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織田信長を呼び捨てにしたから豊臣秀吉は悪い人と井沢元彦。w

 そして極めつきは1585年(天正13)秀吉から安治に宛てた手紙であろう。「秀吉の御意に違う侯輩(ともがら)、信長の時の如く少々拘(かか)え候へとも苦しからずと空だのみし許容においてはかたがた曲事(くせごと)たるべく候(秀吉の意思に背く者ども、信長の時代のようにかくまっても許されると思い込んでいると処分する)」というのである。信長の死後をわずか3年しか経っていない。この時点で秀吉は大恩人信長を呼び捨てにしているのである。まだ関白になったわけでもないのに、いかに親しい間柄宛ての手紙とはいえ、呼び捨てはないだろう。つまりこれが秀吉という男の本当の姿なのである。しかも秀吉自身が信長の時代のように甘くはないぞ」というからには、多くの人が抱いている「信長は残酷だが秀吉は優しい」というイメージも実は「大魔術」に乗せられたものだとわかる。

後世の人間まで騙し続けた不徳の男、豊臣秀吉の「大魔術」

昨夜の「真田丸」を見た人なら気づくと思うが、秀吉は1585(天正13)年に関白太政大臣となり、右大臣だった信長の官位をこえた。しかし、井沢は「まだ関白になったわけでもないのに」と書いている。秀吉の関白就任は同年7月11日のこと。脇坂安治に朱印状を出したのは、小和田哲男さんが以下に指摘しているように、それより後の閏8月13日のことだ。

 しつこいという印象は、その年[天正13=1585年]閏8月7日から9日、12日、13日と1日おきぐらいに連日のように安治宛に朱印状を出していることからもうかがわれる。その13日付の朱印状は内容面からも注目される。これは、秀吉の長浜城主時代、黄母衣(きほろ)衆の1人だった神子田半右衛門正治が秀吉に逆らったので分国追放を命じたときのものである。秀吉は、安治に神子田正治を匿わないよう指示しており、その中で、「信長のように甘くはない」と脅しているのである。秀吉が信長後継者としてふるまいはじめたとともに、信長を超えようとしていた秀吉の思いが伝わってくる。

書状で鬱憤晴らすねちっこい男? 子飼いの重臣に見せた秀吉の小物ぶり

井沢は、作家だが、歴史家ではないので、ろくに調べもしないで書いたのだろう。それはそれで恥ずかしいことなのだが…。

官位で信長をこえたから、秀吉は信長を呼び捨てにした。こえていようがいまいが、それだけで悪い人と断じた井沢元彦って何?w

2016.05.09 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(2) |

渡辺利夫とかいう人が、《もともと日本に存在しなかった「個人主義」の呪縛から脱出せよ》と『産経新聞』で訴えていた。w

もともと日本に存在しなかった「個人主義」の呪縛から脱出せよ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫

このなかで柳父章氏を引用しているんだけど、かなり恣意的な引用なので、笑ってしまった。

 言葉が「人間の道具として使いこなされているのではなく、逆に、何らかの意味でことばが人間を支配している」と[柳父]氏はいう。「個人主義」や「社会主義」ともなれば、これはもう思考の専制と支配そのものだというべきであろう。社会主義の方は冷戦崩壊とともに人々を惹(ひ)きつける魅力はすっかりうせてしまったが、個人主義の方は衰えるどころか、むしろ強化されつつあるかにみえる。

ところで、柳父氏といえば、翻訳語をとおして言語研究を行い、翻訳語の「カセット効果」を明らかにした研究者だ。言葉が「人間の道具として使いこなされているのではなく、逆に、何らかの意味でことばが人間を支配している」を否定的な意味で使っているとは思えない。ちなみに、「カセット」とは“小さな宝石箱”を意味している。

小さな宝石箱がある。中に宝物を入れることができる。どんな宝石でも入れることができる。が、できたばかりの宝石箱には、まだ何も入っていない。しかし、宝石箱は、外から見るとそれだけできれいで、魅力がある。その上に、何か入っていそうだ、きっと入っているだろう、という気持ちが、見るものを惹きつける。新しく造られたばかりのことばは、このカセットに似ている。それじたいが、第一に魅力である。そして、中にはきっと深い意味が込められているに違いない、という漠然とした期待が、人々を惹きつける。 (中略) ことばは、生まれたはじめには意味は乏しい。意味は乏しくても、ことばじしんが人々を惹きつける。だから使われ、やがて豊かな意味をもつようになるのだ。

柳父章『翻訳とはなにか 日本語と翻訳文化』(法政大学出版局、1976年)23~25頁

上記の文章の後半部分で「ことば」を「個人主義」に言い換えると、つぎのようになる。

個人主義は、生まれたはじめには意味は乏しい。意味は乏しくても、個人主義じしんが人々を惹きつける。だから使われ、やがて豊かな意味をもつようになるのだ。》

魅力的で豊かな意味があるから「ことばが人間を支配している」わけで、強圧的な支配というより相手から同意を引き出す支配であり、暴力装置というよりイデオロギー装置として機能しているのだ。

このような誤読が起きるのは、渡辺利夫が、故意に柳父氏の文章を曲筆しているか、個人主義を否定したいという自らの欲望を柳父氏の文章に投影させているからである。後者だとすると、渡辺は「精神病質者」ということになるが、ウヨにはこの手の人が多い。w

2016.05.09 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |


もりぽ(森保まどか)、うしろ、うしろ!



さっ、さくらたん(宮脇咲良)?!

似ているが、ちより(中西智代梨)ではない。wwwww

ピノコのあっちょんぶりけ!



みたいな、さくらたん。w

2016.05.09 | HKT48 | トラックバック(0) | コメント(4) |