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まさかのオジゴねた開陳…。w


下の「鳥羽天皇関係系図」を見てもらうとわかるんだけど、鳥羽天皇は白河天皇の孫にあたり、崇徳天皇はひ孫にあたる。



ところが、崇徳の母・待賢門院(藤原璋子)は、藤原公実の子であるが、白河の養女として育てられ、鳥羽に入内した。『故事談』によると、養女となっている間に白河と男女の間柄になり、それを鳥羽に押し付けたが、生まれた子=崇徳は白河の子ということになっている。鳥羽から見たら、祖父の子どもであるから「叔父」なのに、自分の「子」とされているから、「オジゴ(叔父子)」と呼んで嫌っていたという話なのだ。

この話、和歌森太郎[著]・カゴ直利[絵]『学習漫画 日本の歴史』(集英社、1968年)の(おそらく)4巻「源氏と平家の戦い 鎌倉時代」で読んだことがある。もちろん、小学生相手に上記の話を書くわけにはいかないので、ずっと、なんで「オジゴ」と呼ばれているのか、さっぱりわからなかった。大人になって、安田元久[著]『日本の歴史 7 院政と平氏』(小学館、1974年)を読んだら、説明が載っていて、「そうだったのか!」と膝を打った(池上彰ふう)。←ウソ

白河にかんしては、崇徳だけでなく、平清盛も落胤であるという話があるだけでなく、側近とも男色関係があるなど、性的に奔放だったらしい。w


「英雄色を好む」などといわれているが、天智天皇(中大兄皇子)が弟・天武天皇(大海人皇子)と額田王を争った話は有名だ。しかし、それだけでなく、叔父・孝徳天皇の皇后である実の妹(間人皇女)とデキてしまい、間人に捨てられた孝徳がそのことを恨んだ歌を残している。天智が母・斉明(皇極)天皇の死後も長らく皇太子のままで政治を執っていたのは、間人との関係が続いていたからで、間人の死後、皇位についた。

あと、こっちは藤原不比等が天智の落胤という説がある。『竹取物語』に出てくる「車持皇子」は不比等がモデルといわれており、不比等の母が庫持氏で、父が天智だったから「皇子」がついたらしい。w

2018.11.18 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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