは、高沼遊歩道、JR用地、さいたま新都心合同庁舎1号館と2号館の間の道路、小学校の校庭の下まで。国土地理院地図だと、水色の破線になるから、確認してみましょう。

2017.08.05 16:40 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

あれ?ビルも建ってないって言ってなかったっけ
俺の勘違いか

2017.08.05 19:39 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

そんでこれに引っ張られたかな
https://twitter.com/nishiurawa1999/status/696540067989303296

2017.08.05 19:56 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

西浦さんはそのように書いているけれど、

中山道分間延絵図(10巻之内1)および1920年の地形図などによると、北与野駅がある場所は、上落合村の神明社の鎮守の森なので、刑死した罪人の遺体を捨てた場所とは考えにくい。

ウィキペディアの「コクーンシティ」の項目に《江戸時代、一帯は野原で、下原刑場と呼ばれる処刑場であり罪人を高沼用水の河原で斬っていた》との記述がある。処刑した罪人の遺体は、江戸時代は、その場に打ち捨てたり、埋めたりするので、わざわざ500mも離れた北与野駅まで運ぶとは考えにくい。

調べると、「獄の墓」の話はどんどん怪しくなってくる。

ちなみに、ウィキペディアの「下原刑場」の項目は以下のとおり。
-----
江戸時代、中山道大宮宿の南方に、罪人の処刑場として下原刑場を設置した。現在の吉敷町にあたり、現在のさいたま新都心駅の東側一帯に相当する。当時一面原野であった。下原刑場は、主に武蔵国の罪人の処刑が行われ、長谷川宣以(鬼平犯科帳の長谷川平蔵)に捕らわれた盗賊団の頭目・真刀徳次郎の一族郎党の処刑(1789年[寛政元年]4月)も記録されている。大宮宿には罪人の親族が罪人と最後の別れを許された橋「涙(泪)橋」があり、説明板が設置されている。同様の橋は千住の小塚原刑場、品川の鈴ヶ森刑場近辺にもある。

1868年[明治元年]の明治天皇の氷川神社行幸の際に、地元から刑場廃止の嘆願書が出され、廃止に至った。跡地は片倉工業の製糸所として利用された。

1992年[平成8年]に工場が廃止されると隣接する大宮操車場跡地の開発であるさいたま新都心計画の一環として再開発が進んだ。工場跡地周辺はコクーンシティなどの商業施設が整備され、往時の面影を残すものは刑場の供養塔である「火の玉不動」のみとなっている。
-----

2017.08.05 22:57 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

やっぱ埼京線って話自体がフェイクなのかな

2017.08.06 22:49 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

これとかも
https://twitter.com/nishiurawa1999/status/589020181084573697

2017.08.06 22:50 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

《各宿場町の(江戸寄りの街道筋)には、刑場や札所があります。そうやって探すと、色々見つかりますよ。ちなみに五街道でその例外になっているのが、品川宿隣接の鈴ヶ森刑場で、ここだけは江戸寄りではないんですよね。》←確かに、下原刑場も大宮宿の江戸側にあります。板橋刑場も板橋宿の、小塚原刑場も千住宿の(隅田川を渡った)江戸側で、鈴ヶ森だけ品川宿の京都側です。

「ブラタモリ」で大宮をやったとき、なぜか下原刑場(火の玉不動)と涙橋がスルーされてました。

2017.08.07 01:39 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

フツーに家が建ってるとは言ってないよ
何も建ってないと言ってる

2017.08.08 00:33 URL | s #KC6r7fPU [ 編集 ]

《「死地」ではない》と言っている。

「死地」は、本来の意味では、1)死に場所、2)生きて帰れないかもしれない非常に危険な場所、3)せっぱ詰まった立場や状態という意味だが、西浦さんは、ふつうに家が建てられないので、学校などの公共施設が建っていたり、空き地になっている場所の意味で使っている。もともと警備会社に勤めていたので、業界用語なのかもしれないけど…。

そうではないと言っているんだから、公共施設などではない、何かが建っていると思われる。「獄の墓」が怖いのは、その土地のいわれも事情も知らずに、住んだり、仕事場として使っているかもしれないってことなんじゃないのかな。

しかし、べつのところでは、駅前なのに、空き地のままとも言っている。

2017.08.08 09:18 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

学校などが建ってない
ビル一つ建ってない
自分が貼った動画でそう言っている

2017.08.08 14:54 URL | s #KC6r7fPU [ 編集 ]

三菱マテリアル工場跡なら、今も何にも建ってないけどね。
ただし、ここは、さいたま新都心駅前だけど、下原刑場跡地ではない(刑場跡地の隣)。

2017.08.08 16:56 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

そもそも刑場と獄の墓は別でしょう
なんかフワフワしてきましたね
大丈夫ですけ

2017.08.09 01:30 URL | s #KC6r7fPU [ 編集 ]

関係なくはないでしょう。
亡くなったツキヨノさんは、出身小学校が処刑場跡で、
そのことを調べ、江戸時代の古地図を見て、
「獄の墓」を見つけたわけですから。

2017.08.09 17:19 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

獄の墓をネットで調べようとしただけで前頭部痛と目が霞んでくる。こういうのを調べるのはワクワクするけど、これは本気でマズイ場所かもなぁ…。

2017.10.19 11:07 URL | #- [ 編集 ]

障るものは触るなってことですかね。

2017.10.19 11:30 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

下原刑場跡はwikiにはコクーンシティ辺りと書いて有りますが、新都心駅西側辺りじゃないかと思っております。この辺りは、大宮宿の飛び地になっておりました。この辺りの村絵図を探しておりますが、なかなか見つかりません。大宮宿の飛び地南側に木崎村が有りまして、この辺りに(鴻沼用水南側)は下原と言う地名でした。(木崎村全図から)

西浦和さんの「獄の墓」を探している中で、1991年頃、浦和市役所から出てきた、「浦和宿絵図」の中に「捨場」が有り、今も法務省の管理されている場所が有ります。(西浦和さんの獄の墓とは違います)

2017.10.20 17:16 URL | 獄の墓を探して障った野郎 #- [ 編集 ]

下原刑場について書かれているかもしれない本が図書館にあるようなので、見てみます。

ちょっと怖いですが…。

2017.10.20 21:25 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

埼玉県[編]『武蔵國郡村誌』(1954年)の第二巻「足立郡」巻之十一「大宮宿」によると、大宮宿の字地は16あった。うち、「浅間」「下原」「鳥居先」をあげると

浅間 来段寺の南に連る 東西353間 南北464間
下原 浅間の南に連る 東西325間 南北213間
鳥居先 下原の北に連る 東西311間 南北350間

となる。

「浅間」は浅間町あたり、「鳥居先」は吉敷1~2丁目(あるいは同3丁目も含まれるか)あたりと推定できる。すると、「下原」はコクーンシティのある吉敷4丁目(あるいは同3丁目も含まれるか)あたりと推定するのが自然ではないか。

なお、三菱マテリアルの工場敷地跡は北袋村(北袋町)であり、同村の「疆域」には、「上落合村と少■[しょう]隣る」とあるので、さいたま新都心合同庁舎2号館とホテルブリランテ武蔵野がある区域も同村だった可能性が高い。

上木崎村(上木崎)の飛地は、同書には記述がないので、ラフレさいたまと郵便局がある区域で同村とつながっていたのではないかと思える。

2017.10.22 14:07 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

大宮宿飛び地ですが、『大宮市史 3 下 近世地誌編』(大宮市 1973) 大宮宿 p6 「大宮宿字地図」 地図上に下原あり。 p10 下原 「「鳥居先」の南にあった飛地で、高沼用水縁りから中山道の両側に広がる地域である。」とあります。

また、「北袋村字地図」のページで、簡単ですが大宮宿飛地の位置が表記されております。木崎村全図と見比べて見ますと、下原の位置が、ほぼ同じでした。

著作物掲載の許可を取っておりませんので、地図等を貼り付けられませんが、ご参考に

2017.10.23 21:10 URL | 獄の墓を探して障った野郎 #- [ 編集 ]

『大宮市史 第3巻下 近世地誌編』は都立中央図書館にはあるみたいです。見てみようかな。

2017.10.23 22:33 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

私は数年前に、西浦和也さんから直接に場所を教えてもらいました。
実際に足を運んで、行きました。
その後、体調を崩し死にかけました。( TДT)
現在は何とか回復しましたが...ホンマに遊びで行っては行けない場所ってあるんやなぁ…と痛感させられました。

2018.01.22 15:46 URL | カズ #emoc/ytA [ 編集 ]

やはり危険なんですね。

上で図書館で調べると書きましたが、中断してます。

2018.01.22 16:39 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

十条は? 論外ですよね。

2018.06.04 13:19 URL | 階段師 #- [ 編集 ]

>十条は? 論外ですよね。

獄の墓が十条にあるって意味ですか?

それなら、ないと思います。

2018.06.04 14:30 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

で、結局 獄の墓の場所はどこなんですか?

2018.08.28 16:40 URL | カマグラ #- [ 編集 ]

「獄の墓」探しはやめております。

障りが家族に及ぶと怖いんでね。

2018.08.29 01:56 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

「獄の墓」探しはやめてしまったんですね。

やめてしまう前まではある程度の場所までは解ったのですか?

2018.08.29 09:01 URL | カマグラ #- [ 編集 ]

『大宮市史 第3巻下 近世地誌編』にヒントがあるってところまでです。

大きな図書館で調べれば、何かわかるかもしれませんが、おススメできません。

2018.08.29 09:56 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

なるほど。
色々教えて頂きありがとうございます。

2018.08.29 11:36 URL | カマグラ #- [ 編集 ]

いえいえ、こちらこそ。

2018.08.29 13:06 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

私もコクーンの南西辺りまで掌握しましたが、西浦和さんに絶対行くな!と云われました。本当にヤバい場所なのかも知れません。

2019.07.05 23:38 URL | #- [ 編集 ]

いろいろありそうなので、私もぜんぜん調べてません。orz

2019.07.06 00:07 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

ひいじいさんのはなしがホントなら、暗渠のわきのコンビニ?のビルの前だよ
芝生みたいになってて、やっぱりかどうかは知らないが、妙に空いた土地になってるね
秋ヶ瀬が心霊スポットになって、ここがなにも言われないのが不思議だがw

2019.07.27 20:59 URL | #gSjZwAso [ 編集 ]

火の玉不動尊 お女郎地蔵のあたりですね。

2019.07.27 21:40 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

正確に言うと、火の玉不動尊を過ぎて暗渠を渡ったコクーンの前の芝生がズバリ
歩道橋の手前のとこだね。確かに不自然に空いてる。
大宮宿に入る前の場所で、見せしめだよね

2019.07.27 23:30 URL | #- [ 編集 ]

「獄の墓」を聞いいたが、少なくとも下原刑場ではないですね。
「獄の墓」自体怪しい点が多々あります。
この手の歴史的事項は、市井の研究家を含めてたくさんいます。
この手の怪談話は別の意味でやめた方がいいですよ。
小塚原刑場に幽霊が出たためしがありません。

2019.07.28 22:09 URL | #z1rC2o6s [ 編集 ]

コクーン1の前の芝生が下原刑場跡ってことですよね。それには2つほど問題があります。

 1.下原刑場は高台橋近くにあったという記述があり、「高沼遊歩道」に近い「火の玉不動尊 お女郎地蔵」がそれにあたる。

 2.コクーン1の設計にあたり、県道56号と県道164号が直交しておらず、164号の反対側の道路が56号と直交しているので、そちら側から設計したため、そこが空き地となった。

これは、コクーン1の164号側の壁の延長線上にコクーン3の壁があり、設計上の理由だった可能性を補足している。


「獄の墓」については疑問点はたしかにあります。

刑場で処刑された場合、遺体はそのまま放置されるので、墓をつくることはない。埋葬する場合、関係者が引き取ってそれぞれの墓に埋葬するはず。

「獄の墓」って名称は、獄死した罪人で遺体の引き取り手がいない人の墓って印象が強い。

2019.07.29 02:02 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

心霊をまったく否定はしなが、こりゃ無理があるなぁw

2019.07.29 03:35 URL | #- [ 編集 ]

怪談は怪談として楽しめば良いのでは。

2019.07.30 02:23 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

西浦和さんの語りの中で、つきよのさんの言葉として「首は刑場でさらすのに使うけど、他の胴体などのいらない部分は川沿いや川っぺりに捨てる(簡単な感じで埋める)。獄の墓っていうのはそういうのじゃないかな。」
とあるので、やはり新都心駅近くの芝川沿いの緑地のどれかなんじゃないですかね。

話の中の地蔵=お女郎地蔵、川=芝川。
川のそばなので、おそらく。

忌地は公園や学校にする事が往々にしてありますが、緑地付近を見てみると確かに学校やグラウンドや公園になっていますしね。

2019.10.13 10:47 URL | #- [ 編集 ]

八丁橋より北の芝川は、江戸時代中期まで「見沼」という沼の底だったので、その可能性は低いと思います。

2019.10.13 11:42 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

江戸時代に記された絵図や古文書を数多く、研究しておりますが、そこに記された文字(もんじ)は独特のくずし字で、そんなに簡単に読めるものではないと思います。たとえば、絵図内に記された文字が「但し入会」と書かれていたとしても、経験なない方がご覧になられると「獄の墓」「極の墓」「御くの墓」などと読めないこともありません。さいたま市の古地図ということで、県立文書図書館にあると考えておられる人もおいでのようですが、図書館にあるとは限りません。せいぜい、その程度のことだと思います。あのあたりは、落合村や中里村の入会の田耕地がおおく、そういう意味では、その辺から勉強した上で、古地図に向かい合わないと、ダメだと思います。

2019.12.29 17:55 URL | #- [ 編集 ]

いつも古地図に向かう時には、何冊かのくずし字辞典を傍らにおいて、向かい合いますが、筆の濃淡によりどこから書き始めているのか、どこで筆を止めているんか、どの部位とどの部位とが筆の流れとしてつながっているのか、などなどを見極めた上で、辞典を繰って、調べるほどですので、もし、獄の墓と書かれていたのであれば、獣へんなのか、にんべんなのか、ごんべんなのか、それともという感じだと思います。それに江戸時代の刑罰関連の書籍や小塚原についての書籍を見れば、一箇所にまとめて罪人の死体を埋めることなどは、まず考えられないと、私見ではございますが、そう思います。

2019.12.29 18:08 URL | #- [ 編集 ]

堺の江戸時代18世紀ごろに作成された絵図(未展示)には、北と南に獄門場の記述があり、その行刑を担っていた方々の当時の住居地も記されております。こういったものを見て、見方を養っていかないと、なんかが書かれているなあぐらいしかわからないということです。くずし字については、静岡県立中央図書館さんのサイトの講座が、とても良いと思います。是非、ご一覧下さいませ。

2019.12.29 18:29 URL | #- [ 編集 ]

絵地図をみて、その場所を特定するのに、その時代から現在に至るまでその地域にそのままあるような寺院などの施設を基準として考えることがありますが、そういう意味では、中央区にある東光寺さんや下落合氷川神社さん(武蔵野国一宮のものではなく)の絵図上の立地や、高沼用水路や鴻沼川といったものの立地を基準において、考えると思います。
まずは、ランドマークとなるものを押さえるということです。

2019.12.29 18:58 URL | #- [ 編集 ]

長文のコメントありがとうございます。

私も学部の1年生の頃は、近世古文書を読む勉強会に出て、柏書房の『近世古文書【解読字典】』を片手に古文書を読んでいたので、くずし字の読みにくさはわかっております。

ただ、実話怪談を楽しんでいる人たちで、そこまでして絵地図を読もうという人はいないと思います。

2019.12.29 20:13 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

私は、もうすでに、江戸時代の下落合村、中里村、上落合村に関わる古地図を2種類拝見し、地図情報を入手してますが、上のような心証を持っているということです。単なる長文ではないということです。

2019.12.29 20:38 URL | #- [ 編集 ]

過去の投稿にあります「大宮市史」に掲載の「大宮宿字地図」は、元の地図資料を掲載しているのではなく、新編武蔵風土記稿や新編武蔵国郡村誌などの記述をもとに、市史の執筆者様が作成したもので、地図中に「下原」の記述はありますが、このサイトの中心的な事柄とは、全く関係がありません。この地域の絵図をみると上落合と下落合の村境の道を境に絵図を分けているものが多いですが、ある絵図の端にあるのが江戸時代の高谷橋で、今の位置とは異なり、絵図中には升屋橋との記述があります。下原刑場とこのサイトの中心的な事柄とは、わけて考えないといけません。分けて考えるのは、そもそもおかしいですが。地元の方であれば、高谷橋が、江戸時代にどちらにあったかまた、現在のどこかは、ご存知だと思います。

2020.01.04 11:21 URL | #- [ 編集 ]

どのコメントが誰のだかわからないので、Nameを入れてください。

2020.01.04 14:47 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

大学で文化史かなにかでくずし字に接しておられた方なら、どのようにして絵図を探し、どのように文字を解読していくかは、よくご存知だと思いますが、私は、お話はお話として、実際にこの目で見たものしか信用しないので、あなた様も実際に絵図をご覧になられて、そこに書かれている文字をご覧になられれば、そこに記された文字がなんと記されているのかを読み取られることでしょう。私には、「但し入會」「給之入會」としか読めませんが。見方によっては、これらの文字のくずし字をお考えになられれば、いろんな風によめるのかなと思います。人それぞれですが。

2020.01.08 14:58 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

返事が遅れました。

>但し入會
>給之入會

を「獄の墓」と読み間違ったってことですよね。

実物を見てないので、なんとも言えませんが、ありうる話だと思います。

私の持っている「くずし字字典」だと、読み間違いそうもないのですが、過剰に達筆な人や悪筆の人が書いた場合は、「くずし字字典」がほとんど役に立たないレベルなので、間違えるかもしれません。

2020.01.10 11:06 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

たとえば、「田」という文字が、ある地域に記されていて、その近くに「但し入會」と記されている場合、田の文字は、墓場の印とも思える程度に文字に見えますし、その地域の土地支配の勉強をされていない人がみると、このサイトの主題となる文字に見えることもあるかもしれません。したがって、そのことを明確にするために、2種類の絵図というにが、結構、重要となるわけです。したがって、上に記した内容というのは、すべて、見方によれば、意味が深いということです。一方には、記されていないことでも、他方の同一場所の記述をみることで、なるほどと思えることもあるやもしれません。相互補完的に見ることが出来るということです。私の見解は、単なる見解に過ぎませんが。見解は見解やけども、その地域の遺構などの有無や開発段階の資料とが組み合わせることで、徐々に真実につながるのではないでしょうか。
横井也有さんが「化物の正体見たり枯れ尾花」と言ってます。

2020.01.10 15:57 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

しばらくは絵図を見ることは無理そうですが、見る機会があったときは肝に銘じたいと思います。

2020.01.10 16:12 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

なにか、絵図をご覧になれない理由があるのでしょうか?絵図をどうしてもみたいという強い気持ちと悪用しないという気持ち、少々、手続きを踏めば、どなた様に限らず、閲覧することができる資料だと思いますが。詳しいことは、取り決めもあって申せませんが。私も、可能であれば、もう一枚のものを閲覧して、自分の考えを確定したいと思っているところです。これは、すこし難しいと思いますが。あくまで私見にすぎませんが。

2020.01.10 17:13 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

親族間のゴタゴタでメンドクサイことになっているので、それが済むまでできそうもありません。

2020.01.10 17:50 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

ご参考にしていただいたら幸いですが、両方の図の中で記された地点のこれまでの開発記録、当時の川側から撮影した写真や工事中の写真、また行政からの回答によると、「ここは遺跡ではないため、出土物や遺構はない田」であったという回答。これは図の中の「但し入會」や「給之入會」という文言と完全に一致するものです。こんなことを確認して確認することで、真実が見えてくると考えております。行政は、何らかのことに配慮して言わないことはあっても、嘘をつくことはないと考えております。あくまで私見ですが。

2020.01.11 15:19 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

わざわざありがとうございます。

2020.01.11 17:38 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

障りといういみでは、昨年の10月にこのお話を初めて知り、国立国会図書館のカンファレンスで大宮市史に鍵があるのではと思い、最寄りの公立図書館より、該当図書の借入を制度に基づき行いましたが、貸付先の図書館から断られたとの回答があって、年末に東京出張する機会に、実際に図書館にお伺いしたのですが、図書館は、あいにく閉館しており、文書館は工事中につき閉館してました。帰宅後、1週間ぐらい経って、右胸と肩甲骨あたりに鈍い痛みが継続するようになって、クリニックを受診すると心筋梗塞ということで、即入院、即カテーテルによる手術を受けてましたが、心電図を見る限り、ほとんど後遺症も確認できないほどです。今のところ、血圧も悪玉コレステロールの値も完全にアンダーコントロールされており、これを障りとみるか、偶然とみるかは、人によって異なるとおもいますが、お陰様ですべて当初、ほしいと思っていたすべて資料が、現地に赴くなく入手でき、感謝している限りです。
これは、障りなんでしょうかね。確かに、手術後3日間、ICUで6本程度の管につながれ、カテーテルを挿入したほうの足は曲げることは許されない状況でしたが。偶然といえば偶然ですが、絵図中の崩し字の見解について3者の方から回答をいただき確証を持ったのが、昨年、救急車で搬送された日であるということに間違いはありませんが。その後、現地に行かなくても市史に記された当初、知りたかった内容も入手できましたし。

2020.01.13 11:54 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

それはたいへんでしたね。

>「獄の墓」探しはやめております。

>障りが家族に及ぶと怖いんでね。

と2018年8月29日に書いたのですが、当時、認知症の伯母が生きており、障りって弱い方に出るので、そのかなり前からやめていました。伯母はその年の12月に亡くなりましたが、90歳という年齢で死因も老衰だったので、障りではないと思います。

この伯母の遺産をめぐって親族間のトラブルになっているのです。じつは、生きているときから、介護方針をめぐってトラブルになっていましたが…。

あと、母親も80代後半に入り、妹も体調面で問題をかかえているので、やめております。

2020.01.13 14:22 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

そういった深いご事情があったのですね。
それは、何かと失礼いたしました。すべてが、すっきり解決できれば、いいですね。お母様、妹さんのご体調も。
私は、実のところ、この件については、先にも申し述べましたように、障りはないと思っておりましたが、くずし字については、念には念ということで、地元の行政の歴史編纂室の方や、近隣の同様のセクションの方などに、お尋ねしていたのですが、偶然に回答を頂戴できたのが、同一日付で、偶々、救急搬送された日付だったということで、ちょっと気にはなっていたところなんです。本音は、障りなどは、この件については、ありえないと思っているのですが。

2020.01.13 15:31 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

>本音は、障りなどは、この件については、
>ありえないと思っているのですが。

説明をうかがうと、たぶんそうなんでしょうね。
ただ、念のためやめておきますが…。

それと矛盾しますが、削除されていた動画を聴けるようにしました。w

2020.01.13 16:33 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

王子きつねさんは、地元の方でしょうか?
もし、地元の方であれば、中央区(下落合ではない)周辺の古い地図を閲覧していて、何をしるしているのかわからないものがあるのですが。もちろん、行政にも問合わせましたが、どのような場所であったかは不明であるとの回答をもらいました。これまでお書きになっていることから、控えられることも十分に想定されるので、あらかじめ、お尋ねさせていただきました。下落合ではないといっても、まったくそうとは言い切れず、幹線道沿いと推定できる場所です。凡その現在地もわかります。

2020.01.22 22:43 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

残念ながら地元ではありません。
東京都北区に住んでいるので、そんなに遠くでもありませんが…。

2020.01.22 23:21 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

インターネットでも地図名を入力して画像検索すれば、検索でき、現在の地図と比較すれば、位置関係から容易にその場所はわかるのですが。
地図名は、地名+絵図です。あのあたりが高台となっていたのかなあとも思いますが、今は周辺の様子を見る限り、痕跡すらありませんが。

2020.01.23 11:56 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

わからないので、
緯度経度情報を教えてください。

2020.01.23 16:06 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

赤山道と埼京線が交差する北・西側あたりと推察できる場所に、こんもりとした山に松が一本生えているような場所があります。これはなんなのでしょうか?赤山道は当時の幹線道ですよね。東に行けば、江戸時代の高谷橋につながります。

2020.01.23 18:36 URL | #- [ 編集 ]

場所はわかりました。

「台の坂」という名前があるらしいです。明治大正5万分の1図に「臺」という地名が載っており、赤山街道の赤山橋と高谷橋の間の微高地を指すようです。「台の坂」はその西側の坂を指しているのでしょう。

「こんもりとした山に松が一本生えているような場所」なんですが、これはあくまでも推測の域を出ませんが、古墳なのではないでしょうか?

有名な「将門の首塚」も元は古墳だったらしく、下の記事に絵図が載っています。

http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-5524.html

また、さきたま古墳群の丸墓山古墳(忍城攻めのとき石田三成が本陣を構えた場所)もこんもりとした山に木が生えています。下の記事のいちばん最後の写真。

http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-1795.html

上落合神明神社の真西にあるとしたら、ますますその可能性が高くなります。

今は北を向いて拝礼するように社殿ができていますが、明治初年の地図だと西を向いて拝礼していた可能性があります。

森高千里の「渡良瀬橋」に出てくる八雲神社は、背後が山になっていて、社殿の真後ろが前方後円墳になっているからです。

神明神社は、天照大神を祀った神社で、伊勢信仰の系統に属しますが、その前は氷川神社の社領だったらしく、あとから伊勢系統に変えられた可能性があります。

2020.01.24 00:16 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

台の坂は、たしかどの絵図か忘れましたが、今回の地点から鴻沼川に至るまでの赤山道に記されているものがあったと思います。下落合村については、権利関係までしるされた地図の写を入手しましたが、このサイトの中心的なテーマになるような場所は、見当たらなかったです。むしろ、別の絵図に記された「給之入會」や「但し入會」を裏付けるほど、権利関係が複雑でした。

2020.01.24 10:16 URL | #- [ 編集 ]

これまで元禄期につくられた絵図2枚、19世紀に製作された絵図2枚の下落合村に関わるもの、同じく19世紀に製作された上落合村に関わる絵図1枚、あと上木崎村に関わる絵図1枚を細かい文字まで調べましたが、このサイトのテーマと思えるような文字が記されたものは、確認できまんでした。行政にも、色々な資料を請求し、丁寧に対応してくださってますが、該当するものはありません。図書館にどのような資料の請求の仕方をしたかは、存じませんが、そんなに容易に入手できるものかと考えてしまいます。ここしばらく週末には、調べて調べているんですが。どのように思われますか。

