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こないだ読んだ、子ども向け歴史漫画は、中大兄皇子が聖徳太子の理想を追求するために、蘇我入鹿を暗殺したみたいに描かれてました。ほんまかいな。

と質問していたので、

律令国家の成立を目指すという点では、聖徳太子(厩戸皇子)も蘇我氏も中大兄皇子(天智天皇)もほとんど同じ。ただ、大王(天皇)家が主導するという点で、中大兄皇子は聖徳太子の「理想」を追及したと言えます。ただ、大王家にも対立があり、聖徳太子の一族を滅ぼすのに中大兄皇子の叔父である軽皇子(孝徳天皇)も参加してます。さらにいうと、律令国家って、貴族の合議で政治を決定するしくみなので、蘇我氏は滅んでも、代わって藤原氏が台頭し、実験を握っちゃうんだよね。w

と答えた。

これだけじゃ、律令国家がなんで貴族の合議体になってしまうの?って質問が出るだろうから、ここで説明する。

日本の律令国家は唐の律令国家をマネている。唐の官制は「三省六部」からなる。「三省」は、中書省・門下省・尚書省に分かれ、「中書省」は詔勅の起草、「門下省」は詔勅の審議、「尚書省」は詔勅の施行を行う。このうち、門下省が、門閥貴族の巣窟となっており、詔勅を修正したり、詔勅に拒否権を発動したりしていた。このため、皇帝の権力が貴族たちによって制限されていたのだ。中国では、「五代十国」の争乱で門閥貴族が没落した後(つまり宋から)、専制君主制が確立した。

これをモデルとしているので、日本の官制も貴族の合議体となっている。「二官八省」のうち「太政官」では、大臣・大納言・中納言・参議からなる議政官(公卿)が、諸司・諸国から上申される案件を審議・決裁し、重要政務を審議して「太政官奏」として天皇に奏上し、詔の施行に関わる。つまり、天皇は、すべてが貴族たちに決められた後、それを決済するだけなのだ。律令国家の初期には、天武天皇の皇子らが「皇親政治家」として政治に参加し、天皇の意向を反映させていたが、やがて貴族たちに独占されてしまう。

権威と権力は分けた方が政治体制は長持ちするようだ。古代国家は天皇が権威で貴族たちが権力をもち、中世国家は将軍が権威で御家人たちが権力をもった。もちろん、いちばん強い貴族である藤原氏や、いちばん強い御家人である北条氏が政治をリードした。近世国家も同じで、将軍が権威で譜代大名(老中)が権力を担った。後醍醐天皇とか、織田信長って感じの人は少ないね。

2015.03.25 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(2) |

和を以て貴しとなす。
聖徳太子は日本人の本質を言い当ててます。
でも、織田信長とか、ワンマンなカリスマに憧れる面もあり、
さりとて、現実にそういう人が出ると長持ちしない。
皆が認める権威が決裁して、実はその下で総意を取りまとめました、みたいなのが一番しっくり納まるのかな~。

2015.03.26 21:42 URL | cha-cha #- [ 編集 ]

その「和」ってヤツがなかなかくせ者で、責任を曖昧にしたり、少数意見を抑圧したり、誰も欲してない戦争に突き進んだりさせるんだよね。

2015.03.26 23:25 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]












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