ここでとりあげる心霊スポットは、将門の胴塚、北山稲荷大明神、国王神社です。2001年の6月に行きました。平将門(たいらのまさかど)関連の心霊スポットといえば、東京都千代田区大手町の首塚が有名です。しかし、将門の胴塚や、将門が戦死した北山古戦場跡、将門を祀った国王神社というと、それほど有名ではありません。

平将門(?-940)は、桓武平氏の出身で、下総北部(茨城県西南部)を根拠地としていました。935年ころに伯父の国香(くにか)と所領を争い、その後も一族と戦いを繰り返しました。939年に武蔵(埼玉県+東京都+神奈川県の一部)と常陸(茨城県)の紛争に介入し、常陸・下野(栃木県)・上野(群馬県)の国府を制圧し、新皇を称して、関東を支配しました(承平・天慶の乱)。翌940年2月に、根拠地を藤原秀郷と平貞盛(国香の子)に襲撃され、戦死しました。

将門の胴塚


  写真は神田山(かどやま)の延命院にある将門の胴塚です。神田山という地名自体が、将門の胴体(=からだ)が埋められたために、つけられたのだそうです(その前から古墳があったところなんですが…)。銭形平次で有名な東京の神田明神も将門を祀ったものです(こっちは首塚関連)。

延命院(茨城県板東市神田山)map


北山稲荷大明神


  北山稲荷大明神は、将門が戦死した北山古戦場跡とされる場所のひとつです。さて、その場所ですが、うっそうと茂った雑木林の中に道が一本あるだけです。しかも、奥に行けば行くほど、雑草が生えていて、道は細くなるばかりです。膝くらいまで雑草が生えているところまで来ると、鳥居が見え、その奥に灯篭と社がありました。


  霊能者・寺尾玲子さんによると、この社の前、2つの灯篭の間に、将門が乗馬した高さで立っているらしいのですが、私には確かめるすべもありません。
  この社の裏に、源頼信(みなもとのよりのぶ)が建立した板碑(いたび)が出土しており、そこが将門戦死の場所らしいのですが、なんとうっかりしていて、「板碑出土の処」と刻まれた石碑を撮りそこねてしまいました。
  源頼信は、源頼朝の先祖で、平忠常の乱を平定したことで、武家の棟梁としての地位を築きあげました。その頼信が将門の霊を鎮魂する目的でここに板碑を建立したのでしょう。


  社の西側には、「鎮魂・平将門公之碑」と刻まれた大きな石碑と、出土した板碑のレプリカの小さな石碑がありました。
  小さな石碑にはつぎのように刻まれています。
   天慶三庚子年/将門禅門位/二月十四日
   長元辛未年/長征總土/鎮魂鬼神/源頼信
  天慶三庚子年とは将門が戦死した940年のことで、長元辛未年とは長元4(1031)年のことで源頼信が平忠常の乱を平定した年です。

北山稲荷大明神(茨城県板東市辺田)map


国王神社


  国王神社は、将門を神として祀っており、かやぶき屋根の社の中には、将門の娘がつくったとされている、平将門の木造の写真がありました。

国王神社(茨城県板東市岩井)map

2005.12.06 | └ 心霊スポット | トラックバック(0) | コメント(1) |

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2012.08.18 20:37  | # [ 編集 ]












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