2020.01.24 20:12 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

北袋村が入手できたらコンプリートですね。
下原刑場=吉敷町は人が住んでいなかったので、無理でしょうけど…。

「獄の墓」と書かれた絵図なんで無いのかもしれません。←というより、無いのでしょう。


実話怪談の場合、厳密に検証する人もあまりいないので、オカシナことがけっこうあります。ファンキー中村氏の「厳重事故物件」という実話怪談では、1982年が「バブル真っ最中だった」なんて平気で言ったりしてます。正しくは、バブルは1986~90年で、91年がバブル崩壊の年です。

1年くらい前に、西千葉駅前の「祟りの松の木」がTwitterで話題になったことがあり、この駅を使っていたことがあるので、検証したことがあります。結果は、そもそもこんな場所に刑場はつくらないってところが刑場だと言われていました。

http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-10545.html

ここには書きませんでしたが、1983年に千葉大女医殺人事件が起きると、「祟りの松の木」を切って家を新築したから、事件が起きたとウワサされました。この新居は本千葉駅から1kmくらいの場所にあったそうです。このウワサがホントだったら、「祟りの松の木」は、別の場所にあったとされ、もう切られてしまったので、西千葉駅前に現存するわけないのですが…。w

http://yabusaka.moo.jp/chibadaijoi.htm

西千葉稲荷が刑場跡だとする都市伝説と千葉大女医殺人事件の「祟りの松の木」のウワサが融合して、西千葉駅前の「祟りの松の木」になったのかもしれません。

2020.01.24 23:16 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

県立文書館には、全部で文書番号にして5つの上落合村絵図があると、検索データ上、なっておりますが、インターネット上のデータとしてあるのは、そのうちの一つで文書番号(5224)もわかっているのですが、他の4つとどう違うのかが気になります。もしご存知でしたら、あるいは、行かれる機会がございましたら、是非、ご教示下さいませ。あと、きになるのが、足立郡上木崎村市川家文書6と足立郡上木崎村市川家文書10 開発ニ被仰付候場所 木崎領上木崎村絵図で、全部だと思います。北袋村絵図というものがあるのでしたら、入手手続きを行おうと思いますが、あるのでしょうか。今まで、みたことがありませんが。
さいたま市さんは、とても親切で丁寧な対応をしてくれることが分かりました。絵図展示の件で、耳寄りなお話をおうかがいいたしました。

2020.01.24 23:42 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

あと、このサイトの主題となっている、そもそもの調べ物をしていた方が、お亡くなりになった日というのが、12月16日で、翌17日に現在の語り部さんのところにお亡くなりになった情報がはいったということですが、私が救急搬送された日が、12月17日で、くずし字の読み方について、行政からの情報を頂いた日も昨年の12月17日だったので、別にこの日に取り立てて意味を持たせる必要はないのですが、偶然が重なっているようです。

2020.01.25 10:11 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

埼玉県立文書館のサイトで検索してみました。

>5つの上落合村絵図
氷川神社社家である「西角井家所蔵文書」ですね。

>足立郡上木崎村市川家文書6
・[絵図](氷川神社領秣場争論一件写)
・[絵図](上木崎村)

>足立郡上木崎村市川家文書10
・開発ニ被仰付候場所 木崎領上木崎村絵図
・開発被仰付候場所 木崎領上木崎村絵図
ともに享保10年12月

北袋村の絵図はなさそうです。

利用書・複写申請書を印刷して持って行けば利用・複写できるようです。
http://www.monjo.spec.ed.jp/

2020.01.25 10:55 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

>下のコメント
シンクロニシティですね。w

2020.01.25 10:57 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

『与野市史通史編上巻』という書籍に、元禄三年と元禄七年に製作された「与野領落合村絵図」の両地図の写しが掲載されているということです。下落合村のその当時の権利関係が克明に記されております資料で、元の資料というのが、痛みが激しく、元禄7年のものは、現在、修復中らしいです。『大宮市史 3 下 近世地誌編』の「大宮宿字地図」というものもありますが、私自身、この資料は、下落合村の当時の土地の権利関係を知る上ですごい資料だと考えております。このサイトの主題となるものについては残念ながら記されていませんが、用水路と川の関係、そしてそれぞれの場所の土地の権利者の名前などが、詳しく記されている資料です。「与野領落合村絵図」という資料がすごく気になっていたのですが、ようやく写(概要的なものですが)を入手することができました。七年製作の実物がもしかしたら、権利者様のご好意で、展示されるかもしれません。まだわかりませんが。

2020.01.26 12:14 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

『与野市史〈通史編〉上巻』←地元の図書館に下巻だけありました。なぜ下巻だけ…。orz

『大宮市史』←なぜ『与野市史』があって、『大宮市史』がない。orz

さいたま市図書館にどちらもあるようなので、チャンスがあったら読んでみたいと思います。

2020.01.26 13:52 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

地元の最寄りの公立図書館になくても、県内や都内の他市の公立図書館からの借入制度というものがありますから、図書館の司書の方に相談されれば、少し時間はかかりますが、借り入れるこことは可能です。あと、市制30周年記念の与野の歴史という書籍も非常に興味深そうな内容です。これにも絵図の写が貼付されていると思うのですが。
しかし、最近は、私以外の方の投稿がないようですが、皆さん、該当の場所を発見されたのでしょうかね。私も、頭の中で、落合地区の地図が頭の中で思い浮かぶようになってきました。はっきり言って、場所がわかっているという方がいれば、江戸時代の地図の内容から、こういう場所やってんで、それでもそこにあったのかなあとお聞きしたいです。もちろん、絵図のない検証できていない場所もありますが。

2020.01.26 16:57 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

なるほど、その手がありましたね。
でも、しばらくは使わないと思います。

2020.01.27 10:28 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

行政に以下の事項についてズバリ、聞いて見ました。「埼京線北与野駅からさいたま新都心駅周辺と思しき江戸期以前の古地図における『獄の墓』の表示について」⇒以下、回答。
調査しましたが、「獄の墓」の表記のある地図は見つかりませんでした。また、表記のある図書も見つかりませんでした。埼玉県の古文書や地図を取り扱う、埼玉県立文書館にも問い合わせましたが、文書館が現在大規模改修工事中のため資料を確認できないことと、標記お探しの地域の古地図は少なく、おそらく表記のある可能性は少ないのではないかとのことでした。「板橋処刑場」周辺をお調べになったとのこ(念のため足立区の「竹の塚」についても調べてもらいました)とですので、さいたま新都心駅付近にあった刑場についても調査しました。
以下の資料に刑場に関係する記述がありましたが、、「獄の墓」の表記はありませんでした。
参考までにご紹介します。参考図書をお示ししてもいいのかが不明のため、念のため、控えさせていただきます。
かなり、丁寧にお調べていただきましたが、過去に図書館に古地図を請求して、窓口からそのような資料を手渡されたのならば、履歴が残っていて、行政も把握されていると思うのですが。

2020.02.10 20:31 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

わざわざありがとうございます。

やはり「獄の墓」と書かれた古文書・古地図はないようですね。

やっぱり読み間違いか、創作なのかな?

2020.02.10 21:13 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

参考図書をいつくかご案内してくださっておりますが、資料には、刑場に関係する記述がありましたが、「獄の墓」の表記はありませんでしたとして、4つの参考図書をご紹介してくださっており、内、2冊に古い書物か何かを参考にした手書きの地図が掲載されているとのことです。行政にも、お忙しい中、お時間をとっていただいております。どの書籍も図書館の郷土史のコーナーにあるような図書のタイトルとなっております。
見沼代用水の西縁から落合の高谷まで開削した時期については、そんなに古いという認識ではないのですが、下原の刑場というのは、いつごろ開場したのでしょうかね。それまではどんな場所だったのかなど知りたくなります。なにせ資料がなくて、困っております。大宮宿の生活排水を流すのに、中山道の西側を中山道にそって南へ流れる悪水路があって、これと開削した高沼用水路とが、落合の高谷あたりで合流していたとのことです。大宮宿あたりの悪水路が2箇所で中山道を東西を横切って橋となっていた1つが中之橋(泪橋)だということだそうですが、、、

2020.02.10 22:11 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

1728(享保13)年に見沼代用水が普請されたとき、高沼用水も普請されたようです。

1789(寛政元)年、長谷川宣以(平蔵)によって捕らえられた盗賊・神道(真刀)徳次郎が処刑された場所なので、その頃には刑場になっていたことになります。

2020.02.11 23:49 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

実話怪談の内容から、古地図中に「川」とだけ書かれたという内容のものがありますが、1830年代に製作された周辺地図の中で「川」と表示あるのは、落合村の絵図中ではなく、その凡例に青は「川示」と記されているだけで、あとは、用水や用水路、悪水や悪水路といった表示となっており、川という認識が、当時の周辺の方にはなかったのでは思います。もう少し時代を遡ると、見沼代用水の西縁からの高沼用水路すら開削されていないのという状況になるので、「川」と絵図中に記されているのも、当時の絵図(複数枚より)の内容からも首をかしげたくなります。特に、霧敷川について、絵図中では「悪水」、つまり生活排水が流れ込む用水路として記されております。落合村の絵図の北端が、赤山道となっており、記されているならば、おそらく上落合に係る絵図となりますが、上落合に係る絵図では、中山道は記されておらず、東端が、高沼用水路となっており、絵図中では「用水」と表記されております。手元にある上落合に係る絵図(5224)ですので、他の文書館のものは確認できてませんが、それでも「川」というのは、おそらく1830年頃の周辺の方の認識では、頭になく、あくまで「用水(路)」だったと思われるので、「川」とだけ記されていたというのも、おかしいように思います。そういった意味でも、5224以外の上落合に係る絵図を確認する必要性はありますが、まず「川」という表記はないとおもいます。赤山道より北側で、中山道をしるす絵図があるとすれば、上落合に係る絵図ぐらいだと思います。北袋も吉敷も絵図があるというのは、行政にも確認してますが、ありませんし、文書館の資料検索でもヒットしません。古地図の所有者様から、未だ行政にも認知されていない資料として譲り受けたのであれば、わかりますが、そうだとすれば、19世紀の初頭頃のものであれば、余程、管理が良くなければ、裏側を補強しないとボロボロの状態だと思いますが。現に元禄年間に製作された下落合村に係る地図は、かなり傷んでいるのを現在、補修作業を行っていると聞きました。

2020.02.24 18:51 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

>確かに中山道のお仕置き場の場所
>だけどそこから伸びてる川とか道とか
>今とぜんぜん違うんで
>やっぱり検討つかないんですね
>知ってる場所なんですけど

確かに「川」って言ってますね。
用水(あるいは悪水)を川と思っての発言とも解釈できますが、そうなると「今とぜんぜん違う」の方が問題で、江戸時代の水路は、きちんと測量して計算し、かなり正確な傾斜でつくるので、「見当つかない」ほど変わっているはずないんですけど…。

2020.02.24 22:27 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

王子きつねさんが、アップしてくださっているもの以外の同じ内容のものでも、もっとはっきり「川」とだけ記されているといった言い回しや「お地蔵さん」と記されているといったような発言がありますが、私の知る限り絵図には「川」とは書かれていないはずなんです。それを川というのは?と思うわけです。下原刑場の獄門台についての着色写真についても、うん?とおもうことがあるので、今、行政に質問してます。刑罰に関わる古い書籍を読んでいましたが、獄門台自体、1つ首、2つ首、3つ首、いろいろあるようですが、ぶどうの房のように晒すような獄門台の記述はなく、獄門台から飛び出て、首を支える楔のようなものの長さについても、一応、長さや本数に企画があるようなんです。そうした中で、ぶぼうの房のようにみえる獄門台?と思うわけです。
あるかもしれませんが。

2020.02.25 00:05 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

江戸時代の獄門を執行時の規格書で、首の数によっての獄門台の長さ、首を晒す間隔、首を支える楔の長さやその本数、その晒す時に揃える道具など、事細かく決められていて、首が、そんなに密集して、ぶどうの房のように見えるとは、考えにくいのではと思いました。具体的な企画書の名称も記されていたのですが、控え留め置くことを失念してしまって、また、他市からの借入書籍として借りようとは思いますが。幕藩体制の下で、それは幕府直轄領だけの規格書なのかもしれませんが。ちょっとそういうことを感じました。

2020.02.25 09:04 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

獄門の場合、首だけでなく、高札を立てて誰の首でどんな罪を犯したのかを書き示します。罪を犯したらどうなるか「見せしめ」の意味もあるわけです。あまり密集していたら、誰の首がわからないので、「ぶどうの房」は常識的にありえないですね。

ただ、同じような霊が集まって霊団となり、それが「ぶどうの房」に見えたという解釈も心霊の世界にはあるので、まったくの作り話とするのもどうかと思いますが…。

2020.02.25 10:17 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

江戸時代の末期・明治の初期に、横浜アルバムのような着色写真が、さいたま市の下原刑場の晒し場や刑場を捉えたものがあるというのも、???だと考えており、これについて、行政に今、確認してます。私の出身地である堺(幕府直轄領)では、先の時期に外国人が徒行しているというのが、考えにくいと博物館の学芸員から回答をいただきましたが、ただし、清国や明国の人とのハーフの方が、地域に住んでいたというのは、十分、ありうることだということですが、着色写真ですから、その時期にあっちこっちにあるようなものではないとおもうのですが。道ですが、下落合村の江戸時代の絵図とインターネット上の歴史的農業環境閲覧システムの地図とを比べて、カーソルを動かすと、そんなに見当がつかないほど変わっているというものではありません。もちろん、元あった道の一部が、施設に変わっていて旧道がなくなり、今の道に付け替えられているところがありますが、赤山道なんかは、ほとんど変わっていないように思います。ただ、中山道から高谷橋あたりまでの道は付け替えられているようです。一部が、切れていて、不自然に旧道が残っている箇所もあって、なんでこの道が斜めであるのだろうというところもありますが。

2020.02.25 17:45 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

>私の出身地である堺(幕府直轄領)

大阪府堺市ですか?

>先の時期に外国人が徒行しているというのが、
>考えにくいと博物館の学芸員から回答をいただきました

堺市だとしたら、これが原因かもしれません。
   ↓   ↓
幕府内勤皇派は、堺周辺には古墳が多いため、堺を開港地にすると外国人が無断で古墳に出入りする可能性があると指摘。そのため、第二候補であった摂津国の兵庫(神戸)が開港地に選ばれた。

>歴史的農業環境閲覧システム

これ、いいですね。いつも

http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/

の「ウェブで過去の地形図や空中写真を見る」を使ってました。

>ただ、中山道から高谷橋あたりまでの道は
>付け替えられているようです

上記の「過去の地形図」で見ると、1960年代に与野東中学校で新校舎をつくる際に道を付け替えたようです。それ以前は校舎と校庭が道で分断されていたみたいです。

2020.02.26 10:28 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

堺の古墳の件、おっしゃる通りです。外国人からの盗掘とかは避けられましたが、調査という名のもと、いろいろありましたが。堺県が大阪府に編入されるまでは、奈良県も堺県に含まれていたので、その当時の権力者がやろうと思えば、古墳に対してなんだってできたのでしょうかね?
県令になれば、一気に物持ちになるようなことも。
あくまで私見にすぎませんが。
1968年5月に初代大阪税関長に就任した五代友厚が、関税手続きをかなり厳しくしたので、外国人から不評だったとか。手続きが、緩かった神戸にいったと読んだことがあります。

2020.02.26 12:19 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

五代友厚 ←昔の教科書だと、「政商」って悪い印象だったのが、朝ドラでディーン・フジオカが演じたら良い人扱いになっていた。w


ぜんぜん関係ありませんが、「ぶどうの房」もクラスターなんですね。w

>クラスター、クラスタ(cluster)は、
>英語で「房」「集団」「群れ」のこと。

2020.02.26 14:14 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

行政から高沼用水路についての回答がきました。
現在でも用水路は残されていますが、中山道の下をくぐる部分などはさいたま新都心駅の開設や、
中山道の拡幅工事など都市化の中で、ほとんど見られない状態となっております。
また、私の個人的な感じ方となりますが、地元の人間にとっても、旧与野市の用水路沿いの方以外は、見沼代用水は知っていても、高沼用水路は知らない方が大多数と思われます。
それだけ、資料として残されてこなかった、語り継がれてこなかったということに通じると思います。
今後、貴重な財産として、史料が見つかりましたら、保存活用への方法を考えていきたいと思います。
こんな具合なので、このあたりのまさに核心部分の絵図が残っていることなど、到底考えにくいと思いますが。ないということはできませんが、行政に資料請求して、「はいはい」と出てくるようなものではないと思いますね。今まで、そのような資料が出たのであれば、記録に残っているし、上のような回答にもならないともいますが。

2020.03.01 23:00 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

知らせてくださりありがとうございます。

確かに、見沼代用水に比べたら、マイナーですね。

ただ、鴻沼資料館という施設があるようです。
https://www.city.saitama.jp/004/005/004/005/009/p001230.html

2020.03.02 00:31 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

博物館・図書館・市総務部のそれぞれ三系統別々に質問をしており、ご指摘の「鴻沼資料館」は、この4月に開館予定の「さいたま市立博物館 与野郷土資料館」と同様に博物館の管轄だと思いますので、もし、質問についての資料が把握されているならば、漏れることなく、ご教示頂ける、またご教示いただけたとおもうのですが。現に、、「与野領落合村絵図」(辻村タカ家文書)について、元禄三年と元禄七年の落合村絵図については、旧与野市時代に辻村家文書として寄託を受けた資料の一つとなり、現在は総務部管轄のアーカイブセンターで引き継ぎ保管している旨、また、閲覧につきましは、旧与野市史編さんのための寄託品のため、所有者の辻村様の了承を得ていただいた方以外には行っていない旨、そして許可をいただいた方であっても、両絵図はともに資料の状態が悪く、資料保存の面から閲覧は制限しているものの、元禄七年の絵図につきましては、令和2年4月開館予定の「さいたま市立博物館 与野郷土資料館」の準備の一環として、さいたま市立博物館にて、裏打ち修復作業等を行っている事実について、情報提供していただいております。また、与野市史通史編上巻に両絵図を写した図については画像データとして、お送りいただいているところです。

2020.03.06 08:18 URL | #- [ 編集 ]

元禄年間の絵図だと、まだ高沼用水ができる前なので、ちょっと気になります。

史料は保存状態が悪いと、虫食いでボロボロになってしまうので、修復作業が重要なんですね。

2020.03.06 11:33 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

元禄年間の絵図、2図ですが、以前にも投稿させていただいたことがあると思いますが、この絵図は、元禄3年のものと元禄七年のものがあって、「与野領落合村絵図」(辻村タカ家文書)と言われるものです、赤山道より南側の土地の所有権者の名前と用水路が記されており、所有権者には、中川よ朝比奈といった旗本の姓が見られます。原本は、修復が必要で上に記させていただきました通りですが、その写が、記されているものを行政に質問した時に、電子データとして頂戴し、手元にありますが、赤山道より南側ということで、核心部分を網羅したものではありませんが、用水の流れをみる資料としては、1830年代の絵図と比べてみれば、わかりやすいものとなっています。したがって、核心部分が記されているとすれば、上落合村に関わるものなのか?と思うわけです。上木崎村のものについても、核心の場所のちょうどその位置に、絵図を見る上での凡例の記載場所となっています。3年と7年のものとでは、所有権者の異動も確認できません(当たり前かもしれませんが)。

2020.03.06 19:03 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

2017年10月5日の西浦氏の話。月夜野さんが亡くなったこと、子どもが生首の「房」を見たのは事実らしい。「房」といっても、首を逆三角形に並べていたようだ。イタコ28号氏も相談を受けていたらしい。調べた人が、ガンになったり、首を吊って亡くなったとのこと。埼京線沿線らしい。

https://youtu.be/R3-vuXj04Qw?t=1410

2020.03.07 14:18 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

江戸時代の絵図の中で、現在の埼京線の沿線あたりをみても、上落合、下落合北組、落合村のそれぞれの絵図の中にそれらしきものはなにも記されていません。なにか記されているのが、上落合の赤山道との交差する場所の築山と絵図中の「但し入會」「給之入會」の文字で、これは見方によっては「御くの墓」「極の墓」と読めるものが、現在の区役所あたりに記されていますが、これは「但し入會」「給之入會」で間違いないし、実話怪談の中で「地獄」の「獄」と書いてといっているので、???となります。埼京線が開通する前の、沿線付近の昔の写真も何枚か行政から取り寄せ、悪水(鴻沼川)との位置関係も明確に写ってますが、それらしきものは全く見受けられません。

2020.03.09 18:41 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

「御くの墓」「極の墓」を「獄の墓」と読み間違えることはありそうです。
でも、「但し入會」「給之入會」を「御くの墓」「極の墓」と読み間違えることはなさそうです。

2020.03.09 22:47 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

「但」「給」⇒御
「く」「之」⇒く
「入」⇒の
「會」⇒墓

手元の19世紀初頭の絵図では、読み間違えても仕方ない程度には、似てますよ。落合村周辺の絵図です。無理やり、そのようにこじつけるということも考えられます。「獄」という文字は、つくりの「犬」の右上の点でぐらいしか、見分けが付かないような崩し方もありますが。手へんなのか、にんべんなのか、ごんべんなのか、けものへんなのか、ぱっと見ただけでは、見分けが付かない場合もあります。

2020.03.09 23:25 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

>「但」「給」⇒御
>「く」「之」⇒く
>「入」⇒の
>「會」⇒墓

なるほど、しかし

>「入」⇒の

は“∩”の部分がかすれないと無理なのでは?

2020.03.11 10:01 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

絵図の中では、そのあたりの田が落合村と中里村の入會であるという土地関係を知らなければ、完全に「の」の字に見えますよ。入會の「會」の字も、墓と読もうと思えば、いや、こう読むねんと言われて反論しなければ、「墓」と読めないことは無い程度の文字です。「會」の「日」の部分も、「墓」の「土」の部分もくずし字になれば、ほとんど変わらないような崩し方になってます。落合村に関わる絵図が二つあって、一つには、きちんと村名まで列記して「入會」と記されていますが、もう一方は、村名が記されず、単に「但し入會」と記されてますので、これを、独断で専門家の意見を聞かずに「御くの墓」と読めないこともなく、現在の区役所付近に記されているが、それは「入會」と読むということです。これが、埼京線の沿線にあるわけですが、用水路を隔てて東側なので、???と思うわけです。川の近くといえば近くですが、下原の刑場からは、かなり離れているので、その時点で、おかしいと思うのですが。埼京線、云々というのは、上落合についての残りの絵図を見ないとはっきりしたことは言えませんが、下落合ではないと思います。これ以外の絵図というのが、そんなに容易に入手できるというのは、昔の名主さんのご家系の方か、近しい人ぐらいですので、まずもって、おかしいと、私は思うわけです。文書館にも、おそらくこれ以上の資料はないと思いますが。4月以降でないと、問い合わせに対応してくれないのかもしれませんが。

2020.03.11 20:07 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

1.現在の区役所付近に記されている
2.埼京線の沿線にある
3.用水路を隔てて東側
4.下原の刑場からは、かなり離れている

中央区役所の近くってことですか?

2020.03.12 09:56 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

文字は記されているのは、絵図中、その通りですが、その文字は、このサイトの中心的なテーマではないことは、明らかなので、実話怪談の内容について懐疑的に思うわけです。埼京線の線路は、用水(悪水)より西側であり、区役所は東側であって、江戸時代の絵図をみても、沿線近くに疑問を抱くような印や記述はなく、もしあるとすれば、上落合村に関わる絵図の文書番号5224以外ということになりますが、その可能性も低いのではと思うわけです。埼京線の開通前の用水を中心として両側(東西)を撮した古い写真もいただきましたが、そのようなものは確認できませんでした。第一、行政もその周辺には遺跡や遺構はないとしてますので。

2020.03.12 14:23 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

怪談の中で、駅前なのに何もないって言ってますが、タツミ通りと中里橋の間の鴻沼川西岸のことでしょうか?

西浦さんに聴かないとわかんないことですが…

さいたま新都心駅のコクーンシティの南側の空き地だとずっと思ってました。

2020.03.12 18:00 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

中里村・大戸村・与野町に跨る絵図データも保有しており、また落合村の絵図の南西端、また元禄三年、七年の与野領落合村絵図の写も見てますが、そのようなものは確認できません。
タツミ通りと中里橋の間の鴻沼川西岸と、どうしてお考えになられたのでしょうか?
それに、タツミ通りと中里橋の間の鴻沼川西岸であれば、距離がありすぎると思いますが。刑場の取捨場といえば、すぐそばにあるのを別の資料で見たことがありますが、小塚原刑場の場合は、軽く土をかける程度だったそうですが、そうすると野犬などが集まってきたので、1メートル程、穴を掘って、その穴に取り捨て、軽く土をかけるという具合だったようです。先日、借りた図書に記しておりました。それに先日、テレビで杉田玄白が解剖をしたと解説してましたが、杉田玄白は、実見したのみで、ようするに腑分けに立ち会っただけということで、腑分けを行ったのは、その当時の特殊な仕事を生業とした方だと思うのですが。

2020.03.12 21:39 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

>タツミ通りと中里橋の間の鴻沼川西岸と、
>どうしてお考えになられたのでしょうか?

駅に比較的近くて何もないところって他になさそうなので…。処刑場は、大きな町や宿場町の出入り口につくるものなので、場所的にはありえない場所ですしね。

>腑分けは処刑場である小塚原で行われました。
>罪人の遺体に一般人が触れることは禁止されていたため、
>特別に許可された処刑人が遺体を腑分けし、医師たちが
>観察して絵師が遺体の絵を詳細にスケッチしました。

江戸時代に処刑された遺体は山田浅右衛門家が拝領することになっていたので、その関係者が腑分けしたんでしょうね。多くは刀の試し斬りに利用されましたが、肝臓や脳や胆嚢や胆汁等を原料に労咳(結核)に効くといわれる丸薬を製造していたそうですから。

2020.03.13 16:09 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

よく考えてみれば、資料(古地図・絵図)が、まったくないということを断言するのは、難しく、しかも、行政も、個人的な見解と前置きしながらも「資料として残されてこなかった、語り継がれてこなかった」としているので、『獄の墓』というのは、本当によく出来た怪談だと思います。全くないとは言い切れず、かと、これだけ積極的に資料を集めても、見つからないという事実がある。これだけさがせば、見つかるはずですがね。見つかった、あるいは、元々の怪談の中に出てきた古地図は、あくまで怪談の中の話であって、実際にそれを見た人は、誰もいない。あるいは近しい人では誰もいない。ただ、見ましたよ。との投稿があったりするだけで、禁忌として、特定することが憚られる状況を設定として作っている。学問的に真理を追究するというレベルのものではないかもしれませんね。学問的な真理の追究であれば、時に禁忌には、触れないといけない場合がありますもんね。全くないということを証明するのは、不可能に近いが、限りなく資料がないし、出処から考えて、それらしきものを一つ一つ潰していけば、もはや、そんな古地図が存在するなどとは、考えにくくなるということでしょうかね。
文書館が開館するのは4月以降ということでしょうかね。埼玉県に問い合せますが、さいたま市と違って回答が全く来ないので、わかりません。他のことについて聞けば、埼玉県への質問に対する回答というのは、他の都道府県に比べても、とても親切で詳しいのですが(私の職務上のことで)。

2020.03.15 08:41 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

>よく考えてみれば、資料(古地図・絵図)が、
>まったくないということを断言するのは、難しく、

いわゆる「悪魔の証明」ってことですね。

「ある」ことの証明は証拠1つあれば可能ですが、「ない」ことは100個証拠を集めてなくても、101個目にあるかもしれないわけですから。

2020.03.15 10:44 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

王子のきつねさん、そうお思いにならないですか?
そういう意味合いにおいて、『獄の墓』というのは、よくできたお話(実話?)だと思います。
真理の追究を、禁忌としている点においても。
したがって、「ある」「古地図」をみたという人からも、具体的に、この地図というようなリークすらないわけです。人間の心理として、これだけの人が探している人がいるわけですから、自分の優越性を示すために、それをヒケラカス行動にでるのが、人間の正常な心理だと思うのですが、それが全くないという時点で、おかしいと思うべきだと思うわけです。変な絵図名や古地図の名称を公開した瞬間に、獄の墓の真偽が、明らかになるからで、あるという人がおいでになるならば、是非、絵図名や古地図名を記してもらいたいものです。少なくとも、北袋・吉敷以外の絵図の電子データは、手元に有るので、それらと照合して分析もできるのですが。

2020.03.15 20:49 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

「獄の墓」は、《真理の追究を、禁忌としている点》で、「田中河内介の最期」と同じ構造なのです。というか、指摘されて気づきました。w
-----
大正初期、東京の書画屋に同好の人たちが集まって怪談を話し合っていました。ある日、見知らぬ男が訪れて「田中河内介の話をしたい」と言います。「河内介の話をすると良くないことが起こるのというので、誰も話さないが、私は河内介の最期について真相を知る最後の1人になったので話しておきたい」ということなので、集まった人々は興味津々。

しかし、男はなかなか本題に入らず、要領を得ないことばかり繰り返します。やがて1人また1人と座を立って、別室で煙草を吸いながら「あの男、どうかしてるんじゃないか」と笑い合っていると、慌ただしく人がやってきて「男が死んでいる」と告げました。男は、河内介の最後に触れないまま急死してしまったのです。その場には、小説家の泉鏡花や歌舞伎役者の市川猿之助も同席していたともいわれます。

https://rekijin.com/?p=21346
-----
○河内介の最期について真相を話すと恐ろしいことが起きる→話そうとした男が死んだ。

○「獄の墓」の場所を探し当てると恐ろしいことが起きる→月夜野さんが急死、調べた人が、ガンになったり、首を吊って死んだ。

ホントに「よくできたお話」です。

2020.03.15 22:47 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

私も、そのお話、なんかの本で読んだことがありましたが、すっかり忘れてしまいました。一時、その話についても、少し詳しく調べたことがありました。神話とかと同じで、どこの国の神話も、似通った話となるように、こういった怪談も同じような話や筋となるようです。当然、実話怪談の語り部を生業とする方にとって、王子きつねさんの先ほどのお話も、いつの時点かで、知っているはずなので、どうのような話の構成にすれば、万民受けし、長続きさせることができ、興味を引けるかぐらいは、考えておられると思いますので、この手の話ではないかと、私は、思います。
ホントに「よくできたお話」だと思います。
古文書だとか、古地図を話の中に取り込むことで、怪談好き+歴史好きの層を取り込むことができるので、本当に憎たらしいほどの傑作だと私は、思います。それにいつまでたっても『解』にたどり着けない。

2020.03.16 14:18 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

大塚英志氏が『物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ―構造しかない日本』(角川書店、2009年)で村上春樹の小説と宮崎駿のアニメが万人受けするのは、万人受けする構成=構造をもっているからだと言ってます。このような構成は、人間の集合的無意識に根ざしているので、そもそも人間に好まれるようにできているんだそうです。

http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-5108.html

リンクしていた動画が削除されてしまいました。orz

小池壮彦氏が、『四谷怪談~祟りの正体』(学習研究社、2002年)で、《真理の追究を禁忌としている》話をいろいろ紹介しています。彼自身が、渋谷の円山町のホテル街に出る幽霊の噂を追っていたら、東電OL殺人事件が起きてそれ以上追及できなくなったなんて話も出てきます。幽霊と噂されていたのが被害者だったから?

於岩稲荷田宮神社が、「於岩稲荷来由書上」や「四谷雑談」と矛盾する〈於岩=貞女〉説を広めようとしていることも、一種の《真理の追究を禁忌としている》話なのかもしれません。

http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-11408.html
http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-7952.html

2020.03.17 13:38 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

いろいろ博学なご意見。王子きつねさんの見識の高さをうかがい知ることができます。昨日、中央図書館さんからお尋ねしたいた絵図についての回答がありました。今まで、知らなかった絵図で、『浦和市博物館研究調査報告書 第23集』の中の「与野領絵図」(享保11年)という絵図なんですが、この絵図の地域(範囲)とずばりこの絵図中のこのサイトの中心的なテーマの記載について聞いてみましたが、範囲は、北:小村田村→現在の大宮区上小町、南:田嶋村→現在の桜区田島
東:鈴谷村→中央区鈴谷、西:道場村→桜区道場で、中心的なテーマの記載はないということです。一つ一つ潰していくしかないと判断して、限りなく中心的テーマが記された古地図の存在が「0」に近づけるしかないと思いました。
ひとつ言えるのは、こんなに正攻法で、調べているのに、該当する絵図が一つたりとも出てこないということです。実話の中では、古地図の入手方法にいくつかの形式があるようです。図書館から入手したものと知人がコピーをくれたというものですが、図書館から入手したのであれば、これだけ中央図書館にも博物館にも総務部アーカイブセンターにも確認しているわけですから、そのような資料を認識しているはずのものが、全く出てこない。これはおかしいです。もうひとつの知人からコピーをもらった。知人がどのような人かわかりませんが、江戸時代の絵図を持っているということは、それなりの、たとえば名主の子孫のような方だと推察されますが、このあたりのそのような人であれば、そこそこ名前が知られた方だと思いますので、行政の方もご存知ですし、私も絵図データの入手の関係で存じ上げていると思うのですが。ますますわかりませんね。どう思われますか。可能性を一つ一つ潰していきます。

2020.03.18 08:41 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

夕闇は路たづたづしさんの熱意には頭が下がります。

図書館からの入手、知人からのコピー、どちらも怪しいですね。w

>江戸時代の絵図を持っているということは、それなりの、
>たとえば名主の子孫のような方だと推察されます

わが家も地主一族の分家の分家wなので、別の分家がマンションを建てる際に文書を区に寄贈して「○○家文書」として一部が区史の資料編に載っています。醤油屋を生業にしていたので、商売関係の文書がほとんどですが、肥を売って野菜などを買っていたといった文書もあります。分家するのが遅かったため江戸時代末期からの文書のようです。

本家は、大きな屋敷があったのですが、バブル崩壊で事業に失敗し(金を貸していた金融機関も経営統合された)、区指定の文化財である長屋門を壊してマンションを建ててしまいました。文書も散逸してしまったようです。

わが分家の本家wは、17世紀後半くらいの分家で、祖父が子どもの頃は大奥にいた女性を雇えるくらいの屋敷でした。しかし、空襲で屋敷が焼失してしまったので、文書もなくなってしまいました。

本家+主流分家の墓だけ、菩提寺のいちばん良い場所に区画がありました。祖父の叔父が日露戦争で戦病死し、英霊として顕彰され、区画内に旭日紋が入った小さな墓があったのですが、区画内を整備した際に捨ててしまったようです。

こうして過去を知る手掛かりはどんどんなくなっていくのが現状です。名主の子孫でも、絵図の価値がわからないと、取っておかないでしょう。

2020.03.18 10:40 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

地域の絵図を収集するにあたり、その絵図の電子データを受領したり、また実物を閲覧するにあたり、結構、手続きが煩雑で、該当する地域の絵図について、承諾書や理由書などを行政だけではなく、絵図の所有者宛に送付して承諾をもらわないといけません。実話怪談には、そんな話が全くでないので、本当に思うわけです。古い絵図というのは、王子きつねさんもご存知のように、自身の家では、十分な保存環境が保てず、また、せっかくの歴史資料が散逸するのを危惧して、行政に寄託する形式で、所有権だけを持っているという場合がおおく、実際にさいたま市中央区の絵図の所有賢者様にも、行政からざっくり閲覧希望があった旨と理由をざっくりお話いただいた上で、文書での承諾書や理由書を所有賢者様に提出し、それにご署名をいただいて、送り返していただくという過程を踏みますし、実際に踏みました。そこには、してはいけないことなどが例示列挙してあり、このような資料を勝手に第三者にコピーを手渡すということはできないものです。私の場合、絵図の所有権者様から、激励の一文を添えて、ご返送頂きましたが、なかなか手続き的には、難しいとおもうのですが、友人からコピーをいただくにしろ、図書館から資料をもらうにしろ、そう簡単に「はい。コピーどうぞ」というものではないはずのものだと思うのです。本当に絵図や古地図の類を手にされたのかなあと疑問が沸いてくるわけです。具体的にその周辺の絵図の所有権者の方のお名前も言えますが、それにはあまり意味がありませんので、あえて申し述べるようなことはありませんが。そう、お思いにならないですか?

2020.03.18 14:22 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

私は、専攻が外国の現代史だったので、地方文書などを読ませてもらった経験がないのですが、友人が近世史の研究をしていたので、夕闇は路たづたづしさんがおっしゃるとおりだと思います。

今上天皇がある大家の研究者から全面的に協力してもらって文書を入手できたと卒業論文(だったと思う)に書いてあったのを読んで、友人がウラヤマシイと言ってました。w

2020.03.18 14:45 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

処刑場の跡の小学校というのは、どこを指しているのでしょうかね。処刑場は、おおよそ場所がわかりますが、処刑場の跡地には、小学校はありませんし、実話の中にあるような石碑の類が建っているような小学校はありません。これは、市の教育委員会に問い合わせれば、建っているか否かの話ですから、確認は容易にできると思いますが。高沼用水が開削されたのは、18世紀の初め頃で、用水の流れ的にも、どちらからどちらに流れているかも不明ですから、刑場近くの用水路の縁で、斬首したとしても、下落合の方面に流れてくるとは限らないと思います。流れについては、これも行政に確認すれば、容易に回答をいただけると思いますが。なぜ、小学校の校舎に体の部分部分が現れるかも不明です。処刑後、下落合の方に血液や部位が流れて、小学校のあるあたりに埋もれているのであれば、なんとなく理解できますが、そのあたりの流れというのは、下落合の方に流れているというのは、不明ですから。
大宮宿から高谷、高谷から中山道東側、高谷から高沼方面のそれぞれの流れは、不明ということです。これは、行政に確認すれば、すぐにわかるものだと思いますが。

2020.03.22 17:20 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

>処刑場の跡地には、小学校はありません

小学校は北に偏ってますね。県立大宮高校の方が近いくらい。

>用水の流れ的にも、どちらから
>どちらに流れているかも不明です

高沼用水の説明に
-----
さいたま市大宮区北袋町で見沼代用水西縁から取水(分水)し、南西に流れて大宮台地とさいたま新都心を暗渠で通過、中央区下落合(与野本町駅東)で東縁・西縁に分岐する。
-----
とあるので、下落合方面に流れていたと思います。

ただ、仕置き場の土は遺体や血で腐ることが多いようなので、悪水ならともかく、用水に捨てるとは思えません。

2020.03.24 10:49 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

用水路の流れについて、行政の建設局に問い合わせると、「高沼導水路」は、北袋から新中里へ南側へ流下している河川になります。とのことで、更に、河川整備課によると「高沼導水路のさいたま新都心周辺が付け替えられたのは平成12年にさいたま新都心駅が開業する前後の駅周辺の開発によるものだと認識しております。付替え前の構造については高沼導水路は元々は市管理でなく地元の農家の人たちによる用水路組合の管理だったためそういった資料は残されておりません。」とのことで、「補足しますと、国土地理院のHPにある航空写真の中に少し広域になってしまいますが、昭和から現代くらいまでの高沼導水路周辺の資料があったと記憶しております。」ということだそうです。暗渠になっている箇所というのは、付け替えられているということですので、今の流れに基づいて、どこやここやと言っていても始まらないということだと思います。

2020.03.25 17:41 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

>高沼導水路のさいたま新都心周辺が付け替えられたのは
>平成12年にさいたま新都心駅が開業する前後の駅周辺の
>開発によるものだと認識しております

このサイトで確認すると、
   ↓
http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/?data=history

高沼用水の流路は、「明治迅速」から「地図1930」までは変わらず、「写真1947」で現在と同じものになっているので、大宮貨物駅をつくるにあたって付け替えたのではないかと思えます。その後、さいたま新都心駅の開業にあたり、暗渠化されたのではないでしょうか。

2020.03.26 22:43 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2020.05.03 06:41  | # [ 編集 ]

おっ、「獄の墓」発見!w

「但し入會/田」の方ですか?

2020.05.03 10:53 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2020.05.03 15:28  | # [ 編集 ]

いちばん最初にコメントしてくれた方が、見つけて障りに遭ったと書いてます。

ああ、ダメだ! ぶどうの房が見えてきた。

みなさん、さようならwwwww

2020.05.03 17:55 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

まったく、このサイトのテーマとは関係がありませんが、つい先日、「シェラ・デ・コブレの幽霊」と入力して動画検索すると、1時間弱程度の動画がアップされておりました。もうすでにご覧になられたかどうかは、わかりませんが。

2020.05.03 20:14 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

動画を入手された方であれば、その入手したことの優越性を示すために、その行為が違法であることが分かっていても、あるいは、障りがあるかもしれないとわかっていても、広く世の中に示したいと思うものだとおもうのですが、このサイトの主たるテーマの古地図については、まったくそういったものがないのが、不思議なりません。見つけたのであれば、その地域のちょっとしてヒントがあれば、その真偽が露呈してしまうと考えれば、わかりやすいのですが、時間があれば、その地域の江戸時代の資料についてご存知の方にお声をかけさせていだいたり、あるいは資料を検索したりしているのに、まったく行き着かないというのが、これまた不思議でなりません。図書館で入手したのであれば、必ず、その資料は、司書の記憶にあるはず。それがないわけですから、不思議でなりません。公立図書館の資料の授受というのは、決して遊びでやっているわけではないので、記録に残るはず。また図書館のレファレンスについても、記録に残るはず。それが残っていないないということですから、不思議で不思議でなりません。

2020.05.03 20:23 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

少なくとも、地元の行政に問い合わせすると研究が進んでいないと前置きしながらも、「獄の墓」と記された資料や絵図の類は確認できていないとはっきり、おっしゃっております。わからないではなく、「獄の墓」といった記述のある資料は見つかっていないですので、一般の方にはみつけられて、それを職務としている行政には見つけられないような資料は、通常ありえないとおもうのです。ここから考えると、絵図に記された文字を誤って、読んでいるためにそのように見えているということが考えられるわけで、現に、高校生に何ら説明もせずに、これは何書いているとおもうと尋ねると、このテーマの記述と結びつける高校生が、何人かいました。行政といっても、1セクションに問い合わせしているわけではなく、何系統の窓口を通じて、確認しているわけですから、わかっているのであれば、どの系統かで、必ず、わかるという窓口が出てくるはずですが、それがありません。行政が、認識・所有している資料が、すべてではないということは理解しておりますが、行政が、入手していない、認識していない資料をその方は、図書館から入手した、友達から譲り受けたということになりますが、行政は、確認できていないとしているわけです。おかしな話です。

2020.05.04 06:20 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

おっしゃるとおりで、古絵図の「但し入會/田」を「獄の墓」と墓を記した場所と誤認し、さらに月夜野さんの不慮の死が重なり、怪談となったようですね。

「シェラ・デ・コブレの幽霊」は知らなかったのですが、有名な作品のようなので、後ほど見たいと思います。

2020.05.04 11:15 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2020.05.04 14:19  | # [ 編集 ]

「給」の字が『近世古文書【解読字典】』そのものって感じですね。
近世文書に慣れ親しんでないと読めないですね。
「入會」は「の墓」と読めないでしょうが…

2020.05.04 19:07 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2020.05.10 12:04  | # [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2020.05.10 12:14  | # [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2020.05.10 12:27  | # [ 編集 ]

怪談イベント参加の方は問題ないんじゃないでしょうか? メディアの方はメンドクサイことになると断られそうですね。

刑罰史は、昔は関心があったんですが、最近はあまり興味がないというのが本音です。西洋刑罰史の本をもっていたり、サドの『悪徳の栄え』を読んだことがありますが、残酷なだけで、ちょっと嫌になりました。w

2020.05.10 18:02 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2020.05.23 13:49  | # [ 編集 ]

こちらこそ、わざわざお知らせくださり、ありがとうございます。

検証の進展をお祈り申し上げます。

2020.05.23 22:32 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2020.05.24 10:18  | # [ 編集 ]

了解しました。

「いたこさん」というのは、「いたこ28号」さんのことだと思います。

https://twitter.com/itako28

2020.05.24 19:08 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/tb.php/8186-8a677957