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川崎市の少年事件にかんする伊東乾さんの記事

川崎市の少年殺害事件に潜む、どこにでもある危機 ―ただの凶悪事件として片づけてはいけないのはなぜか

を読むと、この事件の本質がわかる。ただの凶悪事件というよりも、人間集団=社会のもつ負の側面が見えてくる。

 今回被害にあった子は、最初は「やさしい先輩」と思って不良グループのリーダーに懐いたのに、あることがあってからいじめられ始めた、との報道がありました。すなわち、

 「万引きをしてこい」

 と言われ「嫌だ」と拒否したところ、最初の猛烈な暴行を受けたという記述が気になりました。これは典型的な「イニシエーション」ある社会の中で1人前の大人とみなされる「通過儀礼」の儀式を拒否した形になっているわけです。

     (中略)

 つまり、それができれば一丁前のメンバーとして社会に受け入れられ、それがなければ一人前として認められない、そういう儀式ということです。

 川崎で虞犯少年のリーダーが中学1年生に課した「おまえ、万引きしてこい」は明らかにそういう「通過儀礼」の役割を果たしており、それを拒否した少年は猛烈な制裁を受け、被害者は「万引きをしないと一人前として認めてもらえないんだ」と悩みを打ち明けてもいたようです。

     (中略)

 重要なポイントは、人間という動物は、家族とかコミュニティとか、一人称複数の仲間であると認識すれば優しい人が、その外部に対しては恐ろしく非情で許しがたい行動を平気で取る生き物だという現実の認識です。

     (中略)

 初め不良少年グループは被害者の中一少年を「仲間」の候補として招き入れました。「グループを抜けたらと殺す」といった脅迫もあったように伝えられますが、それが本当にエスカレートするきっかけは「イニシエーション」の拒否にあった可能性が報道されているわけです。

「万引きをしろ」

 仮にこの命令をその通り実行していれば、被害者少年は現在も元気に生きていた可能性が極めて高いと思います。ワルの仲間としてメンバーの1人と認識され、それなりの悪事も重ねながら地元で知られる存在になっていったかもしれない。

 しかしそれを一切拒否したことに、彼の悲劇がありました。

     (中略)

 加害者側の論理と言うより価値観の中で「万引き」あるいは「カツアゲ(恐喝)」などの小犯罪が中心的な位置や役割を果たしていた。それを真っ向から否定して「いい子」の側に立つ被害者の行動は、容疑者側の観点からすると「異教徒」に等しい、価値観の全面否定と映った可能性がある、そのリスクを検討したいのです。

 もちろん、子供たちの中には難しい概念や意識はありません。あるのはただ、悪い大人から学んだに違いない「万引きをさせて悪事と秘密を共有し、ワルの仲間に引き入れる」というノウハウと「それを拒否した奴は徹底してヤキを入れる」という動物的な衝動があっただけでしょう。

 反社会勢力、ヤクザの世界でも「親分が白といえば黒いカラスも白」という、分かりやすく言えば「犯罪を犯せという命令があれば、それに従え」という絶対規律が存在するわけで、全く同じ幼稚な本能的反応で、被害者が日常的に「二等市民」何をしてもいい永久「パシリ」(使いっぱしり)いわば「奴隷規定」された可能性があると思います。

これは、非行少年や反社会勢力だけの問題ではなく、学校や職場、地域社会、国民国家など、人間集団についてまわる問題である。仲間でない連中には何をしてもかまわないという論理は、イジメや差別、排斥、弾圧、さらにはジェノサイドの論理だから…。


さて、この記事を読んでオイラがいちばんオドロイタのはここ。

 私が中一のとき所属していた歴史のクラブは高校2年に逸材が多く、主務の大津さんという先輩は秀才で近づきがたい畏怖の念、親しげに話してくれる本郷さんという方は優しい先輩で一番私自身はなつき、専門に通じた後藤さんは切れ味の鋭いかっこいい先輩、すでに引退して受験生だった高3の芽根さんは一段上の存在でした。

     (中略)

