雷が弱まり、雨もやんできたので、登山を再開し、山頂に着きました。ここでおそい昼食を食べていると、さっき抜かれた男性が来て、しばらく話をしました。雨が降った後なので、眺望もよくなかったので、そんな話をしたと思います。そのとき、その男性から、さっきまで高齢の男性が山頂にいて、石尾根を下っていったという話を聞きました。
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日ノ出山に登るのに、なぜかいままで東側を巻いて東南の上り坂から登っていたんですが、今回はじめて東北側の上り坂を登りました。ちょとヤブがうるさかったですが、ぜんぜん平気でした。ここでちょとおそい昼食を食べました。
金毘羅尾根もひじょうになだらかで、麻生山のところも巻き道になっています。ただ、なだらか過ぎて、眺望はまったく望めません。金毘羅山を経て琴平神社に着きました。ここで30分くらい休憩しました。
そして、武蔵五日市駅まで下りたのですが、ちょうど学校の下校時間と重なってしまい、生徒さんたちといっしょに歩きました。夏なのに長袖の山シャツ着て、ザック背負ったオイラ、完全に浮いてます。(泣) 前回は、拝島まで歩きましたが(爆)、今回は電車で帰りました。
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高尾山から小仏城山まではいつも通るコースを歩きました。城山から大垂水峠を経て南高尾山稜に登るコースは、今回は大平林道を通ってみました。城山を下りる登山道が左に曲がる直前あたりに大平林道に行く道があります。そこから入り、林道を歩きました。林道は車が入れるようになっているので、登山て感じじゃなかったです。(泣) 大垂水峠は甲州街道が通っていて交通量が多いので、大垂水峠橋(陸橋)を渡ります。以前来たときは、ここがわからず、困りました。
大洞山、コンピラ山を経て、中沢山に着きました。前回はここでヘビを見て、道に迷ってしまったところです。今回はさすがに迷いませんでした。w ここから西山峠までは津久井湖の北を歩きます。津久井湖がよく見えるところにベンチがあるのですが、前に来たときは先客がいて、よく見られませんでした。
西山峠から泰光寺山、三沢峠を経て、草戸山へ。草戸山からは城山湖が見えます。ここで一休み。
ここから自然科学博物館前の道(甲州街道)に下りるまでは、あまり眺望のよくない尾根を歩きます。途中、この尾根が拓殖大学八王子校舎の敷地との境になっているのですが、フェンスがあってあまり楽しくないですね。
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西武秩父線の正丸駅で下り、国道299号線を八坂神社まで歩き、ここから旧正丸峠をめざしました。旧正丸峠への道は、秩父と江戸を結ぶ旧街道で、沢道でした。こうした生活のための道はひじょうに登りやすいものです。じっさい、急な登りもなく、旧正丸峠に着きました。
ここからは、川越山(カンゼ山)を経て、正丸峠に向かいます。途中の展望台で昼食を食べていたら、正丸峠から登ってきた女性2人連れに会いました。展望台から下りてくると、そこが正丸峠で、じつはここにある廃墟茶屋が有名な心霊スポットなのです(ここについてはこちらを見てください)。
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ただ、陣馬高原下のバス停でバスを待っていたら、タヌキが民家の庭を歩いていました。毛が生えかわる時期なのか、それとも病気なのか、毛が抜けてきたないタヌキでした。
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梅野木峠からはいつも通る広くゆるやかな登山道で日ノ出山に向かいます。日ノ出山に着くと、山頂に犬がいました。
日ノ出山にいた犬

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大平山までは前々回(2000年11月)のとおりです。晃石山無線中継所から先は、急な登りがあります。でも、それほどじゃなかったんです。あんまり憶えてないから…。w 晃石山は西側に晃石神社と休憩所があり、そこから登ります。むしろ、強烈に憶えているのは、そこから先で、木段の急な下りがありました。そこを下りていくと、桜峠にでます。前回、ここで帰ったのは正解だったようです。
ここから先は平たんな道が馬不入山まで続いており、そこで一休みして、山をおりました。岩船山に行く道はトラックが走っているので避けて、遠まわりして岩舟駅につきました。
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仕事が午前中で終わってしまったので、この山に登ろうと、岩舟駅にやってきました。この山に登るには600段!の石段を登らなければならず、途中の家には「大型犬がいます。注意してください」の文字が…見ると、自転車くらいの大きさ!の犬がいるではありませんか。でも、この犬はおとなしかったので、大丈夫でした。
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24日は、前日が秋分の日の日曜日で、その振替休日でした。この日はよく晴れていて、前回渡れなかったゴーラ沢出合もこんな感じです。大勢の登山者が来ていました。
ゴーラ沢出合

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大寺山の仏塔

お釈迦様?

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蕎麦粒山の頂上に着くと、雨はやんでいましたが、曇っています。日向沢ノ峰で、このまままっすぐ長尾ノ丸、槙ノ尾山と進み、棒ノ折山までいくか、踊平、獅子口小屋跡を経て下山するか迷いました。でも、「ヤブうるさい」の文字を見て、下りることにしました。w
踊平から先は大丹波川の沢になっています。雨が降っているので、ちょっと心配でしたが、だいじょうぶでした。獅子口小屋跡から下には、わさび田がありました。どれも盗難防止のため、有刺鉄線に囲まれていました。
棒ノ折山への登山道との分岐になっている奥茶屋キャンプ場を通りましたが、さすがにキャンプしている人はいませんでした。上日向のバス停でバスを待ち、帰りました。
以下の文章は、2001年8月4日に書き、2016年5月2日に追加。
上日向には棒ノ折山への登山道もあり、下山してきた初老の男性と、バスを待つ間に話をしました。
その男性が「名栗から登ってきたんですが、登山道でなくなったみたいですよ」と言ったので、登山道が閉鎖されたのかと思いました。しかしつづいて「花とか、線香があげられていて、身内が供えたんでしょうね」と言ったので、登山道で誰かが亡くなったのだ、とはじめて気づきました。
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このとき履いていた登山靴ですが、アイゼンといっしょに2月はじめに買ったものです。でも、私の足には合わないみたいです。私の足は、かなり細くて、長さは27cmですが、足周りはDかEなのです(ふつうの日本人はEEEEくらい)。そのため、足が靴の中で遊んでしまって、下りだと爪に体重がかかってしまい、とても痛いのです。このときはそれがもろに出てしまいました。orz
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八王子城山の登山口

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長尾平を過ぎてから、水が足りなくなったので、水場で500ml補給しました。ちょうど遠足の季節だったので、小学生と出くわしました。上高石山の展望台に行った帰りだと言ってました。
芥場峠を経て大岳山荘から大岳山に登りました。大岳山には中高年のグループがいて、「ずいぶん晩く登ってきましたね」なんていうんで、「日向和田から来たんで…」って言ったんですが、誰も信じてくれませんでした。オレ1日に30km歩いたこともあるんだけどな!
白倉分岐から白倉に降り、バスで武蔵五日市駅まで行って帰りました。
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日付が4月28日になってますが、高尾山に人が大勢いたので、29日(金)の「みどりの日」かもしれません。登りは「稲荷山コース」を登り、高尾山山頂につきました。
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ところが、拝島駅でトイレに行きたくなり、奥多摩行きの電車に乗り遅れてしまいました。(泣) しかたがないので、武蔵五日市駅に行き、数馬を経て都民の森行きのバスに乗って、三頭山に登りました。登りをパスしたので、時間があまり、ムシカリ峠と三頭山でかなり時間をつぶしました(どうやってつぶしたかは忘れてしまった!)。
三頭山から入小沢ノ峰を経てヌカザス山に下りたのですが、オツネの泣き坂は、滑りやすい急坂で、降りるのがたいへんでした。この坂の名は、小河内(東京都奥多摩町)に住んでいたオツネが、葬儀にきた西原(山梨県上野原町)の若い坊さんに一目惚れして、三頭山を越えて毎日会いに行っては、ここから泣いて下ったという民話にもとづいています。
イヨ山を下って奥多摩湖に出、しばらく湖に沿って歩くと、麦山のドラム缶橋があります。ドラム缶を並べてつくった橋で、渇水期には渡れなくなります。ここを渡ると、小河内神社のバス停があります。ついたらすぐバスが来ました。
2005.12.08 | ├ 登山 過去ログ | トラックバック(0) | コメント(0) |
さらに、かなり多くの登山者が来るため、登山道自体が傷んでいます。花立山荘手前の300段階段のまわりは、登山者が入り込まないようにロープが張られていて、植物の保護が行われています。
尾根の崩落も進んでいて、金冷シのあたりと、塔ノ岳から丹沢山の中間でも、登山道の付け替えが行われていました。
2001年3月を最後に表丹沢には行ってません(西丹沢には2度行きましたが)。丹沢はどう変っているのでしょうか?
2005.12.07 | ├ 登山 過去ログ | トラックバック(0) | コメント(0) |
このために食糧を買い込み、山の上でも食事ができるようにストーブなども用意しました。荷物が多いので、大きなザックを用意しました(←大きすぎてこれ以来使ってないよ)。いつもとちがって重いザックを背負って出発しました(←これがのちのち災いに)。
私はけっこう山を速く歩けるのですが、それは軽装にぎりぎりの食糧という、まるでゼロ戦のようなスタイルだからです。しかし、今回は荷物が多いため、そのように歩けそうもありません。
2005.12.07 | ├ 登山 過去ログ | トラックバック(0) | コメント(0) |
富士見橋から二ノ塔、三ノ塔への登りがあります。三ノ塔でめずらしく2人の男子学生のグループに出会いました。三ノ塔から烏尾山へは急な坂を降りて、また登ります。彼らのほうが先を歩いていたのですが、追いついてしまいました。2人は先を譲ってくれたので、先に降り、烏尾山に登りました。烏尾山から見ると、2人は登りの途中にいました。
行者岳には鎖場があるはずですが、すいません。憶えてません。書策(かいさく)小屋、新大日を過ぎ、木ノ又大日あたりで、シカ(♂)に会いました。ものすごく臭かったです(けものの臭い)。人をぜんぜん恐れませんでした。

このシカが有名な「トータロー」(画像のシカ)だと知ったのは、山から戻ってきてからです。木ノ又小屋のサイトにトータローが行方不明だと書いてあったので、BBSに会ったことを書き込みました。
塔ノ岳に着くと、雪がかなり減っていました。そこで、大倉尾根の下りはアイゼンなしで降りることにしました。前回とはちがって、ほぼ時間どおりに降りることができました。
2005.12.07 | ├ 登山 過去ログ | トラックバック(0) | コメント(0) |
この日、大倉は雨。大倉尾根から登って、金冷シでアイゼンを装着。このあたりまでに雨は雪に変りました。
塔ノ岳につきました。問題は時間です。コースタイムどおりに歩ければ、日暮れまでに戻って来られます。しかし、塔ノ岳から先は雪が深そうです。でも行ってみよう、ということで出発しました。
2005.12.07 | ├ 登山 過去ログ | トラックバック(0) | コメント(0) |