2018年6月7日、日高六郎氏が101歳で亡くなった。

 ベトナム反戦運動や安保闘争に関わり、幅広い分野で論陣を張った社会学者で評論家の元東京大教授、日高六郎(ひだか・ろくろう)さんが7日未明、京都市左京区の施設で老衰のため亡くなった。101歳。本人の遺志により、妻暢子(のぶこ)さんら近親者だけで7日夕に密葬を営んだ。

 中国・青島市生まれ。1941年に東大文学部社会学科卒業。東大新聞研究所助教授などを経て60年に教授。東大紛争の際、機動隊の導入に抗議して69年に退官し、その後、評論家活動を展開し、76~89年に京都精華短大、京都精華大教授を務めた。

 「現代における人間の解放とは何か」を学問・実践の場で考える立場から、55年に創立された「国民文化会議」の代表として積極的に発言した。60年安保闘争では先頭に立ち、水俣病などの公害問題でも平和活動家の観点から実践的評論活動を展開した。

 ベトナム戦争中は、評論家の故加藤周一さんらと米軍の北爆停止を訴える文書を米国務長官に提出。また元社会党委員長の故飛鳥田一雄さんらと住民運動を対象にした総合雑誌「市民」を発行(その後廃刊)するなど、幅広い活動が共感を呼んだ。

 89年にはエッセイストの暢子さんとパリ郊外へ移住したが、度々帰国し発言を続けた。

 主な著書に81年の毎日出版文化賞を受けた「戦後思想を考える」(岩波書店)をはじめ「現代イデオロギー」「日高六郎教育論集」など。訳書にE.フロム「自由からの逃走」がある。

訃報 日高六郎さん 101歳=社会学者

オイラが、某国立大学に入学したとき、一般教養で社会学を取る予定だった。しかし、専門の講義と時間的に重複してしまうので、その講義は取り下げた。その前に社会学の先生が買っておくようにと言われ、買ってしまったのが日高六郎[著]『戦後思想を考える』(岩波新書、1980年)だった。

以下の文章は、この本の「体験をつたえるということ」という章のうち、最後の2節である。

オイラにとっては遠い過去に読んだ本なのだが、RADWIMPSの「HINOMARU」の歌詞を読むと、過去では済まされないんだなと思い、貼っておく。




     4

 私は、広島の詩人・栗原貞子さんの詩を学生のまえにおく。

   生ましめんかな

こわれたピルディソグの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぽいだった。
生まぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきこえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

 「生ましめんかな」は、多くの人びとに知られているはずの詩である。しかし、ほとんどの学生が読んだことがないと言う。

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2018.06.09 | | トラックバック(0) | コメント(0) |






…としないの🤤 ←だって。w

マスカルポーネってチーズだけど、あずきとの組み合わせが絶妙とある。←マジか?w

2018.06.09 | ├ もりぽ(森保まどか)推し | トラックバック(0) | コメント(0) |