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 「感動できる美しい話を子供に伝え、『徳目』を教えることが道徳教育だ」。会の代表世話人である渡部昇一・上智大名誉教授は、会場を埋めた約500人の参加者にそう呼びかけた。

【集う】「道徳教育をすすめる有識者の会」発足記念の集い(8日、東京都港区の虎ノ門パストラルホテル)

オイラ、1990年代前半に渡部昇一氏が翻訳した(とされる)超有名日系アメリカ人の著書のゴースト・トランスレーター(幽霊翻訳者)にならないかと誘われたことがあるんですが…。wwwww

もちろん「オイラにはそんな才能ありません」と丁重にお断りしました。ちなみに、渡部氏のような超多忙有名人が翻訳した(とされる)本のほとんどは、大学院生などのゴースト・トランスレーターが翻訳したと思ってください。(爆)


話は変わりますが、教員になるためには教育課程を取らなければなりません。そのなかに「道徳教育の研究」というものがあり、そこでは道徳教育は「徳目」主義に陥ってはならないと教えられます。

つまりね。小学生や中学生に「感動できる美しい話」をして「徳目」を教えても、ホントの道徳教育にはならない、ということなんですよ。「徳目」よりも具体的なことがらを取り上げて、どのように解決するか話し合ったり、ロールプレイングしたほうがはるかに役に立つのです。

子供を一人前に育てるには何が必要か。現在の道徳教育にはしつけや人生訓、生きる指針が欠けていると訴えた。

いやぁ、すばらしいですね。ところで、いまの小学生や中学生に、どんなしつけや人生訓、生きる指針を教えたら、よいのでしょうか?

人間というのは、自分が「若いころ」に教わった価値観を至高のものと思い込み、それをぜんぜん時代背景が異なる世代に押しつける傾向があります。ですから、「平成22年秋をめどに中学生向けの道徳教科書を作成し市販すると意気込みをみせた」そうですが、どんな教科書ができるか楽しみです。w

笑えるのは、このメンバーに中山成彬・前国土交通大臣がおり、元祖政権投げ出し総理・安倍晋三氏が発足を祝うメッセージを送ったそうです。懲りてませんね。この人たち…。

コーディネーターの八木秀次・日本教育再生機構理事長は「日本人の劣化」と表現、「社会を建て直すには学校の道徳教育から始めるしかない」と締めくくった。

八木さんといえば、「新しい歴史教科書をつくる会」を追放され、一時は安倍元首相のブレーンになったと言われた人ですが、安倍政権崩壊後、どうなったのか心配していました。ようやく「居場所」が見つかったようですね。(爆)


むかしから不思議でならないのは、道徳教育を強調する人に限って、本人が道徳心を持っているかはなはだ疑問のある人ばかりだ、ということです。故・田中角栄とか、中曽根康弘とか…。ロッキード田中とリクルート中曽根…。すばらしいコンビですね。(爆)


リンクがキレてたら…
【集う】「道徳教育をすすめる有識者の会」発足記念の集い(8日、東京都港区の虎ノ門パストラルホテル)

2008.10.9 22:49

 日本人は何を失ってしまったのかを確認する2時間だった。

 「感動できる美しい話を子供に伝え、『徳目』を教えることが道徳教育だ」。会の代表世話人である渡部昇一・上智大名誉教授は、会場を埋めた約500人の参加者にそう呼びかけた。

 子供を一人前に育てるには何が必要か。現在の道徳教育にはしつけや人生訓、生きる指針が欠けていると訴えた。だからこそ、平成22年秋をめどに中学生向けの道徳教科書を作成し市販すると意気込みをみせた。

 会には保守系の有識者約160人が世話人や賛同者に名を連ねる。この日も、岡崎久彦・元駐タイ大使や中山成彬・前国土交通相、石井公一郎・元ブリヂストンサイクル社長、漫画家のさかもと未明さんと多士済々がそろった。安倍晋三元首相からも会の発足を祝うメッセージが寄せられた。

 3人のパネリストは三者三様の道徳観を披露。「ヤンキー先生」として知られる義家弘介参院議員は、携帯電話の登場以降、子供は有害な情報に直接さらされていると指摘。「道徳は子供を健全に育て、守るためのもの」と語った。日本バレーボール協会名誉会長、松平康隆氏も「今の日本はルールさえ守られていない」と厳しい。

 ともすれば重くなるムードを和らげたのは服飾評論家、市田ひろみさん。「昔は親だけやなく、近所のおっちゃんも怖かったもんです」とはんなり話し、笑いを誘った。それでも「今の子供ががまんできないのは親が教えないから。道徳は人に迷惑をかけない生き方のルール」と引き締めた。

 誰の言葉からも日本人の心の荒廃への危惧(きぐ)がのぞく。コーディネーターの八木秀次・日本教育再生機構理事長は「日本人の劣化」と表現、「社会を建て直すには学校の道徳教育から始めるしかない」と締めくくった。(福田哲士)

2008.10.10 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(4) |

>小学生や中学生に「感動できる美しい話」をして「徳目」を教えても、ホントの道徳教育にはならない、ということなんですよ。「徳目」よりも具体的なことがらを取り上げて、どのように解決するか話し合ったり、ロールプレイングしたほうがはるかに役に立つのです。

幸い、そういう「徳目」主義からは遠い「道徳」の時間を、教員養成大学附属小中で受けられた世代です(昭和40年代後半)。

ひとつだけ忘れられないのは、

「バスで目の前立つ老人に席を譲ることを最後まで葛藤しながらできなかった生徒。ただし、老人は、その生徒が降りる停留所で老人が入れ違いに席に座った」

という状況設定において、一時間の授業時間が、生徒同士のフリー・ディスカッションの中で、自然発生的に分化した、

「それでも譲れなかったことはよくないこと」派の生徒と、

「入れ違いに老人が座れたのだからいいではないか」派の生徒

との間でエキサイティングな議論が交わされ、教師もそれに対して特定の見解は押し付けず、最後まで生徒同士の白熱するディスカッションの交通整理役に徹した時のものです。

この時の「道徳の授業」の盛り上がりの凄さは、決して忘れられない少年時代の思い出のひとつです。

実は教育大学の附属校って、教育指導の「実験校」の色彩が強いので、こういうことが「絵に描いたように」実践できたんでしょうね。

それに比べると、大学時代の教職課程(一応受けてたんです)での「道徳教育の研究」の講義は、左派的な教師の、時の文部教育行政への批判持論を延々と拝聴するための、実につまらないものでした(^^;)

「上からの論の押し付け」に留まったら、政府寄りでも反政府的でも実につまらないものになる。

人からのコピーではなく、自分で「正しい」とは何かを見極める力を高め、反対の価値観を持つ人と真摯に議論する自立心を「涵養」(などとわざと古めかしい言葉を使ったりして)しようとするのでないのならば、道徳の時間は無意味だと思います。

要するに、共産主義だって、自由主義保守派だって、「上からの徳目主義」に陥ったら陳腐なものになる点では同次元だったことは、すでに歴史が証明していると思いますし。

2008.10.12 02:22 URL | こういちろう #BXy/Vbyc [ 編集 ]

教職課程でいちばん印象に残っているのは、学習院大学付属中学校の現役教師による「社会科教育法」での授業の実践例「生徒に選挙をやらせてみた」です。w

実際に各政党の主張を調べさせ、それぞれ「わが党の公約は…」と発表させて、投票させたのです。

いちばんオモシロかったのは投票結果でした。

ナ、ナ、ナ、ナント第一党は「新自由クラブ」!

アレだけ一生懸命、各政党の公約を調べたのに、中学生は《政党の名前の印象》で投票してしまった!という結論でした。(爆)

こーゆー授業をやってみたい!と思いながら、いままで一回もできていません。orz

2008.10.12 11:08 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

きつねさんが上のコメントで挙げた例こそ、社会・教育調査統計における「妥当性」(そもそも測定を意図した事象が測定できていたとほんとうに言えるか)の問題の典型と思います(^^)

(これなら、社会心理学や臨床心理学の実証研究でもいくらでも問題になる事柄なので。数年前、私が有料で「影の修論指導」した院生の指導教官が平然と見逃していた水準の。そのまま院生がどこかの学会誌に論文として投稿とかしたら、指導教官自体が学術研究者として笑い者になった危険があった)

これを発表し、しかもそれを「的確に分析」できた学校の先生は偉い!! 

でも、これに近い「マジック」に気がつかないままの、自分たちの主張にとって好都合な統計の濫用(というより、自分がおばかさんであることに論者が気がついていないケース)が、現実の世論調査の活用で、いくらでもなされている気がします(^^;)

2008.10.16 06:46 URL | こういちろう #BXy/Vbyc [ 編集 ]

そういえば、

>渡部氏のような超多忙有名人が翻訳した(とされる)本のほとんどは、大学院生などのゴースト・トランスレーターが翻訳したと思ってください。(爆)

 渡部昇一さんまでいかなくても、臨床心理学の本の翻訳の世界でも、似たようなことはよくありますよーん(^^;) 

 ゼミの原典購読で院生が分担でやった訳をそのまま下訳にしたでしょ? 「訳者」の教授先生、最低限、その訳文に丁寧に目を通して、「監訳者」としての責任は果たして下さいよ、といいますか。

 節が次の節に代わる度に、丁寧でわかりやすい訳文になったり、誤解だらけの訳に戻ったり、もう、どうにかしてくれ!! まるで原著者のせいみたいに思われるだろうが....といいたくなるような水準。

 実は、「訳者」の教授先生自体が、実は原文の意味が正確に理解できていないままで、その本を院生に分担して下訳させていた。だから修正も出来なかった、という現実が図らずも露呈したとも言えるわけです。

 そして、そこで使われ、公刊された著作の訳文が、そのまま日本人の他の学術論文でどんどん引用され、誤解を再生産し、さらにそうした論文に基づく著作が公刊され、ついには「日本でだけしか通用しない常識/共通理解(「非」常識=共通「誤」解)」の基礎になる....とか。

 こと心理学だけではないことと思いますが。哲学でも社会学でも経済学でも小説でも....

2008.10.16 07:07 URL | こういちろう #BXy/Vbyc [ 編集 ]












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