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オイラが以前からオカシイと思っていたことなんだけど…

たとえば、Aさんという人の主張を知って、それに同感したり、反感を抱いたりしたとき、Aさんについてより知識を深めるために、Aさんの著作があったのなら、なんでそれを読まないのだろうか?

…ということ。

そうすれば、Aさんの主張が正しいのか、誤っているのか、最初の段階(つまり主張を知った段階)よりもより正しい判断ができるはずなのに、だ。


オイラは最近、権丈善一教授の本を読んでいる。それは「報道2001」で彼が、現行の年金制度は崩壊しない、と主張していることを知り、その真偽を知りたいと思ったからだ。

現行の年金制度が崩壊しているのに、「そうではない!」と主張するのは、「トンデモ」であり、批判されて当然だ。だが、「そうではない!」とする確かな証拠を本人が示しているのなら、それを非難することのほうが「トンデモ」である。

それを知るためには、彼が、どのような主張を、どのような論理で、展開しているのかを知らねばならず、そのためには彼の著書を読む必要がある。

それをしないで批判(正しくは非難)するのはオカシナ行為である。


池田トンデモ信夫氏の主張は、彼の著作に非常に初歩的な過ち(その中には高校生レベルのマチガイすらある)が見られたり、彼が批判する人物の主張が彼よりマトモだったりすることで、判断できる。

もちろん、池田氏の主張が正しいこともある。…が、それはマンキューのコピペだったりするわけだ。w

それに本を読んでいくと、たとえば、クルーグマンが著書のなかで述べていたことと、ぜんぜん関係ない文脈で権丈教授が述べていたことが、まったく同じ(つまり経済学界の常識)で、池田氏はケインジアンを「地底人」、マルクス主義者を「最低人」と罵っているけれど、じつは池田氏のほうこそ「地底人」「最低人」だったのだ、ということを知ることができたりするのだ。


烏賀陽弘道氏が『Jポップの心象風景』(文春新書、2005年)のなかで「『文明』と闘うサイボーグ女戦士―浜崎あゆみ」を書いたのは、おそらく2003年であろう(引用されている本やデータが2003年までしかない)。

とすれば、である。『浜崎共和国』や『ROOKI'ON JAPAN』を読むことはできたし、“A Song for ××”から“RAINBOW”までのオリジナル・アルバムはすべて聴くことができたはずである。ところが、彼の文章からはこれらの文献や音楽を聴いた形跡が見られない(オイラは“A BEST”くらいしか聴いてないんじゃないかと疑っている)。

これは、学部と大学院で歴史研究をしてきたオイラからすると、恐るべきことである。なぜ、知らない人のことを書けるのか…。

ちなみに、「浜崎あゆみのネット上の仮想世界 ― どのようにブログを利用して販売促進と個人のイメージを強化したのか」の著者も、彼女が過去にテレビで左耳の聴力をほとんど失っていることを告白している事実を知らなかった。

こーゆー世間をなめた連中の駄文を読むたびに勉強しろよ!と叫びたくなる。


まあ、オイラは、幽霊を怖がるよりも、幽霊の正体を知りたい衝動のほうが勝っているので、こんなことを書くのかもしれないなぁ。(爆)

2009.06.16 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(4) |

都議選が近いからでしょうね。w

オイラの母方の叔母の夫の兄(故人)の嫁とその妹が突然、訪ねてきた。おっそろしく遠い親戚である。しかも住んでいるのが、栃木県下都賀郡野木町の母の実家からJRの駅で一駅離れた場所からである。

彼女らの祖母が上中里(同じ北区内だが、それほど近い場所ではない)の出身なので、そこに行ったついでに訪ねてきたと言っていた。

そして、オイラの住んでいる地域のナンミョー党の都議候補をぜひ応援して欲しいと言って帰って行った。

それだけのためにわざわざね。w

どうもナンミョー上層部から指令が出ているらしい。妹の友だち(この人も選挙前にだけ連絡をしてくる)から妹にやはりお願いの電話が来たそうだ。

そのうち、オイラの教え子からもきっと電話がくるんだろうな。

ちなみに、事前運動も戸別訪問も公職選挙法違反である。

ナンミョー必死だな。wwwww

2009.06.16 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |