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朝日新聞が、縄文時代の後期は、寒冷化のせいで、人口や文化が低迷した、という定説を否定する研究会報告を記事にした。

 のべ1万数千年に及んだ縄文時代。しかし、その間には「栄枯盛衰」があり、縄文中期(約5500~4500年前)を最盛期に、その後は気候の寒冷化が進んで人口が減り、文化も停滞に向かったというのが定説だった。だが、先頃開かれた研究会で、前提になる寒冷化の影響の有無について疑問が示された。

縄文期の寒冷化なかった? 「定説」に一石の最新研究

これを受けて、われらが南堂ちゃんが…。

 では、人口の急減がなかったのだとすれば、上記のグラフ(竪穴式住居や遺跡の数の急減)は、何を意味するか?

 不思議に思えるかもしれないが、論理的には、ただ一つしかあり得ない。こうだ。

 「竪穴式住居や遺跡を残さない住居が発達した」

 換言すれば、こうだ。

 「竪穴式住居という原始的な住居に住むのをやめて、もっとまともな文化的な住居に住むようになった。特に、床(ゆか)のある、断熱性に優れた住居に住むようになった」


これを裏付けるのは、次のことだ。

 ① 竪穴式住居は、1万年ほど前の縄文早期からあるもので、あまりにも原始的すぎる。

 ② 竪穴式住居は、床がない。

 ここで、「床がない」というのは、非常にまずい。というのは、土間で寝起きするのは、体温の維持に不都合だからだ。おそらくは、藁みたいなものでも敷いて寝たのだろうが、それでも土間の上に寝るのよりは、床の上に寝る方がいい。そして、床の上に寝るとしたら、床のある建物が必要だ。それはつまり、木造建築だ。

縄文時代の後期(定説の謎)

そんな建物があるのなら、遺構があるはずなのだが…。まあ、それは(・∀・)イイ!!として、問題は竪穴式住居をdisっていることだ。じつは、この竪穴式住居、東日本では鎌倉時代まで利用されていたらしいのだ。

なぜ、そんなに利用されていたか? 理由は、かんたん。住みやすいからだ。

竪穴式住居は、土間以外の部分をすべて茅や葦などイネ科の植物で覆ってしまう。これらの植物の茎は、中空で、いわば天然の断熱材なのだ。これらに囲まれた竪穴式住居は、外気温の変化の影響を受けにくい。


竪穴式住居の外部(登呂遺跡)


竪穴式住居の構造(同上)


床が土間になっていることを、南堂ちゃんは悪いことのように書いているが、年間とおして12℃~18℃と安定している地中熱を利用できる。

地中熱といっても、火山などの地熱ではない。太陽によって地面が温められた結果なのだ。地中熱は、地下5mまで掘ると、ほぼ一定(15℃)になる。地表近くだと、外気温の影響を受け、変動するのだが、そのサイクルが気温とは異なる。5月に最低(12℃)となり、11月に最高(18℃)になる。つまり、外気温が高いとき、地中熱は低く、外気温が低いとき、地中熱は高くなるので、過ごしやすくなるのだ。井戸水が、夏冷たく、冬暖かいのと同じ原理である。

とはいえ、土間だと、湿気も強い。住みにくそうだが、そうでもない。それに対する24時間換気システムがあるのだ。竪穴式住居には、炉があり、夏でも火を絶やさない。入口から乾燥した空気を入れ、炉の熱で暖まった空気は、上昇し、煙出しから出て行く。その際、建物内の湿気もいっしょに出してしまう。これは、アイヌの(トイ)チセで、江戸時代まで行われていた。原始の24時間換気システムなのだ。

竪穴式住居は、日本の自然にあった合理的な建造物なのだ。

ちなみに、わが家は、外断熱+基礎断熱で地中熱を利用しているので、竪穴式住居と同じ構造である。現代の竪穴式住居は住みやすいですよ。(爆)


リンクがキレてたら…

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2014.12.16 | ├ 住宅・建築ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |