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今日、大河ドラマの「功名が辻」の第2回の放送がある。じつは、オイラ、この司馬遼太郎氏の原作を読んでいない。この本は1965年原作なので、これから論じる『武功夜話』の影響は受けていないはずである。しかし、ドラマ化にあたり、『武功夜話』風味の味付けをされるのではないか、と案じている。

以下、藤本正行、鈴木眞也・著『偽書『武功夜話』の研究』(洋泉社、2002年)の「まえがき」と「あとがき」、さらに「『武功夜話』関係年表」を引用し、『武功夜話』の問題点を知ってもらおうと思う。さらに、興味のある人は、藤本、鈴木両氏の本を実際に読んでもらいたい。

どうせ、ドラマなんだから、ウソであっても、フィクションとして楽しめばいいじゃないか、という人もいると思う。しかし、世の中には、大河ドラマは、フィクションではなく、事実だと思いこんでいる人もいるのだ。w
まえがき

  愛知県江南市(名鉄の新名古屋駅から急行で約二○分、距離にして同駅から北へ二○キロたらず)の吉田龍雲家(旧尾張国丹羽郡前野村所在)に、同家が先祖とする前野一族の、戦国から江戸初期に至る動向を中心に描いた多数の書き物がある。

  これらは“前野文書”あるいは“前野家文書”とも呼ばれるが、一般には“武功夜話”という名前で知られている。それは、吉田家当主の龍雲氏の実弟である吉田蒼生雄氏が、これらを“全訳”したものを、歴史図書の出版社として有名な新人物往来社が、昭和六十二年(一九八七)に『武功夜話』と題して刊行し、それが評判になったためである。

 『武功校話』が評判になった理由は、いくつかある。まず、同書の主人公である前野長康とその一族が信長や秀吉に仕えた関係で、信長の夫人、峰須賀小六、千利休、石田三成、細川ガラシャなどの有名人がつぎつぎに登場し、桶狭間合戦をはじめとする有名な事件がつぎつぎに展開するという、筋書きの面白さが歴史ファンの興味を引いたこと。

  つぎに、これが劇的に“発見”されたということ。同書の「はしがき」によれば、昭和三十四年(一九五九)の伊勢湾台風で吉田家の古い土蔵が崩れたため、内部を整理した際、その存在が明らかになったという。発売当時の宣伝文に「伊勢湾台風で旧家の土蔵が崩れ、三八○年前の戦国文書が発見された。信長・秀吉の歴史が変る!!」とある。このうたい文句につられて書店に走った歴史ファンは多い。

  さらに、NHKテレビや朝日新聞などの有力なマスコミや、遠藤周作氏や津本陽氏ら有名作家が、戦国時代を解明する第一級の史料と喧伝したこと。特に、多くの作家が『武功夜話』をネタ(素材)にして時代小説を執筆したことの影響は大きい。それらのなかには、堺屋太一氏の『秀吉』のように、NHKの大河ドラマの原作になったものまである。『武功夜話』をネタにした時代小説は現在でも書かれており、同書の名声を高める役割をはたし続けている。もちろん、大学教授を含む歴史研究者のなかに『武功夜話』の史料価値を高く評価する方々がいたことも、その名声を高めた一因といえよう。プロとアマとにかかわりなく、多くの研究者が、『武功夜話』を歴史の著述に利用しているのだ。

  このように、史料として社会に認知された形の『武功夜話』だが、ここに不思議なことがある。史料として刊行する以上、専門の研究者により事前に行われるべき史料価値、特に内容の信憑性に関する議論が、まったく行われなかったのだ。そのうえ刊行から十余年たった今日でも、議論らしい議論は行われていないのである。

  そこで『武功夜話』を実際に読んでみると、戦国時代の人々が書き残した記録や、生き残った人々の証言に基づいて江戸初期にまとめられたという同書の文体や用語には、戦国時代の信頼できる史料に見られぬものが満ちあふれていることに気付く。登場人物たちの言動にも、戦国時代の人間の価値観とはかけ離れているものが目立つ。歴史的事実と合わない記述も多いうえに、『武功夜話』のある箇所で書かれている事柄と、別の箇所で書かれている事柄とが相違しているといったことさえ、枚挙にいとまがない。『武功夜話』は、本当に戦国時代の史料として信用できるのであろうか。

  この問題を解明するためには、これまで試みられなかった作業──すなわち『武功夜話』とはどのようなものかを入念に検討し、その実像を明らかにする作業を行う必要がある。史料価値の有無は、この作業により、おのずから明らかになるだろう。

  なお、本書の題名は『偽書『武功夜話』の研究』である。偽書という言葉から歴史マニアが連想するのは、『竹内文献』や『東日流外三郡誌』のような超古代史の史書であろう。前者は天地創造にはじまり、日本古代国家の成立と展開を描いたもの。古代世界の中心は日本であり、モーゼやキリスト、孔子や釈迦までが来日したことが記されている。神代文字という特殊な文字で書かれた部分もあるが、それを解読できるのは『竹内文献』の信奉者だけだ。後者は古代の東北と、そこに栄えた王国が大和朝廷に滅ぼされた顛末と、その後の展開を描く。内容には、戦後の出版物を丸写しにしたような箇所もある。

  これらにくらべれば、『武功夜話』は主要登場人物の多くが戦国時代の実在の人物であるし、記述もおおむね日本史の流れに沿っている。それゆえプロの歴史研究者を含む多くの人々が、これを史料として利用しているのだが、史料価値を疑わざるをえない点が多い。

  そうしたものが一級の史料とされている理由は、一つには、同書が登場人物が書いた覚書(書名は文中に記されているが、実物は現在しない)や、彼らの体験談などをもとにして書かれたとされているからだ。ところが、登場人物の書いた覚書をもとにして書いたという記事に、その人物自身のことが誤って書かれている例がある。また、ある人物の体験談によって書かれたという記事に、その人物がその場にいなかったことが明らかなものがある。これらは、明らかな虚偽である。すなわち『武功夜話』には偽書の可能性があるのだ。

 『武功夜話』が一級の史料とされている、いま一つの理由は、驚くほど多くの個人や組織が、その信憑性にお墨付きを与えたからだ。なぜ、彼らは同書を高く評価したのか。そして、そうした評価が世間に流布した背景には何があるのか。ここまでくると、もはや一史料の真偽を問うといった段階を超えて、日本人の歴史認識や社会の仕組みにまで問題が広がってくる。「史料価値が乏しいと思っているものを研究し、実際に史料価値が乏しいことを証明したとしても、意味がないのではないか」というのが大方の見解であろう。そうした下馬評が起こることを意識しつつ、偽書の可能性がある『武功夜話』を、あえて研究する気になったのは、まさにこのためである。

    二○○二年三月五日

藤本正行



あとがき

 『武功夜話』は、戦国時代に関心のある人なら、だれでも知っている本である。その名を知っているというだけではなく、実際に手にされた方も少なくないであろうし、そうでなくても、かなりの予備知識をお持ちの方が多いだろう。

  そういう本を今回取り上げたのは、あまりにも問題のありすぎる本だからである。なにしろ、一方にはプロの学者までまじえた賛美派ないし肯定派がいて、戦国時代の第一級史料だとエールを送っているかと思えば、他方には、箸にも棒にもかからない卑書悪書である、いや偽書であると主張する否定派がいる。しかも両派が同じ土俵に上がって議論を交わしたということもないようである。

  正面きっての議論になりにくいのは、関係者、ことにこれを肯定し、賛美している人たちがそれを避けているからではないかと思われるが、それはそれとして、こうした一八○度違う見方がかみ合わないままに放置されている史料というのも珍しい。

  いうまでもないことだが、ある史料が良いものであるとされるためには、いろいろと条件がある。それは同時に史料が良質のものであるかどうかを見定める基準でもあるのだから、それらをチェックしてみれば、良否の判断を下すことができる。こうした当たり前といえば当たり前の作業を、われわれは『武功夜話』についてやってみたわけである。

  このような作業の中心となるのは、そこに書かれている内容が信頼に値するものであるかどうかを見きわめることである。ほかにも史料の成立や伝来にかかわる問題など、チェックされるべきことはいろいろあろうが、それらがどうあろうと中身がまったくデタラメであれば、史料としての価値は限りなく低くなる。それだけで卑書悪書といわれても仕方がないことになるであろう。

  一方、ある史料が偽書であるかどうかの判断についても、同じようにチェックされるべき条件がいろいろあるが、その場合には、だれの名義でつくられたのかとか、いわれている成立年代はたしかなのか、といった成立にかかわる問題に力点が置かれるのが普通である。

  この本をつくるにあたって、われわれが行った作業は、『武功夜話』に収められている史料の中身が信頼できるものかどうかという問題、つまり史料価値の問題を中心とするものであった。その結果は、なんとも無残なものであったことは、ご覧いただいたとおりであるが、これは実は、成立の問題にもかかわっているのである。

  たとえば、ある人間の遺記あるいは遺談に基づいて書かれたとされているもののなかに、当人が絶対に書き残したり語り残したりするはずのないことや、相互に矛盾するようなことがひんぱんに出てきたとしたらどうだろうか。その史料は、内容的に信用できないというだけではなく、ある人間に仮託してつくられている疑いが濃厚となり、成立についても疑わざるをえないことになるであろう。実は、『武功夜話』に収められているのは、そうした性質の史料なのである。これでは卑書悪書とされることはもちろん、偽書とされるのもやむをえないという感が深い。

  こうしたとんでもない史料がどういう目的のもとにつくられたのか、ある程度までは見当がつかないでもないが、たしかなところはわからない。また、実際にこれらを編んだのがどういう人物であったのかもよくわからない。

  ただ、ほぼ確実にいえそうなのは、その人(たち?)には、整然とした計画があったとは考えにくいし、こうした〈大仕事〉に耐えうるだけの知識があったとも思えないということである。もし、最初からきちんとした計画があったものなら、いくらなんでも随所に自家撞着するような記述を残したはずはない。もう少し、前後矛盾をきたすことのないよう注意して、首尾一貫したものに仕立てていたであろう。また、十分な知識が備わっていたならば、私ごときに簡単に見破られるような稚拙な誤りに陥ることもなかったであろう。  おそらく、俗書の説であろうが、俗伝であろうが、手当たり次第にあれもこれもと取り込み、しばしば自らの空想などもまじえて、思いつくままに書き進めていった結果、量だけは膨大になったものの、内容的には途方もないものができ上がってしまったというのが、真相だったのではないかと思われる。

  その情熱というか執念は、まことに驚くべきものであるが、ことさらに世間を騒がせようとか、学界を混乱させようとかいう意図があったわけでもあるまいから、その人を責めても仕方がないだろう。むしろ、市井の日本人の「歴史意識」についての一つの研究素材と考えれば足りることかもしれない。

  問題としなければならないのは、無批判にそんなもののチョウチン持ちをし、すばらしい史料であるかのような情報を日本中に垂れ流す役割を果たした一部の学者、文化人、マスコミ関係者などの存在であろう。

    平成十四年三月六日

鈴木眞哉



西暦(年号) 関係事項(肩書は当時のまま)
一九五九年
(昭和三四)
九月二六日、伊勢湾台風で愛知県下に大被害。その際、江南市の吉田家の土蔵が壊 れ、「前野(家)文書」(のちに“武功夜話”と呼ばれる)が発見されたというが、裏 付けがとれない。
一九七八年
(昭和五三)
「前野文書」の墨俣一夜城関係の記事や絵図を載せた『墨俣一夜城築城資料』が刊行 (墨俣町・一二月二○日発行)される。
一九七九年
(昭和五四)
名古屋工業大学教授の内藤昌氏が自著『城の日本史』(NHKブックス・日本放送出 版協会・二月一日発行)に、「前野文書」の墨俣一夜城の絵図を掲載する。
一九八○年
(昭和五五)
NHKが「前野文書」の墨俣一夜城の記事と絵図をもとにしたテレビ番組『歴史へ の招待』「太閤記・藤吉郎一夜城を築く」を放送二月一七日)。ゲストは豊田穣氏 および内藤昌氏。NHKが取り上げたため、「前野文書」は信頼できる史料として社 会的に注目される。また建築史家の内藤氏が高い評価を下したことで、「前野文書」 の墨俣一夜城が具体像として流布する。

名古屋市立女子短期大学教授の小島廣次氏が「月刊・中日文化センター(四月一日 発行)掲載の「“偽文書”談義」で、「前野文書」の史料価値に疑問を示す。説得力 のある理由をあげて「前野文書」を批判した最も早い事例だが、小島氏によれば、反 響・反論は皆無であったという。
一九八一年
(昭和五六)
静岡大学助教授の小和田哲男氏が『歴史と人物』一月号掲載の「真説豊臣秀吉の生 涯」で、「前野文書」の墨俣一夜城の記述を紹介する。NHKの『歴史への招待』放 送により、このころから雑誌などに無批判な紹介記事が載りはじめる。

「藤吉郎一夜城を築く」を載せた『歴史への招待・十三』が刊行(日本放送出版協会・ 三月一日発行)される。前年放送の同名のテレビ番組を収録したもので、「前野文書」 の存在をさらに周知させる。
一九八三年
(昭和五八)
『江南市史』資料四・文化編が刊行(江南市史編纂委員会編・二月二八日発行)され る。史料として『墨俣一夜城築城資料』の内容を転載する。

郷土史家の瀧喜義氏が『前野文書が語る戦国史の展開』を刊行(ブックショップ 「マイタウン」・一二月一○日発行)する。それまで墨俣一夜城に関する部分しか知 られていなかった「前野文書」の内容をより広く紹介したもの。これにより多くの 作家が「前野文書」に注目し、執筆の素材に利用することになる。瀧氏は「前野文 書」を最初に高く評価した方で、同書を素材にした著書論文を多数発表する。
一九八四年
(昭和五九)
藤本が六月二四日の日本古文書学会大会で「『太閤記』の史料学的考察」と題する口 頭報告を行い、墨俣一夜城の存在を否定。「前野文書」の史料価値に疑問を示す。
一九八五年
(昭和六○)
藤本が『歴史読本』新年号に「墨俣一夜城は実在したか?」を発表。前年の日本古 文書学会大会での口頭報告にもとづいたもの。発行部数の多い出版物で「前野文書」 を批判したため、これ以後、墨俣一夜城の実在と「前野文書」の史料価値が問題視 されるようになる。
一九八六年
(昭和六一)
津本陽氏が「前野文書」を素材にした小説『下天は夢か』を「日本経済新聞」に連 載開始一二月一日~八九年七月三○日)。こうした作家や評論家の著述が、世間に おける「前野文書」の評価を高騰させてゆく。
一九八七年
(昭和六ニ)
「朝日新聞」一月一九日付け夕刊に、「前野文書」が新人物往来社から刊行されるこ とが、事前に大々的に報じられる。執筆者は畦倉実記者で、広島大学名誉教授の河 合正治氏の「前野文書」を評価する短いコメントが付く。「朝日新聞」が戦国史研究 の一級史料と紹介したことが、「前野文書」に社会的信用を与え、『武功夜話』の販売 促進に決定的な役割をはたすことになる。

「前野文書」のうち「武功夜話」と題する全二一巻の冊子その他が、『武功夜話』と 題して新人物往来社から刊行される。同書は全四巻で、巻一の刊行が二月一○日、 巻二が同年三月一○日、巻二一が四月一○日、巻四が五月一○日である。「前野文書」 所蔵者の吉田龍雲氏の実弟、吉田蒼生雄氏が活字化したもの。内容・文章・語句に 納得しがたい点が散見するが、文書の実物は公開されず、写真もほとんど公開され ていないため、活字化の正確度が確認できない。しかし、「前野文書」のテキストと して現在も利用されている。同書は、「朝日新聞」の記事を元にした「戦国史を塗り かえる第一級の戦国文書」という販売キャッチフレーズがきいて好調な売れ行きを 示す。これ以後、「前野文書」は“武功夜話”と呼ばれるようになる。

新人物往来社が『歴史読本』昭和六二年一二月号の“れきどく講座「『武功夜話』を 読む」”で、『武功夜話』に関する特集を組む。遠藤周作氏と吉田蒼生雄氏の対談の ほか、河合正治、津本陽、谷有二、井沢元彦各氏の史料価値を高く評価する文章を 掲載。こうした発言や記事が積み重ねられ、『武功夜話』の社会的信用が不動のも のになる。
一九八八年
(昭和六三)
遠藤周作氏が、『武功夜話』を素材にした小説『反逆』を「読売新聞」に連載開始一 月二六日~八九年二月二七日)。

『武功夜話』補巻が「千代文書留」との副題で刊行(新人物往来社・三月一○日発行)。 同書は先に刊行された『武功夜話』全四巻に未収録の史料を、吉田蒼生雄氏が活字 化したもので、これをもって同書は完結。

名古屋大学教授の三鬼清一郎氏が『名古屋大学文学部研究論集』史学三四号(名古 屋大学文学部・三月三一日発行)所収の「豊臣秀吉文書に関する基礎的研究」で、 「前野文書」の蜂須賀小六書状を偽文書と指摘し、『武功夜話』が無批判には扱えな いことを示唆する。
一九八九年
(昭和六四、
平成元)
遠藤周作氏が小説『決戦の時』を山陽新聞ほかに連載開始(七月三○日~九○年五 月三一日)。墨俣一夜城築城の描写など『武功夜話』に全面的に拠っている。

中部大学短期大学部教授の小島廣次氏が、『織田信長事典』(新人物往来社・四月一 五日発行)所収論文の「兄弟姉妹」で、「武功夜話」の伝本が三種類あり、織田信秀 の没年が二通りに記されていることを指摘。
一九九○年
(平成ニ)
「朝日新聞」(中部本社版)六月一七、二四日付けの「あんぐる愛知」に「『武功夜話』 めぐる論議 上・下」と題する岡本武司記者の記事が掲載される。その「上」に、三 鬼清一郎氏の「前野文書」批判(前掲論文)が紹介される。『武功夜話』を取り上げ た新聞記事は多いが、批判の存在に触れたものは珍しい。

遠藤周作氏が『武功夜話』の主人公、前野将右衛門の生涯を描いた小説『男の一生』 を「日本経済新聞」に連載(九月一日~九一年九月一三日)。『武功夜話』を素材に した『反逆』『決戦の時』『男の一生』を遠藤氏の戦国三部作という。
一九九一年
(平成三)
四月、墨俣町に天守閣に似せた墨俣一夜城歴史資料館が開館。また、墨俣町郷土史 研究会編『木下藤吉郎 墨俣築城への道』が墨俣町より刊行される。

一二月、翌年(九二年)正月に放送を開始するNHK大河ドラマ『信長』にさきが けて、新人物往来社が加来耕三氏訳の『現代語訳武功夜話〈信長編〉』(一二月二○ 日発行)や、遠藤周作氏ほかによる論集『武功夜話の世界』(一二月三○日発行)を 刊行。同社は九○年代に、作家、評論家、郷土史家執筆の『武功夜話』関係の啓蒙 書を多数刊行した。
一九九二年
(平成四)
遠藤周作氏、吉田蒼生雄氏、高橋千劔破氏(新人物往来社取締役編集局長)、藤田昌 司氏(文芸批評家)の対論「信長・秀吉と『武功夜話』」が『有鄰』(有隣堂書店・三 月一○日号)に載る(その後、対論集『たかが信長されど信長』文藝春秋・九二年六 月発行に収録)。同対論は、戦国史や古文書の専門的知識を持たないプロジェクト チームが、『武功夜話』刊行を推進した経緯と、『武功夜話』の史料価値を認めない研 究者への批判を述べている。

秋山駿氏が「信長」を『新潮』九二年五月号に連載開始。のちに同名の単行本として 刊行(新潮社・一九九六年三月二五日発行)。同書は“新たな”信長像を描いたとし て評判になり、平成八年度の野間文芸賞と毎日出版文化賞を受賞するが、『武功夜 話』をほとんど無批判に用いたうえ、『信長公記』を恣意的に解釈したために、史実 との乖離が目立つ。

郷土史家の勝村公氏が「前野家文書『武功夜話』の史料性批判」を『郷土文化』四 七巻一号(名古屋郷土文化会・通巻一六四号・八月一五日発行)に発表。墨俣一夜 城の実在を疑う藤本説や、「前野文書」の地理の記述に疑問があることなどを論拠に、 『武功夜話』を批判する。

一月、藤本が「歴史読本」所収の旧稿「墨俣一夜城は実在したか?」を改訂増補 し、自著の『信長の戦国軍事学』(JICC出版局[現、宝島社])に収録。同書は九 七年に洋泉社から新装版が刊行された(一二月二四日発行)。
一九九五年
(平成七)
東京大学史料編纂所教授の高木昭作氏監修・品川区立浜川中学校数論の谷口克広氏 著『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館・一月一○日発行)が刊行される。同書の 前野、蜂須賀、生駒氏などの項目に、『武功夜話』が典拠とされる。

愛知工業大学教授の松浦武氏と豊田高等工業専門学校助教授の松浦由起氏が、『『武 功夜話』研究と三巻本翻刻』(おうふう・一月二五日発行)を刊行。「前野文書」の うち三巻本「武功夜話」(新人物往来社版の二一巻本とは別本)を活字化したもの。

『武功夜話』を素材にしたNHK大河ドラマ『秀吉』(原作・堺屋太一)放送開始(一 月七日)。

同月『墨俣一夜城築城資料』の改訂版が刊行される。
一九九九年
(平成一一)
『歴史民俗学』№15(批評社・一一月一○目発行)の特集「偽書の日本史」に、勝村 公氏が「偽書『武功夜話』と贋系図『前野氏系図』の検証」を、郷土史家の秋本新 氏が「尾張地方における贋文書を斬る」をそれぞれ発表し、『武功夜話』の史料価値 を批判。勝村論文の『武功夜話』に現代の地名が記されているとの指摘が注目され た。

四~九月、谷口克広氏がラジオ第2放送『NHK文化セミナー歴史に学ぶ』で講 義をする。そのテキスト『信長・秀吉と家臣たち』(日本放送出版協会・四月一日 発行)で、『武功夜話』にも史料としての利用価値があるとする。
二○○○年
(平成一二)
神奈川大学教授に転任された三鬼清一郎氏が、「『武功夜話』の成立時期をめぐって」 を『織農期研究』二号(織農期研究会・二月一八日発行)に掲載。同年六月二一 日に吉田家で行った「武功夜話」調査の概要を述べ、関連する一連の史料は江戸末 期のものがほとんどで、明治以後のものは含まれないとする。
二○○一年
(平成一三)
『江南市史本文編』が刊行(江南市教育委員会・三月三○日発行)される。第一章 第四節「江南出身の武将・前野長康」(鈴木重喜氏担当)は、「前野文書」を典拠にし て書かれる。
二○○二年
(平成一四)
日本歴史学会による日本史研究者十三人の座談会「遺跡・史料の問題点」が、『日本 歴史』一月号に掲載。偽書を話題とした中で『武功夜話』にも触れられる。学術誌 上で研究者が『武功夜話』に論及するのは珍しいが、瀬野清一郎氏が偽書の存在を 危惧した以外は、傍観音的な発言が目立つ。

NHK大河ドラマ『利家とまつ』(原作・竹山洋)放送開始(一月六日)。状況設定 や台詞に『武功夜話』が利用される。

日本テレビが『知ってるつもり?! 建築家・豊臣秀吉』を放送(一月一三日)。「前 野文書」をもとに墨俣築城を史実として紹介。

2006.01.15 | | トラックバック(0) | コメント(0) |












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