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こんな番組があったなんて…。w

新説!?日本ミステリー

この時間帯って、母親が演歌を聴く番組(NHK歌謡コンサート)があるんで、ノーマークだったんだけど、ものすごいトンデモ番組が放送されていました。

アニメーションの青龍と白虎が出てきて、青龍が通説を語り、それに対して白虎が新説(珍説!)をとなえ、それにかんするビデオが流されます。両者激論となり、さいごにゲストが判定するというスタイルでした。

ちなみに、昨夜、やっていたのは…。

●番長皿屋敷は怪談じゃなかった!?
  お菊の皿に隠された呪いの正体!?

●追跡調査・熱海の海底遺跡は鎌倉幕府の巨大軍港!!
 『源頼朝は海人族だった!?』

第12回 2008年7月29日

前半の「番長皿屋敷は怪談じゃなかった!?」はオイラの知ってるネタでした。ちなみに、「皿屋敷」につくのは、「番長」ではなく、「番町」だと思います。「番長」だと、三浦加納子さんが出てきて、お菊さんの指を数えて「一つ足りぬ。悲しいやのう」と言いそうです。←わかる人にしかわからんギャグだな。w

この番組であつかったのは、滋賀県彦根市の孕石(はらみいし)家に伝わる「お菊の皿」にかんする話でした。孕石家の後継ぎ政之進は、女中・菊と恋仲になるが、親が決めた許婚がおり、菊と結婚することができなかった。菊は、政之進の心を疑い、孕石家の家宝である揃い皿(徳川家康が家臣の井伊直政に与え、井伊直孝が孕石家に与えた)を1枚割り、心を試してしまう。政之進は、自分を試したことを怒り、家宝の皿をすべて割る。菊は成敗されることを望み、政之進は、生涯妻を持たぬと誓い、菊を手打ちにする。こんな話が紹介されました。

じつはこの話、ホラー・マンガ家の永久保貴一さんが「皿屋敷」について徹底的に調べたマンガに出てました。オイラも以前、旧ブログに書いたことがあります。ただし、この話がオリジナルではなく、元ネタは群馬県の甘楽郡を支配していた小幡氏までさかのぼります。

 滋賀県の彦根や埼玉県の行田にも「皿屋敷」の話があります。彦根の初代藩主・井伊直政は、小田原の戦いの後、小幡領を支配し、多くの家臣を新たに取り立てました。その後、彼が彦根に移ると、菊の怨霊の話が彦根に伝わったのです。さらに、彦根藩の重臣で小幡氏に仕えていた岡本半介が、徳川家康の孫・松平忠明(下総守)に小幡氏の人間を推挙しました。この松平家(下総守)が姫路に移封され、菊の怨霊の話が姫路に伝わったのです。さらに、松平家は埼玉県の忍 (行田市)に移ると、ここにも菊の怨霊の話が伝わりました。

永久保貴一『検証 四谷怪談 皿屋敷』~永久保さんの実証がステキw~

だから、中途半端な内容としか、言いようがなかった。w



後半の「源頼朝は海人族だった!?」はさらに驚くべき内容だった。なんか、熱海の海中に港の遺跡があるらしく、それが鎌倉幕府の巨大軍港だというのです。

この件についてはちゃんとした発掘をしたのか?が最初の疑問でしたが、それ以上に驚いたのは、「源頼朝は海人族だった」のほうです。いきなり「海人族」とは…。

源頼朝は、源平合戦のとき、村上水軍や熊野水軍を味方につけ、戦いを有利に進めたわけですが、それができたのは頼朝が「海人族」だったから、というのです。

村上水軍や熊野水軍は、もともと平氏の味方で、源平合戦の過程で服従したわけです。『平家物語』を読めば、熊野別当・湛増が、壇ノ浦の戦いのとき、闘鶏で占い、源氏に味方した話が書いてあるんだけど…。←まあ、これはフィクションでしょうけど…w。

あと、三浦氏が海を支配する一族だったことが紹介されていましたが、いきなり三崎港が三浦氏の軍港ときたのにはおどろきました。…ていうか、三浦氏の港は、鎌倉時代(ただし前半)は六浦(神奈川県横浜市金沢区)で、室町時代になると油壺(神奈川県三浦市)になったんだと思うんだけど…。

頼朝が水軍を味方につけたのは、彼の家臣(=御家人)の中に水軍を支配した経験のあるものがいたので、彼らを使って味方につけたとするのが最近の学界での新説です。

熊野水軍が頼朝に味方したとき、「紀伊国守護」としてそれを管理したのが、東京23区の北部を支配していた豊島氏の一族・有経でした。豊島氏は、入間川(当時は、今とちがって、荒川は元荒川の河道を流れていた)の水運を支配しており、「湾岸領主」と呼ばれる「水の武士団」でした。有経は、その経歴を買われて、熊野水軍の管理を任されたと考えられています。じつは、豊島氏は、それ以前から熊野との関係が深く、(オイラの地元の)王子神社などは熊野から勧請されたものでした。

豊島氏や、豊島氏の一族の葛西氏(豊島有経の兄弟である葛西清重は奥州総奉行として奥州藤原氏滅亡後の陸奥・出羽を支配)、今の都心を支配していた江戸氏、千葉市を中心にしていた千葉氏、それから三浦氏などが「湾岸領主」で、彼らは江戸湾(東京湾)を支配し、水運に従事していた「水の武士団」だったのではないかと考えられています。

ちなみに、村上水軍を管理する担当だったのが源義経で、彼が伊予守に任官したのは村上水軍をはじめとする海賊を支配するためだったのです。まあ、義経は、任官する直前に頼朝と不仲になって、結局、役に立たなかったのですが…。義経没落後は、頼朝腹心の部下である梶原景時が播磨・美作の、土肥実平が備前・備中・備後の守護として、海賊の管理をしたんでしょうね。その後は伊予の河野氏が管理していた。戦国時代に管理していたのは、実平の子孫である小早川氏でした(ただし当主は毛利元就の子・隆景ですが…)。w

つまり、頼朝は、家来の中から水軍を管理する適任者を選んでいただけで、彼自身がいきなり「海人族」である必要はないのです。orz

あとねえ。頼朝が紹介されるたびに「伝・源頼朝像」が出てくるんですけど、あれは今じゃ足利直義像と考えられているので、出さない方が(゚∀゚)イイ!と思いますよ。(爆)



しかし、この番組でもっともトンデモないのがシリーズ化されている「関東にも大和朝廷に対する日本王国があった!?」です。これ、第1回から、たびたび紹介されているらしいのです。

どうも、さきたま古墳群のあたりに大王(ふつう天武天皇以前の天皇のことを大王と呼んでいる)がいて、それがヤマト政権とは別に関東を支配していたというのです。

第1回 2008年4月22日

困ったことに、この説を唱えているのが、古田トンデモ武彦氏なのですよ。う~ん、やはりトンデモはトンデモを呼ぶのか?

2008.07.30 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(2) |