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害虫は徹底的に駆除し、この世から抹殺しなければならない。

このような動機に突き動かされているのか、センテンススプリングは爆走中だ。

週刊文春に元少年A・酒鬼薔薇聖斗の写真つき記事 ネットで住所がほぼ特定される!?

このようなセンテンススプリングの壮挙wに、ネット住民は拍手喝采のようである。

しかし、このように社会から排除されたら、元少年Aが、捨て鉢になって、また犯罪を起こすのではないか? そして、自分や自分の家族、友人、知人がそれに巻き込まれないだろうか? このようにオイラは心配する。

拍手喝采の人たちは、自分や家族、友人、知人はそうならない、と思っているのだろう。

センテンススプリングは、そのときはそのとき、少年Aが人を殺めるところでもスクープして、大もうけするつもりなのだろう。マッチポンプなんてコトバがあるからね。w


少年事件は、被害者や被害者家族にとっては、とても理不尽である。なにしろ、犯罪少年は、通常の罰よりも軽い罰しか受けず、社会に出てくるのだから。少年の中には、悔恨の情を持ち、被害者や被害者家族に謝罪する者もいるが、そうでないものも多い。

賠償金も謝罪もなし「山形中1マット死」被害者父語る無念

裁判で支払い命令が出ているのに、賠償金も払わず、謝罪もしない輩もいるのだ。


少年事件で少年に、重罰を科すよりも、更生を促すのは、「社会防衛」のためである。彼らを、社会から排除して、孤立させれば、社会を恨み、復讐しようとする。そうさせないために、社会のルールを守らせたうえで、彼らを社会に包摂する。重罰化=長期の懲役・禁錮は、社会復帰を遅らせ、社会の包摂を困難にする。社会(つまり我々自身)を守るために、彼らを排除してはならないのだ。

センテンススプリングに拍手喝采する人たちはこのことが分かっていない。自分で自分の身を危うくしているのだ。


犯罪被害者とその家族は、この「社会防衛」の犠牲者であるとも言える。だから、加害少年に代わって、社会(つまり我々自身)が彼らに向き合わなければならない。欧米では、ボランティアや政府が、犯罪被害者と家族に対して相談に応じるしくみがある。日本では、裁判で意見を言うくらいしか、被害者や家族に対応するしくみがない。

「少子高齢化が最大の問題」と言いながら、政府は、保育士と介護福祉士の賃金が平均額より10万円安い状態を放置している。一事が万事、犯罪被害者や家族も放置されたまま、少年院の出所者の更生はボランティア任せなのだ。もう少しお金を使ったらどうですか?←お金がないというのはイイワケ

2016.02.19 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |

木曜日の夜、TBSが「モニタリング」という悪趣味な番組を放送している。わが家では母親が「科捜研の女」と「スペシャリスト」を見ているので、見ることができない。しかし、CMの間にチャンネルを変えて見たりしている(ビデオに録ろうとまでは思わないw)。

そのなかでもとくに悪趣味だと思うのが、偽の心霊現象でゲストを怖がらせるものだ。偽の収録にゲストを誘き出し、仕掛人といっしょに収録をしていると、幽霊に変装した俳優が現われる。ゲストは見えるが、仕掛人が見えないフリをするので、ホンモノの幽霊だと思い込むというものだ。昨夜はパンクブーブーの純さんがターゲットにされていた。

あのターゲットに選ばれるのは、心霊現象を一度も体験したことのない人なのだろう。でないと、おもしろいリアクションを見ることができない。日常的に幽霊が見える人は、ちょっとちがうリアクションをするものだから。

HKT48劇場は幽霊が出るので有名だが、「HKTバラエティ48」の収録中になこ(矢吹奈子)が幽霊を見たことがあった(2014年4月27日放送)。でも、なこは、そのときパニックになるのではなく、収録が一段落した後、りこぴ(坂口理子)に「いま幽霊が見えた」と告げたのだ。そして、他のメンバーが異常に怖がり出すと、「いない」って言いだした。子ども(12歳)でも、それなりに気をつかうのである。

まず、日常的に幽霊が見える人は幽霊を見ても驚かない。幽霊だとわからない(ふつうに人がいると思う)場合もあるし、わかってもやり過ごすことが多いのだ。街を歩いていて、ホームレスに遭ったときの対応に似ている。「あっ、ホームレスだ!」とは思うが、それで騒いだりしない。騒いだら、ホームレスに気づかれて、面倒なことになるからだ。

いきなり幽霊が出てきたら驚くだろうけど、それは物陰に隠れていた人が、いきなり現われて、「わっ!」って言ったら、驚くのと同じである。←あとで書くが、見えない人はなんで驚いているのかわからない。

そして、幽霊が見える人が幽霊を見ても驚かない、というより“驚けない”のは、周りの人は幽霊が見えないので、幽霊を見て騒ぐと、頭のオカシナ人だと思われかねないからだ。あと、見えないのに異常に怖がる人がいて、その人のことを考えると、驚けなくなるからだ。

ところで、幽霊が見える人も幽霊は怖い。理不尽に憑依されて、霊障が起きたら、堪らないからだ。ただ、幽霊を見て騒ぐと、幽霊に「見える人」だと気づかれて、ついて来られる恐れがあるので、騒がないのだ。

あと、オイラの場合、日常的に幽霊が見えるわけではなく、ある種の“修行”めいたことをしないと見えないのだが、それとは関係なく、何度かこの手の経験をしてしまったからか、突然、フラッシュバックのように現象が起きる場合がある。

そのときは、

カシコキモノ ~神道におけるカミ概念~

にあるような、「景色の裏側」「景色の反転した世界」に入り込んだような感覚になるのだ。だから、「あっ、起きそう」ってわかることがある。おそらく日常的に見える人は、この手の感覚とはちがうと思うのだが…。

2016.02.19 | 心霊 | トラックバック(0) | コメント(0) |

ギリシャ神話に出てくるプロクラステスという盗賊は捕らえた旅人をベッドに寝かせ、そのベッドより身長が高ければ、はみだした足を切ってベッドの長さに合わせ、足りなければ、合うまで引っ張ったという。無理やり基準に合わせようとする行為を「プロクラステスのベッド」という。

研究者はプロクラステスであり、研究対象は旅人である。自分の論に合わせて事例を選び、合わない事例は捨ててしまう。それを、悪意をもってしても、善意でしても、結局は同じ。研究はそのように暴力的なものなのだ。

「震災霊」にかんする研究もそれから逃れることはできない。

ある学生が書いた卒業論文が話題になっている。「呼び覚まされる霊性の震災学」(新曜社)に収録された「死者たちが通う街―タクシードライバーの幽霊現象」だ。

東北学院大の工藤優花さんが宮城県石巻市のタクシー運転手が実際にあった幽霊について聞き取り、まとめたものだ。

津波被災地で幽霊をのせたタクシー運転手がいる。そこだけが切り取られ、「幽霊はいる」「非科学的なもので、論文とはいえない」といった声がネットにあふれた。

卒論を指導した社会学者の金菱清教授は、苦笑混じりに語る。

「幽霊をみることもよりも、幽霊現象を通して死生観、『死者』との向き合い方を考察することがこの論文の主題なのに」

金菱さんはフィールドワークを専門とする社会学者だ。

大学進学を決めた1995年に、阪神淡路大震災を経験している。その時、疑問を抱いたのは目線の位置だった。崩れ落ちる高速道路、被害があった神戸市内。強調されたのは上からの映像だ。

「伝えられる映像の多くは、上空からみる鳥瞰図目線になっていて、そこにいる人の目線が抜けている」

「死者」とともに歩む街 なぜ、被災地に「幽霊」がでるのか?

「幽霊がいる/いない」の部分だけが注目されたのが不本意である。もっと「震災霊」の目撃談を通して、被災地に住む人々の人間観・死生観・感情について知って欲しい。…ということらしい。それはそれで、とても重要なことではある。

しかし、幽霊目撃談を、興味本位に「幽霊がいる/いない」を論じるのと、人間観・死生観・感情という“切り口”でぶった切ることに、大きなちがいはあるのだろうか。

その人の人間観・死生観・感情と関係なく、見える人は見えてしまうし、見えない人は見えない。幽霊が見える人と見えない人では、人間観・死生観・感情は異なるだろう。でも、それは見える/見えないの結果であって、原因ではない。悲惨な災害を経験したから幽霊が“見えてしまう”のではなく(臨死体験をすると見えやすくなるが)、幽霊を“見てしまった”ことが、その人の人間観・死生観・感情を変えているのだ。

唐突だが、オイラの伯母は、認知症で、夕方になると幻視が出る。つまり、存在しないものが見えてしまう。ベッドに寝ながら、「おまえの頭のところに紙があるよ(=空中に浮いている?)」なんて言うのだ。もちろん、紙はない。ここで「紙なんてないよ。しっかりして!」なんて言ったらダメなのだ。「紙は、いま取っちゃったから、もうないでしょ」って言うと、「あっ、ホントだ。なくなったね」なんて答えるのだ。

この場合、伯母が認知症と診断されているので、紙はホントは存在しないことがわかっている。しかし、「ない」と言ってしまうと、見えている患者を不安がらせるので、「ある」ことにして「ない」という現実とツジツマを合わせるのだ。

人間観・死生観・感情という“切り口”で震災霊を扱うというのは、「幽霊はいない」を前提としているのと同じである。認知症患者に接するように、タクシードライバーに接しているってことなのだ。「幽霊なんていないだろ」なんて言ったら、タクシードライバーが腹を立てて体験談を話してくれないから、「幽霊がいる」って前提に立って話を聴く。でも、発表するときは「人間観・死生観・感情という“切り口”で扱ってます=幽霊はいません」キリッってことなんだよね。

それって、金菱さんの嫌いな「上から目線」じゃないの?って思うんだけどね。



まあ、「幽霊はいません」って言わないと、「科学的じゃない!」って叩かれるんで、そうしてるんだろうけど…。←心霊現象のような、幽霊が見える人と見えない人がいる事象は科学の対象にすることがそもそも難しい。なぜなら、科学は万人に起こる現象しか対象にできないようにできているから。

2016.02.19 | 心霊 | トラックバック(0) | コメント(0) |