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9/6(金)に放送された「デイ・キャッチャーズボイス」の「宮台真司が選ぶ宮崎駿ベスト3」



で、紹介されていた大塚英志(著)『物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ―構造しかない日本』(角川書店、2009年)を読んだ。

宮台さんはウラジミール・プロッブの『昔話の形態学』にある31の構成要素を紹介していたが、本書ではジョーゼフ・キャンベルが『千の顔を持つ英雄』で明らかにした「単一神話論」が中心になっている。これは、

   1.セパレーション
   2.イニシエーション
   3.リターン

の三幕構成になっており、「セパレーション」は、

   (1)「冒険への召命」
   (2)「召命の辞退」
   (3)「超越的な援助」
   (4)「最初の越境」
   (5)「闇への航海」

のステップを踏んで進行する。つぎの「イニシエーション」は、

   (1)「試練の道」
   (2)「女神との遭遇」
   (3)「誘惑する異性」
   (4)「父との一体化」
   (5)「アナザー・ワールド」
   (6)「終局の恩恵」

のステップを踏んで進行し、さいごの「リターン」は、

   (1)「帰還の拒絶」
   (2)「呪的逃走」
   (3)「外界からの救出」
   (4)「帰路の境界」
   (5)「二つの世界の導師」
   (6)「自由と本性」

のステップを踏んで進行する(説明は最後に載せる)。

キャンベルはユングの「元型論」に大きな影響を受けている。ユングは、フロイトの個人的な無意識に対して、人間が先天的に形成している「集合的無意識」を唱えた。ユングは、心理的作用として影響を及ぼす心理的イメージがあり、それを「元型」と名付け、それが集合的無意識を表現していると考えた。神話や物語には、繰り返し登場するモチーフやシンボルがあり、それも元型と見なすことができる。ここから、キャンベルは、神話や物語には共通した構成があり、それを「単一神話論」としたのだ。

このような構成は、人間の集合的無意識に根ざしているので、そもそも人間に好まれるようにできている。だから、それにしたがって物語を構成すれば、万人に受ける物語ができるというのだ。事実、映画「スター・ウォーズ」シリーズや村上春樹の小説、宮崎駿のアニメもこのような構成で描かれているのだ。それを明らかにしたのがこの本である。この本にはないが、フリーメーソンの参入儀礼をもとにつくられた、モーツァルトの「魔笛」もこのような構成になっている。

しかし、逆を言えば、「単一神話論」的な構成で物語をつくれば、内容は多少ダメでも万人受けする作品ができてしまう。宮崎アニメは、わけわかんないストーリーでも、万人受けする構成と、独特の画面設計力とで、数千万人も動員してしまうのだ。この万人受けする構成こそが、村上作品がなんどもノーベル文学賞候補となったり、宮崎アニメをはじめとするジャパニメーションが世界的に人気を博している原因なのだ。日本の「何か」が受けているのではなく、万人受けする構成=構造が受け入れられているにすぎない。だから、「構造しかない日本」なのだ。

これとともに大塚は、村上作品と宮崎アニメに共通する、母胎回帰を望む「大人になれない」男と、それを許容する「肥大した母性」を問題視している。ちなみに、これらは(ゆいはん推しのw)宇野常寛さんも同じ。



これとほぼ同じ内容が本の中で論じられている。

村上春樹の作品をまったく読んでいないオイラには、村上に対するこれらの指摘が正しいかどうかわからない。一方、宮崎アニメの方は、ある程度見ているので、「ポニョ」は当たってるかなと思った。でも、この前見た「風立ちぬ」や、最近テレビで放送した「紅の豚」は、そう言われれば、そうかな?って程度だと思う。二郎が、病気ゆえに自分より弱い立場の菜穂子に依存しながら、零戦を設計したとか、ポルコが、ジーナが所有するホテル・アドリアーノの近くで、賞金稼ぎをしているのは、モラトリアムだとかは、そういう目で見ないと、見れないからね。w

作品によってはムリヤリ感がいなめないのは、問題ありかな。(爆)
キャンベルの「単一神話論」

1.セパレーション

(1)「冒険への召命」
★出立・分離あるいは冒険への使命がもたらされる。
★あるいは神・老人・特定の声などによる合図がある。

(2)「召命の辞退」
★しかし、いったんは召命はなんらかの理由によって辞退もしくは理解できないものとなる。
★主人公は神から逃走しようとする自身の愚かさを露呈する。

(3)「超越的な援助」
★超自然的なるものが思いがけなくも英雄を支援する。
★与えられた冒険を受け入れた者に思わぬ天佑がもたらされる。
★このとき援助者は矮小あるいは貧しい老人や老婆の身なりをしていることが多い。またしばしば助言者は意地悪な妖精になっている。

(4)「最初の越境」
★こうして英雄は最初の境界をまたぐことになり(バウンド)、そこで境界を守る者との対決を試され、これをなんとか越境する。
★これは異界への突入、限界の突破、異界の守護者(渡守・橋姫・猿田彦など)の認識をあらわしている。

(5)「闇への航海」
★英雄はさらに闇あるいは魔の領域に突入し、いったんはまったく別の負荷状態になる。
★これはしばしば「胎内回帰」とよばれるもので、自己消滅の危機さえ伴う。
★物語のなかではピノキオのように鯨の中などに呑みこまれることが少なくない。いわば、夢を見ているのかと見紛うばかりの「英雄流動」の段階なのである。


2.イニシエーション

(1)「試練の道」
★ここからは英雄の試練が次々に続く。
★玄奘と孫悟空の試練、あるいは日本神話でいえばイザナギや大国主命の試練などをおもえばよいが、象徴的には主人公が英雄になるべく「転身の門」をくぐるためのプロセスになっている。

(2)「女神との遭遇」
★英雄はひょんなことから女神あるいはマグナ・マーテルあるいはグレート・マザーと出会い、その力に包まれ、いきさつによっては聖婚(ヒエロス・ガモス)する。
★英雄は慈母・一時花嫁・代母などによって“永遠の幼児”としての至福感を初めて体験するわけである。
★これは主人公のエネルギーの「回復期」にあたるのであろう。

(3)「誘惑する異性」
★女神による回復をえた英雄は、しばしば誘惑者の快楽を断れない。しかし、このプロセスで英雄は「最大の真相」つまり「オイディプスの謎」を初めて理解する。
★神話上のスクリプトの中でも最も難解なところで、基本的には「父殺し・母との姦淫」が潜在しているのだが(第657夜『オイディプス王』参照)、それ以外にもマグダラのマリアや静御前や吉野太夫のような娼婦・白拍子・遊女との出会い、および悪女からの仕打ちが含まれる。

(4)「父との一体化」
★畏怖あるいは脅威の対象としての父が「大いなる父」でもあったことをどのように理解したかというドラマが、ここのテーマになる。
★『スター・ウォーズ』における隠れた父ダース・ベーダーとの対立と和解を思い浮かべればわかりやすいだろうが、キャンベルの原型はゼウスにおけるクロノスや、ディオニソスにおけるゼウスなどにあった。
★ここは別の観点からいえば英雄の「成熟」を暗示する。なぜなら英雄はここで初めてこれまでの試練の意味を悟ることになるからである。

(5)「アナザー・ワールド」
★英雄は父の真実の姿を知って驚くとともに、自分にとってはアナザー・ワールドである父がつくった国を体験する。
★この国は、王の国・神の国・ユートピア・アルカディア・老いた国・不老の国・魔王の世界・別世界そのほかの様相を呈する。
★しかしここでは、父に対するアンビバレンツな神格化もおこっている。そのためこの段階では両性具有のキャラクターがよくあらわれる。

(6)「終局の恩恵」
★英雄は大団円に到達する。それは不滅・勝利・獲得・謎解きなどの象徴の終焉であり、前に進む物語の終息である。
★ここで初めて世界模型の全貌があかされることが少なくない。たとえば須弥山、シャンバラ、エルドラドなど。


3.リターン

(1)「帰還の拒絶」
★英雄は故国への帰還の旅立ちをするにあたって、収穫物(エメラルド板・黄金の羊毛・玉手箱・不老長寿の薬・金銀財宝・眠れる王女など)を持ち帰らなければならないのだが、その困難を予想して責務履行はいったん拒否される(あるいは持ち帰るほど期待される戦利品がない)。
★夢から覚めたくないという本音の気分が報酬の重荷に転移したというふうにも解釈できる。

(2)「呪的逃走」
★押し付けられた戦利品(たとえば王女)から逃げ出したくなり、主宰の王や管理者からの呪いを振り払って逃走する。
★追跡者の手から逃れる逃走神話には、たいていは残し物・変種の物の散布などが絡む。
★ヘンゼルとグレーテルはお菓子の家に到達したのに、そこが怖くなって逃げるとき、さまざまな呪文と戦わなくてはならなかった。イザナギは冥界からの逃走にあたっては多様な物を投げ捨てながら走らなければならなかった。

(3)「外界からの救出」
★英雄の逃走が進むには、ときにそこに外部的な超常力が加わる必要がある。
★オズの魔法の国やアリスの不思議の国からの帰還には、外力が手をさしのべる。ダンテが地獄篇の世界を脱出するにも巨人の助力が必要だった。アマテラスの岩戸からの脱出にも外力が加わっている。

(4)「帰路の境界」
★英雄は彼岸から此岸に戻ろうとして、さまざまな境界を逆方向に、かつ上手にまたいでいかなければならない。それに失敗すると英雄は因幡の白兎か浦島太郎になってしまう。
★ここにはリップ・ヴァン・ウィンクルの原型がある。英雄は最後に「時間の旅」の試練を受けたのである。ここにトランジットの問題の本質があらわれる。

(5)「二つの世界の導師」
★英雄はついに空間と時間の仕切りを越えて帰還に至る。このとき、これまで仮の姿であったすべての化身たちの正体が、輝きあるいは驚きをもって出現してくる。そこに英雄自身が実は神の仮の姿であったという逆転も含まれる
★英雄クリシュナは実は宇宙神ヴィシュヌであり、助六は実は曽我の五郎だったのである。

(6)「自由と本性」
★こうして英雄が故郷に戻ると、そこはまったく新たな王国・原郷・共同体としての活気に満ちてくる。祭りが挙行され、婚姻が進み、財産が配分される。
★この最後の場面こそ、その後に何度も再現されることになった世界各地の祭りのクライマックスになっていく。

2013.09.14 | | トラックバック(0) | コメント(0) |












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