…と、いきなりトンデモない題名です。
最近、某人物と邪馬台国について論争してるわけですが、こっちもいろいろ知らなきゃならないので、その手の本を買って読むわけです。
で、昨日、買ったのが石野博信さんの『邪馬台国の考古学』(吉川弘文館、2001年)です。石野さんは、徳島文理大学の教授で、邪馬台国大和説の代表的な論客です。この本は、邪馬台国があった3世紀の古墳の調査結果の比較や、各地の遺跡から発掘された土器を用いて人々の移動から、考古学的に邪馬台国を考察する本です。
この本の中に、現在、邪馬台国の中心である可能性がきわめて高いと考えられている纏向遺跡で行われていたある儀式についての記述があります(p.25-31)。
纏向遺跡には導水施設があり、聖水供献(井泉の神聖な水を献上すること)の儀式が行われていた可能性があるのですが、1992年、この導水施設の木樋内で大量の寄生虫の卵が見つかりました。その数は便槽とほぼ同じ数であり、どうも大便を放り込んだようなのです。神聖な水に大便を放り込むとは、いったいどういうことでしょうか。
石野さんは、神聖な水と大便の関係を考えると、「天岩戸」の神話が連想できると述べています。
『古事記』によると、スサノオノミコトは、アマテラスオオミカミの住む高天原に行き、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。八百万の神はアマテラスに苦情を言うが、アマテラスは「考えがあってのことなのだ」とスサノオをかばった。
しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、スサノオは機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ「斑馬」を落とし入れ、一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。
アマテラスは、スサノオの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)ごとが発生した。
八百万の神は、天の安河の川原に集まり、相談をした。オモイカネの案により、様々な儀式を行った。ついには、アメノウズメが、岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
この声を聴いたアマテラスは、何事だろうと天岩戸の扉を少し開けた。そのとき、隠れていたタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。こうしてアマテラスが岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。
『日本書紀』では、スサノオが機屋に馬を投げた際、アマテラス自身が驚いて梭で傷ついたとある。第1の一書では、稚日女尊(ワカヒルメ)が梭で傷ついて死んだとなっている。ワカヒルメはオオヒルメすなわちアマテラスの分身であり、スサノオの行為によってアマテラスが死んだというのが元々の伝承ではないかと考えられる。
アマテラスが天岩戸に隠れて世の中が闇になるという話は、日食を表したものだという解釈と、冬至を過ぎて太陽が弱まった力を取り戻すということを象徴したものとする見方があります。
この儀式はその後も行われていたようで、5世紀の奈良県御所市南郷大東遺跡にも導水施設があり、やはり大量の寄生虫卵が発見されています。また、ここでは板壁建物の屋根の一部が転倒しており、機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ「斑馬」を落とし入れた乱暴も連想できるそうです。
さて、ここまではマトモな研究書にもとづく話ですが、ここからちょっとヤバイ系の本に変わります。
最近、某人物と邪馬台国について論争してるわけですが、こっちもいろいろ知らなきゃならないので、その手の本を買って読むわけです。
で、昨日、買ったのが石野博信さんの『邪馬台国の考古学』(吉川弘文館、2001年)です。石野さんは、徳島文理大学の教授で、邪馬台国大和説の代表的な論客です。この本は、邪馬台国があった3世紀の古墳の調査結果の比較や、各地の遺跡から発掘された土器を用いて人々の移動から、考古学的に邪馬台国を考察する本です。
この本の中に、現在、邪馬台国の中心である可能性がきわめて高いと考えられている纏向遺跡で行われていたある儀式についての記述があります(p.25-31)。
纏向遺跡には導水施設があり、聖水供献(井泉の神聖な水を献上すること)の儀式が行われていた可能性があるのですが、1992年、この導水施設の木樋内で大量の寄生虫の卵が見つかりました。その数は便槽とほぼ同じ数であり、どうも大便を放り込んだようなのです。神聖な水に大便を放り込むとは、いったいどういうことでしょうか。
石野さんは、神聖な水と大便の関係を考えると、「天岩戸」の神話が連想できると述べています。
『古事記』によると、スサノオノミコトは、アマテラスオオミカミの住む高天原に行き、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。八百万の神はアマテラスに苦情を言うが、アマテラスは「考えがあってのことなのだ」とスサノオをかばった。
しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、スサノオは機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ「斑馬」を落とし入れ、一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。
アマテラスは、スサノオの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)ごとが発生した。
八百万の神は、天の安河の川原に集まり、相談をした。オモイカネの案により、様々な儀式を行った。ついには、アメノウズメが、岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
この声を聴いたアマテラスは、何事だろうと天岩戸の扉を少し開けた。そのとき、隠れていたタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。こうしてアマテラスが岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。
『日本書紀』では、スサノオが機屋に馬を投げた際、アマテラス自身が驚いて梭で傷ついたとある。第1の一書では、稚日女尊(ワカヒルメ)が梭で傷ついて死んだとなっている。ワカヒルメはオオヒルメすなわちアマテラスの分身であり、スサノオの行為によってアマテラスが死んだというのが元々の伝承ではないかと考えられる。
アマテラスが天岩戸に隠れて世の中が闇になるという話は、日食を表したものだという解釈と、冬至を過ぎて太陽が弱まった力を取り戻すということを象徴したものとする見方があります。
この儀式はその後も行われていたようで、5世紀の奈良県御所市南郷大東遺跡にも導水施設があり、やはり大量の寄生虫卵が発見されています。また、ここでは板壁建物の屋根の一部が転倒しており、機屋の屋根に穴を開けて、そこから皮を剥いだ「斑馬」を落とし入れた乱暴も連想できるそうです。
さて、ここまではマトモな研究書にもとづく話ですが、ここからちょっとヤバイ系の本に変わります。
「ほんとうにあった怖い話」編集部・編『闇の検証』第7巻(朝日ソノラマ、2007年)は、霊能者・寺尾玲子さんが、いろいろな史跡に出かけ、そこで霊視をするちょっと変わった本です。
で、今回は「続・卑弥呼の謎」ということで、崇神天皇陵や箸墓古墳を霊視しています。「続」がついているのは、第6巻で、宇佐神宮の「ヒメミコ」を霊視に行っているからです。
崇神天皇は、実在した最初の天皇だと考えられている人物です。『日本書紀』では御間城入彦五十瓊殖天皇ミマキイリビコイニエノスメラノミコト)、『古事記』では御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト)という和風諡号があります。崇神天皇の王朝は、名前に「イリ」がある人物が多いので、イリ王朝と呼ばれています。
玲子さんの霊視によると、崇神天皇は、「激しい感じの人」で、「気圧されるような」「カリスマのある人」だそうで、「馬に乗ってる」そうです。今回は、同じく霊能者の天宮視子さんもいっしょだったのですが、彼女によると「白地で茶色の斑」がある馬だそうです。
ちなみに、玲子さんは崇神天皇が馬に乗っていたので、「騎馬民族」だと決めつけているようですが、それはどーかな?と思いました。
さて、その後、箸墓古墳を霊視するんですが、ここの被葬者は、宮内庁によると、倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)だそうですが、卑弥呼の墓だとも言われています(石野さんは卑弥呼の後継者・台与の墓ではないかとしています─石野前掲書)。
モモソヒメは、三輪山の神である大物主神(オオモノヌシノカミ)の妻となったのですが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、そのショックで倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだと伝えられています。
玲子さんによると、箸墓古墳の被葬者は、女性で、身長が120〜30cmくらいの「ちっちゃい人」ですが、「シャーマン」であり、同時に「統治者」だったそうです。シャーマンとしての能力は宇佐の「ヒメミコ」より劣りますが、口がうまくて、頭がよく、人身掌握術に長けていたそうです。さらに、崇神天皇とは「男女の仲」で、崇神天皇がモモソヒメを利用していたようなのです。
そして、モモソヒメは、崇神天皇と敵対する勢力によって、「二本の槍でお腹を刺されて死んでる」のだそうです。視っちゃんによると、お腹といっても、陰部に近い下腹部です。暗殺者は、大和の旧勢力で、「大物主」を祀る人たちです。新興勢力である崇神天皇に鞍替えしたモモソヒメを「裏切り者」として暗殺したんだそうです。
さらに、モモソヒメは日食を利用して自分の力を拡大した、と玲子さんは指摘しています。じつは、大和地方では、(卑弥呼が死んだとされる)248年の9月5日に日食が見られたそうなのです。じつは、前年の247年3月には九州地方で日食が見られ、九州説を唱える人は、この日食こそが卑弥呼の死と関係している、と主張しています(卑弥呼の死は、247年なのか248年なのか不明であるが、どちらかではある)。
