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烏賀陽弘道さんと言えば、『サイゾー』のインタビューに答えただけで、オリコンに訴えられたり、ベンツにツバを吐きかけたとインネンをつけられたあげく、警官に身柄拘束されそうになったり、「原発やめろ」デモ取材中に自転車に乗ったオッサンに殴られたうえに、警官に取り囲まれて逮捕されそうになった、とかく災難に遭いやすい方です。w

そして、今回の烏賀陽さんの災難は、福島県南相馬市の津波被災地で住民に言いがかりをつけられ、囲まれ、殴られ、ツバをかけられたそうです。



しかし、実際に、南相馬に取材に行っている津田大介さん、渋井哲也さん、東浩紀さんらは発言の信憑性に疑問を持ち、当事者たちがTwitterで烏賀陽さんに反論しました。

それによると、2012年の3月11日、烏賀陽さんが、両親と子ども2人を津波にさらわれた上野さんという方の家に飾った慰霊のメッセージのイルミネーションに対して「偽善だ」と言いはなったため、トラブルになったのだそうです。

被災地で暴言? 元朝日新聞記者の烏賀陽弘道さん、福島の被災地にて取材で暴行を受けたとツイートするも当事者に反論される

この一部始終は、

烏賀陽弘道氏が取材先の被災地で暴行を受けたと主張(証拠は出さず)→当事者が反論

にまとめられております。

どうも烏賀陽さんの災難は自らが招いているようですね。つぎに書くときは、烏賀陽さんはどんな災難に見舞われるのでしょうか? 今から楽しみです。(爆)



次回の書き出しはつぎのようになる予定。w

烏賀陽弘道さんと言えば、『サイゾー』のインタビューに答えただけで、オリコンに訴えられたり、ベンツにツバを吐きかけたとインネンをつけられたあげく、警官に身柄拘束されそうになったり、「原発やめろ」デモ取材中に自転車に乗ったオッサンに殴られたうえに、警官に取り囲まれて逮捕されそうになったり、福島県南相馬市の津波被災地で取材中に住民に言いがかりをつけられ、囲まれ、殴られ、ツバをかけられた、とかく災難に遭いやすい方です。w

そして、今回の烏賀陽さんの災難は…

2013.07.05 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

なんか、この話題で盛り上がっているんだってね。w

  韓国最大の日刊紙「朝鮮日報」のウエブ版にとんでもない論説が掲載されているとネットで話題になっている。

  敗戦国の日本は同じく敗戦国のドイツに学び、戦争犯罪の代価として過去に被害を与えた国家に国土の一部を献上して謝罪すべきだ、というのだ。この論説のコメント欄には「良心が麻痺した日本の指導者を覚醒させる記事だ」などといった評価が並んでいる。

「日本はドイツに学び、国土の一部を戦争被害国に献上すべき」 朝鮮日報記者の論説にネットが唖然!!!

これ、ドイツが一方的に領土を与えたわけではないことを知っておいたほうが(・∀・)イイ!!

まず、アルザスロレーヌについて。アルザスロレーヌに住んでいる人たちの多数は、フランスでは「アルザス人」と呼ばれているが、実際はドイツ語をしゃべるドイツ人だ。ここは、石炭と鉄鉱石が採れるので、フランスとドイツが奪い合い、第一次・第二次世界大戦の原因の一つと言われてきた。

これを解決するために結成されたのが、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)だ。フランスのシューマン外相の提唱で、1951年にフランス・ドイツ・イタリアとベネルクス三国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)で結成された。アルザスロレーヌは、領土的にはフランスのものだが、そこにある石炭と鉄鉱石はヨーロッパ全体で利用しましょう、ってことで「手打ち」をしたわけ。これをベースに、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、ヨーロッパ共同体(EC)、そして、ヨーロッパ連合(EU)と、ヨーロッパの統合は発展してきたのだ。


ドイツの東部国境(オーデル・ナイセ線)は、もう少し複雑だ。

下の地図は、第一次・第二次世界大戦でのポーランドの国境の移動を表している。青い実線が第一次世界大戦後のポーランド国境で、赤い実線が第二次世界大戦後の国境である。緑の実線があるが、これは、カーゾン線と言って、ポーランド語を話す人々が過半数を占める地域の東側の境界を表している(オレンジの線は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツとソ連によるポーランド分割線)。



第一次世界大戦でポーランドは独立するが、その範囲は、青の実線とカーゾン線に囲まれた地域だった。黄色で塗られいるところは、ドイツの領土として残され、グダニスク(ダンツィヒ)は国際管理下に置かれた。ポーランド軍は、ロシア革命後の混乱を利用して、ソ連領に侵入し、東部に大きく領土を拡大した。

第二次世界大戦は、ドイツ軍のポーランド侵入で始まったが、独ソ不可侵条約の秘密協定に基づき、ソ連軍もポーランドに侵入し、オレンジの線でポーランドを分割してしまった。その後、ドイツ軍はこの線をこえてソ連領に侵入し、独ソ戦が勃発した。

ソ連は、テヘラン会議でソ連・ポーランド国境をカーゾン線とすることに成功し、ポツダム会談でオーデル川とその支流であるナイセ川(オーデル・ナイセ線)をドイツ・ポーランドの国境線とした。こうして、ポーランド国境が成立し、ソ連占領地から独立したドイツ人民共和国(東ドイツ)はそれを承認した。この際、オーデル・ナイセ線以東に住んでいたドイツ人は、以西に強制移住させられ、カーゾン線の東側に住んでいたポーランド人も、強制移住させられ、新たに獲得された領土に移住した。



しかし、アメリカ・イギリス・フランスの占領地から独立したドイツ連邦共和国(西ドイツ)もそれを認めなかった。そして、この状態が1970年代まで続いた。

1969年に首相となったブラントは、「東方外交」を展開し、東ドイツと外交関係を持つこと(東西ドイツ基本条約)と、オーデル・ナイセ線をドイツ・ポーランド国境とすること(ワルシャワ条約)を認めた。「東方外交」は、デタント(緊張緩和)という歴史的条件の下で進められたが、その後の基本外交方針となっていった。東西冷戦の終結後、東西ドイツは統一されたが、オーデル・ナイセ線はドイツ・ポーランド国境として再確認された。

冷戦の終結とともに、ヨーロッパの統合が進展し、ヨーロッパ連合(EU)が成立した。そして、ポーランドをはじめとする東欧諸国もEUに加盟した。EUで最も経済力をもつ国はドイツであり、東欧諸国はドイツ製品の市場となっていった。

ドイツには「中欧(ミッテル・オイローパ)」という言葉がある。これは、たんに地理的にヨーロッパのまん中という意味ではなく、ドイツの覇権の下に置かれるべき地域を指していた。ビスマルクによって統一された第二帝国も、ヒトラーの第三帝国も、「中欧」の支配のため、東方への勢力拡張を進めてきた。しかし、ドイツが、それを諦め、東欧諸国との共存を受け入れたとき、事実上の「中欧」が形成されたのだった。

ドイツの為政者たちは、こうなることを予測して、ヨーロッパの統合や「東方外交」を進めたわけではない。たまたまそうなってしまったのだ。しかし、与えられた国際情勢の中で、どのような方針をとることが国益の最大化につながるのか、は必死に考えたにちがいない。

はたして今の日本の為政者にこのような考え方ができるんだろうか、はなはだ疑問である。

2013.07.05 | ├ 政治ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |