FC2ブログ


相手の戦力や兵站を軽視した無謀な戦いで甚大な死傷者を出し、旧日本軍の体質を象徴的に示したとされる「インパール作戦」。「援蒋ルート」の遮断を主目的とし、ミャンマー(当時ビルマ)からイギリス軍の拠点があったインド北東部のインパールの攻略を目指した日本軍は、この作戦で歴史的敗北を喫した。餓死・戦病死した日本兵の死屍累々が並んだ道が「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨な戦いの実態はどのようなものだったのか。これまでインドとミャンマーの国境地帯は戦後長く未踏の地だったが、今回、両政府との長年の交渉の末に現地取材が可能となった。さらに、新たに見つかった一次資料や作戦を指揮した将官の肉声テープなどから「陸軍史上最悪」とされる作戦の全貌が浮かび上がってきた。数々のスクープ映像と新資料、証言からなる「インパール作戦」の全記録は、決して忘却してはならない悲劇の記憶を、未来へと継承していく。

2017年8月15日(火)
戦慄の記録インパール

アジア・太平洋戦争で数々の無謀な戦いをしてきた旧日本軍。その中でも究極的に無謀だったのがインパール作戦だ。

「5000人殺せば敵陣地が取れる」というビルマ方面軍首脳の言葉を聞いた青年将校は、敵を5000人殺せば敵陣地を奪えると思っていたら、味方が5000人死ねば敵陣地が落とせるという意味だと知り、愕然となる。それが人命軽視のインパール作戦。

2019.08.24 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

1年前にこの番組を見てむちゃくちゃ不愉快になったが、再び見てもやっぱり不愉快になった。



79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちはその後復帰させ、同じ失敗を重ねていった。

今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。映像と証言から迫る。

2018年8月15日(水)
ノモンハン 責任なき戦い

辻政信、コイツの悪事はこれだけじゃない。シンガポールでの華僑虐殺やフィリピンでの捕虜虐殺偽命令にかかわり、ポートモレスビー作戦やガダルカナル島の戦いでムチャな作戦を立て自国将兵を多数死に追いやった。敗戦とともに逃亡し、戦争犯罪から逃れた。ちなみに、シンガポールでは虐殺に反対した指揮官が責任を取らされて処刑され、フィリピンでも「死の行進」の責任を取らされて指揮官が処刑された。主権回復とともに、舞い戻り、本を出版したり、政治家になったが、1962年に東南アジアで失踪した。

2019.08.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |


山崎雅弘氏にイチャモンつけてるネトウヨ氏

>(ねる・ω・おし)🌏

このハンドルネームだけは使わんで欲しい。w

このネトウヨ氏のツイートにリプライした人の反応。


ホントこれなのよ。

以前、能川元一氏にイチャモンつけてたネトウヨに「ここに書いてあるぞ」って紹介したら、逆に突っかかって来られてエラク迷惑したことがあった。

あんまり不勉強なんで、ネットで読める南京事件の史料を示して、自分で読めよ!って言ったら、「読めるか!こんなもん!」ってキレていた。戦前の公文書って、漢字かな交じり文の「かな」がカタカナで「漢字」が旧漢字なんだけど、それだけで読めなくなるんだなと感心した。

推しメンは勉強家なのに、ヲタが不勉強って…。(ねる・ω・おし)🌏名乗るんなら、もっと勉強して欲しい。w

2019.08.06 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

先日、某動画サイトにアップされていた大河ドラマ「元禄太平記」(1975年)の総集編を見た。柳沢吉保を石坂浩二、大石良雄(内蔵助)を江守徹が演じていた。


柳沢吉保役の石坂浩二


徳川綱吉役は芦田伸介


大石内蔵助役の江守徹


討ち入りのシーン


吉保の甥・柳沢兵庫役の竹脇無我


オモシロかったのは、赤穂事件(忠臣蔵)塩田原因説というのがあって、大河ドラマ「峠の群像」(1982年)で堺屋太一あたりが広めたわけだが、「元禄太平記」も塩田経営が原因とされていた。

続きを読む

2019.05.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



…という保立直久氏のツイートを読んで、実際、「100分で名著 平家物語」を見てみたが、フツーにあれくらいの解説は必要と思った。

第2回 驕れる者久しからず

そもそも「100分で名著」って、その著作物を読んだことがない人のための番組なんだから、「平家物語」をまるで知らない人を対象にして番組づくりをしていると思う。源頼政って、「日本史B」の教科書11冊中10冊に出てくるけれど、頼朝や義経ほどの有名人ではない。以仁王に令旨を出させて源平合戦のきっかけをつくった人って感じだ。

続きを読む

2019.05.16 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(2) |



皇紀によると、神武天皇の即位は紀元前660年になる。今の時代区分だと弥生中期(の中葉)、昔の時代区分だと縄文晩期。w

『後漢書』の光武帝が倭奴国に金印を授けた記述が西暦57年、倭国王帥升等、生口=奴隷160人を献じの記述が107年、『魏志』で邪馬台国の卑弥呼が魏に遣いをよこしたのが238年。

だから、明らかにフィクション。

このフィクションは、中国で王朝が交代するのは辛酉(かのととり)という「辛酉革命」によってつくられたとする説が有力である。どんだけ中国の影響、大きいんだよ。w


皇位を象徴する「三種の神器」だが、南北朝時代になると、これがないと天皇でない!と皇位そのものよりエラクなってしまう。まさに、フェティシズム(物神崇拝)。w

「三種の神器」については尋ねてはいけないことがけっこうある。宝剣は、壇ノ浦の合戦で海に沈んで、行方不明じゃないんですか?等。w

これによると、沈んだのは「分身」だそうだ。w
   ↓   ↓

2019.05.02 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |


地中海性気候では、冬に雨が多く、夏に乾燥するので、秋に種まきして、春先に花が咲き、初夏に実がなる植物が多い。主食となる小麦、大麦もその仲間。



地中海式農業は、種まきは「秋」、収穫は「初夏」となる。



ちなみに、ドイツやロシアのような寒い地域では、種まきは「春」で、収穫が「初夏」となる(春まき小麦)。

ボーっと生きてんじゃねぇよ!(爆)

2019.02.16 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



「かんざらしに恋して」で、桐畑瑞樹(貫地谷しほり)に銀流の味を伝えた小野寺千草(樫山文枝)の息子アキオは、八田健一(遠藤憲一)の親友でもあるが、1991年6月3日に発生した雲仙普賢岳の大火砕流で亡くなったことになっており、アキオの死によって千草は銀流をやめた。



この火砕流で43名の死者・行方不明者と9名の負傷者が出た。

・報道関係者16名(アルバイト学生含む)
・火山学者3名(いずれも外国人)
・消防団員12名
・タクシー運転手4名(報道関係者の避難のため駐車中)
・警察官2名(避難誘導のためパトカーで来ていた)
・作業員2名(市議会選挙ポスター掲示板を撤去作業中)
・住民4名(葉タバコ収穫中)

火砕流の映像を撮るため報道関係者が無理をし、それで消防団員や警察官が犠牲になったとするネット記事があるが、気をつけて欲しいのは、選挙ポスターの掲示板の撤去作業中の作業員と葉タバコ収穫中の住民も犠牲になっていることだ。

これは行政が、罰則規定のない避難勧告は出したが、罰則規定のある警戒区域設定をしていなかったからだ。その背景には、火山学者が、パニックを恐れ、火砕流が発生していることを公にしなかったことがあった。

当時の報道を伝える動画があった。現代と異なり、遺体や負傷者の映像も出てくるので、嫌な人は見ないで欲しい。



オイラが見た気道熱傷を負った消防団員が倒れてうめき声をあげている映像があった(9:15~)。

2019.02.09 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |


『観応の擾乱』(中公新書、2017年)の著者・亀田俊和氏がかなりのドルヲタであることを知ってしまった。w

かとれな(加藤玲奈)が好みなのか、ちょくちょくリツィートしている。w


たぬたぬとか…


りさ様とか…


たぬたぬとりさ様が好きなら、ひなのなの!も好きかと…。w



この会話が…。wwwww

本郷和人氏といい、亀田氏といい、日本中世史研究者はドルヲタが多いのか?(爆)

2019.01.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ファンは、来年の大河「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」はないことにして、再来年の大河「麒麟がくる」に話題が移っている。w




続きを読む

2018.11.23 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

日本の「自己責任論」の起源は江戸時代までさかのぼるという議論。



この手の議論で違和感を感じるのは、世界史的に見ても、社会保障が、「救貧」から「防貧」に変わったのが1880年代のビスマルクの社会保険で、「自己責任」から「社会全体の問題」になったのが1942年の「ベバリッジ報告」だということ(以下参照)。





江戸時代は、差別が当たり前の身分制社会であり、武士が支配する封建国家なのだから、社会保障がないのがアタリマエ。救恤(困っている人を助けること)は権威主義的・温情主義的に行われたであろうことは想像できる。エリザベス救貧法だって、失業者は「怠け者」だから、働ける者は強制労働させられ、働けない者だけ最低限の生活を保障するというものだった。

「自己責任論」が問題なのは、人々が平等とされる市民社会で、生存権が保障されている福祉国家で、このような議論がなされていること。

2018.11.20 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

まさかのオジゴねた開陳…。w


下の「鳥羽天皇関係系図」を見てもらうとわかるんだけど、鳥羽天皇は白河天皇の孫にあたり、崇徳天皇はひ孫にあたる。



ところが、崇徳の母・待賢門院(藤原璋子)は、藤原公実の子であるが、白河の養女として育てられ、鳥羽に入内した。『故事談』によると、養女となっている間に白河と男女の間柄になり、それを鳥羽に押し付けたが、生まれた子=崇徳は白河の子ということになっている。鳥羽から見たら、祖父の子どもであるから「叔父」なのに、自分の「子」とされているから、「オジゴ(叔父子)」と呼んで嫌っていたという話なのだ。

この話、和歌森太郎[著]・カゴ直利[絵]『学習漫画 日本の歴史』(集英社、1968年)の(おそらく)4巻「源氏と平家の戦い 鎌倉時代」で読んだことがある。もちろん、小学生相手に上記の話を書くわけにはいかないので、ずっと、なんで「オジゴ」と呼ばれているのか、さっぱりわからなかった。大人になって、安田元久[著]『日本の歴史 7 院政と平氏』(小学館、1974年)を読んだら、説明が載っていて、「そうだったのか!」と膝を打った(池上彰ふう)。←ウソ

白河にかんしては、崇徳だけでなく、平清盛も落胤であるという話があるだけでなく、側近とも男色関係があるなど、性的に奔放だったらしい。w


「英雄色を好む」などといわれているが、天智天皇(中大兄皇子)が弟・天武天皇(大海人皇子)と額田王を争った話は有名だ。しかし、それだけでなく、叔父・孝徳天皇の皇后である実の妹(間人皇女)とデキてしまい、間人に捨てられた孝徳がそのことを恨んだ歌を残している。天智が母・斉明(皇極)天皇の死後も長らく皇太子のままで政治を執っていたのは、間人との関係が続いていたからで、間人の死後、皇位についた。

あと、こっちは藤原不比等が天智の落胤という説がある。『竹取物語』に出てくる「車持皇子」は不比等がモデルといわれており、不比等の母が庫持氏で、父が天智だったから「皇子」がついたらしい。w

2018.11.18 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

百田尚樹氏の『日本国紀』がクソなのは事実だが、内容がぜんぶマチガッテいるわけでもない。



荻原重秀が「信用貨幣論者」であったことは、日本近世史ではかなり前から主張されている。

※ 貨幣と通貨は、厳密には違うが、ここでは同じ意味で使う。

驚くべきことに、彼は当時、「本来、お金というのは何でもいいわけで、瓦でもいいのだ」といっている。考えてみれば、お金というのは不思議なもので、それを出している国に対する信頼と、皆がそれをお金と信じて使うかどうかということ、この二つの条件さえ整えばどんなものでもいいのである。現に我々もただの紙切れをお金と信じて使っている。そういう「通貨の本質」を最初に見抜いて通貨政策に応用したのが、荻原重秀だった。

大石慎三郎[著]『将軍と側用人の政治』(講談社現代新書、1995年) 92~98ページ。

また、鋳造貨幣(金貨・銀貨・銅貨)と信用貨幣(紙幣・手形・小切手)の違いと、本位貨幣(価値が一定量の金属と関係づけられた貨幣)であるか否かには直接関係はない。金(銀)本位制では、金(銀)と紙幣の交換が保証された紙幣(兌換紙幣)が発行されていた。逆に、鋳造貨幣が使用されていても、その額面が実際に含まれている金属の価値と大きく異なっていれば、不換紙幣と同じである。500円玉は鋳造貨幣(銅合金=ニッケル黄銅)であるが、今の日本は銅本位制ではない。

そもそも論として、ケインズは信用貨幣論者ではあるが、彼以前から信用貨幣は存在しており、荻原重秀がケインズ理論のような財政・金融政策を実施したわけでもないので、「ケインズの先駆」と書くのは不適切である。また、金(銀)本位制は(兌換)紙幣の発行を前提としているので、鋳造貨幣を使っている段階で金銀本位制うんぬんというのもオカシナ話で、議論に混乱を招いたのも百田氏の責任である。

《荻原重秀は「実物貨幣(物質そのものに価値がある貨幣)」から「名目貨幣(実用的な価値はなく、法律で価値を付与した貨幣)」に移行させた》くらいの表現がいちばん混乱しないと思う。

2018.11.14 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



   ♪あっちを立てる気もないし
     こっちを立てる気だってまるでない





アンビバレント / 欅坂46


百田尚樹、愉快なヤツ。w

2018.11.13 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



BSテレ東で放送している「天下騒乱 ―徳川三代の陰謀」がけっこうオモシロイのでビデオに録って見ている。まあ、もうすぐオシマイなんだけど…。w

新春ワイド時代劇 天下騒乱~徳川三代の陰謀:テレビ東京

土井利勝(西田敏行)、荒木又右衛門(村上弘明)、柳生十兵衛(中村獅童)の3人が主人公で、徳川家康の死(1616年)から鍵屋ノ辻の決闘(1638年)をあつかう。

土井利勝が徳川家康(山崎努)の隠し子だとか、2代将軍秀忠(山下真司)の妻・お江代(かたせ梨乃)が、家光(池内博之)を排除して、忠長(海東 健)を将軍につけたくて「天下騒乱」の陰謀をめぐらすなど、フィクションだらけなんだけど、それはそれでオモシロイ。

ちなみに、前半をほぼ見逃したので、後半の鍵屋ノ辻の決闘に至る部分しか見ていない。

続きを読む

2018.11.08 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

社会学者の倉橋耕平氏が2018年10月24日の『朝日新聞』の「耕論」に下記の記事を書いた。



これを読んで激高したよしりんがつぎにようなブログ記事を書いた。

漫画家をなめてるエセ学者・倉橋耕平

続きを読む

2018.10.26 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



朝ドラ「まんぷく」の主人公の夫が憲兵隊から受けた拷問はデッチアゲだとネトウヨがツイートしているらしい。

事実だと反論している人が当然現れた。


オイラは、今年6月に亡くなった日高六郎の『戦後思想を考える』(岩波新書、1980年)を読んでいたので、もっと酷いことが行われていたことを知っている。哲学者・三木清を疥癬に感染させて殺したことだ。

以下の文章はそのことについて書かれた同書の部分(1~5ページ)である。

続きを読む

2018.10.23 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



南堂ちゃんがこの記事

NHK の地震番組 MEGAQUAKE

のコメント欄で

 2011年の地震では、仙台の地下街が水没したという報道がなかったので、不思議に思っていたが、事実が判明した。

> 仙台駅は国内の大都市圏のなかでは例外的に地下街がない(地下通路はある)。
  → http://j.mp/2OtxJjN

 そうだったのか。仙台は幸運だった。
 他の都市では、そうは行くまい。

などと書いていたので、

地下街の有無とは関係なく、海岸線から10km内陸で、標高36メートルの仙台駅には津波は来ない。

津波は、名取川から広瀬川を遡ったが、海から約10kmで標高9mの東北本線鉄橋まで到達しなかった。

とコメントしておいた。オカシナ反論があるかと思ったら、素直に認めたので、逆に驚いた。w

実際には、もっと下流の国道4号線(仙台バイパス)の千代(せんだい)大橋までしか到達しなかったわけだが…。

浸水範囲概況図13(PDF 1.8MB)

仙台藩の城下町・仙台もそうだけど、古代の陸奥国府・多賀城も標高が高く(30m)、大津波を想定していたように思える。実際に貞観地震の津波は多賀城には到達しなかったわけだから…。

陸奥国府が多賀城に移る前の郡山遺跡は標高10mくらいで、東日本大震災の津波は避けられたが、もっと大きな津波だと危なかったかもしれない。

この遺跡のさらに内陸にある蛸薬師堂(仙台市太白区長町)は、1611年の慶長三陸地震の大津波で「観音様に蛸がついてこの地に打ち上げられた」との伝説がある。

蛸薬師堂の言い伝え

ただし、名取川から広瀬川を上ってきた津波が、瑞鳳殿付近で蛇行する河道に阻まれ、それ以上進めずに溢れ出したのかもしれない。

貞観地震の津波での末の松山については

末の松山浪こさじ

で簡単に書いたが、もっとくわしい記事が

セフティ 臨時号 東日本大震災 p.12

にある。

これには慶長三陸地震の波切不動堂(仙台市宮城野区榴ヶ岡)、念佛田と波凪(仙台市宮城野区岡田)、浪分神社(仙台市若林区霞目)についての記事もある。蛸薬師堂については載っていないが…。

2018.08.02 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

「女王 未央」の主人公・李未央(馮心児)のモデルとされているのは、文成帝の皇后となった文成文明皇后(馮皇后)である。

このドラマ、未央は、李常茹や李長楽の陰謀によって何度も殺されそうになり、そのたびに濡れ衣を晴らすのだが、何度もそうなるので、いいかげん周りも気付けよ!とツッコミを入れたくなる。w

しかも、モデルがいるんだけれども、史実はまったく違う展開なので、そちらからもいろいろツッコミを入れたくなる。

最大のツッコミどころは、拓跋濬は452年に皇帝となるのだが、そのときの年齢が満年齢で12歳。



12歳には見えない。w

馮皇后にいたっては10歳だった。



10歳には見えない。wwwww

このドラマの本筋部分は、史実だと、主人公の2人とは関係なしに展開するのだ。

続きを読む

2018.06.24 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

以前、書いたBS12の

王女未央

がいよいよクライマックスなんだが…。

李未央(馮心児)を演じるティファニー・タン



が、乃木坂46の白石麻衣に似ていたり(正確には白石麻衣が似ているんだがw)、南安王・拓跋余を演じるヴァネス・ウーが



長谷川博己に似てたりして、べつな意味で楽しめる。w

どーでも(・∀・)イイ!!ことだけど、中国の南北朝時代(5世紀)にドレッドヘアーってイミフなんだが…。wwwww

続きを読む

2018.06.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |