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映画「ナポレオン」を観た。

もちろん、この動画に触発されてだが…w

映画「ナポレオン」がスゴイらしい

戦いとしては、トゥーロン包囲戦、アウステルリッツの三帝会戦、ワーテルローの戦いが詳しく描かれていた。ただし、映画なので、実際の戦いよりもかなり単純化していたが…
トゥーロン包囲戦は、ナポレオンの名を一躍有名にした戦いだが、映画では1つの要塞を襲撃する話として描かれていた。しかし、実際は3つの要塞を奪う戦いだった。

トゥーロン港の西に位置するレギエット(l'Eguillette)とバラギエ(Balaguier)の要塞を奪えば港から船の航行が困難になる。この要塞群を攻撃するにはル・ケールの丘が重要であり、ナポレオンはそれを見抜き、ここへの攻撃を進言するが、上官が無能で兵を割くのを拒んだため攻撃は失敗し、逆に丘にマルグレーヴ(Mulgrave)要塞を築かれてしまう。

上官が更迭され、たたき上げの上官が任命されると、ナポレオンの進言に基づき、マルグレーヴ、レギエット、バラギエ3要塞への攻撃が始まる。ナポレオンはこの戦いで腿を負傷し(映画では馬が大砲の弾の直撃で死ぬ)、副官が代わりに指揮をし、マルグレーヴ要塞が陥落する。その結果、敵がレギエット、バラギエ要塞から退去し、最終的にトゥーロン港からも退去する。


フランス側の要塞  イギリス・ナポリ連合軍側の要塞


アウステルリッツの三帝会戦は、ナポレオン軍が油断していると踏んだ連合軍が急襲したが、じつはそれはナポレオンの罠で、隠れていた兵が一斉に襲い掛かり、慌てて逃げた先が凍った湖で、これまた隠れていた砲兵隊の砲撃で氷が割れ、多くの兵が命を落とした。こんな感じで描かれていた。

実際は、ナポレオン軍は低地、連合軍は高地に布陣し、この段階でナポレオン軍は不利となる。しかも、ナポレオン軍の右翼(ダヴー軍)は数が少ないので、連合軍は右翼を攻撃しようと有利な高地から降りてしまった。



それを好機と見たナポレオンは中央のスルト軍に中央突破を命じ、連合軍は左右に分断されてしまう。左翼の連合軍は、ダヴー軍とスルト軍に挟撃され、逃げ場を失って凍った湖に入り、それを砲兵隊が砲撃して、上記のような大惨事になる。


ワーテルロー(Waterloo)の戦いは、フランス軍とイギリス・オランダ連合軍、プロイセン軍の戦いだが、例によって、1815年6月18日、ワーテルローに陣取ったイギリス・オランダ連合軍にフランス軍が戦いを挑むところから始まる。



雨のため、戦いは午後に開始され、フランス軍が連合軍に中央突破をかけ、連合軍は奇兵隊の突撃でこれに応える。今度はフランス軍が騎兵で攻撃し、連合軍は方陣でそれに耐える。そこにプロイセン軍が現れ、フランス軍は総崩れとなり、ナポレオンは逃げ去る。まあ、映画もこんな感じだった。

しかし、この戦いには前哨戦がある。前々日の6月16日に、ナポレオン軍とプロイセン軍とのリニーの戦いと、ナポレオンの部将ネイ元帥とイギリス・オランダ連合軍とのカトル・ブラ(Quatre-Bras)の戦いが行われた。



リニーの戦いは、ナポレオンが勝ち、プロイセン軍は後退するが、ワーヴル(Wavre)で再結集する。ナポレオンはグルーシー元帥に後を追わせるが、グルーシーはプロイセン軍に追いつけなかった。カトル・ブラの戦いは、ネイ元帥は連合軍を倒せず、連合軍もプロセン軍の敗北を知り、ワーテルローに後退する。

ここが省略されるから、プロイセン軍が遅刻してきたように思われる。ホントはリニーの戦いで指揮官のブリュッヘル元帥が重傷を負い、参謀長のグナイゼナウ中将が代わりに指揮していたのだ。

などとイチャモンをつけているが、映画自体はすごくオモシロイ。ただし、上映時間が2時間38分とめちゃくちゃ長いので、お尻が痛くなったw

2023.12.07 | ├ テレビと映画 | トラックバック(0) | コメント(0) |












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