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TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」で10月16日に放送された鈴木智彦さんの取材報告。

全国から水産物などが集まり、取扱量・日本一を誇る築地市場が豊洲に移転。初日から大渋滞が発生するなど、トラブルが相次いだ一方、取引は活況を呈し、多くの観光客が詰めかけています。 海外でも人気の日本の水産物。

しかしその一方で、乱獲による資源の枯渇問題に加え、密漁が横行し、暴力団の巨大な資金源になってきたという現実もあります。

今夜は、ライター鈴木智彦さんの密漁取材シリーズ第3弾。築地市場に労働者として潜入し、さらに密漁団への突撃取材などもおこなった足かけ5年に渡る、密漁取材の集大成をお送りしました。

【音声配信】「築地市場にも労働者として4カ月潜入取材!密漁ビジネス、その実態とは。ライター鈴木智彦さんの取材報告」2018年10月16日(火)放送分

上記のページからラジオが聞けます。

ウナギ業界とヤクザについてはコチラ。

2018.10.20 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

2018年6月7日、日高六郎氏が101歳で亡くなった。

 ベトナム反戦運動や安保闘争に関わり、幅広い分野で論陣を張った社会学者で評論家の元東京大教授、日高六郎(ひだか・ろくろう)さんが7日未明、京都市左京区の施設で老衰のため亡くなった。101歳。本人の遺志により、妻暢子(のぶこ)さんら近親者だけで7日夕に密葬を営んだ。

 中国・青島市生まれ。1941年に東大文学部社会学科卒業。東大新聞研究所助教授などを経て60年に教授。東大紛争の際、機動隊の導入に抗議して69年に退官し、その後、評論家活動を展開し、76~89年に京都精華短大、京都精華大教授を務めた。

 「現代における人間の解放とは何か」を学問・実践の場で考える立場から、55年に創立された「国民文化会議」の代表として積極的に発言した。60年安保闘争では先頭に立ち、水俣病などの公害問題でも平和活動家の観点から実践的評論活動を展開した。

 ベトナム戦争中は、評論家の故加藤周一さんらと米軍の北爆停止を訴える文書を米国務長官に提出。また元社会党委員長の故飛鳥田一雄さんらと住民運動を対象にした総合雑誌「市民」を発行(その後廃刊)するなど、幅広い活動が共感を呼んだ。

 89年にはエッセイストの暢子さんとパリ郊外へ移住したが、度々帰国し発言を続けた。

 主な著書に81年の毎日出版文化賞を受けた「戦後思想を考える」(岩波書店)をはじめ「現代イデオロギー」「日高六郎教育論集」など。訳書にE.フロム「自由からの逃走」がある。

訃報 日高六郎さん 101歳=社会学者

オイラが、某国立大学に入学したとき、一般教養で社会学を取る予定だった。しかし、専門の講義と時間的に重複してしまうので、その講義は取り下げた。その前に社会学の先生が買っておくようにと言われ、買ってしまったのが日高六郎[著]『戦後思想を考える』(岩波新書、1980年)だった。

以下の文章は、この本の「体験をつたえるということ」という章のうち、最後の2節である。

オイラにとっては遠い過去に読んだ本なのだが、RADWIMPSの「HINOMARU」の歌詞を読むと、過去では済まされないんだなと思い、貼っておく。




     4

 私は、広島の詩人・栗原貞子さんの詩を学生のまえにおく。

   生ましめんかな

こわれたピルディソグの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぽいだった。
生まぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきこえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

 「生ましめんかな」は、多くの人びとに知られているはずの詩である。しかし、ほとんどの学生が読んだことがないと言う。

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2018.06.09 | | トラックバック(0) | コメント(0) |


高槻成紀[著]『タヌキ学入門 ―かちかち山から3.11まで 身近な野生動物の意外な素顔』(誠文堂新光社、2016年)

なんだ! この表紙! マジすか?wwwww

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2018.05.16 | | トラックバック(0) | コメント(2) |

佐々木俊尚[著]『「当事者」の時代』(光文社新書、2012年)の第三章「異邦人に憑依する」から「太田竜の〈マイノリティ憑依〉」について考える。


太田竜(1930-2009)といえば、かつては新左翼運動の指導者であり、近年では陰謀論者として有名であった。その彼が社会に大きく影響を与えたのは、彼の思想というよりも、ここで説明する〈マイノリティ憑依〉という所作であろう。

 太田竜の論理は、きわめて単純明快だ。世の中を、「まともに働けばメシが食える人びと」と「まともに働いてもメシが食えない人びと」に二分する。後者は市民社会から排除されている人たちであり、かっぱらいや乞食や強盗やすりなどを働かないと生きていけない。そういう彼らの生命活動ひとつひとつが市民社会に反するもので、だからこそ彼らだけが市民社会を乗り越える職業革命家となりうる。

     (中略)

 しかし二十世紀後半に差しかかり、高度成長を謳歌していた六〇年代の日本では、大半の国民は「失うものなど何もないプロレタリア」ではない。豊かな生活を楽しむ中産階級の市民になっているからだ。

 そんな彼らが、革命の主導権を握れるわけがない。そこで革命をリードするのは、やはり失うものなど何もない「市民社会から排除されている人たち、底辺労働者や社会的弱者に決まっているだろう」とマイノリティや最下層への降下を太田竜は説いたのだった。

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2017.05.31 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

佐々木俊尚[著]『「当事者」の時代』(光文社新書、2012年)の第三章「異邦人に憑依する」から「〈被害者抜きの加害者〉論の誕生」について考える。


まず、小田実の〈被害者=加害者〉論が、戦後すぐの〈被害者〉論に代わって、1960年代後半に台頭する。

 一九六〇年代まで、日本人には自分たちが戦争の〈加害者〉でもあるという意識はきわめて薄かった。空襲や満州からの引き揚げ、南方・中支戦線などでの過酷な従軍――。そういう悲惨な体験を生きぬいて戦後を迎えた戦争体験者が、日本人の中の圧倒的多数を占めていたからだ。

 だからこのころまでは、反戦運動は「あの悲惨な戦争をもう一度くり返さないようにしよう」「もうあんな酷い目にはあいたくない」というような、〈被害者〉体験からくる気持ちが軸になっていた。

 これが〈被害者〉時代である。

     (中略)

 しかし太平洋戦争の敗戦から二十年も経ってくると、徐々に戦争体験者は高齢化するとともに、一方で、敗戦時にはまだ物心もつかないような子どもだったか、あるいは戦争をまったく知らない世代が台頭してくる。そういう若い世代のこころに、〈被害者〉論はあまり刺さってくれない。

 そういう世代交代を背景にして、小田を中心としたべ平連の人たちが提唱したのが、

 「いやでも、あなた方は被害者であると同時に、加害者でもあるんですよ」

 という〈被害者=加害者〉論だったわけだ。自分たちが戦争の〈被害者〉であるということが心の痛みにならないのだったら、では自分たちが〈加害者〉でもあることに目を向けようよ、というわけである。

同書282-281頁

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2017.05.31 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

以下の文章は、谷泰[著]『カトリックの文化誌 ~神・人間・自然をめぐって』(日本放送出版協会、1997年)の102~105ページにある「ロゴスによるコミュニケーション」という項目である。

この部分は、宗教を、神と人との直接的なコミュニケーションを重視する宗教と、聖職者が介在した儀式を中心とする宗教に分けて説明しており、同じキリスト教でも、プロテスタントは前者、東方正教会やカトリックは後者にあたるとしている。さらにいうと、イスラームも前者であり、プロテスタントはイスラームに近い。

カトリックは、地中海世界に一般的であった犠牲儀式を、包含することで地中海世界に広まったとの指摘があるが、この点は過去に以下の記事で紹介している。

カトリックのミサと犠牲儀式

なお、改ページ部分には◆印を入れた。また、誤植ではないかと思える部分があったので、そのあとに[ママ]を入れた。

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2017.03.24 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

伊東潤[著]『戦国北条記』(PHP文庫、2016年)



後北条氏の軍事・外交面をあつかった本。北条早雲=幕府申次衆/奉公衆・伊勢盛時説を採用し、従来の伊勢浪人説を否定している。また、従来、評価があまり高くなかった二代・氏綱、四代・氏政を高く評価している。ただし、小田原合戦=真田昌幸陰謀説は、氏政の再評価を計る目的なのだが、逆の意味で昌幸を高く評価しすぎだと思う。

北条五代の略歴は以下のとおり。


伊勢盛時(宗瑞 1456~1519)
  1467~1477 応仁の乱。
  1487 今川氏の内紛で氏親を当主に据え、興国寺城主となる。
  1493 伊豆討ち入り。
  1496~1501 この間に小田原城を奪取。
  1498 伊豆平定。
  1516 相模平定。

北条氏綱(1487~1541)
  1522~24年 小机城の修築。
  1524年 江戸城攻略。
  1537年 河越城攻略。河東の乱(今川氏からの完全独立)。
  1538年 第一次国府台合戦。
  1532~40年 鶴岡八幡宮の造営。

氏康(1515~71)
  1546年 河越夜戦。
  1554年 甲相駿三国同盟成立(~68年)。
  1561年 上杉謙信による小田原城包囲。
  1564年 第二次国府台合戦。
  1569年 武田信玄による小田原城包囲。三増峠の戦い。

氏政(1538~90)
  1571年 甲相同盟(~79年)。
  1574年 関宿城(利根川水系の要地で水運の拠点)攻略。
  1580年 織田信長に臣従。
  1582年 神流川の戦い。天正壬午の乱。
  1585年 最大版図。

