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子守康範氏が、「まほ信」に絡まれたらしく、こんなツイートをしていた。



「まほ信」が、自分たちのキモチ悪さに呆れた人にまで絡んで、自分たちのキモチ悪さを証明している。w




ほら、呆れてる人がまた増えた。


子守氏にもファンがいて、その人たちが気分を害するだろうとは1ミリも想像できない。アホですか?

2019.09.26 | 48/46グループ | トラックバック(0) | コメント(0) |

NGT48山口真帆暴行事件では、「たぬ信」も冷静な判断をしていた。

NGT事件が裁判になっているが加害者の新たな証言が出たことによって新しい展開になろうとしています。私はこの事件は加害者は勿論、被害者である山口真帆にも問題があったのではないかと思っていて、今まで強かな人間だと何度も書いてきました。現時点で加害者の証言を全てそのまま信じる訳にはいかないが、この新証言を信じると不可解だった疑問の多くが晴れたような気がします。男性が同じマンションの向いの部屋に簡単に入居できたこと、既に2人は顔馴染みだったこと、日常的にマンション内で会っていたこと、マンション内で既に山口真帆が主導権を握っていて公園に連れ出したこと等、私が不思議に思っていたことが概ね全て解明されたような気がしますので新証言と私の感想を少し書きましたが、真相究明はまだまだこれからでしょう。

     (中略)

この話が本当であれば山口真帆は会社のルールを破ってプレゼントを受け取り、社内の機密情報を漏らしていたことになる。また一連の騒動で全くの虚偽の証言をしていたことになるから救いようが無くなる。(中略)まだ山口真帆の証言が出ていないので何とも言えないが裁判になれば嘘はつけないし、どちらが大嘘をついているのかはっきりするだろう。私は新支配人に期待しているが明らかに山口真帆に対して疑念を持っていて加害者を裁判に訴えることにより山口真帆の矛盾点を明らかにしようとしていると思う。

たぬたぬにも冷静な判断をしてよ!w

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2019.09.26 | 48/46グループ | トラックバック(0) | コメント(0) |

MBSラジオがNGT48山口真帆暴行事件の被告側「準備書面」の内容を放送したらしい。




「まほ信」が発狂して抗議活動か?w

NHKの全国ニュースで報道された事件なんだもん。フツー取り上げるだろ。w

つーか、自分たちが騒ぎを起こして報道させたんだから、オマエらのせいじゃん。

2019.09.26 | 48/46グループ | トラックバック(0) | コメント(0) |

「まほ信」になってしまった鉄砲先輩のAKS批判。


まどちゃんの名前があるので、どんな企画なのか調べてみた。



 1.研究生メンバー(日替わり)がお出迎え。

 2.日替わりメンバーといっしょに舞台観劇。その後、日替わりメンバーにまつわる出演メンバーと面会。

   あるいは研究生メンバー(日替わり)によるバックステージのご案内。

 3.最後、出演メンバーによるお見送り。

これだけ?w


まどらーは大喜びだろうな。「日替わりメンバーにまつわる出演メンバー」って誰? 11月14日の日替わりメンバーは全員チームKIVなので、やはりKIVメンバーなのか? せりーぬだったら、いっしょに愛でちゃう!w 下野だったら…(ry

《何よりも一番大きいのが → つながりが原因で所属タレントが暴行被害をうけた裁判を犯人に提訴している中で、より繋がりやすいサービスを始めるという点》

HKTメンバーは、まどちゃん、あおいたん、なっぴなので、心配ご無用。まどちゃんはもちろんのこと、あおいたんはキャプテンだし、なっぴは、4期生の中で、Hに昇格したツリ目ちゃん(豊永阿紀)とともに、TIIでなくて、KIVに昇格したメンバー。つまり運営の信頼が厚いってこと。w

2019.09.26 | ├ まどちゃん(森保まどか) | トラックバック(0) | コメント(0) |

Eテレ「趣味どきっ! 魔界めぐり」で「お岩 最恐の女ゆうれい」をやるので見た。

「東海道四谷怪談」に登場する、恐ろしい女幽霊お岩。夫に裏切られ、毒をもられて醜い姿となった末に、命を落とし幽霊に。敵対する奴らに次々と復讐していく歌舞伎の大人気演目。だがお岩さんって、実はとってもやさしくて「貞女の鏡」だったって本当?物語の作者、鶴屋南北の意図したこととは?「東海道の四谷」ってどこ?江戸の庶民が熱狂したからくり仕掛けの舞台裏も堪能!出演:東貴博、加治まや、講師:飯倉義之

【講師】國學院大學文学部准教授…飯倉義之,【出演】於岩稲荷田宮神社禰宜(ねぎ)…栗岩英雄,東貴博,加治まや,【語り】松元真一郎

趣味どきっ! 魔界めぐり #8「お岩 最恐の女ゆうれい」[終]

例によって、「於岩稲荷来由書上」と「四谷雑談」はスルーされた。

それは、これらを取り上げたら、田宮神社に取材できなくなるので、忖度した結果だ。

今の田宮神社の宮司が、貞女・お岩の子孫ではなく、断絶した田宮家の「同心株」を買って田宮氏の名跡を継いだということを知られたくないからだ。

で、スルーされた「於岩稲荷来由書上」と「四谷雑談」に田宮家の断絶に至る物語が書かれている。

田宮家の入り婿は、上司の愛人に子ができたので、愛人を押し付けられた。そこで、子ができないからと、家付きの妻を離縁して家から追い出し、愛人を妻に迎えた。そのことを後に知らされた妻が狂乱して失踪し、その後、怪異が起いて田宮家が断絶した。人々は元の妻の恨みによるものだと噂した。

そういう話で詳しくは以下の記事を読んで欲しい。

於岩稲荷に関する考察

「四谷雑談」~「四谷怪談」の実録小説~

2019.09.26 | 心霊 | トラックバック(0) | コメント(0) |

これは、もともとgooブログの方にあったのですが、こちらに再掲します。

 「於岩稲荷来由書上」は、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」上演の2年後、1817年に文政十年町方書上の「四谷町方書上」の付録として作成された江戸幕府の公文書である。内容は、登場人物の名前などが若干異なってはいるが、以前紹介した「四谷雑談」とほぼ同じ内容である。ここでは、高田衛・著『お岩と伊右衛門~「四谷怪談」の深層』(洋泉社、2002年)から、その主要部分を紹介したい(同書、p.42-44)。

於岩稲荷来由書上

寛文年中に御先手組の諏訪左門様組に成ってから俚俗に、其辺を左門町と称してきました所、其後榊原采女様組に変りました際、貞享年中、同組同心田宮又左衛門(後に伊左衛門と改名)と申す者、五十四歳にて大病に付き、二十一歳になる娘いわへ急養子を探しましたが、同人は年もたげ、重い疱瘡をわずらったせいで片隅はつぶれ、ひどい醜女の上、性質も頑固に付き、養子に来る者とて居らず、よんどころなく下谷金彩辺に住む又市と申す者の口入にて、同組同心秋山長右衛門が媒人となり、攝州浪人で名は不詳なる、三十一歳になる者を聟養子とし、田宮伊右衛門と改名の上、名跡相続させました。この男は元来人品いやしからず、愛嬌もあり、物事器用なので組内での気請もよく、同組与力伊東喜兵衛とは別して入魂に致しまして同人方へ夜分も立入り、同人妾ことと伊右衛門両人とも互に恋慕の情を含みながら打ち過ぎる内、妻ことは懐妊し、喜兵衛は五十有余の老年に及んでの出産を、世評もいかがかと嫌い、平生の両人の様子もあり、妻ことを伊左衛門の妻に押し付けんと姦計を立て、秋山・田宮の両人を招き、密談した所、伊右衛門儀姦侫の性質であって、内心悦喜しながら一旦は断りましたが、喜兵衛・長右衛門両人が再三申し勧める計略に任せ、家附の妻いわを離別するべき手段として、追い追い勤務を怠り、家事も顧りみぬ風に仕立て、博奕を好み、放逸無慙の行い、家財を売り、いわ衣類等まで入質いたし、暫時も在宿せず、いわが異見をすると、怒りにことよせ打ち、擲き、乱暴をし、粮米や資量も家に入れず、いわば飢渇に及び、艱難きわまる頃、隣家長右衛門は妻もろとも、実意ある体にとりなして、いわを喜兵衛宅に呼寄せ、伊右衛門の身持不埒の旨が頭あたりにも聞こえている様子である。このままでは家名断絶もあり得る。かといって聟を離縁するのも人道に背く。ここは一旦そなたが夫から離別を受けて、奉公稼ぎなどにも出、実意の様子を見せれば、伊右衛門の心底も直るであろうと諭すと、いわも其の気になって伊右衛門と対談し、離縁状を貰い請け、兼て知る四谷塩町の紙屋又兵衛を請人に頼み、番町の辺りの某家に下女奉公に出た後、喜兵衛妾ことは懐妊のまま、右長右衛門を媒人にして、貞享四丁卯年七月十八日迎え取り、夫婦睦まじく相暮らし、喜兵衛の妊種女子そめ、二男権八郎、三男鉄之丞、末女きくと次々に出生致しました。ところが、右伊右衛門近辺に住居する刻煙草行商人の茂助という者が、三番町辺りへ渡世に出かけた時、折からいわ奉公先の屋敷へ呼び入れられ、いわと逢い、伊右衛門の様子、本末残らず話してしまいましたところ、いわ、聞き請け、妬心募り、鬼女の如く成り、狂乱いたし、共の儘屋敷を駈け出し、伊右衛門居宅近辺まで罷り越しましたが、更に西の方へ走り行き、終にその行方は知れなくなりました。その後、種々奇怪の儀があり、伊右衛門後妻ことならびに子供、残らず変死し、伊右衛門は業病にかかって相い果て、秋山長右衛門妻子残らず取り殺され、田宮・秋山両家共断絶し、伊東喜兵衛老年につき、池田伝右衛門と申す者を養子とし、喜兵衛と改名、家督を相続させ、養父喜兵衛は土慎と名のったが、その養子喜兵衛に不届きのこと有って、処刑されるという大変があって、こちらもまた家名断絶に及び、その外この件に関係した者共は、夫婦、兄弟、親子の分ちなく、全部でかれこれ十八名の者が、次々に変死し、家名断絶に及んだのであります。其の後、田宮伊右衛門跡は、元禄年中、御先手組浅野左兵衛様御組の頃、市川直右衛門と申す者を抱え入れに相成り、それが辞職後は、其の跡へ正徳五乙未の年、御先手組羽太清左衛門様御組の節、山浦甚平と申す人を召し抱えられ、右田宮跡地に住居の間、種々の奇怪がありまして、田宮の菩提所である、元鮫河橋南町、俚俗千日谷日蓮宗妙行幸へ相頼み、屋敷内へ稲荷を勧請致し、同時において追善仏事、慇懃に営み、其の後自然と祟りや怪異も相止み、後には霊験もいや増し、今に於岩稲荷という小祠が、右組屋敷内山浦甚蔵地面内にあります。前記山浦甚平五代の子孫、同苗甚蔵、今以て同地面に住居して居りますが、おいわ狂走後近々百五十周忌にも相成りますが故に、追福作善の法事を行うつもりです。文政八年乙酉年八月中同人法諱相贈り度き旨、前記妙行寺へ相頼みました所、
  得証院妙念日証大姉
と称し、同寺過去帳に記入してあります。
一 俚俗 鬼横町
   但 組屋敷内東通りより
     西通りへ往返の小巷也
 右はおいわ鬼女の如く成りて此の横町を走りけるによりて、俚俗唱来り候。
右の箇条の簾々私共支配に最寄に付き、取調べ此段申し上げます以上
 文政十亥年十月 四谷伝馬町
      名主   孫右衛門 印
      同     茂八郎 印

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2019.09.26 | 心霊 | トラックバック(0) | コメント(0) |