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木下ちがや氏というより「こたつぬこ」氏の山本太郎批判がなかなかオモシロイ。

「山本太郎現象」をどう読み解くか

この草稿を6月に『論座』に載せてしまったようだが、載せない方が良かったんじゃないかと思うくらいアレなのだ。

この中の《3、「富と貧困」のポピュリズム》を以下に引用する。

 「金を刷れ、皆に配れ」。各地で張られている山本太郎のポスターには、このようなスローガンが大書されている。山本は消費税を廃止しても、大量の国債発行によりそれを埋め合わせることができる、だから「どんどん金を刷れ」と主張している。このような「金を刷れ」というスローガンが、ポピュリスト政治に極めて親和的であることを示す実例を、およそ100年前のアメリカ合衆国に見出すことができる。

 ウィリアム・ジェニングス・ブライアン(1860年~1925年)は扇動的な演説で人気を博した弁護士であり、民主党とポピュリスト党から三度の大統領選に立候補したアメリカでもっとも有名なポピュリスト政治家である。アメリカの大統領選ではじめて全国遊説をやった彼は、各地でウォール街を徹底的に指弾し、「銀貨自由鋳造」を政策として掲げ大衆の喝さいを浴びたのである。「銀貨自由鋳造」とは、金本位制に対して、銀も紙幣の裏書に加えることで、紙幣をどんどん刷れるようになり、デフレを脱却することができるという理論である。まさに「金を刷れ、皆に配れ」というこのスローガンは、とりわけ借金に苦しむ南部、西部地域の農民層に熱狂的に受け入れられ、1896年、1900年の大統領選では敗北したものの、共和党のウィリアム・マッキンリーを僅差にまで追い詰めた。

 ブライアンは生活苦にある農民層の「反エリート主義」を扇動することに成功した。他方で政治学者ケヴィン・フィリップスが評するように「人類を『金の十字架』にはりつけようとしているとウォール街を非難した彼の攻撃はおおむね効果をあげたが、草原の田舎をたたえて都市の成長や技術進歩を攻撃する言葉は有権者の反感をかった」のである。進化論に猛烈に反対した「反リベラル」のブライアンは、ポピュリスト政治家の系譜とともに、反動極右政治家の系譜にも名を連ねることになったのである。このブライアンへの怒れる大衆の共感と、進歩的なリベラルの反感という図式は、山本太郎をめぐる評価の対立と似てはいないだろうか。

 しかしながら、「銀貨自由鋳造」はブライアン以後顧みられることはなかった。1900年前後から台頭したアメリカの革新主義は、大恐慌とニューディール政策の展開のもとで、金の供給ではなく「有効需要」を重視する方向にむかったからである。「大きな政府」のもとでの公共事業や「戦時経済」による有効需要の創出、労働組合と農民組合の交渉力の強化拡大は、1960年代には右派に属するニクソン大統領すら「われわれはみなケインズ主義者である」といわしめるような、左右を問わない経済コンセンサスをつくりあげていった。この「偉大なる社会」(リンドン・ジョンソン大統領)のもとでは、「金を刷れ」というポピュリズムのスローガンは影を潜めたのである。

 ところがこの、「偉大なる社会」における経済コンセンサスは、1970年代に終わりを告げ、新自由主義の時代がはじまる。新自由主義とは「強力な私的所有権、自由市場、雌雄貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって、人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論」である。この新自由主義実践のもとで、労働組合の交渉力は徹底的に奪い去られ、ゼロ年代に入ると「格差と貧困」が先進国において深刻化していくことになる。このように、労働組合が政治経済的な力を失うことで、民衆の経済要求実現の回路が封じ込められてしまっていることが、「金を刷れ」を掲げるポピュリズムが台頭する原因なのである。このような「民主主義の脱経済化」が、「民主主義的/ファシズム的」ポピュリズム台頭の余地を切り開いたのである。さらには、「労働組合+リベラル」という社会民主主義的ヘゲモニーブロックが分解したことで、反リベラルの極右排外主義が「民衆の情念」をつかみ取る余地が開かれた。「トランプ現象」ならびに「黄色いベスト運動」へのマリーヌ・ルペンら極右政治勢力の接近はその証左である。われわれはこの民主主義の閉塞状況のもとで、21世紀のウィリアム・ジェニングス・ブライアンの登場に、期待と不安を寄せているのである。

この草稿、ウィリアム・ジェニングス・ブライアン(と山本太郎)の「金を刷れ」がポピュリズムで、ニューディールやケインズ政策はそうではない、と読める。しかし、ニューディールやケインズ政策の金融政策、そのうちの金融緩和こそ「金を刷れ」であって、経済をよく知らないんじゃないの?って文章だ。

一方、ニューディールと同時期にドイツのナチス政権は公共事業でアウトバーンを建設していた。その原資は国債を発行しての「金を刷れ」で、こっちは究極のポピュリズムだから、「金を刷れ」とポピュリズムは関係ない。

高校生の「世界史」と「政治・経済」レベルの知識で論破できちゃう草稿を『論座』もよく載せたなと感心している。

ひょっとすると、「金を刷れ」っていう言説が問題で、言わなければホントに金を刷ってもポピュリズムではないという「逃げ道」があるのかもしれない。姑息だけど…。w


「この間の議論も、これにもとづいてやってきました」だって…。じゃあ全部まちがってるじゃん。w

2019.07.24 | ├ 経済ネタ | トラックバック(0) | コメント(5) |