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前々回、前回の「麒麟がくる」が変なことになっている。

輿(こし)入れしたものの祝言をすっぽかされた帰蝶(川口春奈)は、ようやく翌朝帰ってきた信長(染谷将太)と顔を合わせる。奇妙な出で立ちだが、領民のことを思いやる姿、そして素直に前日の不在をわびる信長に興味をもつ。婚儀に上機嫌な信秀(高橋克典)と土田御前(檀れい)だが、信長が持参した祝いの品を見て、激しく叱責する。父にも母にも愛されない孤独な信長の姿を見た帰蝶は、鉄砲の手ほどきを受けながら自分も父がときどき大嫌いになる以外は好きだと言い、信長に寄り添う。一方、美濃の光秀(長谷川博己)はのちの正妻となる熙子(木村文乃)と懐かしい再会を果たしていた。

第九回「信長の失敗」2020.3.15放送


京を訪れていた旅芸人の一座の元で、駒(門脇 麦)は戦災孤児だった自分を拾い、育ててくれた女座長・伊呂波太夫(尾野真千子)と再会する。その年の末、今川義元(片岡愛之助)が尾張の国境に侵攻してくる。信秀(高橋克典)の元に人質として置かれていた三河松平家の嫡男・竹千代(のちの家康)の引き渡し要求に、道三(本木雅弘)は広い三河を今川に押さえられることに危機感を覚える。光秀(長谷川博己)は帰蝶(川口春奈)を通して動向を探るべく那古野城へ遣わされたところ、信長(染谷将太)と出会う。

第十回「ひとりぼっちの若君」2020.3.22放送

第九話にある「信長が持参した祝いの品」とは、竹千代(岩田琉聖)の父・松平広忠(浅利陽介)の首で、信長が手下に命じて殺させたことになっている。

松平広忠が1549年4月(天文18年3月)に死んだのは事実だが、1)病死説、2)家来・岩松八弥による殺害説、3)一揆による殺害説などがある。2)は、山岡荘八の『徳川家康』で有名になったが、家来に襲われたが、それが原因で死んだわけではないという説も含まれる。3)の中に織田信秀(信長ではない)の使嗾による説がある。

織田方は、竹千代を人質に取っていたので、広忠の死に際して竹千代を利用することができたのに、何もしていない。だから、信長を含む織田方が殺させたというのは、かなり無理があるようだ。

第十話で、信長に父を殺されたのに、竹千代が、信長を恨まず、広忠の悪口を言っていたのも、なんか違和感があった。

父が母・於大の方(松本若菜)を勝手に離縁したようなことを言っていたが、於大の実家の水野氏が織田方に寝返ったので、今川方だった広忠は妻を離縁せざるをえなかったのだ。

主人公はどんな酷いことをしても恨まれないって「お約束」があるのかね。信長は主人公じゃないけど、光秀のイトコである帰蝶の夫だし、光秀の主人になるわけだから、父を殺しても竹千代から恨まれないんでしょうか?w

2020.03.23 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

…とナレーションしていた「国盗り物語」はウソだったのか?w




「国盗り物語」と「麒麟がくる」では何がちがうかというと、農業にかんする歴史家の意識が異なっているんだと思う。

慶長の頃の石高を比較すると、美濃58万石>尾張48万石で、美濃の方がコメの生産量が多い。社会史の流行以前は、農業中心で歴史を見ていたので、コメの生産量=豊かさの基準で、「美濃を制する者は…」という発想になったのだろう。

しかし、社会史流行以後は、商業や交易を重視するようになる。そうなると、津島や熱田の湊をもつ尾張は石高では測れない豊かさがあるということになる。

ただ、美濃を制する者がホントに天下を制した例もあって、壬申の乱のとき、いち早く不破関(ふわのせき 後の関ケ原)を制した大海人皇子が大友皇子を倒したので、交通の要衝としての美濃の地位を無視することはできない。

織田信長は、美濃を攻め取った後は、石高で100万石以上あり、交通の要衝と湊を支配できたのだから、めちゃくちゃ有利な立場だ。だから、「天下布武」なんてスローガンを掲げられたのだろう。

ちなみに、「天下布武」の「天下」は、日本全体ではなく、「五畿内(山城・大和・摂津・和泉・河内の五国)」の意味だ。

2020.03.02 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

西浦和也さんの実話怪談

獄の墓

の実在性についてコメントをもらっているうちに、鴻沼(高沼 こうぬま)と高沼用水について調べることになった。

見沼(みぬま)と見沼代(みぬまだい)用水については、過去に何回か見沼代用水ヘルシーロードをサイクリングしたことがあり、氷川神社については氷川神社・中山神社・氷川女体神社が一直線上にあることを記事にした。

氷川神社/氷川女体神社・中山神社・氷川神社/埼玉県さいたま市

見沼・見沼代用水の歴史をかんたんに説明すると、江戸時代初めの関東郡代・伊奈忠治は、利根川の東遷と荒川を入間川に付け替えを行ったが、これによる元の流域の水不足が生じるのを恐れ、1629(寛永6)年、現在の芝川をせき止めるために「八丁堤」という堤防を築いて「見沼溜井(ためい)」をつくった。これが見沼である。

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2020.02.12 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |






「織田信長は経済センスがあり商業流通を重視した」って主張も、それに対する反論(このツイート)も、現代の価値観=現代資本主義社会とくに福祉国家モデルを過去に投影しているだけ。

なぜなら城下町は武士が集住する場所であって、町人(職人+商人)は武士に奉仕するために住まわされているだけだから。城下町なんていつ焼かれるかわからないので、できれば住みたくない。武士はしょうがないけど、町人は進んで集まらないだろう。だから、税金取りません!とか、自由に商売してください!って話が出てくるのだ。

そもそも楽市楽座は、信長の発明ではなく、ダメ戦国大名の代表とされてきた今川氏真の発明だからね。たぶん、今川義元が死んで氏真に代替わりして人々が不安に思ったから、税金取りません! 自由に商売してください!ってなったんじゃないのか? で、それを信長がパクった。w

あと、国境の中に住んでいるすべての人の福祉を考えるなんて、第二次世界大戦中(ベヴァリッジ報告後)にできた考えだ。少し昔の資本主義が成立したばかりの頃なんて、労働者は人間扱いされてなかった。もっと昔の信長の時代なんて、戦争捕虜をふつうに奴隷売買してた時代だ。←ただし信長は奴隷売買を禁止した。

さらにいうと「これは現代でも行政主導のプロジェクトでありがちな、立派な箱物を作ったのはいいが想定が甘く結果利用者が居らず、そのため更に税金を投入して利用料を下げたり諸規制を操作するなどして無理矢理に利用者を集めるという事」って発想に至っては新自由主義の発想である。

そもそも政府投資って、民間が投資できないような事業(巨大すぎるか、儲けが出ないか)に対して行うものなんだから、民間と同じに考えたらダメでしょ。

歴史学って、今の価値観を過去に投影するのではなく、過去の人々の生きざまを見て現代のわれわれの価値観を相対化することが大切なんじゃないのか?

2020.02.08 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



NHK総合「歴史秘話ヒストリア」で「信長を導いた戦国革命児 斎藤道三 非情の哲学」をやっていた。

■ エピソード1 道三・非情苛烈の美濃乗っ取り

かつて、一代で油売りから戦国大名にのし上がったといわれていた斎藤道三。しかし、新史料によって父と二代がかりだったことがわかってきました。目的のためには手段を選ばない姿勢は父親から?いかにして主君の土岐家から美濃国を奪ったのか?最新の見方からThe下克上・道三の実像に迫ります。

■ エピソード2 それは戦か?絆か?

美濃のあるじとなった道三に隣国・尾張の織田家が立ちはだかります。いくさが続く事態打開のため道三は娘を織田家嫡男・信長へ嫁がせることに。それぞれ個性的な両者は直接会見しますが、その後、互いを助けるような隙をうかがうような不思議な関係になります。それはだまし合い?義理親子の絆?

■ エピソード3 太平の忍者はつらいよ

2019(令和元)年、岐阜城、かつては道三の城で稲葉山城という名だったこの城跡で驚きの発見がありました。それは・・・。城だけではありません。道三は町づくり、国づくりでも先進的でした。その施策には、のちに織田信長がならったフシがあるものも。しかし、道三自身には悲劇が待っていました。

■ 参考文献

『東海の戦国史』(小和田哲男 ミネルヴァ書房)
『斎藤道三』(横山住雄 マイ・ブック出版)
『斎藤道三と義龍・龍興』(横山住雄 戎光祥出版)
『美濃斎藤氏』(木下 聡 編 岩田書院)
『道三から信長へ』(岐阜市歴史博物館 平成18年11月)

信長を導いた戦国革命児 斎藤道三 非情の哲学

かつては油売りから一代で戦国大名に成り上がったとされていた斎藤道三の生涯が、じつは親子二代の話だったというのが、1964年から始まった『岐阜県史』編纂の過程で明らかになった。

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2020.01.31 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

今年の大河の主人公ということで、NHK総合「歴史秘話ヒストリア」で「あらためて知りたい!明智光秀」をやっていた。

■ エピソード1 明智光秀 職業 武士 兼 ○○

最近見つかった古記録「針薬方(しんやくほう)」。そこには明智光秀がある籠城戦に加わり、しかもそのさなか医術を口伝したと書かれていました。実はこれ、特に前半生が謎の人物・光秀について最古の動向を知らせる史料。しかも単に当時の状況だけでなく、光秀「出世」の理由を明かす手がかりにも…!

■ エピソード2 信長 第一の家臣

織田信長が実行した比叡山焼き打ちでは、明智光秀も、敵を「なてきり(なで斬り=大勢を片端から斬る)」すると記した書状を残しています。実は似た者どうしだったかもしれない二人。光秀の知られざる「妹」の働きなども追いながら、光秀が織田家でいちばんの重臣となりえた本当のワケに迫ります。

■ エピソード3 最新研究 本能寺の変

数年前に注目された明智光秀と土佐(高知県)の戦国大名・長宗我部家との書状群から「本能寺の変」の謎が解けるかもしれません。天下統一に向け信長は、四国の雄・長宗我部家との折衝を光秀に任せました。しかし変の直前期、信長が変心!?――光秀を語る上で避けられない本能寺への道程、最新説です。

■ 参考文献

『明智光秀』(早島大祐 NHK出版新書)
『陰謀の日本中世史』(呉座勇一 KADOKAWA〈角川選書〉)
『信長公記』(奥野高広 校注 角川文庫ソフィア)
『織豊期主要人物居所集成』(藤井讓治 編 思文閣出版)
『明智光秀の城郭と合戦』(高橋成計 戎光祥出版)

あらためて知りたい!明智光秀

番組では明らかにされなかったが、「針薬方」は、足利義輝のちに細川藤孝に仕えた米田求政(貞能)に1566(永禄9)年の田中城籠城中に光秀が語ったことが記されている。細川氏が熊本藩主となると、米田氏は家老として仕えた。番組中で「熊本で発見された」とあるのはそのため。

「麒麟がくる」では、マチャアキ(堺正章)が医師・望月東庵、門脇麦が東庵の助手・駒として登場するが、光秀に医術を伝えるためなのだろう。

番組中で光秀の妹で信長の側室と紹介された御ツマキ殿だが、妹なのか、光秀の妻・妻木煕子の近親者なのかは定かでない。また、信長の側室とするのも、興福寺の僧・英俊らが記した「多聞院日記」に「去七日・八日ノ比歟、惟任ノ妹ノ御ツマキ死了、信長一段ノキヨシ也、向州無比類力落也」とあり、「一段ノキヨシ」を「一段の気好し」と解釈した歴史学者・勝俣鎮夫の説に基づくものである。

けっこう重要な人だと思うのだが、「麒麟がくる」の登場人物にないのが謎!w

本能寺の変の原因については、最近有力視されている四国説+上記の御ツマキ殿の死と解釈していた。

1月14日(火)午後3時08分から再放送があるので、見たい人はどうぞ。おススメです。w

2020.01.09 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

12月28日放送のテレ朝の「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」を見た。順位は以下のとおり。

01位 織田信長
02位 上杉謙信
03位 伊達政宗
04位 真田信繫(幸村)
05位 徳川家康
06位 豊臣秀吉
07位 武田信玄
08位 黒田官兵衛(孝高・如水)
09位 明智光秀
10位 石田三成

【速報!1位~10位編】「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」ベスト20の順位結果発表!

11位 加藤清正
12位 直江兼続
13位 前田慶次(利益)
14位 浅井長政
15位 毛利元就
16位 前田利家
17位 井伊直政
18位 真田昌幸
19位 竹中半兵衛(重治)
20位 上杉景勝

【速報!11位~20位編】「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」ベスト20の順位結果発表!

なんでこの人物が?と思える武将も多いが、まあ選挙だからしょうがない。

しかし、番組に武将の子孫が登場したが、明智光秀の子孫を名乗る明智憲三郎氏が出たのには驚いた。ニセモノだろ。w

足利尊氏とか、明智光秀の子孫w

もう一人、マンガ家の本山一城(もとやま かずき)氏が、黒田官兵衛(孝高=如水)の子孫として登場していたが、こっちもかなりアヤシイ。本山氏の父方の祖父は本山桂川(けいせん)という民俗学者だが、母方の先祖に林遠里(はやし えんり)という農学者がいた。本山氏によると、この人物が黒田官兵衛と竹中半兵衛(重治)の子孫だというのだ。

遠里は、福岡藩士で銃術指南役・林直内の次男であり、のちに筑前農法あるいは福岡農法と呼ばれる農法の創始者である。しかし、本山氏の著作を除き、黒田官兵衛や竹中半兵衛の子孫との記述は見られない。

福岡藩主の黒田家は、男子が死亡して養子をとっているが、正室は先代藩主の子息や縁類の娘とし、入婿になっているので、子孫は官兵衛の血を引いている。また、秋月藩主や東蓮寺藩主も、官兵衛の子・長政の三男と四男なので、子孫がいないわけではない。なぜ、本山氏が官兵衛の子孫として登場したのか謎だ。

明智光秀も、長男・光慶(みつよし)は明智秀満が守る坂本城で自害したが、娘の玉(ガラシャ)が細川忠興との間に男子を設けており、三男の忠利が2代藩主となっている。細川護熙・元首相も子孫なわけで、アヤシイ憲三郎氏を呼ぶのか、さっぱりわからない。まあ、元首相が出演しそうもないけどね。w

2019.12.29 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

12月14日放送のNHK総合「ブラタモリ」は、「姫路城~姫路城で江戸城のロケをするのはあり!?~」だった。

日本初の世界文化遺産「姫路城」は数多くの時代劇のロケ地にもなっているが、いつも江戸城として登場してばかり!?その理由をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす!

「ブラタモリ#151」で訪れたのは兵庫県の姫路市。400年前の姿をとどめる貴重な姫路城はいろいろな時代劇で江戸城としてロケされている。姫路城と江戸城との共通点を探る▽「白鷺城」とも呼ばれるほど白いのはなぜ!?池田輝政が徳川の世の始まりを告げたねらいとは?▽最強の守備力を誇る連立式天守の秘密▽なぜ姫路に江戸城とそっくりな城がつくられたのか?飾磨の町を歩いて探る▽堀に隠された江戸城と姫路城の関係を探る

姫路城~姫路城で江戸城のロケをするのはあり!?~

全体の流れは

「姫路城」は「江戸城」とそっくりな城だった!? メディア初公開資料も登場し池田輝政の巨大な水軍基地も判明

を読んでほしい。

で、簡単に説明すると、姫路城の天守閣は



大天守1つと小天守3つを多聞櫓でつないだ連立式天守で、



家康時代の江戸城



の天守閣と同じ



とのことだ。

これに以外にも、姫路藩主・池田輝政の水軍基地とか、城下町のつくりが「の」の字型になっていて拡幅可能なところも江戸城と同じとか、だから「姫路城で江戸城のロケをするのはあり」なんだそうだ。

2019.12.18 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



…と主張するのは奈良大学の千田嘉博教授だ。以下、

「最強の城『江戸城』の秘密」(視点・論点)

からの引用(図は別)。


徳川家康が築いた江戸時代初めの江戸城絵図が島根県松江市の松江歴史館から発見され、今年2月に発表されました。本日は発表された絵図から、徳川家康の江戸城の秘密を読み解き、その歴史的な意義を考えたいと思います。


現在の江戸城は本丸の中に天守台だけがぽつんとありますが、家康の江戸城は、本丸の中に大天守と小天守を多聞櫓で接続した「天守曲輪」を構成したことが判明したのです。そうした構造は、まるで兵庫県の姫路城のようで、大天守と小天守がひとつの完結した要塞をつくっていました。

「天守曲輪」を設けたことで 江戸城は、たとえ本丸が攻め落とされても、まだ「天守曲輪」で戦うことができた強固な設計になりました。このように「天守曲輪」は江戸城の防御力を飛躍的に高めましたが、本丸の中にもうひとつの城がある設計でしたから、御殿を建てる本丸の面積は狭くなりました。御殿の広さを犠牲にしても、江戸城の守りの力を重視した家康の意志を読み取ることができます。


また本丸に南から入る、いわゆる大手門は、石垣が外側に鍵の手形に張り出した「外枡形」という出入口を5つ連続させた5重の外枡形になっていました。外枡形は出撃に強い出入口のかたちで、江戸城が防御はもちろん、攻め出す力も強かったと分析できます。


また本丸北側の出入口には、戦国時代に甲斐国の武田信玄や関東の北条氏が好んで使った出入口「馬出し」を3つ連続させていて、江戸城が東国の城づくりをも受け継いだとわかります。「馬出し」は堀を渡った先に反撃の陣地を設けた出入口で、それを3つも並べた江戸城は、南の大手筋だけでなく、北側に対しても強力な反撃力を備えた城でした

NHKがこれをネタに「歴史秘話ヒストリア」や「ブラタモリ」を制作しているようだ。w

2019.12.18 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



NHK総合「歴史秘話ヒストリア」で

駿府城大発掘! 家康VS.秀吉 知られざる攻防

の再放送をやっていたので、録画して見たが、徳川家康による1585(天正13)年の駿府城築城の理由が変だった。

天下人となった豊臣秀吉に対抗するには、それまでの根拠地・浜松城では秀吉の勢力圏に近すぎるので、より遠い駿府に城を築いたと説明していた。

しかし、それだと兵站が伸びすぎて逆に不利であり、秀吉との直接対決となった1584(天正12)年の小牧・長久手の合戦で浜松を根拠地としていたことと矛盾する。

この時期の家康は以下の諸事情で秀吉との対決が不可能になっていた。

 1.1583(天正11)~84(同12)年にかけて領内で地震や水害が続いた。
 2.家臣団が強硬派と融和派に分裂し、融和派の石川数正が出奔して秀吉に臣従し(1585=天正13年)、軍事機密が筒抜けとなった。
 3.秀吉が1586(天正14)年に、実妹・朝日姫を人質として差し出し、実母・大政所を見舞いによこすなど、和睦工作が続いた。

最終的に家康は1586年に秀吉に臣従した。駿府を根拠地としたのはその後なので、秀吉からの攻撃の危険性がなくなり、新領地となった甲斐・信濃の経営に便利な駿府を根拠地としたのが理由ではないだろうか?

1590(天正18)年、家康が江戸に移封され、駿府城に秀吉側の中村一氏が入る。この際、金箔瓦に代表される豊臣氏の城郭として生まれ変わった。

関ヶ原合戦後の1601(慶長6)年に家康の異母弟・内藤信成が城主となるが、1606(同11)年に移封となった。1607(同12)年から翌年に家康の居城として、秀吉時代の建物は破却され、日本一の天守台の上に多聞櫓に囲まれた6層の天守閣が建てられた。

このように駿府城は秀吉・家康の奪い合いとなったので、「駿府を制する者は天下を制す」ってことをNHKが言い出した。静岡市民はキモチいいが、浜松市民は気分ワルイんじゃないのかと忖度してしまう。w


リンクがキレてたら…

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2019.12.18 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



相手の戦力や兵站を軽視した無謀な戦いで甚大な死傷者を出し、旧日本軍の体質を象徴的に示したとされる「インパール作戦」。「援蒋ルート」の遮断を主目的とし、ミャンマー(当時ビルマ)からイギリス軍の拠点があったインド北東部のインパールの攻略を目指した日本軍は、この作戦で歴史的敗北を喫した。餓死・戦病死した日本兵の死屍累々が並んだ道が「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨な戦いの実態はどのようなものだったのか。これまでインドとミャンマーの国境地帯は戦後長く未踏の地だったが、今回、両政府との長年の交渉の末に現地取材が可能となった。さらに、新たに見つかった一次資料や作戦を指揮した将官の肉声テープなどから「陸軍史上最悪」とされる作戦の全貌が浮かび上がってきた。数々のスクープ映像と新資料、証言からなる「インパール作戦」の全記録は、決して忘却してはならない悲劇の記憶を、未来へと継承していく。

2017年8月15日(火)
戦慄の記録インパール

アジア・太平洋戦争で数々の無謀な戦いをしてきた旧日本軍。その中でも究極的に無謀だったのがインパール作戦だ。

「5000人殺せば敵陣地が取れる」というビルマ方面軍首脳の言葉を聞いた青年将校は、敵を5000人殺せば敵陣地を奪えると思っていたら、味方が5000人死ねば敵陣地が落とせるという意味だと知り、愕然となる。それが人命軽視のインパール作戦。

2019.08.24 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

1年前にこの番組を見てむちゃくちゃ不愉快になったが、再び見てもやっぱり不愉快になった。



79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちはその後復帰させ、同じ失敗を重ねていった。

今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。映像と証言から迫る。

2018年8月15日(水)
ノモンハン 責任なき戦い

辻政信、コイツの悪事はこれだけじゃない。シンガポールでの華僑虐殺やフィリピンでの捕虜虐殺偽命令にかかわり、ポートモレスビー作戦やガダルカナル島の戦いでムチャな作戦を立て自国将兵を多数死に追いやった。敗戦とともに逃亡し、戦争犯罪から逃れた。ちなみに、シンガポールでは虐殺に反対した指揮官が責任を取らされて処刑され、フィリピンでも「死の行進」の責任を取らされて指揮官が処刑された。主権回復とともに、舞い戻り、本を出版したり、政治家になったが、1962年に東南アジアで失踪した。

2019.08.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |


山崎雅弘氏にイチャモンつけてるネトウヨ氏

>(ねる・ω・おし)🌏

このハンドルネームだけは使わんで欲しい。w

このネトウヨ氏のツイートにリプライした人の反応。


ホントこれなのよ。

以前、能川元一氏にイチャモンつけてたネトウヨに「ここに書いてあるぞ」って紹介したら、逆に突っかかって来られてエラク迷惑したことがあった。

あんまり不勉強なんで、ネットで読める南京事件の史料を示して、自分で読めよ!って言ったら、「読めるか!こんなもん!」ってキレていた。戦前の公文書って、漢字かな交じり文の「かな」がカタカナで「漢字」が旧漢字なんだけど、それだけで読めなくなるんだなと感心した。

推しメンは勉強家なのに、ヲタが不勉強って…。(ねる・ω・おし)🌏名乗るんなら、もっと勉強して欲しい。w

2019.08.06 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

先日、某動画サイトにアップされていた大河ドラマ「元禄太平記」(1975年)の総集編を見た。柳沢吉保を石坂浩二、大石良雄(内蔵助)を江守徹が演じていた。


柳沢吉保役の石坂浩二


徳川綱吉役は芦田伸介


大石内蔵助役の江守徹


討ち入りのシーン


吉保の甥・柳沢兵庫役の竹脇無我


オモシロかったのは、赤穂事件(忠臣蔵)塩田原因説というのがあって、大河ドラマ「峠の群像」(1982年)で堺屋太一あたりが広めたわけだが、「元禄太平記」も塩田経営が原因とされていた。

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2019.05.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



…という保立直久氏のツイートを読んで、実際、「100分で名著 平家物語」を見てみたが、フツーにあれくらいの解説は必要と思った。

第2回 驕れる者久しからず

そもそも「100分で名著」って、その著作物を読んだことがない人のための番組なんだから、「平家物語」をまるで知らない人を対象にして番組づくりをしていると思う。源頼政って、「日本史B」の教科書11冊中10冊に出てくるけれど、頼朝や義経ほどの有名人ではない。以仁王に令旨を出させて源平合戦のきっかけをつくった人って感じだ。

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2019.05.16 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(2) |



皇紀によると、神武天皇の即位は紀元前660年になる。今の時代区分だと弥生中期(の中葉)、昔の時代区分だと縄文晩期。w

『後漢書』の光武帝が倭奴国に金印を授けた記述が西暦57年、倭国王帥升等、生口=奴隷160人を献じの記述が107年、『魏志』で邪馬台国の卑弥呼が魏に遣いをよこしたのが238年。

だから、明らかにフィクション。

このフィクションは、中国で王朝が交代するのは辛酉(かのととり)という「辛酉革命」によってつくられたとする説が有力である。どんだけ中国の影響、大きいんだよ。w


皇位を象徴する「三種の神器」だが、南北朝時代になると、これがないと天皇でない!と皇位そのものよりエラクなってしまう。まさに、フェティシズム(物神崇拝)。w

「三種の神器」については尋ねてはいけないことがけっこうある。宝剣は、壇ノ浦の合戦で海に沈んで、行方不明じゃないんですか?等。w

これによると、沈んだのは「分身」だそうだ。w
   ↓   ↓

2019.05.02 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |


地中海性気候では、冬に雨が多く、夏に乾燥するので、秋に種まきして、春先に花が咲き、初夏に実がなる植物が多い。主食となる小麦、大麦もその仲間。



地中海式農業は、種まきは「秋」、収穫は「初夏」となる。



ちなみに、ドイツやロシアのような寒い地域では、種まきは「春」で、収穫が「初夏」となる(春まき小麦)。

ボーっと生きてんじゃねぇよ!(爆)

2019.02.16 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |



「かんざらしに恋して」で、桐畑瑞樹(貫地谷しほり)に銀流の味を伝えた小野寺千草(樫山文枝)の息子アキオは、八田健一(遠藤憲一)の親友でもあるが、1991年6月3日に発生した雲仙普賢岳の大火砕流で亡くなったことになっており、アキオの死によって千草は銀流をやめた。



この火砕流で43名の死者・行方不明者と9名の負傷者が出た。

・報道関係者16名(アルバイト学生含む)
・火山学者3名(いずれも外国人)
・消防団員12名
・タクシー運転手4名(報道関係者の避難のため駐車中)
・警察官2名(避難誘導のためパトカーで来ていた)
・作業員2名(市議会選挙ポスター掲示板を撤去作業中)
・住民4名(葉タバコ収穫中)

火砕流の映像を撮るため報道関係者が無理をし、それで消防団員や警察官が犠牲になったとするネット記事があるが、気をつけて欲しいのは、選挙ポスターの掲示板の撤去作業中の作業員と葉タバコ収穫中の住民も犠牲になっていることだ。

これは行政が、罰則規定のない避難勧告は出したが、罰則規定のある警戒区域設定をしていなかったからだ。その背景には、火山学者が、パニックを恐れ、火砕流が発生していることを公にしなかったことがあった。

当時の報道を伝える動画があった。現代と異なり、遺体や負傷者の映像も出てくるので、嫌な人は見ないで欲しい。



オイラが見た気道熱傷を負った消防団員が倒れてうめき声をあげている映像があった(9:15~)。

2019.02.09 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |


『観応の擾乱』(中公新書、2017年)の著者・亀田俊和氏がかなりのドルヲタであることを知ってしまった。w

かとれな(加藤玲奈)が好みなのか、ちょくちょくリツィートしている。w


たぬたぬとか…


りさ様とか…


たぬたぬとりさ様が好きなら、ひなのなの!も好きかと…。w



この会話が…。wwwww

本郷和人氏といい、亀田氏といい、日本中世史研究者はドルヲタが多いのか?(爆)

2019.01.22 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |

大河ファンは、来年の大河「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」はないことにして、再来年の大河「麒麟がくる」に話題が移っている。w




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2018.11.23 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |