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アイヌ出身の知里眞志保北海道大学教授が、1954(昭和29)年に朝日文化賞を受賞したとき、北海道大学新聞に寄せた談話を引用して、金子快之(やすゆき)が自己弁護をしているな。w

「なぜアイヌのみ異民族扱い」故・知里眞志保・北大教授談

コイツのイイワケはどーでも(・∀・)イイ!!が、知里氏の談話は読む価値がある。

 今では民族と人種の差は常識でしょう。私達いわゆるアイヌといわれている者もやはり全部日本人なのです。日本語を使い、日本人の生活をし、似教を奉じているのです。

 ですからいわゆるアイヌ系日本人なのです。

 所が、なぜアイヌのみが日本人の中で異民族扱いを受けるのでしょう。これは去年行われた熊祭りに見られるように未だに沢山の日本人がアイヌを見せ物根性で見、特異な者として見たがるところから来ているのです。

 内地から人が来たりすると白老などのアイヌ部落を見せたがる。そして駅のホームには"附近名所白老アイヌ部落"と大書してある。このようにアイヌを見世物にしようとする考え方が日本人全体の内にある。しかし、このようなことは今始まったことではなく、日本書紀にもアイヌが遣唐使に連れられて中国に見世物にされたとあり、また幕末に書かれた旅行記の中に「人と書いてシャモという。エゾと書いてアイヌという」と書かれている。また十勝のエリモ岬にあるビロウというところに近藤重蔵がたてたという立て札にも「今は人もエゾも」とあり、また津軽藩のアイヌに対するフレ書の中に「エゾを人に取り立てる」とある。このように見るとアイヌは人ではなく、何かほかの動物のように思われます。このような者の考え方の残滓を今の日本人は早く拭い去ってほしいものです。

 また多くの人々は民族の文化の保存といいますが、現実にはアイヌ文化は明治時代以前に滅びてしまって、その後はいわゆるアイヌ系日本人に寄ってその文化が多少とも保たれてきたわけです。そういう意味で、このようなものを今のうちに研究しておくことは絶対必要です。現に全道でユウカラを立派に歌えるのは十人くらいでしょう。しかしこのような文化の保存はアイヌにやらせるべきではなく、日本の学者がやるべきです。アイヌを今までの文化、生活様式の中で住まわせておこうなどとはとんでもないことです。また文化保存の意味でこのようなものを上演するのはいいが、古代の風俗そのままに上演する必要は無いし、その精神、形式がその自体にマッチするようなやり方でしなければいけないでしょう。

ここで主張されているのは、アイヌは、同じ日本人なのに、異民族あつかいされ、差別されるのか、という差別への怒りだ。アイヌ文化を守るという口実で、アイヌを悲惨な状態に置くことは許せない、と主張している。

これは、差別問題を研究すると、しばしば見られる典型的な立場だ。差別を受けている集団があり、彼らの独特の生活様式や習慣(広い意味での文化)がその差別の根拠となっているとき、その文化を捨てることで差別から逃れようとする立場である。多くの場合、被差別集団から離脱し、たいへんな努力をして、成功している人に見られる(知里氏は北海道大学教授)。

しかし、この立場の人びとの帰属意識(アイデンティティ)は、もはや被差別集団とは異なっていることが多い。なぜなら、彼らが捨てた文化こそが、その集団の帰属意識の中心をなしているからだ。そして、自らの文化に誇りをもっている人たちからすれば、それを捨てた人びとは、もはや自分たちの仲間ではない。「裏切り者」と見なされる場合もある。

知里氏の場合、複雑なのは、彼が、アイヌ語研究者であり、アイヌ出身であることが研究を進める上でたいへんなアドバンテージになっていることだ。ひじょうに俗っぽい言い方だが、自らの出自をウリにしてのし上がったことは否定できない。彼が紹介されるとき、つねに「アイヌ出身の…」がつきまとっている。また、研究対象がかつての「仲間」であり、彼らと接し続けねばならない。その場合、完全に自分の過去を捨て去ることはできない。

だが、彼らに接すれば接するほど、彼らの悲惨な生活実態を知り、そこから脱するには、アイヌの文化を捨て、アイヌであることをやめなければならないと思ってしまうのだろう。そうした複雑な思いがこの談話に背景にあるのだと思う。

もちろん、彼の生きた時代の時代的な制約を理解しなければならない。今なら、アイヌとしての帰属意識をもちながら、同時に日本国民として暮らすことが可能である(しかし、その生活は楽ではない)。でも、1950年代では、アイヌのままでいるか、ヤマト民族に同化するか、どちらかの選択肢しかなかったからだ。

本来なら、ヤマト系日本人であるオイラが、アイヌとヤマト民族とのハザマで苦しみ、ある決断をした知識人をこのように論じる資格があるのか、と考えるのだが、金子のようなバカヤローが知里氏を利用するのが許せないので、あえてこのような文章を書いた。


オイラの母方の祖父は、被差別部落の人びととの融和を考え、行動した結果、彼らに暴行され、そのあとすぐに死んだ。そのため母親は、被差別部落民に対して、激しい憤りをもっており、それが差別感情になっている。しかし、母親はその感情をオイラに引き継がせるような育て方をしなかった。そんな母親に感謝したい。

2014.08.20 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |