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平山優氏によると、以下のとおりだったらしい。

大仏開眼供養の開眼師が仁和寺(真言宗)門跡だったので、真言僧が「左座」に座り、天台僧が「右座」に座ることになった。同日に堂供養も行う予定だったが、それだと天台僧はそのまま「右座」に座らせられるので、嫌だとボイコットした。

豊臣方の片桐且元と幕府方の板倉勝重が相談し、天台僧を「左座」とする妥協案を出したが、家康は開眼供養と堂供養を別の日に行なう解決案を出した。ところが、片桐も板倉も同日開催を主張したため、家康は改めて吉日を選んで執行するように延期を命じた。

その際、鐘銘の写し(国家安康・君臣豊楽)が家康の下に届けられたが、家康の諱が刻まれていることは問題になったが、引き裂いて不吉は問題にならなかった。

しかし、幕府と豊臣方の話し合いが難航し、その間に豊臣方による片桐の暗殺計画が発覚して、大坂の陣が起きてしまう。


以下は平山氏のポスト…

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2023.11.29 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第45回「二人のプリンス」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・ 新年会(トークショー)の告知
【二条城の会見】
■大坂方の反発
  ◆大阪御陣覚書
    ・ 家康は高齢なので大坂を屈服させたい
    ・ 後陽成天皇の譲位問題&秀頼に会う
    ・ 家康は大坂に挨拶に来ていた
      →秀頼が上洛する理由はない
    ・ 浅野幸長、加藤清正の諫言
      →秀頼の上洛
■二条城の会見
  ◆当代記
    ・ 慶長16年3月20日 秀頼の上洛
      →織田有楽斎が使者
    ・ 27日 秀頼が淀城に到着
      →徳川義直、頼宣らが出迎え
    ・ 28日 秀頼の上洛→二条城へ
      →家康は庭先で出迎える
      →秀頼は感謝→屋敷に入る
      →秀頼が御成間に先に入り、対等の扱い
      →秀頼は遠慮→家康が先に
      →豪華な食事はよそよそしいので汁物だけ
      →北政所も同席
      →秀頼が帰る→義直、頼宣が見送る
      →秀頼は豊国神社に参詣→大仏を観る
      →伏見から船で大坂に→秀頼は大人気
  ◆慶長見聞録案紙(本多正純)
    ・ 秀頼の供:織田有楽斎、片桐且元、大野治長ら
    ・ 徳川方:義直、頼宣、
        幸長(義直の舅)、清正(頼宣の舅)、
        池田輝政、藤堂高虎
    ・ 秀頼は且元の屋敷で着替える
    ・ 二条城で秀頼は家康に臣下の礼


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆家康・秀頼の二条城会見
  ・ 慶長16(1611)年3月28日
  ・ 秀頼を跪かせる/秀頼の力量を見抜く
  ・ 加藤清正、浅野幸長が従う→急死(毒殺説)
  ・ 家康は秀頼の態度に将来を不安に思う
◆方広寺鐘銘事件
  ・ 方広寺…慶長17(1612)年 秀頼が再興
  ・ 『駿府記』関東不吉の語
    →家康、大仏開眼供養の延期を申し入れる

2023.11.26 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

「及川幸久THE WISDOM CHANNEL」で及川氏が参政党の内紛はグローバリストの陰謀という香ばしい議論をしててw



せっかく応援してきた参政党が内紛を起こすなんて、きっと闇の勢力グローバリストが何らかの手段で起こしたに違いない!

いや、フツーに仲間割れでしょ。神谷宗幣代表が「武田邦彦は認知症だ」と言いふらしていたと武田氏自身が言ってたもん。フツーに悪口じゃんw

参政党がバラバラ

闇の勢力が、ナノマシンを神谷代表の体内に埋め込んで、そう発言させたのかな?w

いま倉本一宏[著]『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書、2023年)を読んでるけど、紫式部が『紫式部日記』の中で清少納言の悪口を書いている。これがめっちゃ政治的なのだ。

道長は、娘・彰子と一条天皇の間に生まれた敦成(あつひら)親王を東宮にしようとするが、兄・道隆の娘・定子と一条天皇の間には敦康親王がいる。この定子に仕えていたのが清少納言なのだ。定子の兄弟である伊周と隆家は、敦康親王を東宮にすることで、一発逆転を狙っている。彼らは、『枕草子』がもてはやされることで、敦康人気につなげようとしていた。

こういう状況の下、紫式部は清少納言の悪口を書く。つまり、この悪口は、紫式部が清少納言を個人的に嫌っていたからではなく、道長の意を受け、敦成を東宮に立てるための政治工作の一部だったのだ。

一方、参政党の悪口は、フツーの悪口だから、逆に参政党の内紛という政治的な致命傷を与えているのだ。

2023.11.23 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第44回「徳川幕府誕生」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・ 新年会(トークショー)の告知
■秀忠の戦略
  ◆譜牒余録
    ・ 黒田長政宛書状(8月28日)
    ・ 宇都宮で上杉氏からの守りを固める
      →真田氏を制圧の後に上洛
■秀忠の楽観
  ◆本多忠敬氏旧蔵→江戸東京博物館
    ・ 井伊直政、本多忠勝宛書状(9月7日)
    ・ 京極高知が着陣→秀忠はいつ?
    ・ 秀忠着陣で決戦→真田を倒してから
    ・ 家康の江戸出立を知らない
■秀忠の焦燥
  ◆里見家文書→東京国立博物館所蔵
    ・ 里見義康宛(9月11日)
    ・ 東軍の先方が大垣城を包囲
      →家康:早く来い→急ぎ上洛
    ・ 里見:宇都宮を守る
      →詳しいことは大垣に着いてから
  ◆高山公実録
    ・ 藤堂高虎の伝記(9月14日)
    ・ 大垣や上方の情報ありがとう
    ・ 私はたいへん急いでいる
      ⇔道が険しいので遅れている(油断ではない)
    ・ 夜も移動しているので近々到着する
■家康の叱責
  ◆慶長年中卜斎記
    ・ 木曽路を急ぎ上洛→大津で対面
    ・ 勝ったから良かったが、負けた場合は弔い合戦
      →大軍を率いて来るは是
      ⇔わずかな手勢で来るは否
    ・ 榊原康政は、家康の怒りを知り、会わずに伏見へ
■榊原康政の諫言
  ◆藩翰譜
    ・ 秀忠は間に合わなくて憤る→草津で家康に合流
    ・ 家康は怒っている→会ってもらえない
    ・ 榊原康政の諫言:秀忠の遅刻は康政らの罪
      →上田城を攻略も無視もせず遅刻したことに怒る
      →それは家康が間違っている
    ・ 家康:1日江戸発→11日清洲→15日合戦
    +親子で討つのなら
      ・ 事前に江戸を出立する時期を知らせるべき
      ・ 清須城で待機して待つべき
    ・ 家康:8月晦日に知らせた
    ・ 使者は10日に到着
      →大雨で大軍を率いるのはたいへん
    ・ バカにすると秀忠が侮られる
    ・ 康政の諫言で家康は怒りを解く


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆家康の征夷大将軍就任と千姫の輿入れ
  ・ 三職:太政大臣、征夷大将軍、関白
  +征夷大将軍を目指す
    ・ 頼朝を目標
    ・ 松平・徳川氏…源氏
    ・ 将軍が空位
  +二条城の築城…二条の地の特異性
    ・ 室町時代:将軍の居住地
    ・ 聚楽第
  ・ 秀頼と千姫の結婚…豊臣氏の懐柔
◆秀忠が2代将軍になったのはなぜか?
  ・ 秀忠…自分の手元で教育
  ・ 秀康…教育できなかった

2023.11.19 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第43回「関ヶ原の戦い」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・ ドラマで「問鉄砲」はなかった
・ 新年会(トークショー)の告知
■小早川秀秋の裏切り
  ◆三河物語
    ・ 秀秋の裏切りで西軍を切崩す
      →大谷吉継らを討ち取る
    ・ 白峰旬:最初から裏切るつもり
  ◆関原始末記
    ・ 秀秋は北向きに攻撃対象を変える
      →大谷軍を攻める→吉継切腹
  ◆武徳大成記
    ・ 奥平貞治が秀秋への使者に
      →貞治は敵と遭遇→討死
    ・ 秀秋は大谷軍を攻める
      →平岡頼勝は押し返され、稲葉正成が攻める
      →大谷軍は破れて離散
    ・ 秀秋はすぐに裏切る
  ◆慶長軍記(1663年)
    ・ 秀秋は裏切りを家老にも相談せず
      →ずっと静観=行動しない
    ・ 家康は爪を噛んで血が出る
      →松尾山に鉄砲を撃てと命令
      →秀秋は動揺して裏切った
  ◆黒田家譜(1688年)
    ・ 秀秋は裏切りを約束⇔裏切る様子がない
      →黒田長政に使者→裏切らなかったら討つ
    ・ 様子を見に行く→分からないと報告
      →福島隊に鉄砲を撃たせる→一斉射撃2回
  ◆関原軍記大成(1713年)
    ・ 西軍優勢→秀秋は裏切る気配もない
    ・ 家康は指を噛む癖があった→指を噛む
      →「倅奴に計れて口惜」→誘い鉄砲


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆【問鉄砲】はあったのか?なかったのか?
  ・ 通説:小早川の寝返りを促すため
  ・ 白峰旬:問鉄砲はフィクション
    →江戸時代中期以降に見られるから
  ・ 笠谷和比古:誤射を装った訳あり射撃
◆「関ヶ原の戦い」での【井伊直政の働き】
  ・ 徳川本隊(秀忠)は間に合わない→本隊抜きで合戦
    ⇔3万7100はいた→本隊抜きで開戦
  ・ 井伊3600 vs,本多500→本多主力は本隊に従軍
  ・ 豊臣恩顧の大名だけで勝利→徳川政権樹立にマイナス
  ・ 島津隊を追撃→「捨てがまり」→直政が負傷→死

2023.11.19 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



来年の大河ドラマのために、倉本一宏[著]『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書、2023年)を買った。

作者は、紫式部の一生を知る手掛かりとなる一次史料(貴族の日記や手紙)が少なく、脚本家が想像力で補う部分が多くなるので、彼女のキャラが大きく変えられるのを恐れているようだ。吉高由里子が演じるんだから、ただでさえ元気な紫式部になりそうだが…w

ライバルとされている清少納言は、存在を証明する一次史料がなく、実在が証明されている紫式部が書いたとされる日記に登場するので、おそらく実在したのだろうというレベルの存在なんだそうだ。じゃあ『枕草子』って誰が書いたの?w

大河ドラマだと紫式部の名前が「まひろ」になっているが、そんな名前であるわけないんだけど、名前がわかっていない! ちなみに、娘の賢子(大弐三位)は名前がわかっている。夫が関白・藤原道兼(道長の兄)の次男・兼隆で、後冷泉天皇の乳母を務めていたので、名前が伝わったのだろう。

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2023.11.08 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第42回「天下分け目」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



■石田三成の弁明
  ◆真田昌幸宛て石田三成書状(7月30日)
    ・ 三成の挙兵を伝えなかった→昌幸が怒る
    ・ 家康が大坂にいると、諸大名の気持がわからない
    ・ 三成が挙兵すれば、真田は味方になると信じていた
    ・ 諸大名が味方にならないと成功しない
    ・ 豊臣家のために戦って欲しい
■真田昌幸の要救
  ◆真田昌幸宛て石田三成書状(8月5日)
    ・ 小諸、深志、川中島、諏訪を与える
    ・ 信濃の大名は家康に味方している
  ◆真田昌幸宛て石田三成書状(8月6日)
    ・ 信濃一か国を与える
    ・ 西軍指導部が認める
    ・ 深志、川中島、諏訪、小諸、甲州←切り取り次第
■伏見城の戦い
  ◆言経卿記(慶長5年7月19日条)
    ・ 伏見城は鳥居元忠らが守る→大阪から攻め来る
      →城側が町に放火
  ◆同20日条
    ・ 伏見城は昼も夜も攻められる
  ◆同21日条
    ・ 昼夜鉄砲を撃つ
  ◆同22日条
    ・ 毎夜鉄砲を撃つ
    ・ 宇喜多秀家が到着→夜から鉄砲を撃つ
  ◆同29日条
    ・ 伏見城を攻める
  ◆同30日条
    ・ 松の丸と名古屋丸が消失
  ◆8月1日条
    ・ 伏見城陥落→寄せ手3000人負傷
  ◆真田昌幸宛て石田三成書状(8月5日)
    ・ 鳥居元忠、松平家忠、内藤家永・元長ら1800人が籠城
    ・ 21日に総攻撃 → 一人残らず討ち取る
    ・ 焼き討ちにした
  ◆真田昌幸宛て石田三成書状(8月6日)
    ・ 大阪西丸の徳川勢500人は伏見城に向かった
    ・ 8月1日に皆殺し
    ・ 雑兵が略奪して伏見城は燃えた


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆秀忠の上田城攻めは【初めからの作戦】だった!
  ・ 真田昌幸・信繫親子が西軍につく
  ・ 通説:徳川本隊が「行きがけの駄賃」と攻めかかった
    →秀忠の武将としての力量の無さ
  +新説:初めから作戦だった
    ・ みせしめ
    ・ 上田城の位置:三成と上杉の中継地点
◆【家康】を関ヶ原におびき出したのは【三成】だったのか?
  ・ 通説:家康は攻城が苦手→三成は大垣城に籠城
    →三成を野戦に引きずり出すため
  ・ 新説:三成が関ヶ原を決戦の地とした

2023.11.05 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第41回「逆襲の三成」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



■家康暗殺計画
  ◆慶長年中卜斎記
    ・ 慶長4年9月9日に家康が大坂に出仕←暗殺計画
    ・ 増田長盛が家康に伝え失敗
  ◆言経卿記
    ・ 12日:大坂で噂があった
    ・ 13日:騒動になり、完全には静まっていない
  ◆薩藩旧記雑録
    ・ 家康が大坂で政治を行うことに
    ・ 加賀の前田利長に上洛禁止
      →上洛を阻止するため越前に派兵(三成も協力)
    ・ 加藤清正も上洛するな(前田派と見なす)
      →淡路で阻止
■家康、大阪入城
  ◆慶長年中卜斎記
    ・ 家康は暗殺計画を利用して増田長盛邸に移る
    ・ 石田正澄(三成兄)が屋敷を家康に提供
    ・ 北政所が京都に移る→家康が西丸に
■加賀征伐
  ◆古士談話
    ・ 利長は上洛を延期→家康は弁明に来ないので怒る
    ・ 加賀征伐の準備→細川忠興はデマだと弁明
    ・ 家康は利長に使者→利長:謀反の意思はない
    ・ 母を江戸に人質。家康の子に20万石を与える
※ 加賀征伐の存否は一次史料が乏しいので不明


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆直江状真贋論争
  ・ 詰問状への上杉景勝と直江兼続の回答
  +偽文書説…水野伍貴など
    ・ 過激すぎ
    ・ 当時の文書表現にそぐわない
    ・ 返書の日付がおかしい
  +真文書説…今福匡、小和田
    ・ 当時のままの字句ではないが
◆「秀頼」からの「兵糧米」と「軍資金」を受けた家康
  ・ 会津攻めは家康の私戦ではない証拠
◆「内府ちかひの条々」
  ・ 石田三成らが茶々と秀頼に差し出した文書
  ・ 家康の故太閤の法度に背いた行動を13ヶ条に列挙

2023.10.29 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |


タイトルの元ネタはコレw
   ↓   ↓

2023.10.29 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第40回「天下人家康」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



■家康襲撃計画
  ◆当代記
    ・ 縁組問題は省略!
    ・ 石田三成が家康を襲撃するという噂
    ・ 家康、関東から兵を集める+大谷吉継も味方
    ・ 前田利家と和解
      →利家が大坂から伏見の家康に会いに行く
      →家康が利家に会いに行く
    ・ 利家の死
  ◆三河物語
    ・ 秀吉の死→家康は秀頼を盛り立てる
    ・ 諸大名:家康主導の政治に反対→切腹させる
    ・ 家康が伏見から大坂に→暗殺の機会→藤堂高虎が察知
    ・ 高虎が家康を泊め、家康の家臣が警護
    ・ 家康は秀頼と対面→伏見に帰る
■七将襲撃事件
  ◆当代記
    ・ 家康は大坂の向島に逗留→伏見城へ
    ・ 襲撃事件の記述はない
    ・ 三成が失脚、佐和山城で謹慎
    ・ 結城秀康が三成を護衛
  ◆三河物語
    ・ 家康襲撃計画→諸将が家康に味方
      →責任を三成に押し付ける→切腹させる?
    ・ 三成に同情的?
    ・ 三成は佐和山城で隠居
    ・ 三成襲撃の噂→結城秀康が護衛
  ◆慶長年中卜斎記
    ・ 朝鮮出兵の七人衆が秀吉に三成の処罰を求め、却下
        加藤清正、黒田長政、細川忠興、脇坂安治、
        加藤嘉明、福島正則、浅野幸長
    ・ 訴訟を起こす→家康がなだめる
      →三成は家康を討とうとした
    ・ 家康は三成を政治に関与させないと提案
      →七将は納得
    ・ 三成が伏見に向かう→加藤らが鉄砲隊で追跡
    ・ 三成は治部少丸に到着→佐和山城に引退
  ◆慶長見聞書
    ・ 七将:脇坂安治ではなく池田輝政
      →軍監が讒言→切腹させろ!
    ・ 三成:恩賞は軍監ではなく秀吉が決めた
      →七将は激怒→三成を討つ
    ・ 家康がなだめるが、納得せず→襲撃計画
    ・ 佐竹義宣が三成を救出→宇喜多秀家邸
      →伏見の家康


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆家康の積極的な婚姻政策
  ・ 反三成派武将を取り込む
  +婚姻政策:
    ・ 加藤清正、福島正則、黒田長政、蜂須賀家政に養女
    ・ 松平忠輝と伊達政宗の娘
◆七将の三成襲撃事件はあったのか?
  ・ 慶長4(1599)年閏3月3日夜、大阪の三成邸を襲撃
  ・ 七将:加藤清正、黒田、浅野幸長、福島、
      池田輝政、細川忠興、加藤嘉明
    ※ 細川と加藤嘉明ではなく蜂須賀家政と藤堂高虎
  +三成が逃げ込んだのは
    ・ 古い通説:伏見の家康邸に逃げ込む
    ・ 新しい通説:伏見城治部少丸に逃げ込む
  ・ 最新説:襲撃ではなく、五奉行から三成を外す訴訟

2023.10.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第39回「太閤、くたばる」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・ リアルイベント告知
■秀次への詰問
  ◆大かうさまくんきのうち
    ・ 使者:前田玄以、富田一白、増田長盛、石田三成
    ・ 謀反の疑い
■秀次、高野山へ
  ◆大かうさまくんきのうち
    ・ 秀次、伏見に行く→秀吉に会えず
    ・ 高野山青厳寺に滞在
■秀次切腹命令
  ◆甫庵太閤記
    +五奉行:前田、長束正家、石田、増田、浅野長政
      ・ 浅野は蒲生領に出張中…怪しい
      ・ 前田玄以:×徳善院玄以⇔○民部卿法印…怪しい
    ・ 高野山はアジールだが、秀次は例外
    ・ 三使:福島正則、池田秀雄、福原長堯
■秀次の最期
  ◆川角太閤記
    ・ 三使が二使に:福島、池田
    ・ 秀次は龍西堂と将棋
    ・ 秀吉:仲直りしても遺恨→切腹
    ・ 秀次:この将棋は私の勝ち→駒を崩すな
    ・ 秀次は二使を慰労→手紙を書くまで待って
      →福島ら:切腹は急がず、本日中に


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆秀吉が明に示した和平七ヶ条
  +三ヶ条はドラマで
    ・ 明国の皇女を天皇の妃に[1条]
    ・ 朝鮮王子を人質に[5条]
    ・ 朝鮮の南半分を割譲[4条]
  +ドラマに出てこなかった条
    ・ 勘合貿易の復活[2条] ←これが重要
    ・ 互いに誓詞を交わす[3条]
◆酒井忠次の最期
  +家康との関係
    ・ 石川数正とともに「両家老」
    ・ 家康の叔母の夫
  +武功:長篠・設楽原の戦い、小牧・長久手の戦い
  +晩年
    ・ 秀吉から屋敷を与えられる(天正14=1586年)
    ・ 家督を家次に譲る(天正16=1588年)
    ・ 慶長元=1596年没(70歳)

2023.10.15 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第38回「唐入り」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・ 細川重男「鎌倉節の実像を語る」の告知
■朝鮮出兵の動機
  ◆豊臣秀吉譜…林羅山・林守勝(読耕斎)編纂
   ・ 鶴松の死が原因→朝鮮出兵を決意
   ・ 関白を秀次に譲り、太閤となる
■朝鮮出兵構想の芽生え
  ◆伊予小松一柳文書
   ・ 天正13年9月3日 一柳直末(末安)宛書状
   ・ 大垣城:加藤光泰 → 直末
   ・ 光泰は家臣を雇いすぎて、太閤蔵入地も欲しい
     →唐まで領地にしないと…(たとえ話)
■商船出兵構想の具体化
  ◆宗家文書
   +天正15年6月15日…九州平定の完成
     ・ 宗義調、義智父子:朝鮮に行け
       →朝鮮国王が服属しなければ出兵する
     ※国内も朝鮮も同じ理屈
   +天正15年10月14日
     ・ 肥後国一揆…諸将を派遣
     ・ 九州も五畿と同じく支配
     ・ つぎは唐入りだから朝鮮を服属させろ
■秀吉の三国国割構想
  ◆豊太閤三国処置太早計
   ・ 天皇は北京に(周辺10か国を知行、公家にも)
   ・ 明の関白の地位は秀次に(100か国)
   ・ 日本の関白は秀保(秀長婿養子)か宇喜多秀家
   ・ 日本の天皇は若宮か八条殿
   ・ 朝鮮は秀勝(秀次の弟)か宇喜多秀家
   ・ 九州は小早川秀秋


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆秀吉が【唐入り】に踏み切ったのはなぜか?
  ・ 文禄・慶長の役
  ・ 文禄元(1592)年4月 ←鶴松の死:林羅山
  ・ 天正13(1587)年9月3日付秀吉文書から ←関白任官
  +諸説
    ・ 鶴松死亡説
    ・ 名誉欲・征服欲説
    ・ 諸大名の力を弱める説
    ・ 誇大妄想説
    ・ 勘合貿易振興説
    ・ 対外領土獲得説 ←小和田支持
      →恩賞があるから自分について来る
◆家康の側室【阿茶】について
  ・ 飯田直政の娘、神尾忠重の妻…夫の死後側室に
  ・ 於愛の子 長丸(秀忠)と福松(忠吉)を育てる
  ・ 小牧長久手の戦いに参加→懐妊→流産
  ・ 肥前名護屋城にも参加

2023.10.09 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第37回「さらば三河家臣団」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



■淀城築城
  ◆多門院日記 天正17年正月晦日条
   ・ 秀長が築城
■鶴松誕生
  ◆多門院日記 天正17年5月晦日条
   ・ 淀殿が男の子を産む
  ◆御湯殿上日記 天正17年5月28日条
   ・ 秀長:瓜のひげこ2つ…朝廷に贈答
   ・ 菊亭晴季が披露
  ◆言経卿記 天正17年5月27日条
   ・ 秀吉が淀の女房衆に若君誕生
■鶴松誕生祝賀
  ◆御湯殿上日記 天正17年5月28日条
   ・ 朝廷が人を派遣して祝う
  ◆言経卿記 天正17年6月13日条
   ・ 本願寺もお祝いのため顕如の次男 顕尊が上洛
   ・ 山科言経の妻が顕尊の妻の妹
  ◆言経卿記 天正17年6月15日条
   ・ 顕如、教如、顕尊が淀城に行く
   ・ 銀子、金の太刀など
■小田原征伐
  ◆三河物語
   ・ 天正18年3月28日に出兵
   ・ 韮山城を攻める
   ・ 山中城を攻略(大激戦)
   ・ 秀吉本体は足柄峠→石垣山に陣取る
   ・ 小田原城を包囲
   ・ 前田利家と上杉景勝が北条方の城を攻め落とす
   ・ 北条方に裏切り者が出る→落城
   ・ 氏政と氏照は切腹。氏直、氏邦、氏規は助命、追放
   ・ 秀吉:国替えするなら関東へ。家康に任せる→国替え


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆関東惣無事の大役を担わされていた【家康】
  ・ 惣無事…大名同士の戦い=私戦を関白秀吉が禁ずる
  ・ 関東惣無事を家康に担わせる
  ・ 天正15(1587)年11月なのか? 惣無事令なのか?
  ・ 天正16(1588)年5月21日 家康→北条氏政・氏直宛起請文
    →出仕を求める⇔氏政は拒絶:関八州国家
  ・ 家康が旧北条領を与えられる
◆家康の新しい居城を江戸に決めたのは【秀吉】だった⁉
  ・ 通説:江戸を選んだのは家康
  ・ 石川正西聞見集:秀吉が決めた…舟入がある
  ・ 小田原を居城にすることを防ぐ→財力を削がせる

2023.10.09 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第36回「於愛日記」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・今回は創作が多いw
■本多忠勝の娘
  ◆真田家譜
    ・ 徳川方が持ち掛ける
    ・ 真田昌幸が家康に帰属→駿府へ
    ・ 昌幸の長男 信幸の妻に本多忠勝の娘を
    ・ 昌幸は乗る気でない→家康は秀吉に相談
    ・ 家康の養女にして嫁がせる
■徳川と真田
  ◆秀吉書状(天正14年)
    ・ 家康は真田を恨んでいる→秀吉が言い聞かせる
    ・ 秀吉も良くないと思っているが、不問に付す
      →上洛せよ
  ◆上杉家文書(天正14年)
    ・ 家康が上洛しない→秀吉が三河国境に出陣
    ・ 家康が上洛→臣従
    ・ 関東のことは上杉と家康が相談して決める
    ・ 真田、小笠原、木曽は家康の与力に戻す
    ・ 上杉の申し出で真田の討伐はやめる→赦免
    ・ 上杉が真田を庇う→上杉を頼ってきたから
■家康と関東惣無事
  ◆秋田藩家蔵文書(佐竹氏の家臣)
    ・ 関東と奥羽の平定は家康に任せる
    ・ 家康と石田三成の協力関係


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆目の不自由な人の生活を庇護した於愛
  ・ 瞽女や按摩に飲食や衣服の施し
  ・ 静岡市の宝台院…於愛の墓
  ・ 「なおりその記」「駿府風土記」
◆茶々が秀吉の側室となったのはいつか?
  ・ 父 浅井長政、母 お市は秀吉に討たれる
  ・ 天正15(1587)年8月~天正16(1588)年前半
  ・ 妹 初が京極高次に嫁ぐ
  ・ 天正17(1589)年5月27日 鶴松の出産
  ・ 同年正月 淀城の築城…出産のため
  ・ 同年17年12月 父の17回忌、母の7回忌

2023.09.24 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第35回「欲望の怪物」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・ 『動乱の日本戦国史』の告知
■家康と秀吉との対面
  ◆当代記
    ・ 岡崎で旭姫と大政所が対面
    ・ 家康の上洛を秀吉は喜ぶ…刀、脇差、数寄道具
    ・ 家康の下向→大政所の上洛
    ・ 北条親子は不快に思う
  ◆顕如上人貝塚御座所日記…天正14年10月27日
    ・ 家康が秀吉に謁見
    ・ 引出物をもらう
    ・ 秀長主催の能を見る
  ◆家忠日記…天正14年10月晦日条
    ・ 10月26日秀長邸に宿泊…秀吉が家康を訪ねる
      →秀吉は本音を語る→打ち解け→酒盛り
    ・ 27日に正式に謁見
    ・ 11月7日に参内→家康の帰国は?
  ◆改正三河後風土記
    ・ 秀吉が家康に何度も会う
    ・ 家臣にも褒美を与える
    ・ 秀吉に謙って欲しいと頼む
    ・ 陣羽織の逸話(大坂ではなく京都)
      →秀長に頼まれて台本どおりに演じる
・ 薪の話は第二部で
・ 唐入りの伏線
・ 井伊直政が大政所に気に入られる話も第二部で


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆家康 大坂城へ…天正14(1586)年10月
  ・ 大政所:13日京都発→18日岡崎到着
  ・ 家康:20日岡崎発→京都茶屋四郎次郎邸
    →26日秀長邸泊→秀吉が来る
  ・ 27日 家康は秀吉に臣従
  ・ 三成との出会いは不明
◆沼田問題とは?
  ・ 真田昌幸と信幸が駿府を訪ねる
  ・ 昌幸:武田氏→北条氏→家康
  ・ 天正12(1584)年 小牧長久手の戦い…家康の信濃経営が手薄
    →信濃小県郡の統一、沼田領の防衛力強化
  ・ 天正13(1585)年4月 家康:北条氏との和睦条件を履行
    →沼田領を北条氏に…昌幸は反発

2023.09.19 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第34回「豊臣の花嫁」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・ 来月のゲスト会の告知
■秀吉との和睦
  ◆当代記
    ・ 天正14年1月27日、家康と織田信雄が岡崎城で会見
  ◆顕如上人貝塚御座所日記
    ・ 秀吉が家康を討伐→信雄が三河に仲裁に行く
■家康の上洛
  ◆当代記
    ・ 秀吉の妹が家康に嫁ぐ
    ・ 上洛しなければ妹を戻して戦争だ
    ・ 大政所を人質にして上洛
    ・ 10月に上洛←11月に正親町天皇の譲位
  ◆顕如上人貝塚御座所日記
    ・ 恨みはあったが、上洛することに
    ・ 大政所が人質として三河に下る
■秀吉への臣従
  ◆三河物語
    ・ 秀吉:信雄と和解→家康とも
    ・ 家康:信雄がOKなら秀吉と和睦する
    ・ 妹を嫁がせる→上洛
    ・ 上洛に家臣(酒井忠次など)が反対
    ・ 家康が説得:大戦になって人々を苦しめる
    ・ 秀吉が大政所を人質に→井伊直政と大久保忠世
    ・ 家康が殺されたら、大政所は殺すが、旭は殺すな
    ・ 家康は無事に帰って来る
・ 来週は放送がないのでお休み


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆天正地震
  ・ 天正13年(1585年)11月29日
  ・ 『家忠日記』の記述
  ・ 山内一豊の娘が犠牲
  ・ 大垣城の倒壊…秀吉による家康討伐が不可能に
  ・ 織田信雄の仲介で和睦
◆秀吉の妹 旭(朝日)
  ・ 当時44歳(家康は45歳)
  ・ 前夫は不詳:佐治日向守?副田甚兵衛?
  ・ 浜松城で婚儀
  ・ 大政所が人質→家康の臣従

2023.09.03 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第33回「裏切り者」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



■秀吉との和睦
  ◆当代記
    ・ 家康の援軍が着く前に織田信雄が秀吉と和睦
      →家康も和睦
    ・ 秀康を秀吉の養子に
  ◆伊木忠次宛羽柴秀吉書状
    ・ 伊勢で長島、桑名に攻め込む→信雄が降参
    ・ 信雄と家老等が人質を出す
      →領地を安堵、城の破却
    ・ 家康も降参を申し出る→許せない
    ・ 秀康を人質に出す+信雄もとりなす
    ・ 思案が定まらない
■第一次上田城合戦
  ◆三河物語
    ・ 天正壬午の乱→和睦:沼田領は北条方に
    ・ 真田昌幸:沼田は自力で手に入れた領地
      +恩賞もくれない→離反して羽柴方に
    ・ 上田攻め:鳥居元忠、平岩親吉、大久保忠世ら
    ・ 城を放火しなかったから負けた
    ・ 徳川軍の敗走の中、大久保忠教の奮戦


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆秀吉の関白任官
  ・ 全国の武士を統括する役職に就いていない
  ・ 朝廷が信長に「三式推任」太政大臣、関白、征夷大将軍
    →本能寺の変
  ・ 秀吉:平姓…太政大臣
    →足利義昭の猶子…征夷大将軍 ×
    →藤原姓…関白
◆上田合戦の顚末
  ・ 天正壬午の乱:真田昌幸…徳川方
  ・ 上田城築城→沼田領の返還を拒否
  ・ 上杉景勝に接近…信繫を人質
  ・ 第一次上田合戦…徳川方の惨敗
  ・ 石川数正の出奔

2023.08.27 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第32回「小牧長久手の激闘」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・ 榊原康政の檄文…秀吉は康政を賞金首にする
■羽黒の戦い
  ◆当代記
    ・ 森長可の敗北
    ・ 奥平信昌(1000)が攻撃、長可(3000)が退却
    ・ 遺言状を書く
    ・ 末弟は大名にしない。娘は武士に嫁がせない
■小牧・長久手の戦い
  ◆当代記
    ・ 池田恒興、森長可、堀秀政、三好秀次…3万
    ・ 池田…岩崎城を攻め落とす
    ・ 徳川軍が堀、秀次を攻撃
    ・ 家康が出陣。池田と森が戦死
    ・ 秀吉も出陣するが、家康は小幡城に退却
  ◆兼見卿記
    ・ 熱田のあたりで合戦。秀吉側が敗れる
    ・ 池田親子、森が討死。雑兵も
    ・ 秀吉は無事だが、京都は大騒ぎ
  ◆家忠日記
    ・ 岩崎方面で合戦
    ・ 池田親子、森を討ち取る
    ・ 酒井忠次は小牧山城の留守
  ◆三河物語
    ・ 小牧山城…柵がない
    ・ 秀吉側の城を攻め、釘付けにする
    ・ 三河中入り策…秀次、池田、森、堀ら3万
    ・ 秀吉軍が岩崎城を攻め取る
    ・ 榊原らが秀次と戦い破る
    ・ 堀がバラバラに追うが、反撃される
    ・ 家康は旗本衆と井伊とともに池田、森と戦う
    ・ 池田と森は戦死。3万は総崩れで討ち取られる
    ・ 家康は素早く撤退
    ・ 秀吉は敗戦を知り出陣するが、打つ手なし


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆榊原康政の檄文
  ・ 秀吉を怒らせて戦場に引きずり出す
  ・ 秀吉は「草莱」=雑草
◆徳川四天王
  ・ 四天王…仏法を守護する武神
  ・ 酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直正
  ・ いつ定まったか不明
  ・ 同列に扱うべきではない
◆羽柴秀次
  ・ 長久手の戦いの総大将
  ・ 秀吉の甥(姉の子)
  ・ 宮部継潤(浅井長政の家臣)の養子(人質?)
  ・ 阿波の三好康長の養子

2023.08.20 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第31回「史上最大の決戦」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・ 決戦は次回
・ 織田信雄の無能キャラw
■信雄、三家老を処刑
  ◆兼見卿記
    ・ 織田信雄が岡田重孝、津川義冬に切腹を命じる
    ・ 羽柴秀吉の付家老→怒る
  ◆家忠日記
    ・ 酒井忠次から:信雄が岡田と津川を殺した
    ・ 家康と信雄が示し合わせる
    ・ 家康は岡崎まで来ている
■家康と信雄との提携
  ◆三河物語
    ・ 秀吉が信雄を切腹させようとしていた
    ・ 信雄が家康に助けを求める
    ・ 秀吉は長田忠致のように信孝を殺した
    ・ 信雄を盛り立てるかと思ったら殺そうとした
    ・ 秀吉は10万で犬山城に進出。家康は小牧山を占領
  ◆小牧御陣長湫御合戦記
    ・ 秀吉に攻められ、信雄が家康らに助けを求める
    ・ 家康は清須城で信雄と対面
    ・ 池田恒興は、味方するはずが、秀吉の甘言で裏切る
    ・ 森長可、堀秀政も秀吉側に
    ・ 信雄も池田、森、堀に調略されるが、家康に説得される
    ・ 犬山城を池田が乗っ取る→小牧山付近を放火
    ・ 家康、信雄は清須で軍議→小牧山で迎え撃つ
    ・ 榊原康政を進出させるが、本多康重が諫める
    ・ 酒井忠次が偵察に行く→小牧山を占領


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆初花肩衝
  ・ 茶器:家康が秀吉に贈る
  ・ 賤ケ岳の戦いの戦勝祝い
  ・ 御物・名物:三大肩衝
  ・ 織田信忠→松平念誓→家康
  ・ 秀吉は茶会に用いた
◆森長可
  ・ 森可成の子、蘭丸らの兄、池田恒興の女婿
  ・ 海津城主→本能寺の変→美濃兼山城
  ・ 秀吉陣営→犬山城を奪う→羽黒の陣で敗北
  ・ 遺書を書く
◆池田恒興
  ・三河中入り作戦→小牧長久手の戦い

2023.08.13 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ドラマ「どうする家康」第30回「新たなる覇者」の解説。

【呉座勇一解説】
 中世史研究者の呉座勇一氏と日本美術史研究者の春木晶子氏のYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」で呉座氏が解説。



・賤ケ岳の戦い→北ノ庄城落城:数日…救援は無理
■清須会議…『川角太閤記』の影響大
  ◆惟任退治記
    ・ 三法師…岐阜城→清須城
    ・ 三法師(秀信)を天下(五畿内)の主
    ・ 信雄…伊勢+尾張、信孝…美濃
    ・ 羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興が政務
  ◆天正15年10月18日豊臣秀吉書状
    ・ 信孝と信雄が名代の地位を争う…家督は三法師
    ・ 名代は立てないと決定→信孝、信雄は合意
    ・ 三法師は岐阜城の信孝へ
  ◆多門院日記
    ・ 信雄と信孝の対立
    ・ 秀吉、勝家、長秀、恒興、堀秀政が領国の配分を決める
    ・ 名代を立てない
    ・ 織田信包…伊賀(誤)、勝家…長浜一円、秀政…安土周辺、
      長秀…高島郡志賀郡、恒興…河内、
      秀吉…山城・丹波など、筒井順慶…大和
  ◆まとめ
    ・ 名代は立てない
    ・ 5人の集団指導体制
    ・ 秀吉シンパ(恒興、秀政)が5人に入る
  ◆イエズス会日本報告集
  ◆塚本文書
    ・ 4人の連名で恩賞を与える


【小和田哲男解説】
 「戦国・小和田チャンネル」での小和田解説。



◆清須会議
  ・ 目的:織田家の家督/信長の遺領配分
  ・ 出席者:柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興
    堀秀政は書記役? 滝川一益は入っていない
  ・ 家督は三法師(秀信)
  ・ 市と勝家の結婚
◆「武田遺臣」のかなりが「井伊直政配下」に
  ・ 天正壬午の乱…旧武田遺領をめぐる戦い
  ・ 武田遺臣の1割
  ・ 黒駒の戦い(笛吹市)…徳川の勝利→和議
  ・ 督姫が北条氏直の妻に
◆「賤ヶ岳の戦い」から「北ノ庄城の戦い」へ
  ・ 前田利家の戦線離脱→柴田軍の敗北
  ・ 利家による北ノ庄城攻撃

2023.08.06 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |