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なんかやっちまいましたね。正日くん…。核実験ですか? それとは関係ないけど、オイラの自転車の変速機の調子が悪い。そこで調整ですよ。orz 調整したら、調子がよくなったんで、出かけました。

ホントは、こんなに(゚∀゚)イイ!天気なので、荒玉水道道路で多摩川まで遠征して、玉川上水で帰ってこようと思ったんですけど、ちょっと無理でした。

で、いつものように、荒川右岸で葛西臨海公園まで行って、荒川左岸で帰るってパターンで走りました。

休日の荒川河川敷はものすごい人なんで、走るのもちょっとめんどくさい。まあ、風があんまり強くなかったんで、それはよかったですけど…。

葛西臨海公園も人がいましたね。イパ~イ…。

葛西臨海公園の渚橋とネズミーランドのホテル

葛西臨海公園の大観覧車

若洲のDearest風車w

ネズミーランドの城と山と何かw



帰りは左岸を走りました。荒川左岸は上を高速道路が走っています。で、下はこのとおり。

中土手の高速道路高架下



平井水門とハープ橋。ハープみたいだからでしょうか?

平井水門とハープ橋(左上)



で、例によって、距離稼ぎで鹿浜橋まで行って帰ってきました。

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2006.10.09 | 自転車 | トラックバック(0) | コメント(0) |

連鎖するシニフィアン

でとりあげた歌なんだけど、発表されたのはつぎのとおりです。

“Two of us”(1998/12/09)
“monochrome”(1999/08/11)
“Who...”(1999/11/10)
“teddy bear”(2000/09/27)
“HANABI”(2002/07/24)
“HANABI~episode II~”(2003/07/09)
“Memorial address”(2003/12/17)

ですが、ここで語られている話の背景となる事件がおこった順はつぎのとおりだと推測しています。

“teddy bear”…①
   ↓
“Two of us”…②
   ↓
“Memorial address”…③
   ↓
“monochrome”…④
   ↓
“HANABI”…⑤
   ↓
“HANABI~episode II~”…⑥

前の3つが「病因」で、後の3つが「症状」というわけです(“Who...”は省略)。

①対象に捨てられ、②対象に電話をかけると声のキレイな女性が…、そして、③対象の喪失(Memorial address)という順で心的外傷が形成されていくのです。①は、社会に対する信頼感を喪失させ、「居場所がなかった」状態に…。②は、彼女の声に対するコンプレックスを生み出すとともに、それが原因で対象から愛されなかったのだという確信を形成させます。そして、③は、「対象の喪失」によって、彼女のリビドーは対象から彼女自身に向かい、根拠のない「自信のなさ」となっていくのです。

これが「終わりなき哀しみ(Endless sorrow)」の病因なのです。彼女は、「オールナイトニッポン」や『浜崎共和国』などで、突然わきあがってきて自分を呑み込んでしまう哀しみの感情について語っています。

③が起きたのは夏のはじまりの日です。ですから、彼女は夏がキライだったのです。④では「大丈夫だって頷いた/私はとても強いから」と強がっていますが、そうでないことは彼女がいちばんよく知っているのです。⑤で「あの日何かが止まって/しまったこんな私じゃ/いくら祈ってみたって/星ひとつさえ見えない」と自分を責めてます。⑥で「いつか聞かせて 君の口から/幸せだよと そして笑って」とうたっていますが、そんな日が永遠に来ないことは彼女自身よくわかっていることです(←という歌もある)。

彼女がマサと出会い歌手になったことで①と②は解消されていくんですが、①については“A BEST”問題のときにはかなり揺らいだでしょうね。彼女にとって「居場所」はかなり不安定なものなので、だからこそ彼女は必死に「居場所」を守ろうとするわけです。

オイラは、彼女の歌を聴くとき、ある種の「うしろめたさ」を感じるわけです。だって、オイラは確信犯的に彼女を「消費」してるんだもん。オイラの“S心”がそうさせる。w だから、無自覚的に「消費」してる香具師らを見ると、無性に腹が立つんですよ。どっかのファンサイトの連中とか…。(爆)

③ができた段階でこのお話は終わりなんです。

どうしてそうやって最後の最後まで ねえ
思い出だけを置いてくの
さよならね もう二度と会えない場所に行ったのね
永遠の別れの冷たさを受けとめられずに
聞かせて欲しかったの 嘘でかまわないから
あたしはあなたに確かに愛されてたって
たった一度でいいから

自分自身に向かっていた彼女のリビドーを対象に返したんですよ。結局、これが言えなくて苦しかったんでしょ。彼女は…。そーしたら、夏が好きになっていた。w まあ、そんなもんですよ。ハイ…。(爆)

で、彼女は、他にもやらなきゃならんことがいろいろあったわけで、それを2004年に済ませるわけです。「スーパーテレビ」で故郷を訪ねたのもそーだし、“MY STORY”の“Special thanks”に、あの人の名前が戻ってきて、かの人物の名前(じゃないけど)が加わるわけです。w

オイラは“Moments”“waiking proud”“CAROLS”は“vogue”“Far away”“SEASONS”(絶望三部作)の歌いなおしだと思ってるわけです。まあ、このことはいずれ書きますよ。w

