昨日、トンデモ認定したら、期待に応えてくれたのか、トンデモが暴走し続けています。
まずはコレ
さて、ロバート・フォーゲルの主張なんですが、アメリカの奴隷制が綿業の生産システムとしては極めて効率的であったので、南北戦争がなければますます奴隷制は発展したであろうし、奴隷の生活水準も他の白人労働者よりも良く、必ずしも奴隷が虐げられていたわけではなかったし、奴隷制は収益も大きく、きわめて経済合理的な生産システムであったというものです。これは従来の通説を覆すもので、アメリカ史の研究者に大きな波紋を起こしました。
彼の《奴隷制が効率的であった》という点はとりあえず認めるとしても、《南北戦争がなければますます奴隷制は発展したであろう》という点はやはり問題があります。
アメリカの奴隷制は、イギリス綿業に原料を供給するという点で、イギリス資本主義を補完するサブ・システムとして存在していたわけで、アメリカ資本主義にとってはむしろ阻害要因だったわけです。
そもそも南北戦争は、奴隷制を廃止するか、残すか、という点だけで起きたのではなく、幼稚産業であるアメリカの工業をイギリスからの安い工業製品から守るため保護貿易を主張した北部と、イギリスに綿花を安く供給するため自由貿易を主張した南部との戦いでもあったからです。
だから、南北戦争が起きなかったら、アメリカ資本主義の発展はずっと遅れたでしょうし、ヘタをすると中南米諸国のような発展途上国になってしまっていたかもしれません。
池田氏はさらにコメント欄で補足しています。
う〜ん、「南北戦争で北軍が勝った」原因の1つに、奴隷制は人道に反しているから、そんな南部を応援できないという人道主義的な国際世論があったわけだし…。だいたいフォーゲル自身も、奴隷制は道徳的、倫理的にも許されるべきものではない、と考えてるんですから…。
ところが、このコメントでは新たに《売春は悪くない》という主張が登場します。たしかに、売春の強制はもっとも悪いことです(現在では「売春」とは言わずに「性奴隷」と呼ばれている!)が、自発的な売春だって、性病になる危険性や犯罪に巻き込まれる危険性を考えると、あまり勧められる行為とは思えないのですが…。
…と思ったのもトコノマ、じゃなくてつかの間、今度は《人権は迷信》と来ました。
う〜ん、「人が遺伝的に人権を持って生まれてこない」って何でしょうか? 竹内久美子さんの本※でも読んだんでしょうかねぇ。
自然権思想がわかってないですね。基本的人権というものは、政府が与える前から実在している(と考えられている)「自然権」なんであって、「政府が人々に人権を与える」も何も最初から実在している(と考えられている)ものなのです。
基本的人権が迷信ならば、その一つである所有権も存在せず、生産手段の私的所有を前提としている資本主義がそもそも成り立たないのではないか?という疑問がわいてきます。
人権は、迷信というよりも、むしろ妄想というべきであり、人間がそれを信じているから成り立っているシステムである、とも言えます。この点では、私有財産とか、市場とか、自由競争とかも同じであり、実際には存在しない(かもしれない)けど、存在すると信じているから成り立っているのです。
それが証拠に、野生動物は、このような妄想を抱かないので、人間が自分の所有する畑だと信じている自然の一部(人間は「土地」と呼んでいる)にやってきて、そこにある人間が自分の作物だと信じている植物を食べてしまうのです。ところが、人間は、自分の畑の作物を食べられたと勘違いして、激しく怒り、その動物を殺そうとします。
こんどはオイラの構造主義的世界観が暴走してしまいました。(爆)
人間がつくりだしたシステムを疑い出すと、ほとんどすべてのシステムが無根拠なものとなり、場合によっては、自らが疑いなく実在すると信じているシステムまで無根拠なものになってしまうのです。
まずはコレ
こういうとき、よく出てくるのが「労働者を商品として扱うな」という話だが、労働者は商品ではない。近代社会では奴隷は禁止されているので、労働者(人的資本)を売買することはできない。商品として取引されるのは労働サービスである。もし人的資本の売買が認められていれば、労働者は自分を企業に売り切り、企業は経営が苦しくなったら彼を解雇する必要はなく、他の企業に転売すればよい。人的資本を物的資本と同じように市場で取引できる奴隷制のほうが、近代の雇用契約より効率的だというのが、フォーゲルの有名な研究である(彼はノーベル賞を受賞した)。
▼奴隷制の効率性
さて、ロバート・フォーゲルの主張なんですが、アメリカの奴隷制が綿業の生産システムとしては極めて効率的であったので、南北戦争がなければますます奴隷制は発展したであろうし、奴隷の生活水準も他の白人労働者よりも良く、必ずしも奴隷が虐げられていたわけではなかったし、奴隷制は収益も大きく、きわめて経済合理的な生産システムであったというものです。これは従来の通説を覆すもので、アメリカ史の研究者に大きな波紋を起こしました。
彼の《奴隷制が効率的であった》という点はとりあえず認めるとしても、《南北戦争がなければますます奴隷制は発展したであろう》という点はやはり問題があります。
アメリカの奴隷制は、イギリス綿業に原料を供給するという点で、イギリス資本主義を補完するサブ・システムとして存在していたわけで、アメリカ資本主義にとってはむしろ阻害要因だったわけです。
そもそも南北戦争は、奴隷制を廃止するか、残すか、という点だけで起きたのではなく、幼稚産業であるアメリカの工業をイギリスからの安い工業製品から守るため保護貿易を主張した北部と、イギリスに綿花を安く供給するため自由貿易を主張した南部との戦いでもあったからです。
だから、南北戦争が起きなかったら、アメリカ資本主義の発展はずっと遅れたでしょうし、ヘタをすると中南米諸国のような発展途上国になってしまっていたかもしれません。
池田氏はさらにコメント欄で補足しています。
補足 (池田信夫)
2009-01-04 02:00:00
フォーゲルが奴隷制についての研究を発表したときも、「奴隷制を正当化する極右」として、激しい政治的なバッシングを受けました(彼は元アメリカ共産党員)。しかし南部の奴隷の生活水準は北部の労働者より高かったのです。奴隷制がなくなったのは人道主義によるものではなく、南北戦争で北軍が勝ったため。
もちろん奴隷になることを強制するのは非人道的ですが、本人が自発的に人的資本を売ることを禁止する理由はありません。これは売春禁止と同じで、売春が悪いのではなく、かつて(貧しさのゆえに)事実上それを強制されたことが悲惨なのです。
だいたい日本の企業は一生、会社に閉じ込められる「終身奴隷」なんだから、一定期間スポーツ選手のような雇用契約をするほうがましでしょう。企業買収は、実は合法的な人身売買です。また現にスポーツでそういう契約が行なわれているように、人的資本の転売可能な契約を結ぶことはテクニカルには違法ではない。
う〜ん、「南北戦争で北軍が勝った」原因の1つに、奴隷制は人道に反しているから、そんな南部を応援できないという人道主義的な国際世論があったわけだし…。だいたいフォーゲル自身も、奴隷制は道徳的、倫理的にも許されるべきものではない、と考えてるんですから…。
ところが、このコメントでは新たに《売春は悪くない》という主張が登場します。たしかに、売春の強制はもっとも悪いことです(現在では「売春」とは言わずに「性奴隷」と呼ばれている!)が、自発的な売春だって、性病になる危険性や犯罪に巻き込まれる危険性を考えると、あまり勧められる行為とは思えないのですが…。
…と思ったのもトコノマ、じゃなくてつかの間、今度は《人権は迷信》と来ました。
きのうの記事がわかりにくかったようなので、少し補足しておこう。「基本的人権」を信じる人にとっては、人権を売買するというのは許しがたい発想だろうが、そんな不可侵の重大な権利が「生まれながらに万人に等しく与えられている」というのは、根拠のない迷信である。そもそもこれは事実の記述なのか価値判断なのかも不明だ。
事実としては人が遺伝的に人権を持って生まれてこないことは明らかなので、これは「政府が人々に人権を与えるべきだ」という価値判断だろう。しかし生まれた瞬間に、すべての人に同じ権利を政府が賦与すべきだという根拠はどこにあるのだろうか。(後略)
▼人権という迷信
う〜ん、「人が遺伝的に人権を持って生まれてこない」って何でしょうか? 竹内久美子さんの本※でも読んだんでしょうかねぇ。
※ ベストセラーとなった『そんなバカな!』では、姑の嫁いびりや夫の博打好きまで、ドーキンズの利己的遺伝子説で説明されている。
自然権思想がわかってないですね。基本的人権というものは、政府が与える前から実在している(と考えられている)「自然権」なんであって、「政府が人々に人権を与える」も何も最初から実在している(と考えられている)ものなのです。
基本的人権が迷信ならば、その一つである所有権も存在せず、生産手段の私的所有を前提としている資本主義がそもそも成り立たないのではないか?という疑問がわいてきます。
人権は、迷信というよりも、むしろ妄想というべきであり、人間がそれを信じているから成り立っているシステムである、とも言えます。この点では、私有財産とか、市場とか、自由競争とかも同じであり、実際には存在しない(かもしれない)けど、存在すると信じているから成り立っているのです。
それが証拠に、野生動物は、このような妄想を抱かないので、人間が自分の所有する畑だと信じている自然の一部(人間は「土地」と呼んでいる)にやってきて、そこにある人間が自分の作物だと信じている植物を食べてしまうのです。ところが、人間は、自分の畑の作物を食べられたと勘違いして、激しく怒り、その動物を殺そうとします。
こんどはオイラの構造主義的世界観が暴走してしまいました。(爆)
人間がつくりだしたシステムを疑い出すと、ほとんどすべてのシステムが無根拠なものとなり、場合によっては、自らが疑いなく実在すると信じているシステムまで無根拠なものになってしまうのです。
2009.01.05 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |
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