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「アンネの日記」を破る事件で、とうとう「模倣犯」登場か?

 東京都内の公立図書館が所蔵する「アンネの日記」や関連書籍300冊以上が破られた問題で、横浜市西区の市立中央図書館でも1冊に同様の被害が出ていたことが分かった。市は神奈川県警に被害届を出す方針。

 横浜市教委によると「アンネ・フランクの生涯」の最初の1ページが破られていた。22日に職員が関連書籍などを確認した際に気付いた。21日に市立の全18図書館で調べた際には異常はなかった。市は全図書館で「アンネの日記」や関連書籍を書架からカウンター内に移した。【山田麻未】

アンネの日記:横浜でも関連書籍破損 21日には被害なし

オイラが「模倣犯」だと思ったのは、今までの犯人が興味深い破り方をしていたからだ。

 私は海外報道から見たので、最初に「!」と気がつきました。本を破った人は、きれいにアンネの顔を残して本を損壊しています。見開きで2つありますが2つともそうです。

 これは、もしこの本の損壊が報道に出たとき、写真報道などで「アンネの日記が壊されていますよ」と、全世界のすべての人にすぐ分かるような、まるでテレビ番組の小道具のような破り方になっている。

 私も「題名のない音楽会」監督時代など「分かりやすい小物」に苦労したテレビ時代がありますので、とてもではないけれど、子供のいたずらではない、分かった人の計算された犯行(?)だと思いました。

アンネの日記を破った許されない“日本人”(3)

ところが、この横浜の犯人は1ページをまるまる破いている。これは、今までの犯人とは異なったやり口だ。ゆえに「模倣犯」の疑いがあると思ったのだ。

すでに、安倍ちゃんとそのお友だちの行動・発言によって、日本の国益は大いに毀損されているわけだけど、それに輪をかけることとなったこの事件、果たして犯人は何者なのだろうか?

2014.02.25 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

『毎日新聞』の記事が、稀代のトラブルメーカー籾井勝人NHK会長の人柄を紹介していて、オモシロイ。

 「『政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない』という就任会見での発言は籾井君の商社マン人生そのもの。彼は上司から『右向け右』と命じられたら忠実に一晩中でも右を向いているような男だった。上司は絶対。自分の部下にも服従を求めた。彼の辞書に『不偏不党』はない。こういう人物を公共放送のトップに任命した人たちの常識を疑う」。こう憤るのは30年以上にわたって籾井氏の仕事ぶりを見てきた総合商社、三井物産の先輩OBだ。なんだかドラマ「半沢直樹」とは正反対のようだが……。

NHK:半沢直樹より面白い!? 籾井会長の“剛腕”ぶり

「辞任前、上島さんは籾井氏を社長に推したが、社内から『籾井社長では事態を悪化させかねない』と猛反対にあった」とか、アジアバトミントン連盟の会長を解任されたのに「現在も会長は私だ」というメールを送り続けているとか、とかく問題の多い人物らしい。

大西さんのブログでも、「この籾井会長は経営者としてもあまり評判は良くないようです」と、FACTA onlineにあった記事を紹介している。

05年に日本ユニシス社長に就任するや、売上高5千億円、営業利益300億円の威勢のいい目標を掲げながら業績が落ち込むと、ひたすら社長のイスにしがみつき、[三井]物産の槍田松瑩社長(現会長)に手を焼かせたことである。

お騒がせNHK籾井会長がいよいよ独裁体制へ

時代錯誤の経営者って感じなんだが、彼を任命したのがやはり時代錯誤の安倍晋三なんだから、しょうがないか。この独裁者気取りの「裸の王様」は、理事全員に「辞表」を書かせたらしいけど、NHKには「受信料を払いたくない」などの抗議が数千件、寄せられているそうだ。

もう辞めるしかない!?NHK籾井会長―独裁者気取りで理事全員に「辞表」要求

しかし、上記の記事を読むと、この人が潔く辞めるとは思えないので、いま以上の醜態をさらし、周りを傷つけながら(その中には安倍も含まれるだろうw)、ボロボロになって辞めていくんだろうな。てか、辞めてくれないと、NHKばかりか、国民が困る。


リンクがキレてたら…

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2014.02.25 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

放送大学の「歴史からみる中国('13)」

歴史からみる中国('13)

で初めて知った。orz

中国史を見るとき、われわれは無意識的に現代の視点から歴史を考えてしまう。たとえば、中国(中華人民共和国)は、漢人(漢民族)が住む地域と、それ以外の人々(モンゴル人やチベット人など)が住む地域から成り立っている。そうすると、昔から漢人が住む地域を中心に歴史が展開してきたんだ、と思い込んでしまう。

ちなみに、今日、漢人がおもに住んでいる地域は、漢(前漢)の武帝が「海内(かいだい)一統」した地域とほぼ重なる。武帝以前の漢は、郡国制を採用していたが、これは、中国を東西に二分割して、西側(黄河・長江上流)が郡県制で、東側(黄河・長江下流)が封建制となっていた。教科書には「長安周辺の中央直轄地には郡県制を、地方には一族・功臣を諸侯として封じる封建制を併用した」って載っているので、東側の方が生産力が高く、一族や功臣の方が力が強かった!ことが伝わりにくい。呉楚七国の乱を契機に、しだいに郡県制を拡大した。ただし、この地域は、華北と華中であり、武帝が華南を併合して「海内一統」が成った。


さて、この「海内一統」史観だが、たとえば、南北朝時代。南北朝時代は、北方民族が建てた北朝と、漢人が建てた南朝が対立する時代で、北朝の隋が南朝の陳を滅ぼして「中国」を統一し、それを唐が引き継いだ、と教えられている。しかし、これは、「海内一統」された地域が「中国」であり、北朝も南朝も隋もそれを統一することを目指していた、という歴史観を無意識に受け入れているのだ。

「拓跋(たくばつ)国家」論はそのような歴史観を相対化する。「拓跋国家」論とは、北朝の北魏、それが分裂した東魏と西魏、それぞれを引き継ぐ北斉と北周、さらに隋と唐、これらの王朝はいずれも鮮卑(せんぴ)の拓跋部出身者によって建てられた国家だった、と考える。彼らは、北方の突厥(とっけつ)を最大の敵と考え、後顧の憂いを取り除くため、南朝の陳を滅ぼし、結果的に南北朝を統一したのだ。彼らにとって、突厥との対決がまず第一で、南北朝の統一(海内一統)はそのための一過程にすぎない、というわけだ。

しかし、この「拓跋国家」論は、現行の「世界史B」の教科書では一社(帝国書院)しか載せていない。


「拓跋国家」論とならんで、新たに知ったのが「沙陀(さた)国家」論だ。こっちは五代十国から宋(北宋)にかけての時代を説明する。

朱温(全忠)が唐を滅ぼして後梁を建国してから、宋(北宋)によって統一されるまでを五代十国時代という。五代とは、後梁、後唐、後晋、後漢、後周の5つの王朝で、華北に建国された。十国とは、華中・華南・華北の一部に建てられた王朝で、五代に対して地方政権と考えられている。後周の軍人たちに擁立された趙匡胤(太祖)が宋(北宋)を建国し、弟の光義(太宗)が「中国」を統一した。ふつう、このように教わる。

しかし、「沙陀国家」論によると、後梁を除く4王朝と宋(北宋)は、突厥の沙陀部出身者が建てた王朝で、彼らの最大の関心は北方の契丹(遼)の脅威だった。「五代」の抗争は、沙陀国家と契丹との間の連携・離反の繰り返しであった。燕雲十六州の割譲もこの文脈で考えた方がよい。また、趙匡胤の擁立も、五代一の名君とされた世宗の死後、幼君を擁したまま、契丹と対決することに不安を覚えた軍人たちによるものだった。

ちなみに、「沙陀国家」論の方は「世界史B」の教科書にはまったく載っていない。ただ、山川出版の「世界史用語集」では、それぞれの王朝の建国者のあとに、なぜか(突厥出身)と書いてあるので、“「沙陀国家」なんだよ! わかってる?”ってアピールしているみたいでオモシロイ。


E.H.カーは「歴史とは現在と過去との対話である」と言ったが、「拓跋国家」論や「沙陀国家」論は、現代のわれわれの価値観(あるいは過去のある価値観)で過去をぶった切るのではなく、過去の歴史をとおしてわれわれの価値観を相対化する例となる。

2014.02.25 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |