FC2ブログ
この件

デスノートに「似てる、似てない」 少年サンデー連載ネットで話題

にかんするhacraちゃんのこの記事

デスノ人気はまだ続く。

につけたコメント。



のまネコ騒動のとき、エイベックスを叩いていた香具師の一人がブログにこんなことを書いていた。

彼は小学生のときから推理小説のファンであった。彼が許せないのは「金田一少年の事件簿」だ。なぜなら、このマンガのトリックはすべて彼の読んだ推理小説に書いてあったから。そこで、彼は学校で「金田一少年の事件簿」はすべて他の推理小説のパクリだと力説した。しかし、彼の友だちは彼に一言「うぜ~ヤツ」としか言わなかった。

だから、彼はモナーをパクったのまネコが許せないと書いてたな。w

問題なのは、彼がオリジナルだと思っている推理小説も、元ネタはだいたいそれ以前に書かれた文学作品からのパクリであることが多いってこと。


さて、問題のマンガをオイラは読んでないし、『DEATH NOTE』も映画をテレビで見ただけだから、あまり詳しくない。

しかし、「名前を書くと人が死ぬノート」という設定は『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な水木しげる氏が1973年に著した『不思議な手帖』がまったく同じ設定なんだよね。w

ちょっと設定はちがうけど、「午前零時にだけアクセス出来るホームページ『地獄通信』に憎い相手の名前を書き込み、送信ボタンをクリックすると、地獄に墜とせる」っていうのも似てるっちゃ似てるよね。wwwww

『ドラえもん』にも「あらかじめ日記は恐ろしい」っていうのがあるらしい。スネ夫があらかじめ日記に「のび太はジャイアンになぐられ、しずちゃんにくびをしめられ… ライオンに食べられる」と書いたら、それがつぎつぎと実現するって話…。

まあ、よーするに人間の考えることは似てる!ということと、最初に見聞きしたものをオリジナルだと信じるってことですね。(爆)



もう一度読んでみると、類似点はこのことなのね。

両漫画を比べて読むと、確かに類似点がいくつかある。主人公の少年は、ともに学校一の秀才だが、日常生活に退屈さを感じている。そして、何かの力を借りて、人類を浄化したいとの衝動に駆られる。

う~ん、オウム真理教事件を知らない人たちの問題の立て方だな。wwwww

宮台真司は『終わりなき日常を生きろ』(筑摩書房、1995年)のなかで、オウム事件を解くカギは「終わりなき日常」(と「さまよえる良心」)にあると論じたが、両主人公のメンタリティってオウム信者とまったく同じなんだよね。

「終わりなき日常」とは、これからは輝かしい進歩もないし、おぞましき破滅もない。とするなら、学校的な日常のなかで永遠に戯れつづけるしかない、という感覚のことだ。「終わりなき日常」はキツイ。モテない奴は永久にモテず、さえない奴は永久にさえない。

こうした「終わりなき日常」をサリンを撒くことで終わらせようとしたのが、オウム事件だった。デスノートでは《名前を書き込んだ人が死ぬノート》によって、ロストブレインでは催眠術によって、「終わりなき日常」の終焉=人類浄化を実現しようとする(らしい)。

ちなみに、「さまよえる良心」は、良心的存在でありたいのに、何が良きことなのかわからないという状態のことだ。このような若者の前に「これは善業、これは悪業」とあたかも父親のように断言する教祖=麻原祥晃が現れると…っていうのが「さまよえる良心」の問題なのだ。

2007.12.24 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(3) |