 眩しい高2の先輩だった大津透さんは30年来お目にかかっていませんが同じ大学の国史の教授、本郷和人さんは史料編纂所の教授で大河ドラマの時代考証や週刊新潮の連載などでも名高く、高3だった芽根さんは理学部地球環境の教授で3.11以降、津波対策の話題で30数年ぶりにご一緒させていただき、工学院大学教授として日本建築史学全体を牽引される後藤治先生には、いま現在うちの研究室が進めている東大寺二月堂での「修二会声明」の音響空間解析や長崎木造教会群の儀礼フィールドワークなどで、全面的にご指導を賜っています。

伊東さんって本郷さんの中高一貫校の後輩だったんだ。本郷さんのあきちゃ(AKB48の高城亜樹)推しについて伊東さんのコメントが欲しいな。(爆)



回答。w

2015.03.03 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(2) |

家を建て替えたとき、新しく家具を買ったけれど、大塚家具はまったく対象外だった。高いから…。w 今回のお家騒動で、大塚家具が会員制wで、販売員が付きまとってくるwと知って、ますます対象外だなと思った。


このお家騒動について、大西宏さんが書いています。大西さんは、創業者である大塚勝久会長が進めてきたビジネスモデルの問題点を、ニトリと比較して、つぎのように論じています。マクロだとトンデモないことを書いてしまう大西さんですがw、ミクロについてはたいへんオモシロイ解説をしてくれます。

ニトリと大塚家具の決定的な違いは収益性です。ニトリは、直近の26年2月期(成25年2月21日~平成26年2月20日)の連結決算で、売上高が対前期比11.1%増の3,876億円、営業利益が630.7億円で、営業利益率は16.3%でした。前期の17.6%、前前期期の17.5%からは落ちていますが、それでも高収益なビジネスです。

一方の大塚家具は平成26年12月期(平成26年1月1日~平成26年12月31日)で売上高が前期比1.3%減の555億円、4億円の営業赤字です。平成25年12月期では、8億4,300万円の営業利益で、営業利益率は1.5%で、もはや赤字か、営業益がでても、もう何年も営業利益が売上の2%程度で精一杯という状態がつづいています。

ニトリと大塚家具でそれだけの差がでる原因はなにでしょうか。両社で際立った違いは販管費率です。大塚家具は売上高の50%以上を販管費が占めています。しかもその大半は賃借料と人件費です。ちなみにニトリの直近の販管費率は35.8%なので、いかにもローコストなオペレーションです。つまり大塚家具は巨大店舗と対面販売というコスト高の経営で、しかもそれらはほとんどが固定費で占められているために、売上を拡大しなければ利益がでず、売上が下がればそれが重くのしかかり、赤字に陥るのです。

大塚家具のこれまでのビジネスモデルでは、成長性も、収益力も期待できないばかりか、すでに成り立たなくなってきたという感じでしょうか。しっかりやれば立ち直れるというレベルではないと判断するのが普通でしょう。

「大塚家具」お家騒動劇場は、ビジネス変革がいかに大変かをみせてくれている

高コスト体質は、売り上げが増えないと、利益がなかなか上がらず、キビシイということですね。納得です。

ちなみに、消費者としてはその後の記述も気になります。

大塚家具には二度ほど訪問したことがあります。店舗に行くと販売員の方がずっとついてきます。そしてその販売員の方と会話をしていくうちに、その人は、扱っている「家具」の売り込みは巧みでも、「インテリア」の知識、あるいは「家具」そのものの知識もあまりないことがわかってきて、途中でうっとおしくなってしまいました。

つまり、販売員の人たちは、お客さんに買わせる「販売のプロ」かもしれないとしても、「インテリア」や「家具」のプロでもアドバイザーでもないのです。記者会見で会長の後ろに並んだ幹部の人たちの顔つきを見ても、インテリアやデザインを扱うビジネスの人の顔つきとは違うという印象を受けた方がきっと多いのではないでしょうか。

若いころ、本屋の店員が本の知識がないことにオドロイタたり、家電量販店で自分よりパソコンの知識がない店員にうるさく付きまとわれてウザク感じたことがありました。きっと大塚家具に行くと、そのような悪夢を思い出させてくれるんでしょうね。

2015.03.03 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(2) |