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先週、唐沢山城趾を見に行ったとき、このポスターを目撃しますた。



あっ、これは改竄されてますね。wwwww


“KY”に新しい意味(漢字、読めない)を与えてしまった麻生総理ですが、総理の言語活動について内田センセが論評しています。

いいまつがい

たとえば、「医療崩壊」の原因をもっぱら医師側の「常識の欠落」に求めた発言については、「文脈を読まない(読めない)」ことに求めています。

たとえて言えば、前日学校を早退した友人に「昨日はなんで帰ったの?」と質問したときに「電車で」と答えられたような違和感が麻生首相の発言にはつねにつきまとう。たしかに「昨日はなんで帰ったの?」という質問を「帰宅の手段」についての問いと解することは可能であるから、この問答には何ら論理的瑕疵がないと言い立てることは可能である。でも、ふつうは「そんなことを訊いているんじゃない」ということは誰にでもわかる。前後の「文脈」というものがあるからだ。

“KY”であるとともに、“BY”(文脈、読めない)でもあったんですね。w

また、“KY”についても、その原因を「自分の知力についての過大評価」に求めています。

首相も70歳近い人間である。これまでの生涯で他人の口から「とうしゅう」という言葉を聞いた機会は数千回、数万回あったはずである。「みぞう」はそれほど多くないにしても、議会の演説でも、テレビのニュースでも数千回は耳にしているはずである。にもかかわらずその語の読みを誤ったということは、彼が小学生の頃から60年ほど、自分の知らない言葉を耳にしたときに「これは私の知らない言葉だが、どういう意味なのだろう?」と考えて辞書を引くという習慣をもたなかった子どもであったと推察して過たない。

どうして、知らない言葉の意味を考えなかったかというと、「自分が知らないことは、知る価値のないことだ」というふうに推理したからである。「無知」というのはそのような自分の知力についての過大評価によって構造化されている。「人の話を聴かない人間」は他人の話のなかの「自分にわかるところ」だけをつまみ食いし、「自分にわからないところ」は「知る価値のないたわごと」であると切り捨てて、自分の聞き落としを合理化している。

「無知の恥」(≠無知の知)を持たないところが、W氏に似ています。

そーいえば、W氏の映画について町山智浩さんが書いてましたね。

オリバー・ストーン監督のブッシュ大統領の伝記映画『W』

由緒正しいブッシュ家の長男、W(テキサス訛りでダブヤと読む)こと、ジョージ・W・ブッシュは何をやらせてもダメなボンボンだった。

う~ん、含蓄のある文章です。(爆)

2008.11.20 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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