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ここ何日間か、MMT論者と貨幣の起源についてツイートしてきた。MMTは、貨幣=負債論が根拠となっており、それは現代では成立する。MMTは、〈現代〉貨幣理論だから、アタリマエといってはアタリマエなのだが…。

しかし、彼らは、これを過去に遡って、貨幣の起源からそうだったとするので、やっかいだ。オイラ的には、共同体〈内〉と共同体〈間〉に分け、交換は共同体〈間〉で始まり、共同体〈内〉では貨幣が成立する要素がそもそもない。のちに貨幣経済が浸透するが、それは共同体〈外〉からやってきたと考えている。



この点、信用取引から貨幣が生じたとする貨幣=負債論者に対して、安冨氏は信用と貨幣は別物と考えているらしい。


なぜ、貨幣が生まれたかについて、フランスの哲学者で批評家ジャン=ジョゼフ・グーは、貨幣のような〈一般等価物〉は人間の〈象徴化能力〉の産物であると考えている。

 マルクスの価値形式論を象徴秩序全体の解明にモデルとして適用することができるのは、グーによれば、あらゆる社会関係が「交換のシステム」を形成しているからである。そこで、彼はマルクスにならって、商品の交換という場面から出発する。商品というのは当然ながら種々雑多なものからなっているので、それらのあいだの交換が成立するためには、なんらかの「等価性」ないしは「同一性」の存在が要請されなければならない。たとえば、鶏1羽と米2キロが「等価」である、というように。人間の交換活動は、このようにそのつど等価性の基準が変移する「物々交換」から始まったわけだが鶏1羽は米によって価値を測られることもあれば、その他のもの、たとえば芋や魚によって価値を測られることもある―最終的には、あらゆる商品の等価性を決定する基準として、貨幣(とくに金貨)という〈一般等価物〉が成立することになる。貨幣があれば、どんなに異質の商品でも同一の基準のもとに数量化され、同質的な「価値」をもつので、人々は円滑な交換活動を行なうことができるのである。われわれは、鶏1羽も米2キロも、またコーヒー3杯も本1冊も、すべて同じ「1000円」として、等価値のものと見なすことができるのだ。このような交換のシステムが成立するためには、それまでは一個の商品にすぎなかった金が、それ以外の商品のかたちつくる空間から排除されて、いわば「超越的」な存在としての貨幣に変身することが不可欠の要因である。一般等価物とは、したがって、ほかのすべての商品にたいして神のような超越的「第三項」として君臨することによって、それらの交換関係(相対的な価値)をとりもつ「媒介者」のことにほかならないのである。

     (中略)

 グーによれば、こうした象徴秩序の成立が可能なのは、われわれ人間が「象徴化能力」という特異な能力をもっているからだ、という。象徴化能力とは、現実に存在するありとあらゆる差異・変化のなかから「不変のもの」、「同一のもの」を取り出す能力のことである。いいかえれば、それは多様なるもの、異質なるもの、すなわち「他なるもの」のなかに「同一なるもの」を見いだしたり作り出したりしてしまう、われわれ人間のもついわば病的な傾向のことにほかならない。この象徴化能力によって抑圧・排除されるのは、差異と多様性の担い手である(対象の)マチエール(物質性)と(対象を生産したり交換したりする主体の)であり、この抑圧・排除とひきかえにさまざまな「不変項」―価値、形式、意味、本質、概念など―のシステムが構築されるわけだ。『マルクス、フロイト』当時のグーは、デリダによる西洋形而上学解体の作業と連動しながら、マルクスの「史的唯物論」の立場にたって、このような象徴化機能、すなわち主体たちのいきいきとした関係・活動・力の「物象化」によって成立する〈一般等価物〉を批判し、またそれにたいして盲目的なへーゲル的「観念論」をあわせて批判することに力をそそいでいた、ということができる。

立川健二・山田広昭[著]『現代言語論 ―ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン』(新曜社、1990年) p.69-72

グーは、性における「男根中心主義」や、西洋人の言語活動における「ロゴス中心主義」もまた、人間の〈象徴化能力〉が産み出した〈一般等価物〉、つまり男根とパロール(音声言語)という抑圧的な超越性に従属しているからだと論じている。

そして、〈一般等価物〉は、あらかじめ存在していたのではなく、二次的に生成されたものにすぎず、社会的関係が「物象化」してできたもの、すなわち「フェティシズム」の産物にすぎない、と暴露した。

世界恐慌の結果、金本位制が崩れ、管理通貨制度が成立すると、金という〈一般等価物〉は不要となった(戦後のブレトンウッズ体制で部分的に生き残る)。さらに、ニクソン・ショックで金とドルの兌換が停止すると、完全に消滅してしまう。

グーは、金本位体制の崩壊が文学におけるリアリズムの解体とほぼ同時に進行したと『言語の金使い ―文学と経済学におけるリアリズムの解体』(土田知則[訳]、新曜社、1998年)で論じたが、なぜか〈一般等価物〉をノスタルジックに論じ、その変質を示したという(立川・山田、前掲書)。

2019.07.05 | ├ 経済の基本 | トラックバック(0) | コメント(0) |