さきたま古墳群には、9基の古墳がありますが、今回、ちゃんと見たのは北側にある4つの古墳です。

まず、最初に行ったのは将軍山古墳です。



ここは、前方後円墳で、復元された横穴式の石室があり、中を見ることができます。



被葬者の周りには、武具や祭器などさまざまな副葬品が置かれていました。この石室は、周りは房総石、天井石は秩父から切り出された石でつくられています。房総石は、貝が空けた穴が開いており、オイラが子どものころ行った勝山(千葉県鋸南町)の海に落ちていた石と同じです。


二子山古墳は、さきたま古墳群最大の前方後円墳で、主軸長が138mあります(写真は逆光でちょっと暗い)。




稲荷山古墳は、国宝の鉄剣が出てきた前方後円古墳で、さきたま古墳群ではもっとも古い墳です。




丸墓山古墳は、列島最大の円墳で、直径105m、高さが19mもあります。



豊臣秀吉の小田原攻めのとき、石田三成がこの古墳の上に本陣を置き、忍城を攻めたが、落城されられなかったのは、有名な話です。


これ以外にも、愛宕山古墳(すぐ隣が駐車場になっていた)、瓦塚古墳(大量の埴輪が出土した)、鉄砲山古墳、中の山古墳、奥の山古墳があります。

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5/23(金)、午後に時間を空けて、さきたま古墳群を見に行きました。

航空写真

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2008.05.25 | お出かけ | トラックバック(0) | コメント(2) |

邪馬台国論争(1)~(5)に登場する纏向遺跡について書いておきます。ただし、これは邪馬台国論争(4)に加筆して、復元図をつけたものです。

纏向遺跡は、180年ころから340年ころまで栄えた、東西2km南北2kmの「都市」で、旧巻向川の川道で4つの地域に区分されます。


纏向遺跡の復元図(クリックすると拡大します)



北から、「草川微高地」、「太田北微高地」、「太田微高地」、「箸中微高地」と呼ばれています。

纏向が「都市」だといわれるのは、その大きさだけではなく、他の遺跡には見られない特徴があるからです。3世紀の住居跡は竪穴式住居(穴屋)が多いのですが、これまでの発掘では穴屋がまったく見られません。すべての住居が、他の地域では王者の住居である、平屋か高屋(高床式住居)なのです。

また、住民の2~3割が日本各地からの外来者で、他の地域が5%くらいだったのと比べると、かなり多いです。どこの地域でも、またいつの時代でも、首都というものは、地方出身者が多数集まるものです。

幅5m深さ1.5mで矢板をつかって護岸工事された「大溝」が、T字型に2本掘られ、1本は東南に遡って巻向川を水源とし、残りの1本は大和川まで延びて、総延長2.6kmあります。運河として、水運に使われていたようで、大和川を下って大阪湾まで船で行けたようです。

太田北微高地の河原には、50cm~5mの湧水層まで達する穴が30基以上掘られ、3m四方の仮設住居跡が見つかりました。土坑内からは、祭につかわれたと思われる、多くの土器や木製品が出土しました。仮設住居で祭祀を行い、その後、坑内にその用具を納めたもののようです。祭の内容は、多くの籾殻が出土したため、新嘗祭に近いものだったようです。さらに、これと同時に、出土した土器により、静岡県から福岡県までの地方豪族からの食物供献儀礼も行われていたのではないか、と推測されています。

太田北微高地には、神社の原型となる建物も見つかっています。地図に▲印で「祭殿」とあるのがそれです。主殿は5×5mと少々小さめですが、2×1.5mの脇殿をもち、社殿のようです。


纏向遺跡 祭殿復元図


同 平面図



太田北微高地には、導水施設があり、聖水供献(井泉の神聖な水を献上すること)の儀式が行われていた可能性があります。そして、1992年、この導水路Bの木樋内で大量の寄生虫の卵が見つかりました。その数は便槽とほぼ同じ数であり、どうも大便を放り込んだようなのです。「天岩戸」の神話を再現するような儀式が行われていたのでしょう。


纏向遺跡 導水施設平面図

2008.05.25 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

こちらの記事

邪馬台国論争(4)

にあるレスは、じつは1週間前に書いたもので、1週間ぶりに見てみたら、レスがたくさんついてました。w

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2008.05.25 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

この前のカキコ

邪馬台国論争(3)

に返事が来てました。

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2008.05.25 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(2) |

武田邦彦先生によると、縄文時代と平安時代は温暖化が進んだ時代で、今よりずっと暑かったらしい。



現在はたしかに温暖化してるけど、これってフツーに地球の温暖化と寒冷化のサイクルの結果なんじゃないのか?

