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以下の文章は、堀尾輝久・著『現代社会と教育』(岩波新書、1997年)にある「学校化社会と教育家族」からの引用である。以下の記事で引用した両親の手記を読んだとき、「教育家族」という言葉が浮かんできた。

短大生バラバラ殺人事件 両親の手記

親たちは就学前には、子どもの不登校を恐れ、それを乗り切れる見通しが立つと、子どもの成績、テストの点数とクラスでの順位に関心を移し、予習・復習をきちんとしているか、悪い子と遊んではいないか、ちゃんと塾に通っているか、忘れものはないかと、細かく目を配り、PTAにも積極的に顔を出し、担任の先生とも適度におつきあいを…と多忙である。このような、子どもの教育に熱心な家族を「教育家族」と呼ぶとすれば、それは「家庭教育」の解体と同義であり、学校化社会とは学校化の家族までの浸透であり、家族の学校化であるとしてとらえることができよう。

なんか、《人道<<<お勉強》な感じがする。

もっともオイラの仕事は「学校化社会」と「教育家族」に支えられているんだよね。w
  …1960年代以降「経済と教育」という思考軸が一般社会の中で大きな比重を占めるようになり、学校制度は、人材選抜機構としてフル回転しはじめる70年代後半以降、社会が学校的価値=偏差値序列を重くみる風潮の中で、社会全体が学校化し、いわゆる「学校化社会」が展開していく。それは家族のあり方を大きく規定することになっていく。

  かつては、生産の単位でもあった家族は、その社会的機能を縮小し、子産み、子育ての機能を中心に純化し、現在では幼児期から教育競争を意識する「教育家族」を生み出しており、そしてこのことによって、逆にその教育機能を低下させている。

  かつてはその独自の家風とともに独自の家庭教育(しつけ)の場であり、独自の価値拠点でありえた家族が、「学校化社会」の一翼を担うものとしての「教育家族」に変化していく。そこでは、家族を国家の単位として国家の側に引きよせるという関係とは違って、企業社会における競争と、学校における選別的役割とが、経済の論理の中で必然的なものとして位置づけられ、富める家族は、社会的競争に有利な学校を選び、そのために家庭教育は早くからその準備体勢をととのえ、よりよい塾、よりよい家庭教師、そしてよりよい学校のために、経済的にも備えを怠らない「教育家族」を生み出すことになる。それは家族をまきこんで展開する現代市場原理の一つの帰結でもある。

  それではこのような意識は経済的に豊かな、そして子どもの偏差値も比較的高い階層だけの問題かといえば決してそうではない。中間層は、この圧力を最も強く受けている階層であり、さらに底辺層においても、学歴社会の圧力は、せめて高校まではいかせたいという思いのなかで、この底辺層もまた「教育家族」化傾向を強めることになるのである。そのことはまた、家計における教育費の割合が著しく大きな比重をしめることとも重なっている。

  しかし、その子どもの教育費は親の将来への投資の対象であるよりも、回収不能な消費財でしかなくなったといわれる。家族社会学者の庄司洋子は、この近年の家族経済学の主張に依拠しつつ「消費家族における子どもの養育について、親はかつてない混迷に陥っていることも確かである」とのべ、親が子どもをもつかもたないかの判断も、すべて親の選択と責任に帰されているが、しかし「現実に、親が主体的な判断や選択の力量を備えることは難しく、多くの場合、親は、家族の外側にある価値や規範、たとえば結婚や親子関係にかかわる家族規範、教育をとりまく知育中心主義・学歴主義・業績主義などに支配されることになる」とのべている。家族(親)の判断は多くの場合、社会の価値意識に従属しているのである。このことはまた、旧来、「家庭教育」という概念が家訓や家風に象徴されるように学校教育に対する相対的に独自な教育領域として存在していたのにたいして、現代の家庭教育は、むしろ学校教育に従属する補完機能あるいは学校教育対策しかもてなくなってきていることを意味している。

  実際親たちは、妊婦教室にはじまり、乳幼児教室やスポーツ教室、学習塾への送り迎えに加えて、家庭内でも教育玩具や幼児教育教材を使っての新しい育児活動に忙しい。しかしこれは従来の自立的な家庭教育のコンセプトからは大きく隔たっている。

  親たちは就学前には、子どもの不登校を恐れ、それを乗り切れる見通しが立つと、子どもの成績、テストの点数とクラスでの順位に関心を移し、予習・復習をきちんとしているか、悪い子と遊んではいないか、ちゃんと塾に通っているか、忘れものはないかと、細かく目を配り、PTAにも積極的に顔を出し、担任の先生とも適度におつきあいを…と多忙である。このような、子どもの教育に熱心な家族を「教育家族」と呼ぶとすれば、それは「家庭教育」の解体と同義であり、学校化社会とは学校化の家族までの浸透であり、家族の学校化であるとしてとらえることができよう。

  こうして「学校化社会」と「教育家族」の出現は、相互に深く連関しており、一方は他方の従属函数的(共依存的)関係だといってよい。強いていえば、家族は、子の将来を担保するものとして進学を位置づけている。その際、学歴よりも人間をと望む気持は、現実には、学歴でよりよい就職をという方向にスイッチされ、家族は、学校的価値を底支えする関係になっている。学校は「教育家族」に支えられているが、家族の価値意識の内容は、「学校的なるもの」に従属しているといってよい。

前掲書、42-45ページ

2007.01.28 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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