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4日前に承認してたのね。w

高村外務大臣談話

コソボ共和国の承認について


平成20年3月18日



  1. 我が国は、3月18日付けでコソボ共和国を国家として承認した。コソボ共和国は、国連特使案に沿った国家運営を行う意思を明確にしており、我が国として同国の独立が長期的にこの地域の安定に貢献することを期待している。

  2. なお、我が国は、セルビアとは伝統的に友好関係にあり、今般のコソボ共和国の国家承認をもってセルビアとの友好関係が阻害されることは本意ではなく、引き続きセルビアとの友好関係が維持されることを希望する。

(参考1)コソボの独立までの経緯

  1999年の紛争終結以来、コソボは国連による暫定統治に置かれた。その最終的地位の確定をめぐっては精力的な交渉と調停努力が行われてきたが、残念ながら関係当事者間の合意は得られなかった。こうした状況を受け、2月17日、コソボは独立を宣言し、我が国を含む国際社会に早期の承認を求めていた。

(参考2)国連特使(アハティサーリ)案

  アハティサーリ国連特使が2007年3月に国連に勧告した国際社会の監督下のコソボの独立案。同案では、EU主導の国際文民プレゼンスとNATO 主導の国際軍事プレゼンスがコソボに展開し、少数民族の保護を含む民主的な多民族国家の構築のため、コソボの国家運営を監督することとされている。

コソボ共和国の承認について

世間的には、セルビア人=悪、コソボ(アルバニア人)=善という図式で語られてるけど、現実の国際政治はそんな簡単な話ではない。
1982年、スイスに在住していたアルバニア人が「コソボ共和国社会主義運動」という左翼的な組織を設立した。彼らの目的はコソボをユーゴスラビアから分離し、独立した国を創ることだった。80年代にこの組織は世界中に分散しているアルバニア人を集め、水面下でネットワークを張り巡らし、武装勢力を結成している。この組織を大きくするために左翼ばかりでなく、イスラーム教原理主義やアルバニア国粋主義もイデオロギーとして掲げた。そして彼らは組織の名前を、「コソボ解放軍」(アルバニア語名:UC,K、英語名KLA)と改名した。

クロアチア、ボスニア=ヘルツェゴヴィナのユーゴスラビアからの離脱に際して発生した紛争の結果、大量に発生したセルビア人難民の居住地として、ユーゴスラビア(セルビア)政府はコソボを指定した。この結果、コソボの民族バランスは大きくセルビア側に崩れることになった。1995年に警察官やセルビア人が殺される事件が起きた。これが「コソボ解放軍」の武装闘争のはじまりだった。

一方、隣国アルバニアは、1997年に全国的な規模で拡大したネズミ講が破綻し、社会的な混乱に陥った。「コソボ解放軍」は、混乱したアルバニアに自由に出入りし、政府の追っ手を撒き、戻ってくるときにはアルバニアで流失した武器やアルバニアでリクルートした兵士を連れて帰ってくることができた。

1997年から1999年の間に「コソボ解放軍」のメンバーが大幅に増加し、警察官やセルビア人の一般国民を攻撃したり、殺害したり、セルビア人女性を強姦したりした。また、ドイツの新聞「Berliner Zeitung」(1999年3月4日付け)が入手した秘密文書によると、「コソボ解放軍」が資金を集めるためにアフガニスタン産のヘロインなどの違法麻薬の販売を行った。

コソボ地方の4分の1の地域では、政府が統治できず、「コソボ解放軍」が完全に支配するようになった。その結果、コソボのセルビア住民がそれらの地域から逃げ始めた。このように、アルバニア人がコソボに住んでいたセルビア人を追放することを「民族浄化」と呼ぶ。

「コソボ解放軍」によるさまざまな犯罪が最も悪化したのは、1998年の夏だった。そのとき、彼らはオラホヴァッツの町を攻撃しようとした。セルビア政府はこの状況にどのように対応すべきかを長く思案していたが、このコソボ解放軍の挑発に対し何らかの対策をとるべきだと判断した。

セルビア政府はなぜすぐに対策を取らなかったのか? その理由は、ミロシェビッチ政権は英米とその同盟国とは関係が悪く、もしセルビア政府が「コソボ解放軍」を攻撃すれば英米にアルバニア人を差別していると、非難されるからだった。ミロシェビッチ大統領は英米とその同盟国と衝突するか、それとも国民を守るかというジレンマに陥っていたが、最終的に彼は国民を守ることが何よりも重要であると判断した。

セルビア軍は「コソボ解放軍」の武装勢力を激しく攻撃するのである。その後、ミロシェビッチ政権を崩壊させたかった英米とその同盟国はアルバニア人が差別されていると猛反発し、この衝突が戦争への階段を上がっていくことになるのである。

この過程で、国連やEUがセルビア政府とコソボの間に立って調停活動を行うことになった。1999年3月からNATOが国際世論に押されて、セルビアに対する大規模な空爆を実施するに至った。この空爆は約3ヶ月続き、国際社会からの圧力に対抗しきれなくなった政府はコソボからの撤退を開始、翌年までに全ての連邦軍を撤退させた。これによってコソボはセルビア政府からの実効支配から完全に脱することになった。代わって国連の暫定統治機構である国連コソボ暫定行政支援団(UNMIK)の管理下に置かれることになった。

ただし、UNMIKの管理下にありながらも、空爆後のコソボでは非アルバニア人の人権が守られているとは言えない。


以上は、Wikipediaなどの情報をもとに、オイラが編集したコソボ内戦の姿である。ここには、セルビア人=悪、コソボ(アルバニア人)=善という簡単な図式はない。

いつも思うけど、こーゆー情報ってマスコミでは絶対流れないんだよね。流れるのは、単純な図式だけ…。もともと国際政治が苦手な日本人がますます国際政治オンチになるように仕向けてるんでしょうかね。w

2008.03.22 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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