カラッと行こう!環境問題は一つもない (3) 未来のある時代の方が大切だ

さっきもNHKで、死んだシロクマの映像を見せて、北極の氷が溶けている、と温暖化の脅威を煽っていた。しかし、もし温暖化でシロクマが絶滅するのなら、すでに縄文時代や平安時代に絶滅してなきゃオカシイだろう。

みなさん、冷静になりましょう。w

2008.05.22 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(16) |

マジで役に立つと思ってるんでしょうかねぇ。w

  7月の洞爺湖サミットを前に、来月発表される「福田ビジョン」では、2050年までに温室効果ガスの60~80%の削減という思い切った目標を日本として打ち出すことが報じられている。しかし、その実現可能性については大いに疑問が残る。なぜならば、エネルギー政策の抜本的な転換を抜きに、80%もの CO2を削減することは難しいと考えられているにもかかわらず、日本は世界の先進国の中でも、エネルギー政策の転換が大きく遅れを取り始めているからだ。

  現在、欧米では温室効果ガス削減の根本的な解決策として、再生可能エネルギーが注目され、各国ともその開発や普及に本格的に力を入れ始めている。中でもドイツの伸びが突出しており、2030年までにエネルギーの45%を再生可能エネルギーで賄う目標をたてているほどだ。地球温暖化問題には後ろ向きと批判されることの多い米国でさえ、2020年に15%という目標をたてているが、日本は2014年までに使用電力の何と1.63%を再生可能エネルギーで賄うことを義務化しているに過ぎない。明らかに桁が違うのだ。

 「世界から見れば、日本の数値目標はジョークにしか思えない」と再生可能エネルギーの普及に尽力してきた環境エネルギー政策研究所の飯田哲也氏は苦笑し、世界の趨勢から取り残されつつある日本の状況を嘆く。

日本が再生可能エネルギーを推進すべきこれだけの理由

再生可能エネルギーが使いものになると思っているほうがジョークなんですが…。

このなかに、再生可能エネルギーへの補助金が打ち切られている話と、太陽光発電機器での日本のシェアが落ちている話が出てくるけれど、ホントはこの2つはリンクしている。つまり、補助金を太陽光発電機器にかけていたときは、シェアが高かったけれど、それをやめたら(いま補助金は風力発電に使われている)、一気にシェアが落ちた、というのが事実なのです。

ここから、このつぎに起きることを予測すると、いま風力発電に補助金を使っているが、それがべつの何かに使われるようになると、風力発電もまた終わってしまう、ということです。w

これが公共事業だということを、みなさん、お気づきですか?

国民総所得(GNI、むかしはGNPと言いました)をY、民間最終消費支出をC、政府最終消費支出をG、民間総資本形成をI、海外純所得をNxとすると、

   Y=C+G+I+Nx

という式が書けます。そしてCとIとNxが一定ならば、Gを増やせば、その分だけ国民総所得が増える。ケインズ理論です。

このGの増加分(ΔG)をいままでは公共事業でやってきたんですが、世間体が悪いので、再生可能エネルギーへの補助金に使おうというわけです。

風力、太陽光、太陽熱、地熱、バイオマス、水力、波力など、名前が上がっていますが、このなかでまともに使えそうなのは、バイオマスくらいです。ほかは、出力が弱すぎて、実用化できそうにありません。地熱発電なんて、硫黄酸化物などが排出されるので、逆に地球にやさしくありません。w

これらも、道路と同じで、べつに成果が上がらなくてもかまわない、やること(税金をつぎ込むこと)に意味がある、ってわけです。公共事業的でしょ。

日本だけが公共事業をやってると思ってたらオオマチガイです。アメリカでは戦争が公共事業だったのです。つまり、政府が税金を軍需産業につぎ込む。軍需産業は、その金で人を雇って、雇用を創出する。公共事業なんです。

宮台も神保さんも、このような共和党的な公共事業から、環境問題にお金を使う民主党的な公共事業へのシフトを批判していたような気がするんだけどなぁ。

…ていうか、アメリカの公共事業が戦争だって話をしてたのは宮台さんですよ。w

2008.05.20 | 日記らしきもの | トラックバック(1) | コメント(0) |

…って広告が新聞に載ってて、それを見た2chのVIP板の連中が大騒ぎしたオリックスカードのCMなんだけど、きっこねえさんが文句をつけていた。

ずいぶん前からOAしてる今のバージョンは、まったく理解できない。スケジュールを書き入れるホワイトボードのヤツだ。

篠原 「来週、休みたいんですけど」

上司 「そんなに?」

篠原 「そんなにって、どんだけ働いてると思ってるんですか!」

上司 「そんなに‥‥短くていいの?」

で、1週間も2週間もズーッと赤い線を引きながら去ってく上司の後姿を見て、「ヤバイ!グッと来たかも?」って、なんじゃこりゃ~!って感じだ。これが、もしもあたしだったら、「お前はずっと休んでても、この会社は困らないよ」って言われてると思って、ものすごくムカツク。そして、あたしは、自分がこんなに「必要とされてなかったのか」って思って、激しく凹む。だから、死んでも「グッと来たかも?」とはならない。

■2008/05/19 (月) 痛々しい人たち

めずらしくオイラも同感なんだよね。なんか「イラネ」って言われてるみたいでヤダナ。


上司といえば、オイラの学校では、校長先生の人気がいまいちだ。いろいろ思いついたことをすぐ実行に移すので、雑用が増えたり、授業計画が混乱するので、教員から嫌われている。「早く副校長が校長になればいいのに…」などという人もいるくらいだ。w

ところが、副校長先生は、副校長をやるより、生徒を相手に授業をやりたいって人だから、なりたがらないだろうな。校長から「あなたは副校長なんだから授業やっちゃダメ」といわれているんだけど、チャンスを見つけては授業をやりたがる。

なんか世の中うまくいかないもんだねぇ。(爆)

2008.05.20 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

最近、とうとう「魏志倭人伝(魏志東夷伝倭人条)」を読んでしまいました。そこで、気づいたことを書きます。

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2008.05.18 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(4) |

最近、邪馬台国論争にハマってますね。

この記事

邪馬台国論争(3)

への反論がカキコされたので、現在、その対処を考えているところです。w


さて、そのおかげで、邪馬台国関係の本を多数買いこんでしまいました。

…といっても、オイラの買った本は、ほとんど学術的なもので、トンデモ系の本は最初から排除しています。

しかし、学術書は(あたりまえだが)高いので、困ってます。orz

石野博信 著『大和・纏向遺跡』(学生社、2005年)なんて、1万円近くしました。とってもオモシロイ本なんですが、値段はなんとかしてください。w


これらの本に共通するのは、まともな学者さんは、あまり場所にはこだわっていなくて、べつにどこにあってもかまわないけど、とにかくホントのことが知りたいというスタンスです。

彼らを「異常人格者」あつかいするのは、あきらかに「投影」で、自らの頑迷さ、狂信性を相手に映し出しているだけのようです。w

ハッキリ言って、あの人たちは、卑弥呼の墓が見つかって邪馬台国の場所が特定されても、自らの説に固執するでしょう。最後は「陰謀論」まで持ち出しそうな雰囲気です。

説得するだけムダなことがわかったのですが、ハア、トンデモない人たちとつきあっちゃったなぁ、とちょっと後悔してます。(爆)

2008.05.17 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(9) |

「朝日新聞」に載っていた「地方有料道、6割が赤字 76%が需要予測下回る」の記事だけど、それにかんしてアルファブロガーの貞子ちゃんが記事を書いた。

いわゆる日本の高速道路の費用対効果(コストとベネフィット)の試算は、既に1990年代末に、旧建設省や旧運輸省によって、試算は終わっている。

これを天才・高橋洋一氏が、財投改革の経済学 の127ページに一覧表にして公表している。高橋洋一氏に寄れば、B/C(ベネフィットをコストで割った数)は、世界基準では、成熟している先進国の場合、21世紀では、3あるいは4(話し言葉で言えば、3倍、4倍)でないと、公共事業は経済的に成り立たないというのは、常識になっているらしい。

日本の高速道路は、この四つしか創ってはいけない。

で、そのページをうpしました。



クリックすれば、大きな表が見れます。

ところで、オイラも通ったこの有料道路

料金所を見てUターン

の費用対効果はどんなものなんでしょうか?

