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西浦和也さんの実話怪談

獄の墓

の実在性についてコメントをもらっているうちに、鴻沼(高沼 こうぬま)と高沼用水について調べることになった。

見沼(みぬま)と見沼代(みぬまだい)用水については、過去に何回か見沼代用水ヘルシーロードをサイクリングしたことがあり、氷川神社については氷川神社・中山神社・氷川女体神社が一直線上にあることを記事にした。

氷川神社/氷川女体神社・中山神社・氷川神社/埼玉県さいたま市

見沼・見沼代用水の歴史をかんたんに説明すると、江戸時代初めの関東郡代・伊奈忠治は、利根川の東遷と荒川を入間川に付け替えを行ったが、これによる元の流域の水不足が生じるのを恐れ、1629(寛永6)年、現在の芝川をせき止めるために「八丁堤」という堤防を築いて「見沼溜井(ためい)」をつくった。これが見沼である。

見沼の西に長さ4km幅100~500mの沼があったが、これが鴻沼である。約1万8000年前までに鴻沼川が大宮台地を削って谷を形成し、約6000年前の「縄文海進」でさいたま市大宮区桜木町まで海水が浸入した。約4000年前の海退によって水はけが悪い谷が沼沢地となり、鴻沼となった。



徳川吉宗が将軍となると、新田開発が奨励され、「見沼溜井」の干拓とそれに代わる見沼代用水の開削が行われた。1728(享保13)年に井沢為永(弥惣兵衛)によって見沼代用水が完成した。それと同時に、鴻沼の干拓と高沼用水の開削も行われ、1730年に完成した。



ちなみに、「鴻沼」が「高沼」になったのは、「鴻沼」が書きにくいためしばしば「高沼」と書かれたかららしい。



この高沼用水が旧中山道と交わるところが「高台橋」で「火の玉不動」がある場所だ。

鴻沼資料館

2020.02.12 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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