オオカミ少年の話を書いた人が、こんどはソクラテスの話を書いていた。

 この「オオカミ少年」の他にも、曲解の有名な例としては、ソクラテスが哲学問答したことで社会の風紀を乱すとして死罪となった話がある。

 このことについて、彼が逃亡せず処刑されたことを、彼は信念に殉じたとされてきたのに、日本だけは勝手に違う解釈がされ、「悪法も法なり」と彼は言って自ら毒杯を飲み干したのだから、納得できなくても権力に従うべきだという話にしてしまった。


 この曲解の仕方は、オオカミ少年と同じである。尊厳と自覚を持たなければならないという話を、従順で隷属するべきだという真逆の話に変えてしまう。


 こういうことをさせるのは、いったい誰なのだろうか。

ソクラテスはなぜ死んだか

高等学校の地歴・公民科の「政治・経済」や「現代社会」の中で「悪法も法なり」という言葉が紹介されるのは、「法の支配」と「法治主義」のちがいを説明するときである。こんな感じ。

(1)人の支配から法の支配へ
 古代ギリシアの哲学者プラトン(前427~347)の「哲人政治」のように、人格・能力ともにすぐれた哲学者が国王となって国民を導くのは、能率もよく理想的かもしれない。しかし、歴史の教訓として、絶対的権力を一手に握った人物は腐敗し、私利私欲のために権力を濫用するようになる。そこで、このような恣意的な人の支配よりも、権力者の上に法をおき、権力行使もその法に従わなければならないとしたほうが、国民の自由や権利を確実に保障することができる。これを法の支配という。

(2)法の支配の発展
 イギリスはヨーロッパでは国王の権力が強い国であった。封建領主たちは、都市民の協力を得て、1215年に国王の権力を制限するマグナ=カルタ(大憲章)を国王に認めさせた。しかし、それを国王が無視したので、ブラクトンは「国王といえども神と法の下にある」と主張した。17世紀、エドワード=クック(コーク)が、コモン=ロー(全国に共通な慣習法をとり入れた判例法)は国王に優越すると主張し、「権利請願」を起草した。1642年からのピューリタン革命、1688年の名誉革命を経て、1689年に「権利章典」が出され、議会制定法が国王に優越することが確立した。こうして、法は国民の自由や権利を守るために権力者の権力を制限するものであるという原理が成立した。

 アメリカでは、1787年に世界最古の成文憲法であるアメリカ合衆国憲法が制定され、最高法規となった。そして、1803年のマーベリー対マディソン事件を契機に、最高法規である憲法に違反する法を裁判所が無効にできる違憲審査制が判例として成立した。

(3)法治主義
 イギリスやアメリカに対して、ヨーロッパ大陸諸国、とくにドイツで法治主義が発展した。法治主義は、「悪法も法なり」という言葉が表わすように、法律にもとづいてさえいれば、国民の自由や権利を圧迫してもよいという法律万能主義に陥ることがあった(形式的法治主義)。とくに、ナチス政権下では、国民の自由と権利を制限・抑圧する法が数多く制定された。そのため、第二次世界大戦後には、法は、国民の代表者が制定し、国民の自由と権利を保障するものでなければならないとする実質的法治主義に改められた。

「法の支配」とは、ゲルマン法起源の法理論(英米法)で、基本的人権を守るという「実質」のために、人民(の代表)が法をつくり、その法に従って権力が行使されることだ。「法治主義」は、ローマ法規源の法理論(大陸法)で、基本的人権を守るという「実質」がそもそもない。だから、戦後のドイツが、大陸法を基礎としながら、わざわざ「“実質的”法治主義」と言っているのは、基本的人権を守るためだ。この違いがわからない政治家が多く、気安く「日本は法治国家だ」などと言ったりしている。ホントに困ったものだ。

2016.02.21 | ├ 政治ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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