玲子さんたちは、檜原神社で「モモソヒメを真似ている」13歳くらいの少女を霊視します。そして、この少女を崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命(トヨスキイリビメノミコト)と見なします。トヨスキイリビメは、初代の斎宮(アマテラスオオミカミを祭る皇女)とされ(名前にイリがある)、卑弥呼の後継者である台与ではないかと言われている人物です。
で、ここからはオイラの妄想。w
卑弥呼(=モモソヒメ)は、新興勢力である崇神天皇と結び、日食を利用して勢力を拡大した。こうして諸国に共立されて倭王となったが、儀式の最中に旧勢力によって暗殺されてしまった(248年9月5日)。崇神天皇が代わって倭王となったが、それでは治まらず、娘のトヨスキイリビメを倭王とした。
こんな感じ。
ヤマト王権としては、大王権力が弱かったことを隠蔽したかったので、この事実は『記紀』には記載されなかった。しかし、事実そのものを完全に隠蔽するのは、心理的に「やましい」ので、それぞれのテーマに分解して『記紀』のなかに散布したのではないでしょうか。
まあ、妄想なんですけどね。(爆)
で、今回は「続・卑弥呼の謎」ということで、崇神天皇陵や箸墓古墳を霊視しています。「続」がついているのは、第6巻で、宇佐神宮の「ヒメミコ」を霊視に行っているからです。
崇神天皇は、実在した最初の天皇だと考えられている人物です。『日本書紀』では御間城入彦五十瓊殖天皇ミマキイリビコイニエノスメラノミコト)、『古事記』では御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト)という和風諡号があります。崇神天皇の王朝は、名前に「イリ」がある人物が多いので、イリ王朝と呼ばれています。
玲子さんの霊視によると、崇神天皇は、「激しい感じの人」で、「気圧されるような」「カリスマのある人」だそうで、「馬に乗ってる」そうです。今回は、同じく霊能者の天宮視子さんもいっしょだったのですが、彼女によると「白地で茶色の斑」がある馬だそうです。
ちなみに、玲子さんは崇神天皇が馬に乗っていたので、「騎馬民族」だと決めつけているようですが、それはどーかな?と思いました。
さて、その後、箸墓古墳を霊視するんですが、ここの被葬者は、宮内庁によると、倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)だそうですが、卑弥呼の墓だとも言われています(石野さんは卑弥呼の後継者・台与の墓ではないかとしています─石野前掲書)。
モモソヒメは、三輪山の神である大物主神(オオモノヌシノカミ)の妻となったのですが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、そのショックで倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだと伝えられています。
玲子さんによると、箸墓古墳の被葬者は、女性で、身長が120〜30cmくらいの「ちっちゃい人」ですが、「シャーマン」であり、同時に「統治者」だったそうです。シャーマンとしての能力は宇佐の「ヒメミコ」より劣りますが、口がうまくて、頭がよく、人身掌握術に長けていたそうです。さらに、崇神天皇とは「男女の仲」で、崇神天皇がモモソヒメを利用していたようなのです。
そして、モモソヒメは、崇神天皇と敵対する勢力によって、「二本の槍でお腹を刺されて死んでる」のだそうです。視っちゃんによると、お腹といっても、陰部に近い下腹部です。暗殺者は、大和の旧勢力で、「大物主」を祀る人たちです。新興勢力である崇神天皇に鞍替えしたモモソヒメを「裏切り者」として暗殺したんだそうです。
さらに、モモソヒメは日食を利用して自分の力を拡大した、と玲子さんは指摘しています。じつは、大和地方では、(卑弥呼が死んだとされる)248年の9月5日に日食が見られたそうなのです。じつは、前年の247年3月には九州地方で日食が見られ、九州説を唱える人は、この日食こそが卑弥呼の死と関係している、と主張しています(卑弥呼の死は、247年なのか248年なのか不明であるが、どちらかではある)。
玲子さんたちは、檜原神社で「モモソヒメを真似ている」13歳くらいの少女を霊視します。そして、この少女を崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命(トヨスキイリビメノミコト)と見なします。トヨスキイリビメは、初代の斎宮(アマテラスオオミカミを祭る皇女)とされ(名前にイリがある)、卑弥呼の後継者である台与ではないかと言われている人物です。
で、ここからはオイラの妄想。w
卑弥呼(=モモソヒメ)は、新興勢力である崇神天皇と結び、日食を利用して勢力を拡大した。こうして諸国に共立されて倭王となったが、儀式の最中に旧勢力によって暗殺されてしまった(248年9月5日)。崇神天皇が代わって倭王となったが、それでは治まらず、娘のトヨスキイリビメを倭王とした。
こんな感じ。
ヤマト王権としては、大王権力が弱かったことを隠蔽したかったので、この事実は『記紀』には記載されなかった。しかし、事実そのものを完全に隠蔽するのは、心理的に「やましい」ので、それぞれのテーマに分解して『記紀』のなかに散布したのではないでしょうか。
まあ、妄想なんですけどね。(爆)
2008.05.11 | 心霊 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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