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代ゼミの堀木博礼先生は、いかにも風采の上がらないオヤジといった風貌だった。しかし、駿台の藤田修一先生は、いかにも紳士といった風貌だった。堀木先生は亡くなられたようだが、藤田先生は存命で、なんとカメラマンとして活躍している!

インタビュー:現代文読解の神様・藤田修一さん(上)――70歳で再開したカメラ
インタビュー:現代文読解の神様・藤田修一さん(下)――「一生懸命」という生き方
現在主流となっている「接続詞・助詞・指示語」などを頼りに文脈を追うというような授業スタイルは、この藤田先生が確立した。「イイタイコトは繰り返される。繰り返されるのがイイタイコト」、「A⇔B」、「A=A’」…。

『セメント樽の中の手紙』を素材にした講義で、「へべれけに酔っ払いてえなぁ」と情感を込めて読み上げ、「『てえなぁ』ということは、酔っ払っていないということだね」。

  この『セメント樽の中の手紙』は駿台の現代文テキストや『鑑賞昭和文学』などに登場している。藤田さんがこのプロレタリア文学を通して伝えたかった人生に横たわる理不尽やどうしようもないやりきれなさの存在を生徒は感じ取った。

この講義はいまでもうっすらではあるが憶えている。思えば、福永武彦の『愛の試み』(新潮文庫、1975年)は、藤田先生が「これくらいは読んでおきなさい」と言って提示した本の一冊だった(このなかの「星雲的」は、堀木先生か、藤田先生のテキストに載っていた)。

「<あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ>と詩人三好達治はうたう。ハラジュクの舞台に散乱する『をみなご』は花びらのように、はかなく、それゆえにこそ美しい。荒蕉の世だと人はいう。時は世相にかかわりなく、うつろい、ながれる。『をみなご』は時のうつろいに傷つくことなど思いもしない」(『原宿狂詩曲』に記した藤田さんの文章)

藤田先生の写真集『原宿狂詩曲』には、今風の服装や化粧をした若者たちの写真が掲載されている。「若者たちは有限の青春のまっただ中にいることに気づかないまま輝きを放つ存在なのだ」。

いつのまにか青い空がのぞいてる
思いつめた黒い雲は逃げてゆく
君はどこで生まれたの 育ってきたの
君は静かに音もたてずに大人になった
    (中略)
いつのまにか「愛」を使う事を知り
知らず知らず「恋」と遊ぶ人になる
だけど春の短さを誰も知らない
君の笑顔は悲しいくらい大人になった

井上陽水「いつのまにか少女は」



藤田先生は語る。「老いに対してじたばたしても仕方ない。しかし、精神で若さを保っていけばいい。そのためには後ろ向きでは終わり。毅然として生きなければダメ。その本質は正義ですよ」。「死ぬまで感動。感動があれば、アンチエイジングになる。最後はハートなんです。有限の自覚を持って、何を、いかにすべきか考えて」。

若いからじゃなくて 夢にいどむことで
僕達に別れはないという 星を仰げば
僕達に別れはないという 心通えば

小椋佳「歓送の歌」

2006.03.28 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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