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という話が出ている。

  大手予備校「河合塾」は20日行われた大学入試センター試験の「世界史B」に、誤解答の可能性がある不適切な出題があったとして大学入試センターに質問状を送った。

  不適切としたのは、近代欧州の立憲政治・議会制の発展に関し、四つの選択肢から誤り一つを選ばせる設問。誤りではないとされた選択肢「フランスでは、普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)の敗北後、第三共和政が成立した」に関し、同塾は「一部の教科書は、第三共和政の開始を普仏戦争中としており、この教科書で学んだ生徒が『誤りの文』と判定する可能性がある」と指摘した。【竹中拓実】

毎日新聞 2007年1月21日 東京朝刊

大学入試:センター試験 世界史Bの設問「不適切」と指摘 河合塾が質問状

フランス第三共和政の成立過程はけっこう複雑なんだよね。1870年のプロイセン=フランス戦争(普仏戦争)中、フランス皇帝ナポレオン三世はプロイセン軍に捕らえられてしまった。9月に国民防衛政府がパリで組織され、その後、ヴェルサイユでティエールを首班とする臨時政府が成立した。この臨時政府が1871年2月にプロイセンと講和するんだけど、それがあまりにフランスに不利だったので、3月にパリの市民と労働者がパリ=コミューンを組織して、臨時政府と対立した。臨時政府は、プロイセン軍の支持を受け、これを弾圧し、5月に倒した。そして、9月にティエールが大統領となったわけだ。

だから、国民防衛政府や臨時政府の成立をもって第三共和政のはじまりとみなせば、普仏戦争中に成立したことになるし、ティエールの大統領就任をもって第三共和政のはじまりとすれば、普仏戦争後に成立したことになる。ホントは、そのあとも1875年共和国憲法(第三共和政憲法)が成立するまで、ごちゃごちゃするんだよね。w

これは鎌倉幕府の成立が源平合戦後なのか?といった問題と共通する。1180年の頼朝の鎌倉入りとか、1183年の十月院宣(頼朝の東国支配を後白河法皇が認めた)をもって鎌倉幕府の成立とすると、源平合戦中になるし、1185年の守護地頭の設置をもって鎌倉幕府の成立とすると、源平合戦後になる(これを幕府の成立とする説が今ではいちばん有力である)。ちなみに、1192年の頼朝の征夷大将軍就任をもって幕府の成立とする学者は今はほとんどいない。

まあ、連続する出来事のどれかで決めなきゃならないんだから、むずかしいわけなんだよね。w

2007.01.21 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(2) |

…という懐かしい言葉を思い出した。w

内田せんせが

さよならマルクス

という記事を書いた。そしたら、それに対する反論が寄せられていた。

マルクスにさよならをいう前に

「さよならマルクス」と題したブログの記事がある。何の話かと思ったら、学校教育に「弱肉強食」の競争原理を持ち込むな、という教育再生会議の批判だ。その論旨はともかく、問題は『資本論』の児童労働に関する記述が引用され、まるでマルクスが内田樹氏と同じことを主張したかのように書かれていることだ。たしかにマルクスは児童労働の悲惨な状況を描いたが、「競争原理から子供を守れ」などと主張したことはない。

ふ~ん、ところで井上さんが『ゴーダ綱領批判』から引用しているマルクスの言葉なんだけど…

児童労働の全般的な禁止を実行することは――もし可能であるとしても――反動的であろう。というのは、いろいろの年齢段階に応じて労働時間を厳格に規制し、また児童の保護の為にその他の予防措置をするなら、生産的労働と教育とを早期に結合する事は、今日の社会を変革するもっとも強力な手段の一つであるからである。

太字部分は、「競争原理から子供を守れ」という意味なんだよ。守ったうえで、児童労働を行うことが、肉体労働と精神労働の対立を止揚するために重要である、とマルクスは言っているんだけどね。w

さらに、ここの部分なんだけど…

運動会で着順をつけるのが「差別」だからみんな同着にしよう、というように子供を競争原理からずっと保護し続けることができるなら、それもいいだろう。しかし彼らは、いずれ社会に出て弱肉強食の現実に直面する。競争原理から保護されているのは、業績に関係なく給料のもらえる教師だけだ。彼らのセンチメンタリズムを子供に押しつけることは、「子供を守る」どころか、社会で闘えず、現実に適応できないニートを増やすだけである。

オイラも運動会で着順をつけるのを「差別」とすることに反対だ。しかし、それは池田さんがいうような、資本主義的な競争原理に馴化(=野生動物を家畜化すること)させるためではなく、精神分析でいうところの「去勢」(社会のルールを内面化させること=この世の中は「自分中心でまわっているのではない」と思い知らせること)のためである。

これは資本主義的な競争原理に馴化されることと同じではない。このような競争原理を将来的になくそうと思っていても、この原理に従わなくてはこの社会を生きていけないのが現実なのだ。ゆえに、資本主義的な競争原理とゲリラ戦を戦うためにも(イタリアの社会主義者グラムシの言葉を借りれば、「塹壕戦」を戦うためにも)、社会性(フロイトのいう現実原則)を身につけなくてはならないのである。

「働かない。だから搾取されない」なんて「寝言」を言っていた社会主義協会系の労働組合員みたいではダメなんだよな。w

子供を特別な保護すべき存在とするようになったのは「ブルジョア社会」になってからであり、歴史的には(途上国では今でも)子供は労働力である。公教育は(内田氏の主張するように)子供を保護するためではなく、工場の規律に合わせて労働者を規格化するためにつくられたものだ。学校だけが、社会のルールから保護された楽園であるはずもない。

まあ、この部分はアリエス(「子ども」という概念は、歴史的に形成されたもので、近代の発明品という主張)か、イリイチ(おお、『脱・学校化社会』!)のパクリなんだけど、じつは、そうでもないことが山川出版社の『詳説 世界史B』に書いてあるんだよね。つまり、ギリシアのポリスでは「自由人」の子どもは「子ども」として保護の対象だったって…。日本の前近代だって、数えの七歳までは別扱いだし…。w

公教育は、従順な「工場労働者」をつくるためというより、国民国家の構成員である「国民」をつくるためなんじゃないの?

内田せんせは「社会のルール」から子どもを保護するって言ってるけど、この「社会のルール」って言葉が問題なんであって、池田さんは社会のルール「一般」だと思っているようだけど(ついでにいうと、彼にとって社会のルール=競争原理だと思い込んでいるようでもあるが)、ラカン読みの内田せんせが、子どもを社会のルール「一般」から保護するべきだ、と思っているとはとーてー思えない。なにしろ「“大人になれよ!”はないだろう」って某ラカン研究者のサイトで批判されてるくらいなんだから…。w

マルクスは競争原理を否定したこともないし、平等を実現すべきだと主張したこともない。戦後の日本社会を毒してきたのは、こういう少女趣味的なマルクス解釈であり、それを清算することが現代の「思想」的課題である。「さよなら」をいう前に、内田氏はちゃんとマルクスを読んだほうがいいのではないか。

「マルクスは競争原理を否定したこともない」。これは、マルクスが、19世紀の進化論的発想(歴史は共産制→奴隷制→農奴制→資本制→社会主義→共産主義と単線的に発展すると信じていた!)から自由じゃなかったから…。

「平等を実現すべきだと主張したこともない」。これは新説だな。w あのね、マルクスは、『資本論』やその他の出版物で、あまり将来について語ってないんだよね。彼にとっては、現実=資本主義社会の分析こそが第一の仕事だったわけ。だから、彼がそー書いていなかったとしても、そー思わなかったってことじゃないんだよね。

ちなみに、オイラは20歳のとき、はじめて『資本論』第1巻を読んだ。春休みぜんぶ使ってね。もちろん、オイラは、山田盛太郎せんせの直弟子である南克己せんせからマルクス経済学を教わったんで、南式でしか理解できなかったけど…。でも、「絶対的剰余価値の生産」にある、児童労働の過酷さにかんする記述は、心的外傷(トラウマ)になるような文章だった。ムリな労働の結果、筋肉がスポンジ状に…とか、トイレがないので机の引き出しに汚物を…って書いてあったな。
ガタガタ((((((゚д゚))))))ブルブル

コレを読んだら、おのれ資本主義ゆるせん!と思ってしまうお。(爆)

2007.01.21 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

今さっきセンター試験問題(世界史B)をやってみた。

センター試験1日目、問題・回答・分析を速報中!

100点だった。

とくにむずかしい問題はなかった。
20分でできちゃったし…。

しかし…、
オイラが100点とっても意味ないんだよ。
生徒がとらなくちゃね。orz

2007.01.21 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(2) |