この年から彼女の作品に新しいテーマがいろいろ加わってきてます。“my name's WOMEN”→“Ladies Night”→“Beautiful Fighters”の路線とか…。“my name's WOMEN”になんらメッセージを感じないオマエがうらやましいぞ。じょいじょい…。“is this LOVE?”なんてねぇ。だいたい彼女、これまで「片思い」みたいな感情を歌にしましたっけ…。“fairyland”とか“HEAVEN”とかは、明らかに「終わりなき哀しみ」が幕を閉じなかったら書けない歌詞ですぞ。

昔の歌詞が(゚∀゚)イイ!って香具師は、昔のCD聴いてりゃ(゚∀゚)イイ!じゃん。w 江原啓之さんが言ってたけど、「人生は、長ければ(゚∀゚)イイ!ってもんじゃない。どれだけ込めたかだ」ってね。ファンだって長けりゃ(゚∀゚)イイ!ってもんじゃないんだよ。(爆)


なお、以上の話はオイラの妄想にもとづくものであり、事実であるかどうかはそれぞれの判断にゆだねます。(爆)

2006.10.09 | Ayu(浜崎あゆみ) | トラックバック(0) | コメント(2) |

なんだか知らないけど、安倍晋三首相が教育改革をするって話…。「教育再生会議」のメンバーがスゴイ。…ていうか、有名人ばかり。w

「有名人」そろえて起用へ 教育再生会議委に安倍カラー

さすがに勝谷氏も呆れている様子。ヤンキー先生ですか? 元ヤンキーだから、ヤンキーの生徒の気持ちがわかるって話でしょ。元ヤンキーでなくても、ヤンキーの気持ちがわかる「夜回り先生」のほうが能力は上のような気がする。w

■2006/10/09 (月) 安倍さんの再チャレンジは一度はヤンキーやれってか。

それよりオイラがムカついているのは、教員免許状を更新制にするって改革だ。めんどくさいよ。なんで、教師だけ、更新制になるの??? 医師や弁護士はそーならないんだよ。

まあ、教師がいろいろ問題を起こすんで、しょーがないとみなさん思ってるでしょうけど、数が多いんだからしょーがないよ。医師や弁護士と比べて問題起こす人の比率が大きいっていうのなら、納得できるんだけどね。

だいたいこの制度は文科省の役人の天下り先をつくる謀略なんだよね。なんか現役教師から反対が多いので、研修だけですむ制度にするらしいんだけど、研修するのに講師が必要でしょ。その講師は、エライ先生たちがやると思うでしょ。まあ、そーゆー先生もいるんだけど、ホントは特殊法人をつくって文科省の役人が天下って講師をやるって寸法なのさ。

1980年代あたりからやたらと研修が増えたんだけど、研修に行くと役人が来て、わけのわからん話をして帰っていく。で、講師料をちゃっかりと頂戴してるのが実情なのさ。w

それを今回、大掛かりにやろうって話でしょ。税金のムダづかいなんだよ。

2006.10.09 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(6) |

  これまでの経験から、私はこれらの疑問に答えることができます。いくつかの症状を示す症例から始める場合、分析によって、各々の症状から一連の体験へと達するのですが、これらの体験の記憶は、連想の中で相互につながり合っています。個々の記憶の連鎖は、最初はそれぞれ明瞭に分雛して、後方に向かって連なっていますが、すでに述べたように、それらは枝分れしています。一つの場面から発して、同時に二つないしそれ以上の記憶に到達しますが、それらの記憶からさらに側鎖が出て、その個々の環が再び主鎖の環と連想によって結びついているかもしれません。この場合、家族成員がお互いに結婚し合っている家族の系統樹と比較したら当っていなくもないでしょう。個々の場面が同一の連鎖の中で何度も想起されうるために、後の場面と何重もの関係を持つに至り、直接的な結合を示したり、中間項を介した結合を示したりすることから、この連鎖のもつ別種の複雑さが生してきます。要するに、この関連性は決して単純なものではなく、またいろんな場面の発見は年代を逆にした順序で起こるので(これはまさに多層性の廃墟の発掘と類似していますが)、事態の成行きをもっと早く理解するためには、何の役にも立たないのです。

  分析をさらに続けていくと、新たな混乱が生してきます。すなわち、個々の症状についての連想の連鎖が、相互に関係を持ち始め、系統樹がからみ合い、もつれ合ってしまいます。たとえば嘔吐に対する記憶の連鎖をたどる体験をしてみると、この連想をさかのぼる環のほかに、他の症状、たとえば頭痛の原因となっている他の連鎖から記憶が呼びさまされているのが分ります。したがって、その体験は二つの系列に属し、すべての分析の中でいくつか発見されるような結節点を示しています。これに対応する臨床的事象としては、二つの症状が、本来内的な相互の依存関係はもたぬままに、ある時期から共生的に、一緒になって出現する事実があげられるでしょう。もっと過去にさかのぼった地点では、別種の結節点が見出されます。そこでは個々の連想の連鎖が収斂して、二個ないし数個の症状の起点をなすいくつかの体験が見出されます。場面の一つの細目には一つの連鎖が結びつき、他の細目には第二の連鎖が結びついています。

「ヒステリーの病因」(『フロイト著作集 10』人文書院、1983年)

2006.10.09 | Ayu(浜崎あゆみ) | トラックバック(0) | コメント(0) |