氏直(1562~91)
  1590年 豊臣秀吉による小田原城包囲。滅亡。

2016.11.16 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

アメリカ大統領選挙でまさかのトランプ氏が当選した。このため、円高と株安が進んでいるようだが、ある意味、それは現代世界が直面するグローバル化にたいするアメリカ国民の一つの選択だと思える。

フランスの歴史人口学者・家族人類学者、エマニュエル・トッド(Emanuel Todd)氏が2009年10月9日、「著者と語る」シリーズで近著『デモクラシー以後』(藤原書店、2009年)を中心に語った。

エマニュエル・トッド氏 2009.10.19(クリックするとYouTubeの動画)

現在、先進国では、グローバル化によって、社会的排除の論理をかかげる政治家が台頭している。その原因は、左右を問わず「グローバル化こそが世界の進む道だ」と信じる政治エリートと、グローバル化によって貧困化が進む大衆との分裂にある。この場合、3つの選択肢があるとトッド氏は指摘する。

(1)民主主義の否定
  2005年の欧州憲法条約の国民投票による否決にたいして、EU加盟国はまったく同じ内容のリスボン条約を国民投票によらずに批准した。このように民主主義を否定し、民主主義によらない意思決定を行う。

(2)権威主義政治体制
  サルコジ政権のように、移民をスケープ・ゴートとすることで、大衆の支持を得ようとする政治が台頭する。

(3)一時的合理的保護主義
  グローバル化に進む前に、合理的な保護主義によって、民衆の貧困化を防ぐことで、民主主義を守る。

トッド氏は一時的合理的な保護主義こそが民衆の希求に答えうる唯一の経済政策だと訴えている。

2016.11.09 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

丸山 敬[著]『これならわかる!薬理学』(ナツメ社、2011年)


「薬を飲むとなぜ効くの?」そんな疑問を解決する薬理学の入門書です。 本書は、医師や薬剤師、看護師など、医療関係の仕事を目指す人向けに、わかりやすく解説したもので、 身近な風邪薬や便秘・下痢の薬、また、うつ病、糖尿病、高血圧、がんの薬まで、あらゆる薬のメカニズムを解説しています。 そして、たくさんのイラスト図解で学ぶことができることも、本書のポイントです。 アルパカ先生のキャラクターがクスリ君のキャラクターに教える形で、楽しく学ぶことができます。 また、各章末に入っている演習問題では理解力を確認することができるのでおさらいに役立ちます。 専門用語についても、その都度、わかりやすく用語の説明をしているので専門書を読む前に、ぜひ手にとってみていただきたい書籍です。

なぜこの本を買ったかというと、もちろんこれ

膀胱炎で処方された薬でサリン中毒w

のせいである。薬をやめて10日くらい経ったが、頻度は減ったが、ときどき胃痛と発熱がある。こちらのサイトによると、

ジスチグミンの半減期は70時間です。つまり定常状態(血中濃度が安定)に達するまでに約2週間かかります。

【副作用学講座Vol.7】ウブレチド(ジスチグミン)の下痢は致命的!

とのことだ。腎臓疾患のある人や高齢者はもっとかかるらしい。


さて、本に戻るが、伯母が認知症でグループホームに入居している。昨年6月から、幻視が多くなり、それが原因で不安を訴え、不眠になった。そのため医師からジェイゾロフト錠(塩酸セルトラリン)という抗うつ薬を処方された。これはSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)であり、説明と効くしくみは以下のとおりである。

 副作用が少なく、有効ということで、非常に多く処方される抗うつ薬です。一部はパニック障害にも有効です。作用が出現するまでに1~2週間を必要とします。



この薬が効いたのか、現在では、幻視が減り、不安を訴えなくなった。


抗精神病薬の副作用で、食事がとれなくなり、寝たきり状態になった女性の例が NHK NEWS WEB に載っていた。

6年前、認知症と診断され、都内のグループホームで暮らす82歳の女性です。おととし1月、妄想やグループホームの職員への暴言が激しくなったりするなどBPSDの症状が現れるようになりました。対応に困った職員が医師に相談したところ、抗精神病薬が処方されました。

女性はおよそ1か月間薬を飲み続けた結果、妄想や暴言などの症状は治まりましたが、薬の副作用で姿勢が傾いて転びやすくなったほか飲み込む力が低下し食事をとることもままならなくなりました。日中もほぼ寝たきりの状態になり異変を感じた家族や職員が医師に相談し、薬の服用を中止しました。その後、女性の状態は徐々に回復し、再び食事や散歩ができるようになりました。

認知症 抗精神病薬“慎重な投与が必要”

この女性は、統合失調症治療薬のハロペリドール(高力価)を処方されたと推測できる。説明と効くしくみは以下のとおり。

 ドパミン受容体拮抗薬であり、パーキンソン症候群が生じやすいです。経口投与が原則ですが、非経口投与も可能です。統合失調症に限らず、様々な精神疾患による興奮状態に有効です。



効くしくみはよくわからないと書いてある。

ちなみに、パーキンソン症候群とは「姿勢が傾いて転びやすくなったほか飲み込む力が低下し食事をとることもままならなくなりました」のことである。じつは、伯母もその傾向があり、「姿勢が傾いて転びやすくなった」ことと、幻視による不安から、6月に椅子から滑り落ち、右大腿骨頭を骨折した。また、11月にも、不眠のため居室に戻らず、職員が見張っていたが、別の入居者の排泄介助のため、目を離した隙に、立ち上がろうとして転倒、左の大腿骨を骨折した。2度目の骨折以降は、SSRIのおかげで、幻視による不安と不眠が解消されたようである。


もちろん、薬を処方するのは医師であり、患者や家族はそれに従うわけだが、薬の効くしくみや副作用について知っていれば、何かあったとき、医師に相談しやすいし、適切な行動をとれる。そのために有効な本だと思う。


リンクがキレてたら…

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2016.04.12 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

長尾和宏[著]『長尾先生、「近藤誠理論」のどこが間違っているのですか? ~絶対に後悔しないがん治療~』(ブックマン社、2015年)



長尾和宏さんは、

ドクターコウノの認知症ブログ
     ↓
認知症介護通信
     ↓
Dr.和の町医者日記

といった感じで、認知症関連で知った。たまたま

斎藤貴男[著]『子宮頸がんワクチン事件』(集英社、2015年)

を探していたら、上記の本があったので、買ってしまった。もちろん、『子宮頸がんワクチン事件』も買いましたよ。w

近藤誠は、逸見政孝さんがスキルス胃がんで亡くなったとき、マスコミに登場して発言していたので、知っていた。そして、近藤誠[著]『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋、1996年)も、母親が買って読んでいたので、読んでいた。1990年代半ばに、母親が健康診断でレントゲンを撮ったら、肺に影があるので、精密検査のため、某病院(オイラの生まれた病院。現在はがん専門病院)に入院して調べたが、結局、何でもなかった、という事件があった。そのころ、心配になって買ったのだと思う。

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2016.03.09 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

丸山圭三郎[著]『ソシュールの思想』(岩波書店、1981年)の247~255ページに「外示と共示」という項目があって、本質的言語についての説明がある。

まずは、外示と共示について。

「外示(ディノテーション dénotation)」とは、「意義(シニフィカシオン signification)」のことで、《構成された構造》としてのラング(langue)に見出される意味、辞書に見出される「語」の定義に近い抽象的な意味で、その言語社会によって許容され、沈殿した、いわば歴史的化石としての最大公約数的な意味群である。

これに対して、「共示(コノテーション connotation)」には3つの意味がある。

1つ目は、一言語内の個々の語ないし記号素に宿る個人的・情感的なイメージである。たとえば、「病院」という言葉に対する情感的意味は、幼少期から病院暮らしを強いられた人、家族や恋人を病院で死なせた人、一度も病院通いをしたことのない人では異なる。

2つ目は、一定期間のラングに見出される共同主観的付随概念である。たとえば、ナチス時代のドイツ人は「ユダヤ人はユダヤ人さ」という言葉を使っていたが、前者のユダヤ人は「ユダヤ民族に所属する国民」という外示であり、後者のユダヤ人は「けちで、ずるく、不正直な人間」という共示である。

これらは、いずれも本質的言語ではない。

3つ目は、言語の階層の差から生まれる第二次言語に属し、表現面(シニフィアン signifiant)は既成の第一次言語だが、内容面(シニフィエ signifie)が既存の意味体系にはもともと存在しなかった《意味(サンス sens)》にほかならない。

文学作品のもつ意味というものは、語のもつ常識的な意味によってつくられているのではなく、むしろそれを改変するのに力を貸しているものなのだ。したがって、聞いたり読んだりしている者の側にとっても、あるいは話したり書いたりしている者の側にとっても、主知主義的などのはかり知れない、コトバのなかの思考というものが存在するのである。

ソシュールは、一次的な日常的な言語を止揚した文学言語が第二次言語(本質的言語)であるとは考えず、第二次言語と呼ばれるものにこそ本質的なコトバの姿であり、それが惰性化したものがいわゆる第一次言語(制度的言語)であるという認識を定立化したのだ。

2016.02.06 | | トラックバック(0) | コメント(4) |

よしりん(小林よしのり)がSEALDsと高橋源一郎氏を批判する文章で、自らの読書体験を書いているんだけど、なんだかなぁって内容でワラタ。

仏文学でサルトルの「嘔吐」を原文で読む授業を受けていたが、面白いと思ったら文庫本を買って、さっさと日本語訳で読んで、さらに実存主義に興味を持ち、ハイデッガーに興味を持ち、メルロー=ポンティに興味を持ち、マルクス主義に興味を持ち、フランス革命に興味を持ち、ルソーに興味を持ち・・という風に、どんどん読まなきゃならない本が増えていった。

「甘えん坊将軍」を甘やかす老人の醜悪

さらっと書いてあるけど、けっこうスゴイことが書いてある。サルトルの『嘔吐』ってさっさと読めるものなのだろうか? よしりんは、ハイデッカーやメルロ・ポンティを本当に読んだのだろうか? マルクスやルソーをちゃんと理解したのだろうか? フランス革命を理解するにはかなりの歴史書を読む必要があるのだが…。等々。

オイラは大学1年のとき、マルクスの『資本論』第1巻を読んだことがある。しかし、それは、南克巳先生の資本論第1巻を解説する講義に出ていたから、読むことができたのだ。南先生は、一般にはあまり知られていないが、たいへん高名なマルクス経済学者で、しかも、野呂栄太郎とともに「日本資本主義発達史講座」を刊行した山田盛太郎の弟子であった。

大学2年のとき、ドイツ語で書かれたさまざまな作品を読むという授業があった。この授業を担当していたのが、単位を取るのがたいへん難しいと評判のK教授(故人)だった。ルターとか、カントとか、ハイネとか、いろいろ読まされたのだが、エンゲルスの『空想から科学へ』を読んだとき、K教授のエンゲルス理解はオカシイということに気づいてしまった。

K教授のドイツ語能力は高いはずであり、読めないはずないのに、前年に南先生から教えてもらった弁証法的唯物論と史的唯物論とは異なっていた。てか、めちゃくちゃな内容だった。後にわかったのだが、あらゆる学問には「知の枠組」があり、それを知らないと作品そのものを理解できない。どんなに語学能力があっても、トンチンカンな理解しかできないのだ。

よしりんのマンガは『ゴーマニズム宣言』1~8巻と『新ゴーマニズム宣言』の1巻、そして『AKB48論』くらいしか読んだことがないが、上記のような読書歴のある人が書いたマンガだとは1ミリも思えなかった。

わしが学生の頃は、疑問を教師に尋ねることもなかったし、ネットなんてなかったから、書店を回って、本を探しまくり、多くは文庫本で学んでいった。文庫本を買うために、短期にカネが儲かる肉体労働のアルバイトをして、ジーンズ一本を買うカネも惜しみ、穴だらけのジーンズで冬を越すとしても、本を買うためだけにカネを使った。オシャレなんかクソくらえである。

すさまじいことが書いてあるが、残念ながら、額面どおり受け取ることができない。「疑問を教師に尋ねることもなかった」って、だからダメなんじゃん。また、これが事実だったとしたら、彼の努力はまったく報われていない。少なくとも、マンガの内容にはね。

ちなみに、SEALDsと高橋源一郎氏の本は、まだ未読なので、読んでみようかな、と思った。

2015.11.11 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

高橋信[著]、トレンド・プロ[マンガ制作]『マンガでわかる統計学』(オーム社、2004年)


こちらの記事を読んで買ってしまった。w

マンガという形式であるから、あまりちゃんとした教科書でないと考える人もいるかもしれない。しかし、この本は、統計に関する記述が正確に書かれており、非常に有用だ。しかも、マンガという形式を効果的に用いて、知識を定着しやすくしている。

「マンガでわかる」とか「マンガで学ぶ」というタイトルが付いている本は、往々にしてマンガが添え物のようになってしまって、結局は地の文ばかり読む必要が出てきてしまいがちである。つまり、マンガがなくても地の文だけ読めば済むようなものになりがちだ。しかし、この『マンガでわかる統計学』は違う。マンガの部分を読むことで、統計に関する内容を理解することができる。

さらに、世にあふれる「マンガでわかる」と称する本は、マンガを挿絵のように使い、マンガとマンガの間にストーリーの関連がないものが多い。だが、『マンガでわかる統計学』はストーリー展開もしっかりしている。人間はストーリー展開があれば、知識をストーリーと関連づけることで、覚えやすくなる。この本では、ストーリーの流れに乗って、登場人物と一緒に読者も考えたり計算したりすることでどんどん知識を深めることができる。

統計学の初心者が入門として最初に読むべき一冊



目次は以下のとおり。

プロローグ トキメキ統計学
第1章 データの種類をたしかめよう!
第2章 データ全体の雰囲気をつかもう!
      〈数量データ編〉
第3章 データ全体の雰囲気をつかもう!
      〈カテゴリーデータ編〉
第4章 基準値と偏差値
第5章 確率を求めよう!
第6章 2変数の関連を調べよう!
第7章 独立性の検定をマスターしよう!
付録 Excelで計算してみよう!

じつは、第5章までは知っていることばかりだったので、「理解しやすいマンガだな」くらいにしか思っていなかった。

しかし、第6章の「2変数の関連を調べよう」は、数量データとカテゴリーデータの相関関係、カテゴリーデータ同士の相関関係の求め方なんて知らなかったので、たいへん勉強になった(数量データ同士は知っていた)。また、第7章の「独立性の検定をマスターしよう!」を読んで、はじめて検定の考え方がわかった。←けっこう恥ずかしい記述なんだけどね。w

…というわけで、いちばん最初のブログ記事で紹介されているとおり、マンガだとバカにできない入門書であることは、マチガイない。

2015.11.07 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

河合信和[著]『ヒトの進化 700万年史』(ちくま新書、2010年)



ヒトの進化っていうと、一昔前の教科書にはこんな



図が載っていたと思う。今の「世界史」の教科書にも、猿人→原人→旧人→新人とヒトは進化したと書いてある。ただ、2つの教科書で、最初の化石人類はサヘラントロプス(・チャデンシス)で700万年前に現れたって記述があり、2つの教科書でラミダス猿人(アルディピテクス・ラミダス)についての記述がある。これは日本人(諏訪元さん)が発見者の一人だから…。

ところが、人類学の世界では、すでに原人・旧人・新人の区別は意味がないとされ、ぜんぶ「ホモ属」に統一されている。猿人も、アウストラロピテクス(華奢型)と、400万年以前の猿人、パラントロプス(頑丈型)、ケニアントロプスに分類されている。

で、それらの生存した時期と系統(あくまで予想)を示したのが下図だ。



現生人類は、アウストラロピテクス・ハビリス(ホモ・ハビリス)→ホモ・エルガスター(アフリカ型ホモ・エレクトゥス)→ホモ・ハイデルベルゲンシス→ホモ・サピエンスと進化したと考えられている。そして、教科書に出てくるジャワ原人や北京原人(ホモ・エレクトゥス)は、われわれと関係ないホモ属なので、今後、教科書から消える可能性がある。あと、非アフリカ系のホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)の遺伝子を1~4%受け継いでいる。つまり、オイラの遺伝子の1~4%はネアンデルタール人由来なのだ。w

ただ、これらも、新しい化石が発見されたら、一気に変わってしまうものなので、あくまで暫定的なものだ。ネアンデルタール人の扱いの変化なんて、それを如実に表わしている。発掘で埋葬の証拠が出てきたら、よい評価。骨格の調査で言語がうまくしゃべれなかったんじゃないのかって言われたら、悪い評価。DNAを調べたら、言語中枢に作用する遺伝子の変異がわれわれと同じなので、よい評価。ミトコンドリアDNAを調べたら、われわれとの関係が見いだせなかったので、悪い評価。核DNAを調べたら、非アフリカ系人類との関係性が出てきたので、良い評価。ころころ変わる。w

あと、ホモ・フロレシエンシスが謎の人たちで、100万年くらい前にインドネシアのフロレス島に住みつき、1万8000年くらい前まで生存していた。身長が105cmしかなく、脳容積が約420ccとひじょうに小さい。現生人類の脳容積が1300ccなので、1/3で猿人と同じくらいなのだ。そのくせ高度な石器文化を持ち、(現在は絶滅してしまった)小型のゾウを狩猟していたらしい。どうやってフロレス島に移動したかも謎で、途中にあるロンボク海峡は水深1000mもあって、氷河期にも歩いては往来できない(ゾウは泳ぎがうまいので移動できたw)。航海するには脳容積が少なすぎて難しそうなのだ。著者は、ホモ・エレクトゥスが移住した後、体と脳が小さくなったのではないかと予想している。マダガスカルに移住したカバ(すでに絶滅)がやはりそのように小型化したらしい。

2015.09.07 | | トラックバック(0) | コメント(6) |

河野和彦[著]『医者を選べば認知症は良くなる! ~患者も介護者も救うコウノメソッド~』(東洋経済新報社、2014年)


以下の文章は、オイラがある人から勧められて読んでいる、終末期医療についての本で、著者は認知症の専門医である。この文章、かなり衝撃的なのだが、まずは読んでもらいたい。

  ある80歳の女性患者は、アルツハイマー病が重度のため、まったく話ができず、一人で座ることもできません。そのため、特別な背もたれがついた車いすに座っていますが、それでも体が左右に傾きます赤ちゃんのように、いつも指しゃぶりをしています。介護者がミキサーにかけゼラチンで固めた食事をスプーンで口に運びますが、食べている途中で疲れて眠ってしまいます。職員は栄養をとらせようとして、眠っている患者を無理やり起こして、全量を食べさせようとします。患者は食べる気がないので食事にむせてしまい、吸引処置を受けることになり、幾度か肺炎を起こしました。

  そこで、食事の途中で眠ってしまった場合には、食事介助を中止してもよいとの指示を出したところ、患者はむせることがなくなり肺炎も起こさなくなりました。職員も無理に食べさせて誤嚥させてしまう心配がなくなったので、気持ちがとても楽になったと言います。

著者は、ここに出てくる80歳の女性患者がアルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)だと書いているが、太字で書いている症状はレビー小体型認知症、下線がついている症状はピック病のかなり典型的な症状なのだ。つまり、この患者は、アルツハイマー型認知症ではなく、レビー小体型認知症とピック病の複合なのだ。認知症専門医が自らの著書で誤診を堂々と開陳しているのだ。w

河野和彦さんの本を読んでいたら、こんなことにも気づくようになった。河野さんの本の内容にはまったく触れないが、どれだけ役に立つか分かるだろう。

2015.06.28 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

元少年A『絶歌』(太田出版、2015年)

いろいろ議論のある本だが、ようやく読み終わった。この間に、別の本を1冊読んでいたので、時間がかかってしまった。


じつは、『絶歌』を読んで、腑に落ちることが多すぎて困った。元少年Aの場合、祖母の死と最初の射精が同時期で、死と性衝動が結びついている。これは、オイラの性的な嗜好もほぼ同じ頃に決まったようなので、あながちウソではないと思った。

Aの祖母が亡くなって、祖母を慕ってマッサージチェアに乗って動かしたら、性器が刺激されて射精してしまった。←これは、けっこう正直に語ってると思う。w ぜんぜん関係ないけど、彼の場合、射精に強烈な痛みが伴うようなので、医師の診断を受けるべきだと思う。w

祖母の死をきっかけにナメクジの解剖がはじまり、つづいて愛犬の死をきっかけに猫の解剖が始まる。犬の餌を食べに来た猫を殺して解剖していたら、射精してしまった。そのような行為が続き、死と姓衝動が密接に関連していった。そして、ついには、人間を殺すに至るわけだ。

オイラは、小学生の高学年の頃、夢精を経験した。マスターベーションで射精したのは、中学生になってからだった。具体的には書かないが(書きたくもないがw)、その間のさまざまな経験が、自分の性的嗜好を決定している。

ただし、祖母の死がAに与えたショックが大きすぎて、オイラには理解できない。オイラ自身は、叔父、祖父とかわいがってくれた人たちの死に対して、あまりショックを受けていない。オイラの方がドライなのか?


Aが逮捕され、医療少年院に入れられ、どんな「治療」が行われたかは、書かれていなかった。しかし、その結果、彼は「人間らしさ」を取り戻したようだ。

人間らしさを取り戻してしまうと、自分のやった殺人がトンデモないことだと分かってくる。罪の意識に苛まれて、堪らなくなる。彼が本書を書いた本当の動機は、それを一人で抱えているのが耐えられなくなったからなのだろう。その点ではワガママな動機なのだ。

しかし、快楽殺人を行う手合いというのは、おしなべてワガママな連中なのだ。自分の感情や欲望を抑えられない。他人に共感することなんてできない。社会のルールなんて無視してもかまわない。そんな連中だ。だから、殺人を犯すとこんな酷い目に遭うぞって内容の方が、連中を躊躇させるには効果的なのだ。それでも、オレだけはそんなヘマはしない、という根拠のない自信をもっているんだけど…。w

この本の出版を批判する人たちには、そのことがまったく分かっていない。じつに、嘆かわしいことなのだ。自分の暗黒面wを、ある程度、受け入れていないと、この本を評価できないと思う。まあ、真っ黒だと、ホントに暗黒面に堕ちそうだけど、「こそワル」くらいの自覚がないと、Aを理解できないんじゃないのかな。w


こんなことばかり書くと、読もうって意志がくじけるだろうから、書いておくと、少年院「退院」後の彼の周りの人たちは、クソ野郎もいるが、けっこう良い人が多かった。なかなか感動的な話も出てくるので、そこはちゃんと書いておこう。

でも、Aは、周りが良い人であればあるほど、自分のクソさがひしひしと感じられ、そこから逃げ出してしまう。「♪居場所がなかった/見つからなかった」なのだ。Aは、そんな自分にもケリをつけたかったんじゃないのかな。

2015.06.28 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

読まずに書いたクズ書評ちがって、ちゃんと読んで書いた松谷創一郎さんの書評。w

「酒鬼薔薇聖斗」の“人間宣言”――元少年A『絶歌』が出版される意義

『絶歌』は、読んでみたいと思っているが、まだ読んでいない。それでも、この書評で引用されている部分が事実なら、少年Aの更生は成功したと思える。

大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。

「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」

     (中略)

どんな理由であろうと、ひとたび他人の命を奪えば、その記憶は自分の心と身体のいちばん奥深くに焼印のように刻み込まれ、決して消えることはない。表面的にいくら普通の生活を送っても、一生引き摺り続ける。何よりつらいのは、他人の優しさ、温かさに触れても、それを他の人たちと同じように、あるがままに「喜び」や「幸せ」として感受できないことだ。他人の真心が、時に鋭い刃となって全身を切り苛む。そうなって初めて気が付く。自分がかつて、己の全存在を賭して唾棄したこの世界は、残酷なくらいに、美しかったのだと。

このブログで前から書いてるけど、犯罪者の「社会的包摂」よりも「社会的排除」を求める日本社会って、ほんとリスキーだな。

2015.06.15 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

「江戸しぐさ」ってのが流行ってるってことすら知らなかった。でも、公共広告機構のCMを見たことはあるな。w

公共広告機構「江戸しぐさ」


会社経営者に人気の「江戸しぐさ」セミナー


道徳「心のノート」に収録された「江戸しぐさ」



しかし、これが比較的最近つくられた「偽物」だということを、原田実さんが、明らかにし、『江戸しぐさの正体』(星海社新書、2014年)という本を著わした。

「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」「うかつ謝り」…。江戸っ子の知恵に基づくマナーとして注目され、公共広告機構(AC)のCMに利用された「江戸しぐさ」をご存じだろうか。江戸時代の歴史に基づいているとされ、道徳教育に適していることから、現在では、企業研修や学校の授業などにも利用されているという。しかし、この「江戸しぐさ」がまったく偽物の歴史だとしたら、どうだろうか。「江戸しぐさ」の内容を歴史的に検証した著書「江戸しぐさの正体」を上梓したばかりの原田実氏に話を聞いた【取材・文:永田 正行(BLOGOS編集部)】

“偽物の歴史”を教育に用いるのは、倫理の根幹を破壊する行為~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー

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2014.10.16 | | トラックバック(0) | コメント(0) |

指原莉乃(著)『逆転力 ~ピンチを待て』(講談社MOOK、2014年)

いまさらながら、さしこの『逆転力』を買って読んだ。w はっきり言ってオモシロイ本だ。ただね。すべての人の役に立つ「一般解」と、さしこだけしか通用しない「特殊解」が混ざっていて、この本に書いてあるとおりに実践しても、失敗する可能性があると思った。

ちなみに、この本にこのような

さしこは男性ホモソーシャルw

批判が出てくるのは、「特殊解」と「一般解」を区別していないからだと思われる。

やりたい企画を通すために、「絶対無理」な企画を混ぜる話(p.116~117)が出てくるが、それが許されるのは、運営から認められている(好感度を貯金したw)さしこだから。フツーの人がこれをやったら、二度と企画会議には呼ばれなくなるだろう。ダメな企画を検討するのは、時間のムダだから…。ダメな企画を出したら、ダメな人間だと思われて、他の企画も通らなくなる。それが現実だ。ダメな企画を混ぜても相手にされるのは、さしこが信用されてるから。信用されてない人がやったら、ダメ人間とみなされるだけだ。

いちばん笑えたのは、「すごく偉い人にはフランクに、ちょっと偉い人には丁寧に」の部分(p.121~123)。じつは、オイラ、読む前に勘違いしてて、ちょっと偉い人って若手のAD(アシスタント・ディレクター)あたりだと思っていたこと。こういう人に横柄だと、その人が出世したとき、干されるって話だと思っていた。実際に、そういう目にあったタレントの話を聞く。ところが、つまらんことに腹を立てる「小物」対策だった。すごく偉い人=大物/ちょっと偉い人=小物で、若い人がなれなれしくしても、大物は腹を立てないけど、小物はすぐキレるから気をつけろの意味だった。さしこ、若いくせに、世慣れしすぎ。でも、いちばん笑えた部分だ。

第3章「振られたキャラは否定せず受け入れる」(p.54~67)は、たぶん若い人にとって、いちばん役立つ部分だと思う。「キャラは作るのではなく、受け入れるもの」「『自分』は、他人が見つけてくれる」。この部分は「本当の自分」にこだわって「自分探し」してしまう人には是非とも読んでもらいたい部分だ。自分で認識できる「自我」ではなく、「自我」には認識できない(無意識の)部分を含めた「自己」を育て、「自己実現」を果たすことを説いたのはユングだ。「自己」は、「自我」が考えるほど、大きくも小さくもないし、強くも弱くもない。「自己」を客観視する(=他者の目を通して考える)ことは、ひじょうに大切なことで、まちがった「自分探し」をしている人の「気づき」になると思うよ。

…というわけで、使える部分(一般解)と使えない部分(特殊解)を見極めて読めば、とっても役に立つ本だ。まあ、オイラがさしこを褒めることなんて、滅多にないんだけどね。(爆)

2014.09.21 | | トラックバック(0) | コメント(2) |



佐橋井久子(著)『大人の絵物語』(パレード、2014年)


母親の知人が作品集を出版した。著作権に引っかからない程度に、表拍子と裏表紙の絵を掲載。





「お近くの書店やオンライン書店(アマゾン、楽天ブックス)でお申込み下さい」とのこと。

IKUKO'S ギャラリーへようこそ!!

2014.06.01 | | トラックバック(0) | コメント(0) |