で、見つけたのが、この文書。
▼行き詰まった人間主義――サルトル/カミュ論争再読(PDF)
このなかでも「金魚鉢の比喩」がなかなかオモシロイ。
一つの金魚鉢の中に生きている人を、その外側から批評したり嘲笑したりすることは簡単だ。(中略)だが、それは結局のところ「後だしジャンケン」に過ぎないのではないか、と思い始めたのである。
なかなか趣のあるサルトル擁護論である。
しかし、金魚鉢の中にあっても、人間は自分のあり方や生き方を自由に決められる自由な存在である、と言ったのは誰だっただろうか? 自己のあり方について自由に選択・決断する以上、すべては自己の責任に帰するのである、と言ったのは誰だっただろうか? さらに言うと、人間は現実の社会状況をもつくり出す存在である以上、自己の自由は社会=全人類に対する責任をも伴う、と言ったのは誰だっただろうか? さらにさらに言うと、カミュに「金魚鉢の中で何いってるの? 出て来いよ!ゴルァ」って凄んだのは、どこの誰だったのか?ってこと。
そもそも「金魚鉢の比喩」を言い出したのは、サルトル先生の最大の敵、構造主義者じゃないですか? サルトル先生が、レヴィ=ストロースに「金魚鉢の中から別の金魚鉢の中の人に何いってるの?」って言われて、「構造主義はブルジョワジーがマルクスに対抗して築いた最後のイデオロギー的障壁」と捨て台詞を吐いて論壇から退場したのは有名な話ですよ。w
だから、このような擁護をサルトル先生は望んでいないと思うんですが…。(爆)
ぜんぜん関係ないけど、「金魚鉢の比喩」でこんな画像を思い出した。wwwww

2008.09.21 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(4) |
思想家が
思想を違えると、
それまでの交友まで断ち切ってしまう。
お互いの人柄ではなくて、
お互いの思想が好きだったのかなと、
読んだ当時に思った記憶があります。
2008.09.21 21:49 URL | cha-cha #- [ 編集 ]
サルトルはとくにそういう傾向があったみたいです。思想のちがいから友人と絶交することが多かった、とサルトル−カミュ論争の本にありました。
2008.09.22 00:36 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]
pdfまで読んでみましたけど、サルトルの限界を「現代におけるヒューマニズムの相対化の必要性」という方向に収束させてしまうところに、論理の飛躍がある。
構造主義は、現在においても社会構成主義などという形で、形を変えつつ影響力がまだまだ残っていると思うけど、いろんな次元のことに複眼的な観察と思考と判断能力を持つことと、そうした分析過程を経て、1個人がどのような「選択」をしていくかということは、ある意味では共存可能でありつつ、同時に別次元の問題だと思うのである。
(などと「止揚」してみる)
単なる価値相対主義のニヒリズムに留まる構造主義「者」に留まるのもつまらないと思う。ある意味でこの人の論調そのものが、単に金魚鉢を神の視点から眺めようとしているだけの、今日ありがちな論壇のあり方に留まり、「現実の制約の中で『自分は』どう行動するのか」という問題を回避している気がする。
2008.09.22 15:46 URL | こういちろう #BXy/Vbyc [ 編集 ]
やっぱりサルトル先生とAyuタソについてはカッコよく語らないと…。(爆)
♪情報が誘惑が
溢れてるこんな時代だからこそ
僕達はそれぞれの
選択をして行くべきなのだろう
,.:〜"〜:.、
γ彡彡彡ミミ
リ彡"‐- -‐リ
リ(6 ℃) ℃)i
从人""∀"ノ
从リ) (
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2008.09.22 16:23 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]
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