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福岡市の「カワイイ区」にイチャモンがつけられ、ピンチなんだってね。

  福岡市の「カワイイ区」に「女性はかわいくあるべきだといった意識を助長する」といった苦情が出ている。

  条例にもとづいたもので、計4件。これを受けた市の審議会では、「(カワイイ区の)廃止を含めて見直し」という文言も飛び出した。

  市では答申が出ていない現段階では「なにも決まっていない」としているが、ネットでは「4件でパーか」「少数意見に配慮しすぎだろ」などと疑問の声があがっている。

「カワイイ区」は男女共同参画に悪影響? 福岡市に「性差別意識助長」と苦情4件

この手の非難は、当然、予測できただろうに、福岡市は考えていなかったのかな?

「カワイイ」という言葉は、現代ではきわめて多様な意味で使われている。四方田犬彦(著)『「かわいい」論』(ちくま新書、2006年)には、社会学者・上野千鶴子のカワイイに対する嫌悪が書かれている。

彼女は老人問題を扱った最近の著作のなかで、「かわいい」とは「女が生存戦略のために、ずっと採用してきた」媚態であると一刀両断し、子供や孫に面倒を見てもらうために「かわいい」老人であることが推奨されている今日の日本社会のあり方に、疑問を呈している。かわいければ得をする。かわいくなければ女じゃない。こうした認識はまさしくイデオロギー的なものであって、女性を旧来の依存的存在に押し留めておくための方便であり、またかかる状況にあって女性が生き抜いていくための生存戦略でしかない。老人と子供が「かわいい」と呼ばれるのは、いずれもが責任能力を欠落させた存在であるためであり、厄介者、お荷物扱いされる点では、変わるところがない。(前掲書、16~17ページ)

「カワイイ区」に苦情を寄せている人びとのカワイイに対する嫌悪も、おそらくこれと同じであろう。

しかし、同書には、その道で厳しいプロとして著名な年長者が、ふと垣間見せた無防備な姿を「可愛い」と語る例を示している。

たとえば作家の村松友視は、「可愛い」女性としてきまって思い出すのは幸田文であると語る。彼女のある挿話を通して、「可愛い」とは「すごく隙のない暮らしをしているような人が、ふとした瞬間に垣間見せたシャイな姿」であるという指摘がなされる。村松本人は、自分が「可愛い」という言葉を用いるのは「柄に合わない」「ミスキャスト」だと考えていて、積極的に使うことはないと断りながらも、この言葉が「時代の中から生まれてきた」ことを認め、それに対する寛容さを披露している。フリーリポータ-の東海林のり子は、「真摯に上手に年を重ねた人が、ふと見せる無防備な素」が「可愛い」であるとし、その例として森光子と淡谷のり子を挙げている。「年下の人間が「可愛い」と言っても、受け止めてくれる包容力」こそが「可愛らしさ」に繁がるという。最後にTVの製作者の石井ふく子は杉村春子の例を挙げ、「芸には厳しい」彼女が「いったん仕事場から離れたら、居眠りもなさる」ところに「可愛さ」を認めている。(前掲書、145~146ページ)

ここでは、上野が嫌悪するカワイイと対極にある人たちのカワイイが紹介されている。

カワイイは、多様な意味をもっているので、男女共同参画に悪影響を与えるものもあれば、そうでないものもある。


オイラの高校時代、保健体育の担当だったO先生は、とても厳しい教師で“鬼のO”と呼ばれていた。それは、彼が担当する体育の授業を受けた生徒(男子)は、足上げ腹筋150回をやらされたからだ。O先生は、生徒にやらせるだけでなく、自分でもやるから、始末が悪い。文句が言えないのだ。

でもね。保健の授業のとき、クラスの女子たちに何か言われて困った表情になった。その表情を見たある女子が「カワイイ!」って言った。そしたら、O先生、真っ赤になって照れてしまった。

厳しいO先生の困った顔は、女子たちにカワイイと思わせたのだ。このカワイイは男女共同参画の障害でしょうかね。(爆)

2013.02.13 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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