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社会学者の倉橋耕平氏が2018年10月24日の『朝日新聞』の「耕論」に下記の記事を書いた。



これを読んで激高したよしりんがつぎにようなブログ記事を書いた。

漫画家をなめてるエセ学者・倉橋耕平
ツッコミどころ満載なのだが、まずは、主観で描いていると批判されたことに反論している。

生憎だが、わしは膨大な専門家の書籍・歴史資料を基に、「客観」で描いている。

つまり「史料批判」は厳密にやっているということだ。


今日締め切りの『ゴーマニズム宣言』第25章では「歴史修正主義」について描いていて、発売は11月6日になる。

読めば「史料批判」とは何なのかが分かるから、倉橋は読めばいい。

大学・大学院と歴史学を学んできたオイラから言わせてもらうと、史料批判って、その史料の内容の真偽はもちろんのこと、誰がどういう意図で書いたのかってところを知ることだ。

ところが、そうやって調べても過去に起きた出来事はたくさんあり、そのなかから重要な出来事を選びださなければ歴史は書けない。何が重要で、何がそうでないかは、それぞれの歴史家の歴史観=主観で選択されるので、史料批判したからといって、必ずしも客観性が保証されているわけではない。同じ史料を使っても、同じ結論にならないってことが多々あるのだ。

このことは、学部の1~2年生のとき「歴史学方法論」で履修するので、史学科を出ている学生はみんな知っている(不勉強な学生は除くw)。

だから、よしりんの主張は歴史学では相手にされない。


そして、出た!よしりんの読書自慢。w

実際の小林よしのりはというと、書斎の中だけでも、数千冊の本が収容されていて、もう置き場所もなく、リビングにも、食卓にも書物が積み重ねられていて、妻からいつも怒られる事態になっている。


さらに福岡には3LDKのマンションを持っていて、ここも書庫になっているから、まあ、そこいらの学者より本は読んでいるだろう。

少なくとも、確実に言えるのだが、この倉橋耕平よりも、わしの読書量の方が多い。これは確実である。

本は読むみたいだけど、一次史料は?

歴史学を学ぶ学生は史料調査をすることが多い。

近世史だと、むかしの庄屋や名主の倉を見せてもらい。そこにある地方文書(じかたもんじょ)を、もらってきたり、写真撮影させてもらう。これらは、印刷されて本になっているものや、後世の人によって編纂されているもの(二次史料)もあるが、ほとんどはそうなっていない。

近現代史だと、新聞や雑誌のように出版されているものもあるが、手記や日記のように出版されていないものや、当事者が生きている場合はインタビューしたりする(オーラルヒストリー)。

読書自慢は客観的な記述ができる理由にはならない。


これに「知の枠組み」の問題が絡んでくるが、それは前に書いたので、こちらを読んでもらいたい。

よしりんの読書歴と知の枠組

倉橋耕平氏は『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社、2018年)という本を書いていて、そのなかで歴史修正主義の「知の枠組み」を問うているらしい。

悪い相手に噛みついたもんだねえ。w

2018.10.26 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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