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以前、取り上げた枚方市の「七夕伝説」なんだが、どうやら偽史だったようだ。orz

かささぎ橋で会いましょう【再掲】

まず、その「七夕伝説」なのだが、枚方市のサイトに次のように載っている。

天野川流域の枚方市と交野(かたの)市の一帯は、かつて「交野ヶ原」と呼ばれ、桜の名所として、また平安貴族の狩り場として知られていました。当時の貴族は、天野川の川砂が白く光って見えることから、天上の天の川になぞらえ、「七夕」を題材にした数多くの歌が詠まれました。「伊勢物語」には「狩り暮らし棚機津女(たなばたつめ)に宿借らむ、天の河原に我は来にけり」と、在原業平がこの地を訪れた際に詠んだ歌が収められています。また、「七夕」にまつわる地名や名所が数々見られ、今でも枚方・交野には、彦星と織姫の「七夕伝説」が継承されています。

七夕伝説ゆかりのまち・枚方市

これに対して、歴史学者で大阪大谷大学准教授、椿井政隆が偽作した古文書類(椿井文書)の研究で知られる馬部隆弘(ばべ たかひろ)氏は以下のように指摘している。


 細かい指摘をさせてもらうと、『由緒・偽文書と地域社会』443頁などで述べているように、「交野ヶ原」は交野郡の北部なので交野市域は含まれません。「「七夕」にまつわる地名や名所」が、比較的最近になって次から次に創られた経過は、『由緒・偽文書と地域社会』255頁で述べています。在原業平の歌については、同じく『由緒・偽文書と地域社会』272頁で次のように指摘しました。

酒宴を開こうと、惟喬親王一行は天野川の畔にたどりついた。ここで惟喬親王が天の川をテーマに歌を詠むよう指示すると、在原業平は眼前の天野川を天上の天の川になぞらえて歌を詠んだ。これをいたく気に入った惟喬親王は、返歌に困るほどであった。つまり、業平は惟喬親王の及びもつかぬ機転を利かせて歌を詠んだのである。これは地上の天野川が天上の天の川とは全く結びつかなかったことを示している。もし、地上の天野川に七夕伝説があれば、業平の歌は非常に平凡で、短絡的な歌である。『伊勢物語』の作者が業平をそのような凡才として描いていないことは周知の事実である。

 このように、業平の歌は平安時代にこの地に七夕伝説がなかったことを示しています。そして上掲の文章に続けて、次のように述べました。

その後も、紀行文などに天野川はしばしば散見する。『伊勢物語』と重ね合わせながら叙述するのは紀行文の常套手段であり、天野川にさしかかれば『伊勢物語』の世界を踏まえながら七夕を歌枕にした一首が詠まれることが多い。したがって、紀行文や和歌では七夕と天野川が常にセットで登場するが、それをもって地元に七夕伝説が存在したとすることはできない。

 ですので、私は七夕伝説の有無を論じるうえで、七夕に関する文献を逐一丁寧にあげる必要はないと判断しました。


続 伝承と学説



江戸時代に入り、「伊勢物語」を庶民が知るようになると、現在の枚方市や交野市の住民が「七夕伝説」を創作した。枚方市は、その伝承を「地域資源」と捉えてPRするとともに、これに基づいた郷土愛を醸成しようと取り組んでいるのだそうだ。

アホやねん(早川聖来)が出ていた枚方こどもミュージカルの「SPACE★SPACE★ SHOWTIME!」や「天の川ラジオ」って完全にその路線ではないか?w



これらの作品や上記の「かささぎ橋で会いましょう」は創作なので許されると思うが、枚方市がやっている偽史に基づいた「町おこし」とか郷土愛の醸成は、「江戸しぐさ」と同じで、大いに問題があると思う。



※ 江戸しぐさ(えどしぐさ)

芝三光が提唱し、NPO法人江戸しぐさが「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」と称して普及、振興を促進している概念・運動である。

しかし、江戸文化研究家で法政大学総長の田中優子は「空想・創作」であるとニュースで発言し、と学会会員で偽史・秘史について著述活動を行っている作家の原田実も根拠のない「(創作)発明」である可能性が高いと自著等で指摘している。

2020.09.28 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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