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金曜深夜にTBSで放送されている「R30」という番組(TOKIOの国分太一くんとV6の井ノ原快彦くんが司会)に夜回り先生こと水谷修さんが「特別公演」ということで出ていました。

残念ながら、途中からしか見られなかったのですが、相変わらず、重い内容でした。青少年の間にドラッグが蔓延するのをなんとしても阻止しようという意志を感じました。いつも最後に水谷さんが助けることができなかった少年・少女の話をするのですが、今回はドラッグによって両脚を失い、楽しみにしていた母との同居の直前に急死してしまった少女の話をしていました。

水谷さんの話のなかで、友だちがドラッグや自傷行為をしているのを見つけた場合、自分が友だちを救おうとはせずに、私(水谷)に連絡をするように、と語っていました。友だちを助けようとして、逆に自分がドラッグや自傷行為をするようになってしまうことが多いから、とのことでした。
ところで、『フロイト入門』(ちくま新書、2000年)の著者・妙木浩之の著書に『精神分析による言葉の活用』(金剛出版、2005年)という本があり、そこに「逆転移」の話が出てきます。

フロイトは、面接過程において、患者が過去に自分にとって重要だった人物(多くは両親)に対して持った感情を、目前の治療者に対して向けるようになるという現象を見いだしました。これを転移 Transference (または感情転移)といいます。転移は、患者が持っている心理的問題と深い結びつきがあることが観察されたことから、その転移の出所を解釈することで、治療的に活用できるとされていました。転移の解釈は、精神分析治療の根幹とされています。

しかし同時に、フロイトは、治療者の側に未解決な心理的問題があった場合、治療場面において、治療者が患者に対して転移を起こしてしまう場合があることを見いだしました。これを逆転移 Counter Transference といいます。フロイトは逆転移は治療の障害になるため排除するべきものであり、治療者は患者の無意識が投映されやすいように、白紙のスクリーンにならなければならないと考えました。しかし、そうした治療者の中立性に関しては、弟子の中にも異議を唱えたものが多かったのです。

現代の精神分析では、逆転移の定義はさらに広げられ、面接中に治療者が抱く感情の全てを含むものになっています。そして、逆転移の中には患者側の病理によって治療者の中に引き起こされる逆転移もあり、そうした逆転移は治療的に活用できるとする考えが主流を占めるようになっています(wikipediaの「精神分析」の項目を参考)。

妙木さんが紹介しているのは、治療に活用できる逆転移の話で、具体的にはつぎのとおりである。

  主訴:抑うつ状態、健忘、自殺念慮。一浪して大学に入学して、大学に行かなくなり、学業も追いつかずに3年で退学。その後いろいろな職業を転々としていたが、20歳時、バイト先でお金を盗み、そのことを店の人に見つかって、弁償の問題となり、自殺未遂。本人の言によると、お金を盗んだこと、そしてそれを使ったことも何も憶えていない。ただ弁償沙汰になって親に申しわけないので「もう生きていてはいけない」と思い自殺を試みたのだ、と言う。かなり混乱ぎみで、不眠と不安焦燥が激しく来院、入院の運びとなる。

     (中略)

  初回の面接が終わり、治療者が他の仕事をしていると、クライエントからの要求として病床の看護課から連絡があり、ぜひ会いに来てほしいと言っているという。治療者は一応他の仕事を終えた後、病床に行くと、そこにはクライエントの父親と母親が待っていた。彼はさっきの面接で話したことを憶えていないので、両親に治療者から伝えてほしいと言う。治療者は基本的には面接室以外では心理療法は行わないという方針を告げるが、それでもぜひにと彼と両親が言い、めったにない機会だからという言葉から、両親とクライエントの三者と面接に入る。こうすることは一面では構造が複雑になり、クライエントの操作に乗りやすくなることにはなるのだが、たしかにこの両親が出会うという場面そのものが貴重だというクライエントの主張にもうなずけるところがあったので、治療面接ではなく、あくまで情報収集を留意した上でのクライエントのニードに合わせることが貴重であると思われた。

  ここで治療者は不思議な体験をする。両親と三者面接をすることになり、本人の意向を伝えようとすると、両親と話している内に、クライエントの姿が遠のいて行き、視野が狭窄し、気が遠くなる感じがしたのである。この体験は治療者自身の心理状態に由来するものではなく(当時治療者はそれほど不安でも情緒不安定でもなかった)、明らかにその場、面接状況においてまさに引き起こされたものであった。気が遠くなり、意識が遠ざかって行く感じにやや不安を感じた治療者は、両親と本人と別々に話をしたいから、と言って、クライエントに外で待っていてもらうように頼み、承諾してくれた。

  クライエントが出て行ってからの面接室は、一変して混沌とし憤然とした雰囲気につつまれたが、父親が話し出すやいなや、その話に母親が口をさしはさみ、せきを切ったように言い争いが始まった。双方とも、他方の話し手がいないかのように別々に治療者に話しかけ、その話題は子どもの育て方についてのものであった。しかし興味深いことにその内容は、結論から言えばほぼ同じであり、父親の側は、「母親は留守が多く(母親自身仕事をしていて)、そのため子どもの面倒を見ず、子どもがダメになった」であり、母親の側は「父親は教育に厳しくすぐダメだ、ダメだと言うため、子どもをよく見られずに、子どもがダメになってしまった」という。共通しているのは「子どもをよく見ないから、子どもがダメになった」という結論であり、2人の争点は母親―父親という仮面を装った夫婦関係の問題であるように思われた。このことを、感情的になり、険悪な雰囲気のなかにあった2人に伝えると、やや複雑な面持ちで静かになった。そこで治療者は、クライエントが危機的状況にあり、救いを求めていることを伝え、親子関係と夫婦関係の問題が解消されないまま離婚し、本人にそのことが傷になっているのでは、と伝えた。家族面接を主治医の先生と行うことを勧めた。父親は終始、「あいつはダメな奴で、治らないでいい」という態度で、母親は「どうにかしたいが父親がこうでは」と相互のすれ違いは一朝一夕に変わるようではなかった。

  夫婦の言によれば、夫婦関係が悪化していざこざが増え、家庭内の争いが絶えなくなったのは、ちょうどクライエントが小学校2、3年生の時である。治療者の頭に浮かんだのは、クライエントの「雲の上で、ひとり静かに死ぬ」という空想とも白昼夢とも区別のつかぬ夢であった。夫婦関係の問題が、明らかに子どもの問題に置き換えられており、「両親が言い争いをし、離婚したのはぼくのせいだ」という罪責感が、対象喪失の悲しみの後にあったことは充分予想できたし、父親の厳しい養育態度はそれを助長したであろう。治療者は自分の身体に起こった、一種の体感変化の意味がわかったような気がしたが、これについて考えることになるのはさらに後になってからである。

  両親との面接の後、クライエントとの面接で、両親と治療者との面接で起こったことを前提にしてその体験について話したが、治療者が両親と話している間に、クライエントは自分が言いたかったことや言おうとしたこと、やったことについて忘れてしまっており、「これがこわいんです」と不安感を強くし、混乱してしまった。少し落ち着くまで一緒にいて、面接を終えた。

妙木さんは、この体験について、つぎのように論じている。

  すでに述べたように、事例で治療者が「気が遠くなる」身体変化を経験したのは、初回において治療者がクライエントから受け取っていたもの、そしてクライエントが面接時にかもし出していた雰囲気あるいは不安の信号、さらに家族状況のなかでのクライエントの雰囲気やあり方の非言語的な信号の3つが重なり合ったために起こったと考えられる。こうして身体・感覚語(体感語)は発見された。それゆえ、私は事例がそうであるように、治療者の体感語は、面接の雰囲気の反映として、クライエントの問題への理解の戸口であり、それへの積極的な注目が治療関係の見通しを非常によいものにする、と主張したい。アウグスティヌス体験のように劇的に見通しのよくなる体験はまれであるにしろ、雰囲気を体で感じるものとして受けとめる回路は不可欠なものである。こうして見ると、事例において初回にクライエントが示しているかなりヴィヴイッドな彩度の夢は、雰囲気に一種の視覚的色調をそえているが、治療者の体感語は、それに対応している。

  すでに精神分析の分析的スクリーンという概念を前の章で述べたが、クライエントの表現やその存在が心理療法のなかで映し出されるときに、治療者がそれに圧倒されるという事態は、それほど珍しいことではない。先に「分析的スクリーン」という概念を提示したとき、そこにはそれが一種のスクリーンとして見えてきたときには、それらは穴だらけ(多孔牲)で、被分析者の、分析家へのコミュニケーションを歪曲する傾向があり、高度に組織的、全体的な形で、この姿に到達できるようなもので、しかも直接的な行為によってではなく、(間接的に)これを表現する、そう述べた。そして精神分析の全体を構成するものが、治療者の機能によって支持されているとするなら、それらを維持できないときに治療者の身体がそれを感知する。そうして発見されるのが治療者の身体・感覚語である。

  体感の問題を精神病理学で扱った研究が二、三目につく。この方面で面接者に直接伝わって来る体感や雰囲気を問題にした著名な概念に、リュムケの「プレコックス感」がある。中井(1985)の指摘によると、この概念はリュムケの新語ではなく、オランダの精神科医たちにすでに流布していたらしく、「精神病的色調」といったニュアンスに近いらしい。比較文化的フィルターをかけてみれば、日本で昔から臨床家たちの間で使われていた「分裂病臭さ」と似ているが、リュムケ自身の用法はともかく、私がここで重要だと思うのは、重い人間約病である精神病患者に相対した時、われわれが感じる一種の体感の言語を精神科医、精神病理学が扱ったという事実である。しかも診断における主要因として、である。青年期の危機的な状態にあるクライエントがやって来て、それに対して面接した精神科医が「なにか奇妙」といった感じを重視し、診断において、それを表現し、そのクライエントの病的側面への理解の用途として役立てるということである。

  たしかに統合失調症のクライエントがきわめてクリティカルな時期にあり、またその局面について語っている時には、一種独自の、明度は低いが彩度は非常に鮮明な色と、切迫した臭いとがある。この雰囲気の言語的表現はきわめて困難だが、カフカの『変身』にある一種独特の実存的雰囲気と似ているように、私には思われる。

  色と臭いといっても、現実に見えるとか、匂うとかといったことは問題ではない。どちらにせよ、それはクライエントが治療者に非言語的に伝えることになる、あるいはかもし出す雰囲気で、治療者が言葉にできる感覚であり、その言葉に救助信号や警告としての意味が依然残るのである。それゆえ、この雰囲気は統合失調症者だけの問題ではもちろんなく、混乱し不穏状態にいるクライエントに共通のものである。ラカンが使った言葉を借りるなら、この状態を寸断された身体への治療者の感覚に関係するといってもいいのかもしれない。中井(1980)はこの臭いについて、「統合失調症者特有といわれるある種の匂いは人間が不安なときに出す警戒フェロモンであるかも知れない」、そして「実際、統合失調症であろうとなかろうと私は不安になった人がたちまちその種の匂いを放つのを直接経験している」と述べている。私自身、重症の強迫神経症者が、ある局面を迎えた時に(強迫神経症者との治療関係そのものが「臭い」関係になりやすいのだが)洗っても、洗ってもどうにもならないという話をしている最中、強い臭いがかもし出されたという経験がある。そして「自分が匂っています」という自己臭恐怖症の事例の話を聞くと、これらの感覚は本当の感覚というよりも、そう思って、なんとなくそう思えてくる。本当にそこで臭うわけではない、むしろ臭うという思いが臭いを作り出すのである。ここで言語表現と身体感覚は不可分である。少し難しい言い方だが、そう識別することから生じる再帰的な認識によって作り出された感覚、つまり人間関係が作り出した認識が感覚にまで影響する回路が言葉にはあるということである。その意味で、治療者がクライエントから、あの家族面接のなかで受け取った雰囲気は、一種の臭いであったと考えられないこともない。プルーストの『失われた時を求めて』のあの「夢うつつの旅」が、匂いを引き金として起こったことは銘記されてよいだろう。

  つまり強烈な物語がしばしば本当にある種の感覚を喚起するように、治療的な相互関係のなかでは、クライエントの語る物語そのものが、面接室の中で映し出すスクリーンそのものも、つまり背景をあぶり出すということが重要であり、それは治療者の体感や体験そのものに影響しているということなのである。

クライアント(患者)の精神が治療者に影響を与える逆転移。もし、自我がじゅうぶんに確立していない青少年が、ドラッグで破壊された精神や自傷行為を行う精神と接した場合、どういうことが起こるか、水谷さんの指摘はこういうことを意味しているのではないだろうか。

怪物と闘う者は、そのためおのれ自身も怪物とならぬよう気をつけるがよい。お前が永いあいだ深淵をのぞきこんでいれば、深淵もまたお前をのぞきこむ。(ニーチェ 著『善悪の彼岸/道徳の系譜』信太正三 訳、ちくま学術文庫、1993年)

つぎのAAは、もちろん逆転移を前提にして描かれているのだ。w

   _____
  ||// ∧_∧|∧_∧   自我境界線を溶かして
  ||/  ( ´・ω・)(    )  あゆが入ってくる気がする
  ||   (    )|(  ● )
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'

   _____
  ||// ∧_∧|∧_∧   ボクの中にあゆという部分が
  ||/  (n´・ω・(n    )  つくられてる気がする
  ||   (ソ  丿|ヽ ● )
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'

   _____
  || ノ ノ 人 ヾ |∧_∧   あゆの歌を聴くとボクの中の
  ||(リ℃)  ℃).(n´・ω・n)  あゆが泣いてる気がする
  ||.人""∀""ノ(     .)
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'

2006.07.24 | | トラックバック(0) | コメント(0) |












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