2008.05.14 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

昨日の新聞に載ってたこの記事だけど…

 全国の地方道路公社が運営する有料道路の約6割が、通行料収入では建設費を返済できない「赤字路線」となっていることがわかった。返済のために重ねた借金の処理で、最終的に多額の税金を投入することになる恐れが強い。ずさんな交通量予測に基づく道路整備が各地で続いている実態が浮かんだ。

地方有料道、6割が赤字 76%が需要予測下回る

オイラの知ってる道路があったので、報告しよう。

それは水海道有料道路だ。

この道路なんだけど、国道354号線のバイパスの鬼怒川に架かる橋から西へ2.7kmだけが有料道路になっていた。

水海道有料道路

オイラがなぜここを知っているかというと、累ヶ淵を見に行ったとき、通ったからだ。

累ヶ淵/累ヶ淵・法蔵寺・飯沼弘経寺・安楽寺/茨城県水海道市

この橋を渡ろうとしたら、橋の東側に料金所があった。まさか徒歩で渡る人からは料金は取らないだろう、と渡ってみたけど、やっぱり料金は取られなかったお。でも、車がぜんぜん走ってこないんだよね。

そのときだった。衝撃的な瞬間を見たのは…。

1台の乗用車が354号バイパスを走ってきたんだけど、料金所を見つけた瞬間、停車した。そして、その場でUターンして(Uターン禁止ではないようだ)、元の道を戻っていった。orz

ここ、上流は3km、下流は2km足らずのところに橋があるので、誰も渡らんのですよ。

こんな道路、必要なんですかねぇ。


リンクがキレてたら…

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2008.05.13 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(2) |

きっこ姉さんの船場「吉兆」についてのこの記事だけど…

で、今度は、他のお客の食べ残した「残飯」を次のお客に使いまわしてたってことが発覚して、最初は「大阪本店だけ」って言ってたのに、その次には「博多店も」って言い出して、最後には「全店でやってました」って白状した。あの女将は、「『食べ残し』というとイメージが悪いので、他のお客さんが『手をつけていないお料理』と言って欲しい」って報道陣に注文をつけてたけど、お客が箸をつけて崩れたワサビとかも、戻って来たお皿から回収して、みんなひとまとめにして「ワサビ醤油」にして利用してたってんだから、前のお客の唾液のついたものを次のお客に出してたワケだ。
     (中略)
でも、「吉兆」なんて、普通の人たちは行けないお店だから、あたしたちは関係ないよね。ちなみに、東京の「吉兆」をヒンパンに利用してるのは、コイズミとアベシンゾーと石原ジョンイル大将軍様だってんだから、ザマーミロ!って感じがする。こんな税金ドロボーどもが通ってるんなら、使い回しだけじゃなくて、「ペッパーランチ」みたく、料理にツバとか鼻クソとかも入れてやればよかったのに‥‥なんて思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

■2008/05/12 (月) パンダのエサ代と都知事のエサ代

残念ながら、東京「吉兆」と船場「吉兆」はべつの料亭です。

1991年に創業者の湯木貞一氏が息子や娘婿たちを暖簾分けの形で独立させ、現在は11社と1つの財団法人で吉兆グループを構成している。長男が本吉兆、長女の婿が東京吉兆、次女の婿が京都吉兆、三女の婿が船場吉兆、四女の婿が神戸吉兆を継承したのだ。

オイラとしても、石原慎太郎が残飯を食わされてるとしたら痛快なんだが、残念ながら、事実はちがうようだ。

2008.05.13 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

 25年にわたって激しく反目してきた父子が、ついに和解――。人気漫画「美味(おい)しんぼ」の主人公、新聞社の文化部記者山岡士郎と、北大路魯山人をモデルにしたとみられる美食家の父親海原雄山。83年から週刊「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で、2人のグルメ対決が続いてきたが、12日発売の同誌で、父子は静かに向かい合ってワイングラスを傾け、長年の確執をといた。

士郎と海原雄山、ついに和解 「美味しんぼ」25年で


なんで、マンガの内容がニュースになるんでしょうか?!


リンクがキレてたら…

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2008.05.13 | 日記らしきもの | トラックバック(1) | コメント(4) |

このようなニュースがあったんですね。w

 ワコールは9日、中国などアジア地域でも大人気の歌手、浜崎あゆみさんを7月からアジア向けの広告キャラクターに起用すると発表した。特に中国で下着の販売を拡大し、2010年度に中高級品のシェア10%獲得を目指す。

あゆをアジア向け広告キャラクターに ワコール

某ファンサイトにこんなカキコが…

>あゆの下着姿みえるのは嬉しい(o^o^o)
>えろいのがいいな

Hさんのライバルでしょうか?(爆)


リンクがキレてたら…

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2008.05.11 | Ayu(浜崎あゆみ) | トラックバック(0) | コメント(3) |

 それに魏志倭人伝には、邪馬台国は鉄を使うことと、絹製品を産することが書かれています。そのどちらもきわめて少ない。絹などまだ小さな袋一つしか見つかっていないのではなかったですか?袋など持ち運びするものだから原産したとは思えない。

この部分[邪馬台国論争(1)]のレスへの反論。


まず、絹ですが、考古学者の森浩一さんや京都工芸繊維大学名誉教授の布目順郎さんは、つぎのように、北九州説の優位を語っています。

弥生後期の絹製品を出した遺跡もしくは古墳は、すべて北九州にある。したがって、弥生後期に比定される邪馬台国の所在地としては、絹を出した遺跡の、現時点での分布からみるかぎり、北九州にあった公算が大きいといえるであろう。

わが国へ伝来した絹文化は、はじめの数百年間、北九州で醸成された後、古墳時代前期には本州の近畿地方と日本海沿岸地方にも出現するが、それらは北九州地方から伝播したものと考えられる。(布目順郎)

ところが、2001年におこなわれた纏向勝山古墳から出土した木材の年輪年代測定の結果で、それまで230年ころにつくられたと考えられていたこの古墳が、210年ころのものだと判明しました。この結果、3世紀後半から始まるとされていた古墳時代が、3世紀半ばに始まることがわかったのです。つまり、卑弥呼の時代には、少なくとも西日本一帯では絹の生産が始まっていたのです(石野博信氏が『邪馬台国の考古学』で、箸墓古墳が卑弥呼の墓ではなく、後継者・台与の墓ではないかとしていたのは、この結果がわかる前)。


つづいて、鉄ですが、鉄は絹以上に重要なものとされています。日本の場合、鉄は、大陸(多くは朝鮮半島)からの輸入品で、それを鋳なおして利用していました。そして、鉄が使われるようになると、それまで階層分化があいまいであった場所(松木武彦氏はそれを「縄文の伝統」と読んでいます)でも、急速に階層化が進み、巨大墳丘墓がつくられるようになったのです。

現在の考古学の成果によると、北九州の優位は紀元前1世紀(弥生中期)までである、とされています。このころの春日市の須玖岡本遺跡や前原市の三雲南小路遺跡からは多くの副葬品が埋葬されていました。

しかし、紀元1世紀にはいると、鉄獲得の中心地が出雲など山陰地方に移り、そこでは四隅に突出部のある長方形の墳丘墓がつくられるようになりました。やがてこれらの四隅突出方墳丘墓は、日本海沿岸に広がり、因幡や越にも出現しました。

そして、2世紀末になると、それまで最も「縄文の伝統」が強かった大和盆地に、鉄獲得の中心地が移り、巨大な前方後円墳がつくられるようになりました。それとともに、環濠のない(それ以前の唐古[からこ]・鍵[かぎ]などは環濠集落であった)1.5km四方の「都市」であり、総延長2.6kmの運河をもった纏向遺跡が成立したのです。


この変化の原因は気候変動だと考えられています。温暖だった弥生時代前半(前期と中期)が、寒冷化したのが後期以降(紀元1世紀以降)です。縄文時代もそうですが、原始時代の人間は、温暖化すると定住化し、それぞれの地域性の強い土器をつくります。そして、寒冷化すると、人々は流動性を強め、土器から地域性が失われていくのだそうです。

3世紀は土器の地域性がまだ残っているので、人々が移動すると、いっしょに持ってきた土器によってそれが確認できました(4世紀になると難しくなる)。3世紀には、北海道南部(ここはまだ縄文文化であった)から九州南部まで、人々が移動しているのがわかるのです。

そして、この人の流れのターミナルとなっていたのが、大和地方の纏向遺跡で、流入と流失が他の地域と比べて断然多かったのが確認できます。ちなみに、北九州は、流入は多かったのですが、流出はほとんどありませんでした。


まあ、以上の成果から、考古学ではほとんどの学者、歴史学でも過半数の学者が、邪馬台国大和説を採用しているのです。



一部を改造して、こんなカキコをしてみました。

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2008.05.11 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(2) |

い、イノッチ~!(´ロ`)

私の名前~!

間違っとるよ~!



無念!

無念!なのは、イノッチの結婚披露宴に出席できなかったから、だそうです。w

2008.05.11 | ヒッキー(宇多田ヒカル) | トラックバック(0) | コメント(0) |

   ,;;《iiミミミミii巛ミミ彡ミミ;;,,
  彡ミミミミミミ巛三三ミミミミ;,,
  巛ミミ《《《llll;;|ミミミ《彡彡彡ミミ》ミ
  巛ミ《llli/⌒` '" `゙゙ヾ三》巛彡ミ
  ミ巛llノ    ─    ミ》》》ミミヾ
  ヾミi/  ー   '_,,,,,,  ゞ》》》彡ミ
  彡/,-一ヾ ,i / _  `  ミ)))ミミ彡
  川|  ,.。- ) /、' °ヽ-  |||))ミミ彡
  彡) ' ノ/ ゝ   ̄    ||lゞ三彡
  |l||.i^  / ヽ      r |l(.6ノミ  
   ミ(  (ゝ-'ヽ 'ヽ      |ー'彡  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ヾ|!  ノl  _  ヽ    〉 川ミノ  |  後期高齢者
     |  r-─一'冫)   ノ |巛ノ <
     `| '  ̄´  ノ ! _,.. '  |彡   |  医療制度…
      !,  ,  ' ノ'  i. ヽ|_    \______
      `-┬ '^     ! / |\   


  ミミ彡ミミミ彡彡ミミミミ
,,彡彡彡ミミミ彡彡彡彡彡彡
ミミ彡彡゙゙゙゙゙""""""""ヾ彡彡彡
ミミ彡゙         ミミ彡彡
ミミ彡゙ _    _   ミミミ彡
ミミ彡 '´ ̄ヽ  '´ ̄` ,|ミミ彡
ミミ彡  ゚̄ ̄' 〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡
 彡|     |       |ミ彡
 彡|   ´-し`)  /|ミ|ミ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ゞ|     、,!     |ソ  <  私がつくって
   ヽ '´ ̄ ̄ ̄`ノ /     \______
    ,.|\、    ' /|、
 ̄ ̄| `\.`──'´/ | ̄ ̄`
    \ ~\,,/~  /
     \/▽\/


           ' ;;;;;;;;;;;;;;;;、         福田さんが謝る
       /;;彡=-ー'''゛゛゛ヾ''
       ';;/         \;;ヽ
      /;;;            );|
     /: /           (;;|
    |;;;;/  ゛ __   __,`|;;;|
    (´ヽ|   .|´ ̄ ̄`| |´ ̄ ̄||⌒)
     ヽ(|---|//oノ | |ヽo\ |─| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    \|  ヽ━━|/' ` ━━´|:./ | 国民の皆様は理解
      |   , /  ( ;,!、;)\  | < 
      |    (    │  ` ヽ 'j . | されていないようで…
      \ ;    . │     :./   \________
        \ :_,,.-=三==-゛:./
          \|____ |/
       /ト、   /7:`ヽ、_
      /::::::::| ~''x‐''''~~ /::::::::::::::`ー
     / ::::::::::::| ,,イ;;;;>、 /::::::::::::::::::::::::::


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  彡ミミミミミミ巛三三ミミミミ;,,
  巛ミミ《《《llll;;|ミミミ《彡彡彡ミミ》ミ
  巛ミ《llli/⌒` '" `゙゙ヾ三》巛彡ミ
  ミ巛llノ    ─    ミ》》》ミミヾ
  ヾミi/  ー   '_,,,,,,  ゞ》》》彡ミ
  彡/,-一ヾ ,i / _  `  ミ)))ミミ彡
  川|  ,.。- ) /、' °ヽ-  |||))ミミ彡
  彡) ' ノ/ ゝ   ̄    ||lゞ三彡
  |l||.i^  / ヽ      r |l(.6ノミ  
   ミ(  (ゝ-'ヽ 'ヽ      |ー'彡  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ヾ|!  ノl  _  ヽ    〉 川ミノ  |
     |  r-─一'冫)   ノ |巛ノ <  いいねぇ!
     `| '  ̄´  ノ ! _,.. '  |彡   |
      !,  ,  ' ノ'  i. ヽ|_    \______
      `-┬ '^     ! / |\   


ザ・ニュースペーパーのギャグより

2008.05.11 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

…と、いきなりトンデモない題名です。

最近、某人物と邪馬台国について論争してるわけですが、こっちもいろいろ知らなきゃならないので、その手の本を買って読むわけです。

で、昨日、買ったのが石野博信さんの『邪馬台国の考古学』(吉川弘文館、2001年)です。石野さんは、徳島文理大学の教授で、邪馬台国大和説の代表的な論客です。この本は、邪馬台国があった3世紀の古墳の調査結果の比較や、各地の遺跡から発掘された土器を用いて人々の移動から、考古学的に邪馬台国を考察する本です。

この本の中に、現在、邪馬台国の中心である可能性がきわめて高いと考えられている纏向遺跡で行われていたある儀式についての記述があります(p.25-31)。

纏向遺跡には導水施設があり、聖水供献(井泉の神聖な水を献上すること)の儀式が行われていた可能性があるのですが、1992年、この導水施設の木樋内で大量の寄生虫の卵が見つかりました。その数は便槽とほぼ同じ数であり、どうも大便を放り込んだようなのです。神聖な水に大便を放り込むとは、いったいどういうことでしょうか。

石野さんは、神聖な水と大便の関係を考えると、「天岩戸」の神話が連想できると述べています。

『古事記』によると、スサノオノミコトは、アマテラスオオミカミの住む高天原に行き、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。八百万の神はアマテラスに苦情を言うが、アマテラスは「考えがあってのことなのだ」とスサノオをかばった。

しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、スサノオは機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ「斑馬」を落とし入れ、一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。

アマテラスは、スサノオの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)ごとが発生した。

八百万の神は、天の安河の川原に集まり、相談をした。オモイカネの案により、様々な儀式を行った。ついには、アメノウズメが、岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。

この声を聴いたアマテラスは、何事だろうと天岩戸の扉を少し開けた。そのとき、隠れていたタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。こうしてアマテラスが岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。

『日本書紀』では、スサノオが機屋に馬を投げた際、アマテラス自身が驚いて梭で傷ついたとある。第1の一書では、稚日女尊(ワカヒルメ)が梭で傷ついて死んだとなっている。ワカヒルメはオオヒルメすなわちアマテラスの分身であり、スサノオの行為によってアマテラスが死んだというのが元々の伝承ではないかと考えられる。

アマテラスが天岩戸に隠れて世の中が闇になるという話は、日食を表したものだという解釈と、冬至を過ぎて太陽が弱まった力を取り戻すということを象徴したものとする見方があります。

この儀式はその後も行われていたようで、5世紀の奈良県御所市南郷大東遺跡にも導水施設があり、やはり大量の寄生虫卵が発見されています。また、ここでは板壁建物の屋根の一部が転倒しており、機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ「斑馬」を落とし入れた乱暴も連想できるそうです。


さて、ここまではマトモな研究書にもとづく話ですが、ここからちょっとヤバイ系の本に変わります。

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2008.05.11 | 心霊 | トラックバック(0) | コメント(0) |

PVが存在したことに驚きましたが、それ以上にシュールなんです。w




村下孝蔵「夢のつづき」



こっちのPVのほうが村下孝蔵っぽい。

2008.05.10 | 音楽 | トラックバック(0) | コメント(2) |