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南堂ちゃんがこの記事

NHK の地震番組 MEGAQUAKE

のコメント欄で

 2011年の地震では、仙台の地下街が水没したという報道がなかったので、不思議に思っていたが、事実が判明した。

> 仙台駅は国内の大都市圏のなかでは例外的に地下街がない(地下通路はある)。
  → http://j.mp/2OtxJjN

 そうだったのか。仙台は幸運だった。
 他の都市では、そうは行くまい。

などと書いていたので、

地下街の有無とは関係なく、海岸線から10km内陸で、標高36メートルの仙台駅には津波は来ない。

津波は、名取川から広瀬川を遡ったが、海から約10kmで標高9mの東北本線鉄橋まで到達しなかった。

とコメントしておいた。オカシナ反論があるかと思ったら、素直に認めたので、逆に驚いた。w

実際には、もっと下流の国道4号線(仙台バイパス)の千代(せんだい)大橋までしか到達しなかったわけだが…。

浸水範囲概況図13(PDF 1.8MB)

仙台藩の城下町・仙台もそうだけど、古代の陸奥国府・多賀城も標高が高く(30m)、大津波を想定していたように思える。実際に貞観地震の津波は多賀城には到達しなかったわけだから…。

陸奥国府が多賀城に移る前の郡山遺跡は標高10mくらいで、東日本大震災の津波は避けられたが、もっと大きな津波だと危なかったかもしれない。

この遺跡のさらに内陸にある蛸薬師堂(仙台市太白区長町)は、1611年の慶長三陸地震の大津波で「観音様に蛸がついてこの地に打ち上げられた」との伝説がある。

蛸薬師堂の言い伝え

ただし、名取川から広瀬川を上ってきた津波が、瑞鳳殿付近で蛇行する河道に阻まれ、それ以上進めずに溢れ出したのかもしれない。

貞観地震の津波での末の松山については

末の松山浪こさじ

で簡単に書いたが、もっとくわしい記事が

セフティ 臨時号 東日本大震災 p.12

にある。

これには慶長三陸地震の波切不動堂(仙台市宮城野区榴ヶ岡)、念佛田と波凪(仙台市宮城野区岡田)、浪分神社(仙台市若林区霞目)についての記事もある。蛸薬師堂については載っていないが…。

2018.08.02 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

「女王 未央」の主人公・李未央(馮心児)のモデルとされているのは、文成帝の皇后となった文成文明皇后(馮皇后)である。

このドラマ、未央は、李常茹や李長楽の陰謀によって何度も殺されそうになり、そのたびに濡れ衣を晴らすのだが、何度もそうなるので、いいかげん周りも気付けよ!とツッコミを入れたくなる。w

しかも、モデルがいるんだけれども、史実はまったく違う展開なので、そちらからもいろいろツッコミを入れたくなる。

最大のツッコミどころは、拓跋濬は452年に皇帝となるのだが、そのときの年齢が満年齢で12歳。



12歳には見えない。w

馮皇后にいたっては10歳だった。



10歳には見えない。wwwww

このドラマの本筋部分は、史実だと、主人公の2人とは関係なしに展開するのだ。

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2018.06.24 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

以前、書いたBS12の

王女未央

がいよいよクライマックスなんだが…。

李未央(馮心児)を演じるティファニー・タン



が、乃木坂46の白石麻衣に似ていたり(正確には白石麻衣が似ているんだがw)、南安王・拓跋余を演じるヴァネス・ウーが



長谷川博己に似てたりして、べつな意味で楽しめる。w

どーでも(・∀・)イイ!!ことだけど、中国の南北朝時代(5世紀)にドレッドヘアーってイミフなんだが…。wwwww

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2018.06.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

「荻上チキ Session 22」で2016年02月19日に放送された「今夜決定!最高の大河ドラマはコレだ!」。



荻上チキ(メインパーソナリティ)…「独眼竜政宗」推し
南部広美(アシスタント)…「峠の群像」推し
春日太一(映画史・時代劇研究家)…「翔ぶが如く」推し※
武田一顯(TBSラジオ国会担当)…「武田信玄」推し

※ 「独眼竜政宗」と「武田信玄」を先に言われてしまったので



春日氏による大河ドラマの時代区分

I期
【特徴】試行錯誤
【作品】1「花の生涯」(1963)~6「竜馬がゆく」(1968)

II期
【特徴】豪華重厚ドラマ
【作品】7「天と地と」(1969)~10「新・平家物語」(1972)

III期
【特徴】新しい視点
【作品】11「国盗り物語」(1973)~21「徳川家康」(1988)

IV期
【特徴】近現代もの
【作品】22「山河燃ゆ」(1984)~24「いのち」(1986)

V期
【特徴】集大成
【作品】25「独眼竜政宗」(1987)~29「太平記」(1991)

VI期
【特徴】NHKエンタープライズ期
【作品】30「信長 KING OF ZIPANGU」(1992)~33「花の乱」(1994)

VII期
【特徴】大産業化
【作品】34「八代将軍吉宗」(1995)~40「北条時宗」(2001)

VIII期
【特徴】自滅期…ホームドラマ化・ファン離れ
【作品】41「利家とまつ~加賀百万石物語~」(2002)~48「天地人」(2009)

IX期
【特徴】再び試行錯誤…画面4:3→16:9
【作品】49「龍馬伝」(010)~

大河ドラマ一覧



番組が選んだベスト10

*1位 平清盛
*2位 独眼竜政宗
*3位 新撰組!
*4位 龍馬伝
*5位 花神

*6位 黄金の日日
*7位 獅子の時代
*8位 太平記
*9位 国盗り物語
10位 八重の桜

11位以下は…

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2018.06.14 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

番組名放送年主演
1花の生涯1963井伊直弼…尾上松緑
2赤穂浪士1964大石内蔵助…長谷川一夫
3太閤記1965豊臣秀吉…緒形拳
4源義経1966源義経…尾上菊之助
5三姉妹1967むら…岡田茉莉子
るい…藤村志保
雪…栗原小巻
6竜馬がゆく1968坂本竜馬…北大路欣也
7天と地と1969上杉謙信…石坂浩二
8樅ノ木は残った1970原田甲斐…平幹二朗
9春の坂道1971柳生宗矩…中村錦之助
10新・平家物語1972平清盛…仲代達矢
11国盗り物語1973斎藤道三…平幹二朗
織田信長…高橋英樹
12勝海舟1974勝海舟…渡哲也→松方弘樹
13元禄太平記1975柳沢吉保…石坂浩二
14風と雲と虹と1976平将門…加藤剛
15花神1977大村益次郎…中村梅之助
16黄金の日日1978呂宋助左衛門…市川染五郎
17草燃える1979源頼朝…石坂浩二
北条政子…岩下志麻
18獅子の時代1980平沼銑次…菅原文太
苅谷嘉顕…加藤剛
19おんな太閤記1981ねね…佐久間良子
20峠の群像1982大石内蔵助…緒形拳
21徳川家康1983徳川家康…滝田栄
22山河燃ゆ1984天羽賢治…松本幸四郎
天羽忠…西田敏行
23春の波涛1985川上貞奴…松坂慶子
24いのち1986岩田未希…三田佳子
25独眼竜政宗1987伊達政宗…渡辺謙
26武田信玄1988武田信玄…中井貴一
27春日局1989春日局…大原麗子
28翔ぶが如く1990西郷隆盛…西田敏行
大久保利通…鹿賀丈史
29太平記1991足利尊氏…真田広之
30信長 KING OF ZIPANGU1992織田信長…緒形直人
31琉球の風1993啓泰…東山紀之
32炎立つ1993藤原経清・泰衡…渡辺謙
藤原清衡…村上弘明
33花の乱1994日野富子…三田佳子
34八代将軍吉宗1995徳川吉宗…西田敏行
35秀吉1996豊臣秀吉…竹中直人
36毛利元就1997毛利元就…中村橋之助
37徳川慶喜1998徳川慶喜…本木雅弘
38元禄繚乱1999大石内蔵助…中村勘九郎
39葵徳川三代2000徳川家康…津川雅彦
徳川秀忠…西田敏行
徳川家光…尾上辰之助
40北条時宗2001北条時宗…和泉元彌
41利家とまつ~加賀百万石物語~2002前田利家…唐沢寿明
まつ…松嶋菜々子
42武蔵MUSASHI2003宮本武蔵…市川新之助
43新選組!2004近藤勇…香取慎吾
44義経2005源義経…滝沢秀明
45功名が辻2006千代…仲間由紀恵
山内一豊…上川隆也
46風林火山2007山本勘助…内野聖陽
47篤姫2008篤姫…宮﨑あおい
48天地人2009直江兼続…妻夫木聡
49龍馬伝2010坂本龍馬…福山雅治
50江~姫たちの戦国~2011江…上野樹里
51平清盛2012平清盛…松山ケンイチ
52八重の桜2013新島八重…綾瀬はるか
53軍師官兵衛2014黒田官兵衛…岡田准一
54花燃ゆ2015杉文…井上真央
55真田丸2016真田信繁…堺雅人
56おんな城主直虎2017井伊直虎…柴咲コウ
57西郷どん2018西郷隆盛…鈴木亮平
58いだてん~東京オリムピック噺~2019金栗四三…中村勘九郎
田畑政治…阿部サダヲ

2018.06.14 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

遺跡破壊で横浜市長が祟り死に

でコメントをいただき、いろいろ調べていたら、上行寺東遺跡の発掘等を記録した動画がYouTubeにアップされていたので、貼りました。

上行寺東遺跡(横浜市金沢区)の記録

中世の六浦津に立地した寺院址とやぐら群からなる重要な遺跡でしたが、昭和の終わりにマンション開発のため破壊されました。制作者の一ノ瀬烱次さんの御承諾を得ましたので、記録動画を公開いたします。30年前の映像ですが、静止画とは違った臨場感があります。

また、中世史研究者の保立道久氏が遺跡保存運動のパンフレットに書いた文章を自身のブログに再録していたので、リンクをはっておきます。

上行寺東遺跡の保存うんどうパンフレットに書いたもの。

2018.05.11 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

名古屋城天守閣の木造復元(エレベーターなし)に奈良大学の千田嘉博教授が苦言を呈している。


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2018.05.09 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |


4月29日(日)に放送されたNHKスペシャル「大江戸」第1集「世界最大!! サムライが築いた“水の都”」で、玉川上水を実際に掘った玉川兄弟を完全無視しててワラタ。

2020年のオリンピック・パラリンピックを前に、国内外から熱い注目を集める東京。そのルーツの町「江戸」をめぐり、新たな発見や研究が相次いでいる。150年前、1868年にその名を失った“日本史上最大のロスト・シティー"江戸。その知られざる姿を、ドキュメンタリーやドラマ、高精細のCGなど、多彩な演出で描く3回シリーズ。

第1集は、巨大都市建設の物語。小さな田舎町だった江戸は、徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、世界最多100万の人口を抱える大都市に成長した。その原動力はどこにあったのか? 最近、江戸初期の都市計画を描いた最古の図面や、幕末期の江戸を写した写真が見つかるなど新たな発見が相次ぎ、その変遷が詳しく分かってきた。江戸は、水を駆使して造り上げた、世界に類をみないユニークな都市だった。巨大な“水の都"江戸誕生の秘密に迫る。

シリーズ「大江戸」第1集「世界最大!! サムライが築いた“水の都”」

水道奉行の伊奈忠治と忠克親子を持ち上げ、サムライすごい!って話だったが、私財を投げうって上水を完成させた庄右衛門・清右衛門兄弟を完全無視する説明は噴飯もの。ちなみに、玉川兄弟の活躍は、東京では小学校4年生の社会で習うので、違和感を感じた人はオイラだけではないはず。兄弟は、この功から、幕府から「玉川」の姓を名乗ることと、上水の管理を認められた。しかし、兄弟の死の40年後、子孫はその職を取り上げられた。

2度の失敗の後、老中・松平信綱の家臣・安松金右衛門が3つの案を出し、第3案で完成させたこともまったく触れられていなかった。野火止用水を完成させたのも、この金右衛門だった。それにしても、信綱はめちゃくちゃ悪く描かれていて、ホントにヒドイと思った。w

この手の「○○すごい!」って番組にろくなものがない。○○には、ニッポンとか、サムライとかが入るんだけど、日本がホントにすごかった高度成長~安定成長~バブルの頃は、こんな番組はなかった。「貧すれば鈍す」とは、今の日本の姿だ。

2018.05.02 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



さっきまで、放送大学テレビ特別講義

薩摩硫黄島の熊野三山と「平家物語」

を観ていた。

平清盛と対立した後白河法皇が側近たちと平氏打倒の陰謀をめぐらした鹿ケ谷事件で、藤原成経、平康頼、俊寛が鬼界ヶ島に配流された。

ナビゲーターの野中哲照(國學院大學)教授が、

  1.平家物語の鬼界ヶ島は薩摩硫黄島なのか?
  2.三人はどこに居住したのか?
  3.三人が勧請した熊野神社(本宮、新宮、那智の滝)はどこか?

の3点について、実際に島を訪れ、検証した。

詳しくは

硫黄島の熊野三山

を読めばわかるのだが、簡単に説明すると、以下のとおりになる。



1.平家物語の鬼界ヶ島は薩摩硫黄島なのか?

屋久島、(馬毛島を含む)種子島、口永良部島、竹島、硫黄島は、日本の支配下にあったが、トカラ列島(と黒島)は、黒潮の流れが強く、船での行き来が困難だったので、日本の外と見なされていた。日本の最果ての地である硫黄島は、大罪を犯した(とされる)三人の配流地にふさわしい。また、鎌倉時代後期に成立した延慶本『平家物語』の記述と硫黄島の地形・地勢がひじょうによく似ている。

2.三人はどこに居住したのか?

島の北部にある大谷(ウータン)である。島の南の独立峰(稲村岳)から北に五十余町(約5km)離れたところに住んでいた。三人は海を見ながら都のほうを眺めていた。元気をなくした俊寛が岩のはざまで休んでいた。以上の条件を満たすのが、本土が見える島の北岸で、大きな岩のある場所=大谷となる。

3.三人が勧請した熊野神社(本宮、新宮、那智の滝)はどこか?

新宮は熊野川が熊野灘にそそぐ場所にある。硫黄島には長浜川が東シナ海にそそぐ場所に熊野神社があるので、新宮は熊野神社である。

本宮は新宮から熊野川をさかのぼった屈曲点にあるので、長浜川の上流の屈曲点に硫黄島の本宮もあるのではないか。そう考えると、俊寛堂のある場所がふさわしい。俊寛堂は昭和初期まで「御祈大明神社」と呼ばれていた。

硫黄島に滝があるのか? まとまった雨が降ったあとには、稲村岳東麓の展望台から、滝を望むことができる。滝といってもいろいろな種類があり、那智の滝は直瀑で、滝全体の約1割にあたる。この滝も直瀑である。那智の滝は那智大社から見ると、左上から右下に伸びる尾根によって滝つぼが見えない。この滝も同じような尾根に滝つぼを隠されている。

これらの三地点は、稲村岳の周りに集まって、トライアングルを形成している。熊野三山も同じようにトライアングルを形成している。



ちなみに、この番組、次に放送されるのは9月30日(日)の21:30~22:15だそうで、5か月も先になってしまう。w

2018.04.28 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



4月8日放送のNHK「西郷どん」が叩かれている。

  なんでこんなバカな放送をしたのだろうか。「西郷どんと斉彬 密着120日」と称して出来損ないのメイキング放送だ。そもそも時代劇とは何百年も前の出来事を、それらしく俳優に扮装させ、盛大な大ウソをついて、見ているお客をその時代に引きずり込む行為である。1か所でも現代が画面に素のままで出てきたら、その瞬間に白ける。騙されてあげようと努力している視聴者たちに、わざわざ、「ちょん髷姿のこの男たちは、実は背広を着て仲良くやっている俳優仲間なんだよ」と地を見せてイメージを壊す意味は全くない。

西郷どん・斉彬の「地」見せられすっかり鼻白・・・時代劇のお約束破りにへそ曲がり視聴者は「もう見るの止めにするワイ」 <大河ドラマ 西郷どん スペシャル~鈴木亮平×渡辺謙が対談>(NHK総合)

オイラ的には…


島津斉興・斉彬親子のロシアン・ルーレット


橋本佐内の瀉血


で、すでにトンデモ認定していたんだが…。

ちなみに、ロシアン・ルーレットは「ディア・ハンター」のパクリ、瀉血は、18世紀以降は効果に疑問をもたれ、この時代(19世紀半ば)には行われなくなっていた偽医療と放送直後から叩かれていた。w

大河ファンのオヤジ、オバちゃんは、メイキングを放送したから怒るんじゃなくて、時代考証がテキトーだから怒るんだと思う。

2018.04.10 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



BS12で「王女未央」という中国時代劇をやっていて、「世界史」に疎い妹が時代背景がまったくわからないので教えてくれというので、調べて教えてあげた。ちなみに、妹が「世界史」に疎いのは、不勉強だったからではなく、高校の世界史教師がガチサヨで、世界史の授業をせず、サヨク話を開陳していたからであって、ソイツの責任である。



王女未央 BIOU

中国史の「南北朝」時代は、北魏による華北統一(439年)から隋による中国統一(589年)までだが、均田制を導入し、大同から洛陽に遷都して漢化政策を行った北魏の孝文帝は、どの「世界史」の教科書にも載っている。しかし、彼の治世の前半は、馮皇后(太皇太后)が支配しており、均田制は彼女によって導入された。このドラマの主人公・李未央=馮心児は馮皇后がモデルである。

ドラマでは、李未央は北涼王の娘ということになっている(下図)。



しかし、下記のとおり、馮皇后は北燕の皇族であった。

主人公の李未央(馮心児)のモデルとなったのは、北魏の文成文明皇后(馮太后)。父・馮朗の家系は五胡十六国時代から南北朝時代初期にかけて遼東を支配した北燕の皇族であったが、この北燕は北魏により滅ぼされ、馮朗は北魏に降って重用されていた。しかし馮朗は罪を問われて誅殺され、身寄りをなくした幼い馮太后は、北魏の太武帝の左昭儀(後宮における称号で皇后に次ぐ地位)だった叔母の馮氏に従って後宮入りした。その後、太武帝の孫、第5代皇帝・文成帝の皇后となった。

見どころ

このドラマのキャッチフレーズに「衝撃の再生回数230億超え!」とある。BS12は昨年も「武則天 -The Empress-」(唐の則天武后の時代劇)を放送していたが、「中国時代劇歴代視聴率No.1」とある。



武則天 -The Empress-

どうも、美人で頭が良く苦難を乗り越えて出世する女性のドラマが中国人は好きらしい。w

2018.03.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



結城秀康は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川家康の次男として生まれ、越前北ノ庄藩初代藩主で越前松平家宗家初代。

3/11(日)に放送されたテレ東「池の水ぜんぶ抜く」で、大阪府枚方市山田池公園の続編(最初の放送は昨年11月)に、ギギという魚が登場した。



正式にはギバチ(義蜂、学名:Pseudobagrus tokiensis)という。ナマズ目ギギ科に分類され、地方によりギギュウ、ギンギョなどと呼ばれる日本固有種だ。

なんで、それが結城秀康なのかというと、彼の幼名は「於義伊(おぎい)」あるいは「於義丸(おぎまる)」といい、この魚と顔が似ているから付けられたというのだ。母親の身分が低かったとか、正室・築山殿の悋気を恐れたためとかいわれているが、要は家康に嫌われていたらしい。だから、長男・信康が切腹させられた後も、三男の秀忠が後継者となり、彼は豊臣秀吉の養子(実際は人質)に出された。秀吉に実子・鶴松が誕生すると、こんどは結城晴朝の養子となった。関ヶ原の戦いで、上杉景勝への抑えとして宇都宮に陣取り、その功により越前北ノ庄68万石の大名となった。

しかし、家康の後継者になれなかったのは無念だったらしく、つぎのような話が残されている。秀忠が徳川氏の家督を継いだとき、秀康は伏見城代を務めていた。出雲阿国一座を伏見城に招いて、阿国の歌舞伎を絶賛した後、「天下に幾千万の女あれども、一人の女を天下に呼ばれ候はこの女なり。我は天下一の男となることかなわず、あの女にさえ劣りたるは無念なり」と漏らしたという。

そんな秀康に秀忠も気をつかっていたらしい。鉄砲を所持したまま江戸に向かおうとして碓氷峠の関所で止められたとき、秀康は、自家が徳川家中で別格扱いであるのに、それを知らずにいた不届きな関守を成敗するとした。関守は江戸に伺いを立てたが、秀忠は、秀康に殺されなかっただけ幸いであったと言って事態を収めた。

そんなわけで、ギギを見ると、結城秀康を思い出してしまうのだ。w

2018.03.13 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

井上靜氏が「建国記念の日」を批判していた。

 「建国記念の日」とは建国の日を記念したのではなく記念した日という意味だから、屁理屈ともいうべき祝日である。戦前、初代天皇が即位した日を「紀元節」として祝日としたが、この初代天皇は実在しないし、即位した日がいつなのかも暦法が何だったのか不明なのだから現代の暦に換算して2月11日という話はありえず要するに捏造であった。

 また、近代国家とは実定法秩序の確立が条件であるから、これが日本の場合だと最初は律令制度を敷いた時である。

 それなのに「紀元節」を強引に戦後も祝日とするため、建国の記念をする日ではなく戦前に記念した日ということで「建国記念日」ではなく「建国記念の日」としたわけだ。

神武天皇はいなくてもイエスキリストはいた

まさにそのとおりなのだが、《近代国家とは実定法秩序の確立が条件であるから、これが日本の場合だと最初は律令制度を敷いた時である》とはオドロキだ。律令国家は、古代国家なのであって、近代国家ではない。実定法秩序は、近代国家の必要条件だが、十分条件ではない。実定法秩序は5000年前のシュメール文明から存在しているわけだが、「目には目を、歯には歯を」は近代法ではないだろう。


「法の支配」の確立をもって、近代国家の成立とするのがふつうである。「法の支配」とは、為政者が好き勝手に支配する「人の支配」を否定し、人民が法を定め、為政者はそれに従って統治するというものだ。イギリスで確立し、アメリカで違憲法令審査権ができて保障されたとされる。

よく「法治主義」と間違えられるが、「法治主義」は、「悪法も法なり」という言葉で示されるように、法の実質は問わない。「法治主義」では、ニュルンベルク法を制定すれば、ユダヤ人は差別し放題となる。これに対して、「法の支配」は法の実質=人権擁護を原則としている。

そうなると、日本の「法の支配」の確立は、不十分ながらも「臣民の権利」を定めた大日本国憲法(明治憲法)制定以後となる。


そもそも建国=国家の成立は、支配階級の共通利益を守る暴力装置(=狭義国家)ができあがればよいわけである。日本の場合、西暦57年に「漢委奴国王」が漢の光武帝に使者を送ったころには、このような国家が北九州には成立していた。この領域が日本の西半分くらいに広がるのが、邪馬台国連合が女王卑弥呼を共立して魏に使いを送った248年頃である。これが日本における古代国家の成立なのだろう。

ちなみに、初代天皇とされる神武天皇は「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と称されたが、10代の崇神天皇も「御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と称している(日本書紀)。この人の大叔母が、箸墓古墳の主で、卑弥呼のモデルではないかとされている倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)である。

2018.02.13 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



大河ドラマ「西郷どん」が始まったが、「登場人物」を見る限り、伊地知正治はこの大河にも登場しないようだ。

登場人物

伊地知先生については、さしこ(指原莉乃)をモチアゲル記事で紹介したことがある。

西郷隆盛の参謀に伊地知正治という人がいた。彼は、たいへんな怖がりで、あるとき、仲間で酒盛りをしていたら、大きな音がした。どうも客が酔ってけんかをしたらしかったが、気がついたら、伊地知がいなくなっていた。死客の乱入を恐れて、庭の灯篭の後ろに隠れていたのだ。仲間はそんな伊地知を笑ったが、西郷だけが、そんな伊地知先生だから、命を預けられるのだ、と言ったという。

事実、伊地知は、戊辰戦争で活躍し、白河の戦いで10倍の奥羽越後列藩同盟軍に火器を集中的に使って撃破したり、会津攻めでいち早く峠を占拠して会津藩の反撃を封じてしまった。彼は、なるべく少ない犠牲で勝利することに心をくだいたのだが、それは彼が生まれながら体が弱かったからだと言われている(そのため早死にしてしまった)。自分が弱いから、強い敵をどう倒すか、知恵を使ったのだった。

りりぽんがポスト指原w

ここには書いてないが、西郷や大久保利通が結成し、のちに「精忠組」と呼ばれる薩摩藩内組織の最初のメンバーの一人でもある。

なんでこの人物が登場しないのかというと、どうも主人公の活躍とされていることがじつはこの人の手柄だったりするので、登場されると困るからなんじゃないだろうか? 「八重の桜」の禁門の変で、会津軍を薩摩軍が助けに来るシーンがあった。薩摩軍を率いていたのは西郷だけど、作戦を立てたのは伊地知先生でしょ。w

2018.01.21 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「女城主 直虎」は、「信長、みんなで殺そうぜ!」って展開になっている。w

武田家の滅亡により念願の駿河を手に入れた家康(阿部サダヲ)。信長(市川海老蔵)は甲斐からの戻りがてら富士山など駿河・遠江の名所を観光したいと家康に申しつける。その報せを聞いた万千代(菅田将暉)は信長をもてなすため奔走することに。一方井伊谷では、龍潭寺の井戸端で謎の捨て子が見つかる。直虎(柴咲コウ)はその子を保護し、身元を調べようとする。物見遊山を楽しんだ信長はもてなしのお礼として、家康を上方へ招待し安土や京、堺へ案内したいというが、家康はその誘いを罠かもしれないと疑う。一方、直虎は氏真(尾上松也)から捨て子は明智光秀(光石研)の子どもであることを知らされる。さらに氏真は信長の饗応が罠であること、それを逆手にとって信長暗殺を企てていることを明智から聞いたと話す。直虎は、迷う家康と会って明智の企てを伝え、織田に代わって家康に天下を取って欲しいと言う。

第48回「信長、浜松来たいってよ」

信長が家康を暗殺とか、オカシナ話になってきた。ヤラレル前にヤルってことで、信長、みんなで殺そうぜ!ですか?w

本能寺の変については、諸説があるが、信長の周りにいた武将が、旧武田領の統治のため東国に出向いている間隙をついて明智光秀が決起した、という説が有力になってきている。ちなみに、黒幕論が盛んだが(家康黒幕論もあるw)、誰が黒幕でも光秀が決起しなかったらいずれも「絵に描いた餅」ってことで、説得力がない。

信長(市川海老蔵)による家康暗殺計画を知った万千代(菅田将暉)は直虎(柴咲コウ)に会い、明智光秀(光石研)の謀反が成功した折には家康(阿部サダヲ)を三河へ逃がす手助けをして欲しいと願い出る。この求めに応じた直虎は逃亡ルートとして堺からの海路を選択するが、その地で龍雲丸(柳楽優弥)や与太夫(本田博太郎)と久々の再会を果たす。その頃、家康は安土城で信長の歓待を受けていた。

第49回「本能寺が変」

よくわからないのは、光秀の謀反が成功したのに、家康が逃げるのか?ってこと。逃げる必要なんてないんだから、どうどうと本国に帰れば(・∀・)イイ!! この脚本家、小細工を弄する癖に、大きな絵が描けていない。ホントに残念な大河だ。


こんなツイートを見つけた。



リアリティのあるウソはドラマだが、リアリティのないウソはダメ・ドラマである。

2017.12.08 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

高大連携歴史教育研究会が発表した「当会提案の歴史系用語精選の提案(第一次)」が、教科書から「坂本龍馬」や「武田信玄」、「上杉謙信」が消えると話題になっている。

現在、文部科学省では2022(平成34)年から使用する高等学校の教科書において小中高のすべての科目で「主体的で対話的な深い学び(アクティブラーニング)」の導入をめざしています。ところが、高等学校の歴史教育では、従来、教科書に収録した用語の暗記中心の教育が行われることが多かった上、教科書の収録用語が改定の度に増大し、古代から始めた授業が近現代まで到達せずに終わることが多くみられました。その上、大学入試では、一部に思考力・表現力を問う記述式などの出題が増えてきたものの、多くの大学では依然として用語の暗記力を問う問題が出題され続けています。

このような現状の改善なしには、歴史的な思考力を育成する授業を大幅に増やすことは難しいと思われます。そこで、当会では、日本学術会議高校歴史教育分科会や日本歴史学協会歴史教育特別委員会とご一緒に、高等学校の歴史教科書と大学入試の歴史系の出題用語に関連した用語精選基準に関するアンケート調査を実施することにしました。ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

高等学校教科書および大学入試における歴史系用語精選の提案(第一次)およびアンケート実施

で、問題はどれだけ変わる(減る)のか?ということだ。

以下のものは、いわゆる『日本史B用語集』に載っている歴史用語だ。日本史Bの教科書は11冊あり、うち7冊以上に載っている用語は太字にした。戦国時代の政治分野に限り、経済・社会・文化にかんする部分は除いてある。ちなみに、オイラの持っている日本史用語集は「新課程」の用語集ではなく、いわゆる「ゆとり教育」時代の用語集なので、おそらく「新課程」ではもっと増えていると思ってほしい。

足利義稙、明応の政変、明応の地震、足利義澄、細川政元、細川晴元、三好長慶(三好氏)、松永久秀(松永氏);守護代、戦国時代、戦国大名、大名領国制(公領)、分国(領国);鎌倉公方、古河公方足利成氏堀越公方(足利茶々丸)、足利政知、扇谷上杉家、山内上杉家(上杉憲政)、北条早雲(伊勢長氏、伊勢宗瑞、伊勢盛時)、後北条氏、北条氏綱北条氏康、武田信虎、武田信玄(晴信)、武田氏、上杉謙信(長尾景虎、長尾氏)、川中島の戦い、今川氏(織田信長)、斎藤道三(斎藤氏)、浅井氏、朝倉氏、松平氏、尼子氏、大内義隆、大内氏陶晴賢(陶氏)、毛利元就(毛利氏、小早川氏)、長宗(曽)我部元親(長宗我部氏)、河野氏、竜造寺氏、大友氏島津氏(島津貴久)、南部氏、最上氏、蘆名氏、伊達氏;根来寺、家臣団、一門(一族衆)、譜代衆、外様衆(国衆)、寄親・寄子足軽(長槍)、給人、貫高制(貫高、永高)、軍役;分国法(家法、壁書)、塵芥集(伊達稙宗)、結城氏新法度(結城氏)、早雲寺殿二十一箇条、今川仮名目録(今川氏親、今川仮名目録追加)、甲州法度之次第(信玄家法)、朝倉孝景条々(朝倉敏景十七箇条)、六角氏式目(義治式目、六角氏)、大内氏掟書(大内家壁書)、新加制式、長宗我部氏掟書(長宗我部元親百箇条)、相良氏(家)法度(相良氏)、嫡子単独相続、連座制(縁座制)、喧嘩両成敗差出検地、信玄堤、楽市・楽座、観音寺城(石寺、加納)、伝馬制度、宿駅

これがどれだけ変わるか(減るか)というと、「提案」の「戦国大名の登場」の「戦国大名の領国支配」には以下の用語が載っている。ちなみに、概念系の用語が太字になっている。

戦国大名寄親・寄子分国法喧嘩両成敗;戦国時代、北条早雲、毛利氏、長宗我部氏、北条氏、武田氏、今川氏、朝倉氏、島津氏、大友氏、伊達氏;検地貫高制

おそらく教育現場は、「ゆとり教育」を超える、大混乱になるのではないだろうか? まず、大学はこれを守って入試問題を出すのか?という疑問。「ゆとり教育」でも問題の質を落とさず、そのツケをすべて負わされたのは現場の教師であった。その悪夢の再来かと思うと、もう何もするな!と言いたい。

そして、「ゆとり教育」の内容をさらに減らすわけだから、学力低下は免れない。文部省が主張する「主体的で対話的な深い学び(アクティブラーニング)」って、名前を変えただけの「ゆとり教育」なんだから、実際にはできないに決まっている。

さらに、歴史用語を減らせば、用語を、ちゃんと憶えられて、使いこなせるという発想が幼稚である。たとえば、「提案」の「北条早雲」「北条氏」を説明するには、

関東の戦国時代は、鎌倉公方滅亡後、古河公方足利成氏堀越公方足利政知、関東管領である扇谷上杉家山内上杉家の対立を利用して、北条早雲が勢力を拡大したことから始まる。この後北条氏の支配は、子の北条氏綱や、孫の北条氏康に引き継がれていく。

と『用語集』の言葉が必要になってくる。これを「提案」の言葉だけで説明すると、以下のようになる。

関東の戦国時代は、北条早雲が勢力を拡大したことから始まる。この後北条氏の支配は子や孫に引き継がれていく。

これでも意味がとおるわけだが、古河公方と堀越公方の対立、扇谷・山内両上杉氏の対立という早雲台頭の背景は消えてしまう。また、子の氏綱と孫の氏康の存在は、《早雲―氏綱―氏康(―氏政―氏直)》という用語集の「嫡子単独相続」の具体例であるが、それも消えてしまう。まあ、そもそも「提案」では「嫡子単独相続」は教えなくてよいことになっているけどね。w

言語というのは、構造化されていて、お互いの関係性で成り立っている。歴史用語を減らすということは、構造化されている歴史像のなかの要素を排除していくことで、歴史認識の貧相化につながるのではないかと心配するのだ。

2017.11.18 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(2) |

昨夜の大河ドラマ「女城主 直虎」は、1579年に起きた徳川信康切腹事件の前半だった。w

家康(阿部サダヲ)の命を狙った間者が嫡男・徳川信康(平埜生成)の家臣だったことが判明し、信康の家臣である岡崎衆らは一斉に罰せられる。さらに家康の側室に新たな男子が誕生し、信康とその母・瀬名(菜々緒)の立場はいっそう弱くなる。焦る瀬名は直虎(柴咲コウ)に書状を出し、信康の嫡男を得るため側室の候補を探して欲しいと依頼する。しかしその動きは、信康の正室・徳姫の父にあたる織田信長(市川海老蔵)の知るところとなってしまう。そんななか、信長の使者として明智光秀(光石研)が岡崎城を訪れ、信康に官位を授かってはどうかと持ちかけるが、徳川家の実権を握るための作意を感じた信康は丁重に断る。安土城が完成し、祝いに訪れた酒井忠次(みのすけ)は信長から信康と武田の内通疑惑を突きつけられる。織田の言いがかりに逆らえない家康は、岡崎を訪れ、信康を捕らえる。

第45回 魔王のいけにえ

徳川家中はみんな仲良し、悪いのは魔王・織田信長!って話だった。

ところが、ドラマでもちょっこっと出てくるように、家康率いる浜松衆と信康率いる岡崎衆の間に「不協和音」があった。当時、徳川氏は武田氏と戦っていたが、最前線の浜松衆の方が軍功が大きく、恩賞もそちらの方が厚かった。そのことに岡崎衆が反発していたようなのだ。

井伊直政が家康に仕える前の話なのでドラマには出てこないが、長篠の合戦の1年前(1574年)に大賀弥四郎事件があった。弥四郎は、算術に長けていたので、中間から大抜擢されて三河国奥郡20余郷の代官となり、家康・信康双方から信任を得ていた。ところが、ある家臣が、弥四郎のとりなしで加増されたと弥四郎に吹聴されたので、それに怒って領地の返上を申し出た。家康が弥四郎を調べたところ、弥四郎が、武田氏に通じ、岡崎城を乗っ取って武田軍を引き入れる密約があったことが発覚した。弥四郎は、家族全員を磔で処刑された後、自らも鋸引きで処刑された。弥四郎は「大賀氏」となっているが、江戸町奉行・大岡忠相や9代将軍・家重の側用人・大岡忠光と同じ「大岡氏」出身なのではないかと言われている。この事件の背景にも岡崎衆の反発があったのではないかと考えられている。

信康切腹事件も、浜松衆と岡崎衆の間に対立があり、それが原因で家康と信康が不仲になり、そんな折、信康の妻で信長の娘である五徳(徳姫)から信長に訴えがあった。しかし、信頼できる史料では、信長は「家康に任せる」と言っており、家康の意思で信康の切腹が決められたようなのだ。

ドラマでも扱われるが、この事件に連座して信康の母・築山殿=瀬名も家康に殺されている。武田氏と通じていたというのが理由だが、つるんでいたのは岡崎衆だったのかもしれない。家康の命で佐鳴湖の近く(織田奈那の実家の近くw)で斬殺された。

事件の後、岡崎衆は処刑・逃亡するものが多く、その最大の人物が石川数正である。彼の場合は、ずっと後の1585年に出奔し、豊臣秀吉に仕えた。彼は、信康事件の後も重用され、本能寺の変後は秀吉との交渉に当たっていた。信康の後見人だったにもかかわらず、信康切腹後に岡崎城代となったので、「裏切者」として岡崎衆から憎まれ、孤立していたのかもしれない。秀吉に対しても、酒井忠次や本多忠勝など強硬派に対して、融和派だったので、ますます居場所がなくなったのだろう。

彼の出奔で軍事機密が秀吉に筒抜けになったので、徳川氏の軍制が武田流に変わり、武田の家臣団を率いていた直政の地位を高めることになる。

2017.11.13 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |


マツケンサンバが…


ルリ子の呪いで…


血反吐を吐いて死ぬ。



この驚きの展開に鼻毛が伸びてしまったオイラだった。wwwww

やりたい放題の「女城主 直虎」だが、あいかわらずスゴイな。w

武田信玄が血を吐いて死んだのは事実のようなのだが、結核か胃がんが原因だと推定されている。だから、異常なまでに健康体のマツケンサンバの方が史実に反するわけだけど、さらに死者の呪いで死ぬって…。アホな脚本だな。w


そして、これには伏線が…。



松也が笙を吹いておババ様を呼んだらしい。w

こんな伏線はいらない。しかも…


大河ドラマでオカルト。wwwww

ますます目が離せない「女城主 直虎」だな。w

2017.09.26 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(8) |


松平健が演じてる武田信玄のモデルって…


ホンモノの方じゃなくて…


別人(畠山義続)の方だよね。w


「おんな城主 直虎」って、いろいろ残念なところが多いんだけど、これもその一つだよな。

「このハゲー!」って、どっかの誰かさんが言いだしそうなハゲデブ偽信玄。wwwww

2017.09.21 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



小野政次(道好)善人説と引き換えに、近藤康用悪人説ですか?

 NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」第33回「嫌われ政次の一生」で、高橋一生演じる小野政次がついに最期を迎えた。しかも、処刑場で磔(はりつけ)にされた政次を、長槍で刺しとどめを刺すのは、ほかならぬ井伊直虎(柴咲コウ)。裏切り者としての「小野の本懐」をまっとうさせるため、誰よりも深く政次を理解する直虎自らの決断だった。岡本幸江プロデューサーに、政次最期のシーンに込めた思いを聞いた。

政次死す! 「おんな城主 直虎」岡本プロデューサーが語る“衝撃の最期”の真相

近藤康用とは、井伊谷三人衆の一人で、橋本じゅん氏が演じている。龍雲丸(柳楽優弥)率いる盗賊(龍雲党)に材木を盗まれて怒ってた人って言えばわかるだろう。そのときから井伊氏に遺恨があるようで、それを晴らすために政次を陥れたことになっている。



政次奸臣説は『井伊家家伝』が元になっている(直虎=次郎法師=女性説も)。ところが、資料提供した夏目琢史氏と時代考証の大石泰史氏が、『井伊家家伝』は江戸時代に書かれたので、徳川氏・井伊氏を批判できないから、小野政次が悪人だったことにしているのだという。この説をもとに脚本を書いたようだが、政次のような一般にあまり知られていない人物に対して、通説とは異なる説を持ち出すのはどうなんだろうね。それだったら、直虎=男性説はどうなんだよ。w

だいたい康用は、家康の遠江攻略のとき、高齢(とはいえ50代)で歩行困難だったらしく、息子の秀用が従っていた。秀用は、その後に大名に取り立てられたが、なぜか子孫に領地を分け与えたので、子孫は旗本となっている。やらた出てきた気賀も、子孫が代々代官を務めてきたのだ。子孫は不愉快じゃないのかね。w

ちなみに、近藤氏は、『今昔物語』の「芋粥」に出てくる利仁将軍(鎮守府将軍・藤原利仁)の子・叙用[のぶもち]の子孫ってことになっている。代々「用」の字を名乗っているのはそのため。


小野氏は、小野妹子や小野篁の子孫を名乗っていて、政次のもう一つの名、というよりこっちの方が有名なんだけど、「道好」ってのがヤバイ。小野道風と小野好古から一字ずつ取っている。道風は、平安中期の貴族で、「三蹟」の一人。柳の枝に飛びつこうとするカエルを見て、「努力は必ず報われる」って思ったという伝説がある。好古は、その兄で、武人として有名。承平天慶の乱で、大宰府を襲撃した藤原純友を博多津で撃退した。文武に優れた祖先の兄弟から一字ずつもらって、「俺ってスゲエだろ」ってところが、ちょっとヤバイ。

直満-直親-直政(虎松)とは、親(政直)の代から敵対してて、直満は政直が、直親は政次がそれぞれ今川氏に殺させており、虎松も亡き者としようとした。井伊氏のために芝居を打っていたって誰が信じるだろうか?w

圧倒的に悪い人が出てきちゃいけないのかね。悪の美学だってあるだろうに…。そういう人がいないと、ドラマがちっちゃくなっちゃうんだよね。ただでさえ、静岡県内、てか浜松市内に収まっちゃう、ちっちゃなドラマなのに…。直虎も、何も柴咲コウがやる必要ないんだよ。オダナナ(織田奈那)でじゅうぶんだよ。w

2017.08.21 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(4) |