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百田尚樹氏の『日本国紀』がクソなのは事実だが、内容がぜんぶマチガッテいるわけでもない。



荻原重秀が「信用貨幣論者」であったことは、日本近世史ではかなり前から主張されている。

※ 貨幣と通貨は、厳密には違うが、ここでは同じ意味で使う。

驚くべきことに、彼は当時、「本来、お金というのは何でもいいわけで、瓦でもいいのだ」といっている。考えてみれば、お金というのは不思議なもので、それを出している国に対する信頼と、皆がそれをお金と信じて使うかどうかということ、この二つの条件さえ整えばどんなものでもいいのである。現に我々もただの紙切れをお金と信じて使っている。そういう「通貨の本質」を最初に見抜いて通貨政策に応用したのが、荻原重秀だった。

大石慎三郎[著]『将軍と側用人の政治』(講談社現代新書、1995年) 92~98ページ。

また、鋳造貨幣(金貨・銀貨・銅貨)と信用貨幣(紙幣・手形・小切手)の違いと、本位貨幣(価値が一定量の金属と関係づけられた貨幣)であるか否かには直接関係はない。金(銀)本位制では、金(銀)と紙幣の交換が保証された紙幣(兌換紙幣)が発行されていた。逆に、鋳造貨幣が使用されていても、その額面が実際に含まれている金属の価値と大きく異なっていれば、不換紙幣と同じである。500円玉は鋳造貨幣(銅合金=ニッケル黄銅)であるが、今の日本は銅本位制ではない。

そもそも論として、ケインズは信用貨幣論者ではあるが、彼以前から信用貨幣は存在しており、荻原重秀がケインズ理論のような財政・金融政策を実施したわけでもないので、「ケインズの先駆」と書くのは不適切である。また、金(銀)本位制は(兌換)紙幣の発行を前提としているので、鋳造貨幣を使っている段階で金銀本位制うんぬんというのもオカシナ話で、議論に混乱を招いたのも百田氏の責任である。

《荻原重秀は「実物貨幣(物質そのものに価値がある貨幣)」から「名目貨幣(実用的な価値はなく、法律で価値を付与した貨幣)」に移行させた》くらいの表現がいちばん混乱しないと思う。

2018.11.14 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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