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渋沢栄一は最初から全国区だろ!wwwww



それが証拠に、渋沢栄一記念財団は東京都北区にある!w

公益財団法人 渋沢栄一記念財団

渋沢栄一は、すべて(11冊)の高校「日本史B」の教科書に、7冊ある高校「日本史A」の教科書のうち5冊に載っている。日本史上の有名人なんだが…w

2021.02.17 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

2月14日(日)から新しい大河ドラマ「青天を衝け」が始まる。渋沢栄一が主人公なので、旧古河庭園があるというだけで、北区がめちゃめちゃ推しててワラタ



渋沢(↑)を吉沢亮(↓)が演じるのだが、どう見てもブサメンwをイケメンが演じる不自然さは否めない。



後述するが、渋沢の生家には等身大パネルが設置されており、吉沢亮を見て来てしまった人はさぞかし落胆するであろう。w

しかし、笑えるのは顔だけではない!こと…

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2021.02.10 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

2月7日(日)夜放送のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回、1時間で本能寺の変→山崎の合戦→明智光秀の死までやるのか?と思っていたら、山崎の合戦も光秀の死もやらず、トホホだったw

下の動画は、1996年8月25日に放送された大河ドラマ「秀吉」第33話「光秀の首」での光秀の最期である。


光秀を村上弘明、重臣の溝尾庄兵衛を今福将雄、石川五右衛門を赤井英和、その妻おたきを涼風真世が演じている。ちなみに、「秀吉」では、五右衛門と秀吉は幼馴染みという設定になっていて、秀吉といっしょに織田家に仕官して足軽になった。「がんまく」はそのときの名前。

光秀の最期に五右衛門と妻が居合わせ、金粉?を撒いて残党狩りの農民を追い払い、重傷を負った庄兵衛を助け、光秀の首を妻・煕子に届けるという話だ。

ちなみに、「秀吉」では、本能寺の変→山崎の合戦→光秀の最期まで5回(第29~33回)もかけてるぜ!

ホントは「国盗り物語」の近藤正臣演じる明智光秀の最期にしたかったんだけど、動画が削除されていた。orz

光秀が信長にボコられるシーンがあったので貼っておくw


光秀「殺してやる!」wwwww

2021.02.10 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

YAHOO!ニュースに載っていたこの記事…

嘘でつくられた歴史で町おこし 200年前のフェイク「椿井文書」に困惑する人たち

大阪府枚方市と交野市が「七夕伝説」で町おこししているが、その根拠となった「椿井文書」にかんする記事だw

椿井政隆、近江(滋賀県)でも大暴れしてたんだなw

米原市にも「天野川」があってそれを元に「七夕伝説」をデッチアゲタようだ。どんだけ「七夕伝説」好きなんだよw

ちなみに、枚方市の「七夕伝説」と椿井文書にかんする記事はコチラw

枚方市の七夕伝説は偽史

偽文書・椿井文書


リンクがキレてたら…

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2021.02.06 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

今年もやるんだ!wwwww


安定の山崎怜奈!wwwww

しかも、「乃木坂46」って書いてないぞ!w


まあ、一般的だよねwwwww

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2020.12.27 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

「戦国・小和田チャンネル」の大河ドラマ「麒麟がくる」解説。

第33回「比叡山に棲む魔物」



いよいよ、浅井・朝倉連合軍、三好三人衆の軍勢といった武士勢力だけでなく、各地の一向一揆や比叡山延暦寺など、宗教勢力との戦いの場面が出てきます。今回は主として、比叡山との関係について、お話しいたします。

・明智光秀は織田信長の命令に忠実であった

・焼き討ちに遭ったのは延暦寺の一部であった


第34回「焼討ちの代償」



元亀2年(1571)年の比叡山焼き討ちの一番の功労者は光秀でしたので、光秀は信長より志賀郡という一つの郡を所領として与えられ、同じ年に坂本城築城を開始しました。これまで、信長家臣で城を任され、城主となった者はすでに何人もいましたが、城の所在する知行地、すなわち「城付知行」を与えられたのは光秀が初めてだったと考えられています。今回は、このあたりの経緯を少し補足いたします。

また、ドラマで松永久秀が易をやっているのをみて「おや?」と思われた方がいらっしゃたかもしれませんので、戦国武将と易の関係についても少し補足説明いたします。

・信長の部将の中で城と一郡を与えられたのは光秀が初めて

・戦国武将は筮竹で戦いを占っていた

2020.12.01 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

「文化講演会」呉座勇一「陰謀の日本中世史―本能寺の変を考える」(2019年9月23日@NHK文化センター青山教室)



◎「本能寺の変」の謎:明智光秀の謀反の動機がわからない

1.怨恨説…織田信長の仕打ちに光秀がキレた
 (1)丹波八上城攻めで母親を殺された
 (2)徳川家康接待時の叱責
 (3)斎藤利三を家臣にしたことへの稲葉一鉄の苦情
 (4)武田攻めでの言動に信長が激怒
 (5)山陰への国替え
  ⇔いずれも史実なのか疑問

2.野望説…光秀も天下を欲しかった
 (1)高柳光寿『明智光秀』(1958)
  ◆愛宕百韻「時は今雨が下しる五月哉」
 (2)桑田忠親の批判…怨恨説
  ◆ルイス・フロイス『日本史』…信長が光秀を足蹴
  …光秀は秀吉・家康より劣る?←結果論

3.黒幕説…光秀に信長を討てと使嗾した者がいる
 (1)朝廷黒幕説…桐野作人、立花京子など
  ◆信長と正親町天皇が対立していた
  ◆信長の自己神格化
 (2)信長と朝廷が対立していたのか?
  ◆馬揃えはお祭り
  ◆天皇の譲位にはお金がかかる⇔お金がない
  ◆信長の神格化…ルイス・フロイスしか記述がない
  ◆朝廷に反信長勢力はホントにいた?
 (3)足利義昭黒幕説…藤田達生
  ◆義昭を奉じて上杉氏、長宗我部氏らと同盟する
  ⇔義昭の影響力は衰えて無視されていた
 (4)黒幕説の前提…事前に謀反を計画していた ←ホント?
  ◆事前準備は不可能…突発的な謀反

4.四国政策説…長宗我部氏と連合 → 長宗我部氏の領地を削減
  ◆光秀は板挟み → 光秀は失脚?
  ◆光秀は67歳?(従来は55歳説)…粛清の対象?

5.黒幕説の人気…信長神話
  ◆信長=天才を光秀=秀才は倒せないはず
  ⇔信長は裏切りを察知する能力が低い

2020.10.20 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



不覚にも知らなかった豊臣秀吉が最晩年に築かせた「京都新城」orz







豊臣秀吉最後の城、幻の「京都新城」跡が京都仙洞御所から初出土 石垣や金箔瓦も


リンクがキレてたら…

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2020.10.19 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



大河ドラマ「麒麟がくる」で細川藤孝役の眞島秀和さんが「あさイチ」に出たのだが、見られなかったので、「戦国・小和田チャンネル」で細川藤孝の出自にかんする説明を見た。


NHK大河ドラマ「麒麟がくる」においても、細川藤孝は足利義昭の側近として重要な役で出てきています(演じているのは眞島秀和さん)。その出自について、従来は、第12代将軍足利義晴の側近三淵晴員の2男として生まれ、義晴の命によって、和泉半国守護の細川元常の養子になったとされてきました。ところが、養父は細川元常ではなく細川晴広だという新説が発表され、納得のいく説だと考えています。

司馬遼太郎の『国盗り物語』だと、12代将軍・足利義晴の隠し子と書いてあったような。まあ、小説だからね。w

2020.10.16 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



静岡大学名誉教授で戦国時代の研究者である小和田哲男氏がYouTuberになっててワラタ

戦国・小和田チャンネル

「戦国武将などの史実に照らし合わせ、現代の世を生き抜くヒントをわかりやすい言葉でお伝えする」とのこと。

最新の動画2つ(2020/10/15現在)を貼っておく。


【「麒麟がくる」第27回「宗久の約束」パートⅠ「戦国時代の堺とは」】




【「麒麟がくる」第27回「宗久の約束」パートⅡ「今井宗久 その人について」】



織田信長から2万貫の矢銭をつきつけられた堺は、今井宗久らの新興商人グループが、能登屋・臙脂屋などの古参の会合衆を説得することによって徹底抗戦が見送られました。その代わり、信長は堺が三好勢を援助しないことを約束させています。

それほど、信長にとって、堺は何としても手に入れたい土地だったのでしょう。そして、それを叶えたのは今井宗久(新興商人グループ)だったのです。

一番上の小和田氏のTシャツに「大一大万大吉」の文字が…w

2020.10.15 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

アホやねん(早川聖来)の出身地・大阪府枚方市の「七夕伝説」が偽史らしいという記事

枚方市の七夕伝説は偽史

を書くにあたって知った「椿井(つばい)文書」。それについて馬部(ばべ)隆弘氏(大阪大谷大学准教授)が書いた記事

数百点も存在する偽文書「椿井文書」とは。町おこしに使われる史料は本物か?

を読む。



[前略]今世紀に入っても、多数の研究者が当たり前のように使っている偽文書が存在したのである。それが「椿井文書」である。しかも、近畿一円に数百点もの数が分布しているというだけでなく、現代に至っても活用されているという点で他に類をみない存在といえる。分布の範囲やその数、そして研究者の信用を獲得した数のいずれにおいても、日本最大級の偽文書といっても過言ではないと思われる。

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2020.09.28 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



以前、取り上げた枚方市の「七夕伝説」なんだが、どうやら偽史だったようだ。orz

かささぎ橋で会いましょう【再掲】

まず、その「七夕伝説」なのだが、枚方市のサイトに次のように載っている。

天野川流域の枚方市と交野(かたの)市の一帯は、かつて「交野ヶ原」と呼ばれ、桜の名所として、また平安貴族の狩り場として知られていました。当時の貴族は、天野川の川砂が白く光って見えることから、天上の天の川になぞらえ、「七夕」を題材にした数多くの歌が詠まれました。「伊勢物語」には「狩り暮らし棚機津女(たなばたつめ)に宿借らむ、天の河原に我は来にけり」と、在原業平がこの地を訪れた際に詠んだ歌が収められています。また、「七夕」にまつわる地名や名所が数々見られ、今でも枚方・交野には、彦星と織姫の「七夕伝説」が継承されています。

七夕伝説ゆかりのまち・枚方市

これに対して、歴史学者で大阪大谷大学准教授、椿井政隆が偽作した古文書類(椿井文書)の研究で知られる馬部隆弘(ばべ たかひろ)氏は以下のように指摘している。

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2020.09.28 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

5月25日、ミネソタ州ミネアポリスの路上で、警官が黒人男性ジョージ・フロイド氏の首を膝で「8分46秒」抑え続けて殺した事件を契機に、世界中で人種差別反対の運動となった。




この舞台となったブリストルは、イングランド南西部にある都市で、中世に毛織物工業で繁栄し、のちに貿易港となった。貿易港としては、ほかに、イングランド北西部にあり、産業革命の中心となったリヴァプールなどがあった。

当時の貿易は「三角貿易」と呼ばれ、1)ヨーロッパの貿易港、2)西アフリカ、3)カリブ海地域やのちのアメリカ合衆国東海岸を結んで行われていた。

貿易品は、A.ヨーロッパから西アフリカへは武器と雑貨、B.西アフリカからカリブ海・米東海岸へは黒人奴隷、C.カリブ海・米東海岸からヨーロッパへは砂糖・タバコ・綿花であった。

ヨーロッパの貿易港では商人たちが、三角貿易で財産を築き、産業革命の原資を蓄積していた(本源的=原始的蓄積)。コルストンは、学校や病院をつくるのにも貢献したので、銅像がつくられたのだろう。何にもしなかった強欲商人は、銅像もつくられなかったので、被害に遭うこともなかった。ちょっと理不尽だ。

カリブ海沿岸では、16世紀に砂糖プランテーションがつくられ、多くの黒人奴隷が強制労働をさせられていた。米東海岸では、17世紀からタバコプランテーション、18世紀末から綿花プランテーションがつくられ、黒人奴隷が労働力となった。

忘れてはいけないのは、西アフリカでは、ベニン王国のような黒人王国が奴隷貿易で繁栄していたことだ。ここでは、ヨーロッパからもたらされた武器で「奴隷狩り」を行い、胡椒や象牙とともに、黒人奴隷を輸出していた。

「奴隷貿易」というと、奴隷商人やプランテーションの経営者が批判されることが多いが、アフリカ側にもこれでうまくやっていた勢力があったということだ。のちに、彼らもヨーロッパ諸国の植民地にされてしまうので、「犠牲者」とされることが多いが、歴史はそんなに単純ではない。

2020.06.09 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

神護寺三像とは、12世紀末の似絵の名手・藤原隆信の作とされてきた


伝・源頼朝像


伝・平重盛像


伝・藤原光能像


のことである。

しかし、現在では、頼朝像は足利直義、重盛像は足利尊氏、光能像は足利義詮の肖像画であるとする新説が発表されている。

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2020.04.13 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

前々回、前回の「麒麟がくる」が変なことになっている。

輿(こし)入れしたものの祝言をすっぽかされた帰蝶(川口春奈)は、ようやく翌朝帰ってきた信長(染谷将太)と顔を合わせる。奇妙な出で立ちだが、領民のことを思いやる姿、そして素直に前日の不在をわびる信長に興味をもつ。婚儀に上機嫌な信秀(高橋克典)と土田御前(檀れい)だが、信長が持参した祝いの品を見て、激しく叱責する。父にも母にも愛されない孤独な信長の姿を見た帰蝶は、鉄砲の手ほどきを受けながら自分も父がときどき大嫌いになる以外は好きだと言い、信長に寄り添う。一方、美濃の光秀(長谷川博己)はのちの正妻となる熙子(木村文乃)と懐かしい再会を果たしていた。

第九回「信長の失敗」2020.3.15放送


京を訪れていた旅芸人の一座の元で、駒(門脇 麦)は戦災孤児だった自分を拾い、育ててくれた女座長・伊呂波太夫(尾野真千子)と再会する。その年の末、今川義元(片岡愛之助)が尾張の国境に侵攻してくる。信秀(高橋克典)の元に人質として置かれていた三河松平家の嫡男・竹千代(のちの家康)の引き渡し要求に、道三(本木雅弘)は広い三河を今川に押さえられることに危機感を覚える。光秀(長谷川博己)は帰蝶(川口春奈)を通して動向を探るべく那古野城へ遣わされたところ、信長(染谷将太)と出会う。

第十回「ひとりぼっちの若君」2020.3.22放送

第九話にある「信長が持参した祝いの品」とは、竹千代(岩田琉聖)の父・松平広忠(浅利陽介)の首で、信長が手下に命じて殺させたことになっている。

松平広忠が1549年4月(天文18年3月)に死んだのは事実だが、1)病死説、2)家来・岩松八弥による殺害説、3)一揆による殺害説などがある。2)は、山岡荘八の『徳川家康』で有名になったが、家来に襲われたが、それが原因で死んだわけではないという説も含まれる。3)の中に織田信秀(信長ではない)の使嗾による説がある。

織田方は、竹千代を人質に取っていたので、広忠の死に際して竹千代を利用することができたのに、何もしていない。だから、信長を含む織田方が殺させたというのは、かなり無理があるようだ。

第十話で、信長に父を殺されたのに、竹千代が、信長を恨まず、広忠の悪口を言っていたのも、なんか違和感があった。

父が母・於大の方(松本若菜)を勝手に離縁したようなことを言っていたが、於大の実家の水野氏が織田方に寝返ったので、今川方だった広忠は妻を離縁せざるをえなかったのだ。

主人公はどんな酷いことをしても恨まれないって「お約束」があるのかね。信長は主人公じゃないけど、光秀のイトコである帰蝶の夫だし、光秀の主人になるわけだから、父を殺しても竹千代から恨まれないんでしょうか?w

2020.03.23 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

…とナレーションしていた「国盗り物語」はウソだったのか?w




「国盗り物語」と「麒麟がくる」では何がちがうかというと、農業にかんする歴史家の意識が異なっているんだと思う。

慶長の頃の石高を比較すると、美濃58万石>尾張48万石で、美濃の方がコメの生産量が多い。社会史の流行以前は、農業中心で歴史を見ていたので、コメの生産量=豊かさの基準で、「美濃を制する者は…」という発想になったのだろう。

しかし、社会史流行以後は、商業や交易を重視するようになる。そうなると、津島や熱田の湊をもつ尾張は石高では測れない豊かさがあるということになる。

ただ、美濃を制する者がホントに天下を制した例もあって、壬申の乱のとき、いち早く不破関(ふわのせき 後の関ケ原)を制した大海人皇子が大友皇子を倒したので、交通の要衝としての美濃の地位を無視することはできない。

織田信長は、美濃を攻め取った後は、石高で100万石以上あり、交通の要衝と湊を支配できたのだから、めちゃくちゃ有利な立場だ。だから、「天下布武」なんてスローガンを掲げられたのだろう。

ちなみに、「天下布武」の「天下」は、日本全体ではなく、「五畿内(山城・大和・摂津・和泉・河内の五国)」の意味だ。

2020.03.02 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

西浦和也さんの実話怪談

獄の墓

の実在性についてコメントをもらっているうちに、鴻沼(高沼 こうぬま)と高沼用水について調べることになった。

見沼(みぬま)と見沼代(みぬまだい)用水については、過去に何回か見沼代用水ヘルシーロードをサイクリングしたことがあり、氷川神社については氷川神社・中山神社・氷川女体神社が一直線上にあることを記事にした。

氷川神社/氷川女体神社・中山神社・氷川神社/埼玉県さいたま市

見沼・見沼代用水の歴史をかんたんに説明すると、江戸時代初めの関東郡代・伊奈忠治は、利根川の東遷と荒川を入間川に付け替えを行ったが、これによる元の流域の水不足が生じるのを恐れ、1629(寛永6)年、現在の芝川をせき止めるために「八丁堤」という堤防を築いて「見沼溜井(ためい)」をつくった。これが見沼である。

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2020.02.12 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |






「織田信長は経済センスがあり商業流通を重視した」って主張も、それに対する反論(このツイート)も、現代の価値観=現代資本主義社会とくに福祉国家モデルを過去に投影しているだけ。

なぜなら城下町は武士が集住する場所であって、町人(職人+商人)は武士に奉仕するために住まわされているだけだから。城下町なんていつ焼かれるかわからないので、できれば住みたくない。武士はしょうがないけど、町人は進んで集まらないだろう。だから、税金取りません!とか、自由に商売してください!って話が出てくるのだ。

そもそも楽市楽座は、信長の発明ではなく、ダメ戦国大名の代表とされてきた今川氏真の発明だからね。たぶん、今川義元が死んで氏真に代替わりして人々が不安に思ったから、税金取りません! 自由に商売してください!ってなったんじゃないのか? で、それを信長がパクった。w

あと、国境の中に住んでいるすべての人の福祉を考えるなんて、第二次世界大戦中(ベヴァリッジ報告後)にできた考えだ。少し昔の資本主義が成立したばかりの頃なんて、労働者は人間扱いされてなかった。もっと昔の信長の時代なんて、戦争捕虜をふつうに奴隷売買してた時代だ。←ただし信長は奴隷売買を禁止した。

さらにいうと「これは現代でも行政主導のプロジェクトでありがちな、立派な箱物を作ったのはいいが想定が甘く結果利用者が居らず、そのため更に税金を投入して利用料を下げたり諸規制を操作するなどして無理矢理に利用者を集めるという事」って発想に至っては新自由主義の発想である。

そもそも政府投資って、民間が投資できないような事業(巨大すぎるか、儲けが出ないか)に対して行うものなんだから、民間と同じに考えたらダメでしょ。

歴史学って、今の価値観を過去に投影するのではなく、過去の人々の生きざまを見て現代のわれわれの価値観を相対化することが大切なんじゃないのか?

2020.02.08 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



NHK総合「歴史秘話ヒストリア」で「信長を導いた戦国革命児 斎藤道三 非情の哲学」をやっていた。

■ エピソード1 道三・非情苛烈の美濃乗っ取り

かつて、一代で油売りから戦国大名にのし上がったといわれていた斎藤道三。しかし、新史料によって父と二代がかりだったことがわかってきました。目的のためには手段を選ばない姿勢は父親から?いかにして主君の土岐家から美濃国を奪ったのか?最新の見方からThe下克上・道三の実像に迫ります。

■ エピソード2 それは戦か?絆か?

美濃のあるじとなった道三に隣国・尾張の織田家が立ちはだかります。いくさが続く事態打開のため道三は娘を織田家嫡男・信長へ嫁がせることに。それぞれ個性的な両者は直接会見しますが、その後、互いを助けるような隙をうかがうような不思議な関係になります。それはだまし合い?義理親子の絆?

■ エピソード3 太平の忍者はつらいよ

2019(令和元)年、岐阜城、かつては道三の城で稲葉山城という名だったこの城跡で驚きの発見がありました。それは・・・。城だけではありません。道三は町づくり、国づくりでも先進的でした。その施策には、のちに織田信長がならったフシがあるものも。しかし、道三自身には悲劇が待っていました。

■ 参考文献

『東海の戦国史』(小和田哲男 ミネルヴァ書房)
『斎藤道三』(横山住雄 マイ・ブック出版)
『斎藤道三と義龍・龍興』(横山住雄 戎光祥出版)
『美濃斎藤氏』(木下 聡 編 岩田書院)
『道三から信長へ』(岐阜市歴史博物館 平成18年11月)

信長を導いた戦国革命児 斎藤道三 非情の哲学

かつては油売りから一代で戦国大名に成り上がったとされていた斎藤道三の生涯が、じつは親子二代の話だったというのが、1964年から始まった『岐阜県史』編纂の過程で明らかになった。

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2020.01.31 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

今年の大河の主人公ということで、NHK総合「歴史秘話ヒストリア」で「あらためて知りたい!明智光秀」をやっていた。

■ エピソード1 明智光秀 職業 武士 兼 ○○

最近見つかった古記録「針薬方(しんやくほう)」。そこには明智光秀がある籠城戦に加わり、しかもそのさなか医術を口伝したと書かれていました。実はこれ、特に前半生が謎の人物・光秀について最古の動向を知らせる史料。しかも単に当時の状況だけでなく、光秀「出世」の理由を明かす手がかりにも…!

■ エピソード2 信長 第一の家臣

織田信長が実行した比叡山焼き打ちでは、明智光秀も、敵を「なてきり(なで斬り=大勢を片端から斬る)」すると記した書状を残しています。実は似た者どうしだったかもしれない二人。光秀の知られざる「妹」の働きなども追いながら、光秀が織田家でいちばんの重臣となりえた本当のワケに迫ります。

■ エピソード3 最新研究 本能寺の変

数年前に注目された明智光秀と土佐(高知県)の戦国大名・長宗我部家との書状群から「本能寺の変」の謎が解けるかもしれません。天下統一に向け信長は、四国の雄・長宗我部家との折衝を光秀に任せました。しかし変の直前期、信長が変心!?――光秀を語る上で避けられない本能寺への道程、最新説です。

■ 参考文献

『明智光秀』(早島大祐 NHK出版新書)
『陰謀の日本中世史』(呉座勇一 KADOKAWA〈角川選書〉)
『信長公記』(奥野高広 校注 角川文庫ソフィア)
『織豊期主要人物居所集成』(藤井讓治 編 思文閣出版)
『明智光秀の城郭と合戦』(高橋成計 戎光祥出版)

あらためて知りたい!明智光秀

番組では明らかにされなかったが、「針薬方」は、足利義輝のちに細川藤孝に仕えた米田求政(貞能)に1566(永禄9)年の田中城籠城中に光秀が語ったことが記されている。細川氏が熊本藩主となると、米田氏は家老として仕えた。番組中で「熊本で発見された」とあるのはそのため。

「麒麟がくる」では、マチャアキ(堺正章)が医師・望月東庵、門脇麦が東庵の助手・駒として登場するが、光秀に医術を伝えるためなのだろう。

番組中で光秀の妹で信長の側室と紹介された御ツマキ殿だが、妹なのか、光秀の妻・妻木煕子の近親者なのかは定かでない。また、信長の側室とするのも、興福寺の僧・英俊らが記した「多聞院日記」に「去七日・八日ノ比歟、惟任ノ妹ノ御ツマキ死了、信長一段ノキヨシ也、向州無比類力落也」とあり、「一段ノキヨシ」を「一段の気好し」と解釈した歴史学者・勝俣鎮夫の説に基づくものである。

けっこう重要な人だと思うのだが、「麒麟がくる」の登場人物にないのが謎!w

本能寺の変の原因については、最近有力視されている四国説+上記の御ツマキ殿の死と解釈していた。

1月14日(火)午後3時08分から再放送があるので、見たい人はどうぞ。おススメです。w

2020.01.09 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |