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なんか最近、スピリチュアリストの主張を信じられなくなってきました。その原因は、このブログです。

美しさの中を歩め--Spirit, Soul & Body

SHさんが、「まんだら浩」と名乗っていたころのサイトを見て、けっこうオモシロイなあと思っていたわけですが、最近になって、このような主張が目につくようになりました。

そんなわけで、いろいろ知らねば、と思って、「アセンション」と言われるジャンルの本をのぞいてみた。これは精神世界の中でも最もハードコアのものであるわけだが、実際、あまりのすごさに頭がくらくらしてきた。これはどうも、普通の本のような読み方はまったく通用しないものと思わねばならない。思ったが、宇宙や地球についてとんでもない荒唐無稽のようなことが書いてあるが、これは全部「神話」として受け取ればよいということだ。言い換えればすべて「方便」であって、根本から見ればウソだということ。つまり、私たちの宇宙や地球に対する既成概念はいったん破壊されねばならないということだ。どのみちいまの科学や歴史など、人間のボロな頭で考え出したものは、宇宙から見れば大ウソ、ゴミのたぐいにちがいない。そのウソをホントだと思いこんでいる狭い考えを破壊するためのウソ、それが神話なのだ。まあいちおうそういう感じに受け止めておく。そうやって中に入り込むと、たしかにある種の強いエネルギーは感じるのである。つまりこういう本は「理解」しようとすることをやめて、そのエネルギーに自分の中を通過させると、何らかの変容がもたらされる、ということかもしれないと思われた。エネルギー的に読む、といのはつまり、詩のように読むということだ。

光の導き

「どのみちいまの科学や歴史など、人間のボロな頭で考え出したものは、宇宙から見れば大ウソ、ゴミのたぐいにちがいない。そのウソをホントだと思いこんでいる狭い考えを破壊するためのウソ、それが神話なのだ」とは大胆な主張です。

SHさんは現象学にもとづいて自らの議論を展開しているわけなんですが、現象学は超越論的自我=語る/聴く主体の哲学です。現象学は、直接経験=指向的体験を出発点とする点が画期的ですが、「無意味」を排除する点で問題があります。超越論的自我は、意味あるものしか認識できないので、無意味なものは認識できないとするのです。言語学でいうと、意味(シニフィエ)をともなった音(シニフィアン)=記号は認識できても、記号の生成(シニフィアンス)は認識できないのです。同じように、単一の「自我」は認識できても、複数の「自己」は認識できないのです。さらにいうと、「詩のように読む」なんて言ってますが、詩のようには読めないのです。

SHさんに限らず、スピリチュアリストやトランスパーソナル心理学を齧った人の一部には、このようなかたちで、既存の学問をバカにする人がいるのですが、バカにされているほうが優れていたりするのです。彼によると、ユングは「たいしたことない」んだそうですが、ユングの理論は精神病の治療のためのものなのであって、精神世界(ここでは「霊界みたいなもの」という意味)を知るためのものではないのです。

彼は、科学や歴史を「人間のボロな頭で考え出したもの」と見なし、それに神話(彼自身も「荒唐無稽」なことと言っている!)を対置するのですが、その神話も人間のボロな頭で考え出したものなんじゃないかと思うのです。本気(マジ)で、神話を知りたいのなら、ブラバツキーなどではなく、レヴィ=ストロースのほうが(゚∀゚)イイ!に決まっています。

2006.03.28 | 心霊 | トラックバック(0) | コメント(0) |












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