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昨夜(10/29)のNHK「歴史秘話ヒストリア」は、柳田国男の『遠野物語』にスポットを当てていた。ぜんぜん関係ないけど、朝の連ドラ「どんど晴れ」で比嘉愛未が落ちた「カッパ淵」が出てきた。w

エピソード1 遠野物語の世界を旅する
カッパ、座敷わらし、雪女…「遠野物語」に描かれた妖怪や神様は、実際に遠野の村人が目撃したもの。物語に登場した人物の子孫を訪ね、今も生々しく伝わる目撃談を語ってもらいます。さらに座敷わらしが住んでいたという家の跡地を探訪、カッパ釣りにも挑戦!遠野物語の不思議な世界を旅します!!

エピソード2 遠野物語の作者 柳田国男の愛と悲しみ
遠野物語の著者・柳田国男。執筆の背景には、学生時代の悲恋がありました。3年間片思いし続けた、いね子という美しい少女との別れが、柳田に生涯にわたる疑問を抱かせます。それは“死んだ人間の魂はどこへ行くのか?”。遠野物語誕生の陰に秘められた愛と悲しみの物語です。

エピソード3 遠野物語と津波 愛する家族との別れ
遠野物語には、およそ120年前の明治三陸大津波で被災し、妻を失った男の悲話も記されています。そして現代、その男の子孫の方も東日本大震災に遭い、大切な家族を失いました。愛する人を奪われた時、人はどうやってその死を受け入れるのか。遠野物語が語り続ける時代を超えたメッセージです。

妖怪と神さまの不思議な世界 ~遠野物語をめぐる心の旅~
『遠野物語』は、日本民俗学の始祖である柳田国男が、遠野出身の佐々木喜善(鏡石)から聞いた話を筆記したものである。【エピソード1】では、「ザシキワラシ」「オクナイサマ」「オシラサマ」の3つの「家の神」の話を紹介した。

一八 ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて留場[とめば]の橋のほとりにて見馴[みな]れざる二人のよき娘に逢えり。物思わしき様子にて此方へ来[き]たる。お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸[きのこ]の毒に中[あた]りて一日のうちに死に絶[た]え、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ病[や]みて失せたり。

一五 オクナイサマを祭れば幸[さいわい]多し。土淵村大字柏崎[かしわざき]の長者阿部氏、村にては田圃[たんぼ]の家[うち]という。この家にて或る年田植[たうえ]の人手[ひとで]足たらず、明日[あす]は空[そら]も怪[あや]しきに、わずかばかりの田を植え残すことかなどつぶやきてありしに、ふと何方[いずち]よりともなく丈[たけ]低[ひく]き小僧[こぞう]一人来たりて、おのれも手伝い申さんというに任[まか]せて働[はたら]かせて置きしに、午飯時[ひるめしどき]に飯[めし]を食わせんとて尋[たず]ねたれど見えず。やがて再び帰りきて終日、代[しろ]を掻[か]きよく働[はたら]きてくれしかば、その日に植えはてたり。どこの人かは知らぬが、晩にはきて物を食[く]いたまえと誘[さそ]いしが、日暮れてまたその影[かげ]見えず。家に帰りて見れば、縁側[えんがわ]に小さき泥[どろ]の足跡[あしあと]あまたありて、だんだんに座敷に入り、オクナイサマの神棚[かみだな]のところに止[とどま]りてありしかば、さてはと思いてその扉とびらを開き見れば、神像の腰より下は田の泥[どろ]にまみれていませし由[よし]。

六九 今の土淵村には大同[だいどう]という家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞[おおほらまんのじょう]という。この人の養母名はおひで、八十を超[こ]えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじないにて蛇を殺し、木に止[とま]れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔あるところに貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養う。娘この馬を愛して夜[よる]になれば厩舎[うまや]に行きて寝[い]ね、ついに馬と夫婦になれり。或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連[つ]れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋[すが]りて泣きいたりしを、父はこれを悪[にく]みて斧をもって後[うしろ]より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇[のぼ]り去れり。オシラサマというはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。その像三つありき。本[もと]にて作りしは山口の大同にあり。これを姉神とす。中にて作りしは山崎の在家権十郎[ざいけごんじゅうろう]という人の家にあり。佐々木氏の伯母が縁づきたる家なるが、今は家絶えて神の行方[ゆくえ]を知らず。末[すえ]にて作りし妹神の像は今[いま]附馬牛村にありといえり。

柳田国男 遠野物語(青空文庫)

理由はわからないが、『遠野物語』では「茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え」とあるのを、放送では《使用人がヘビを殺してその祟りで死に絶えた》となっていた。


【エピソード2】は、柳田が『遠野物語』を書くきっかけになった恋愛秘話といったものだった。片想いの相手・いね子の死が、柳田に「死んだ人間の魂はどこへ行くのか?」という問いを抱かせ、佐々木の話がそれに応えた、となっていた。この「魂の行方」にかんする話として、つぎの臨死体験が紹介されていた。

九七 飯豊[いいで]の菊池松之丞[まつのじょう]という人傷寒[しょうかん]を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて菩提寺[ぼだいじ]なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に前下[まえさがり]に行き、また少し力を入るれば昇ること始めのごとし。何とも言われず快[こころよ]し。寺の門に近づくに人群集せり。何故[なにゆえ]ならんと訝[いぶか]りつつ門を入れば、紅[くれない]の芥子[けし]の花咲き満ち、見渡すかぎりも知らず。いよいよ心持よし。この花の間に亡[な]くなりし父立てり。お前もきたのかという。これに何か返事をしながらなお行くに、以前失いたる男の子おりて、トッチャお前もきたかという。お前はここにいたのかと言いつつ近よらんとすれば、今きてはいけないという。この時門の辺にて騒しくわが名を喚[よ]ぶ者ありて、うるさきこと限りなけれど、よんどころなければ心も重くいやいやながら引き返したりと思えば正気づきたり。親族の者寄り集[つど]い水など打ちそそぎて喚[よ]び生[い]かしたるなり。


『遠野物語』は、実在の人物の体験が語られる「実話怪談」的な要素もあり、【エピソード3】では、物語に登場する人物の子孫が東日本大震災の被災者として登場した。明治三陸大津波で被災し妻を失った男と、東日本大震災で母を亡くしたその子孫が紹介され、親しい者の死をどのように受け入れるかという切り口で「魂の行方」の話が紹介されていた。

九九 土淵村の助役北川清という人の家は字火石[ひいし]にあり。代々の山臥[やまぶし]にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿[むこ]に行きたるが、先年の大海嘯[おおつなみ]に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元[もと]の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪[なみ]の打つ渚[なぎさ]なり。霧の布[し]きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正[まさ]しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々[はるばる]と船越[ふなこし]村の方へ行く崎の洞[ほこら]あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛[かわい]くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元[あしもと]を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退[の]きて、小浦[おうら]へ行く道の山陰[やまかげ]を廻[めぐ]り見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中[みちなか]に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩[わずら]いたりといえり。

死んだ妻が別の男(以前に愛し合っていた男)といっしょにいるのはショックだが、一人で逝くのではないという安心感も同時にもったのではないか、と子孫が語っていたのは印象的だった。


最近のNHKの「超常現象もの」にありがちな、科学ですべてぶった切るような内容ではなかった。むしろ『遠野物語』の「実話怪談」的部分を紹介している点は新鮮だと言える。まあ、「実話怪談」というジャンルがあることを知らない人にはわかんないだろうけど…。いね子への片想いは、Wikipediaなどにも載っていないので、「秘話」なのでしょう。柳田国男研究者にとっては秘話でも何でもないだろうけど。w

最後に歴史学と民俗学との関係について。1980年代から日本の歴史学も「オーラル・ヒストリー」という形で伝承や証言を対象とするようになった(個々の研究者はもっと前からそうしていた)。人間はウソをつくこともあるし、記憶にマチガイもあるので、真実性については裏取り(文献史料との整合性)が必要となる。そこが怪しいと、文献史学の研究者にツッコミを入れられる。ただ伝承や証言しかない場合は、「真実であるとの相当な理由がある」って形で論文化すると、だいたい通るんだよね(裁判といっしょw)。オイラもそれで修士号取れたし…。wwwww

というわけで、今回の「歴史秘話ヒストリア」はなかなかオモシロかったと思うよ。

2014.10.30 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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