この記事を書いたときから、これについて書かなければならないと思っていました。

なんで、あゆは『Cawaii!』なんかにインタヴュー載せるんだ!

そしたら、こーちゃんがこんな記事を書いちゃったんで、ますます書かなきゃならなくなっちゃった。

"A song for ××"で「居場所がなかった」と歌ったayuが、遂(つい)に、"BLUE BIRD"で「ここには居場所があった」と歌ったことの意味。

そして、"Endless Sorrow (Gone With the Wind Version)"で、「僕に片方だけでも翼があれば君と一緒に」と歌った彼女が、この"BLUE BIRD" で、詞の脈絡まで丁寧に読まない人には気づかれないような「巧妙な」形で、「片方だけの翼を『もらう』」側に自分を立たせたことが、

どれだけ深い、彼女の、永年のayu ファンへの「暗号通信」か、わかってる人、どれくらいいるのかな...

見果てぬ夢か? ~浜崎あゆみ/"BLUE BIRD""Beautiful Fighters"によせて~(読みやすいようにかなり変えてあります)

「暗号通信」とは、なんか妄想系の人たちにありがちな傾向なんですが…。w まあ、「わたしはすでに浜崎あゆみである」と宣言しているこーちゃんですから、やむをえないのかも…。www

歌詞はつぎのとおり。

“A Song for ××”
“Endless sorrow ~gone with the wind ver.~”
“BLUE BIRD”
こーちゃんの記事に2点ほどイチャモンをつけると、1点は、"A song for ××"で「居場所がなかった」と歌ったとき、あゆはすでに「居場所」を見つけていたという点です。あゆの歌詞を読むうえで重要なものの1つに《時制》があります(これは千折さんの指摘)。つまり、「居場所がなかった」と過去形でいうときは、いまは「居場所はある」んだけど、そのとき(歌で歌われている時点で)は「なかった」と考えたほうがよいのです。

この居場所とは、安心していられる場所、信頼できる人々と共有できる場所、といった意味でしょう。この信頼できる人々とは、彼女を支えるスタッフや友人たち、あるいは最初から彼女を応援してきたファンかもしれません(当然、オイラは入っていないw)。

もう1点は、翼をもらったのは、なにも“BLUE BIRD”が最初ではなく、“Endless sorrow”のPVに〈落ちてきた羽をあゆが拾うシーン〉が追加されたので、これがはじめてというわけではないのです。

“Endless sorrow”(Video)


最後の2つの画像は、そもそものPVにはなく、“Dearest”のPV撮影と同時に砂漠で撮影され、あとから追加されたのですが、それについては後で言及します。

じつは、“Endless sorrow”の歌詞は、発表当時は上記のものではなく、つぎのようなものでした(青字はのちに変えられる部分)。

君にもし 翼が
残されてなくても
僕にもし 翼が
ひとつでも残っているなら
一緒に... 一緒に...

“Endless sorrow”

で、なぜこのような歌詞が書かれたなのですが、すでに多くの人が指摘しているように、彼女のベストアルバム“A BEST”と関係があります。

このアルバムの発表は、彼女にとって不本意なものであったらしいのです。当時、一部上場を果たしたavexとしては3月期決算を大幅な増収にしなければなりませんでした。そこで、わざわざ宇多田ヒカルのアルバムとぶつける形で、このアルバムが発売されました。彼女自身も、「自分は浜崎あゆみという人間ではなくて、組織の中の一部、 avexの商品なんだ」と思い知らされたのです。「居場所」がふたたび不明確なものとなってしまったわけです。

あゆは「それならここでとことん人間として生きてやれ、組織と戦ってやれ」と思ったわけですが、その直後のドーム・ツアー中に左耳の突発性難聴が再発しました。さらに、ステージから転落し、靭帯を損傷、痛み止めをうっての公演となりました。こうしたムリを重ねた結果、ツアー終了時には左耳の聴力をほとんど失うことになったのです。

しかし「とことん人間として生きてやれ、組織と戦ってやれ」という気持ちは、“Dearest”では、組織から逃げ出すPVと、ふたたび「居場所」が見つかる、という歌詞になっていくのです。

“Dearest”(Video)

Ah-出会ったあの頃は
全てが不器用で
遠まわりしたよね
傷つけ合ったよね

      (中略)
Ah-出会ったあの頃は
全てが不器用で
遠まわりしたけど
辿りついたんだね


“Dearest”

それと同時に、“Endless sorrow”も、例のシーンが追加され、歌詞も変えられました。

君にもし 翼が
残されてなくても
僕にもし 翼が
ひとつでも残っているなら
一緒に... 一緒に...
      ↓
君にもし 翼が
残されてなくても
僕にまだ 翼が
ひとつだけ残っているから
一緒に... 一緒に...


さて、これからが本論なんですが、「居場所がなかった。見つからなかった」あゆが、「居場所」を見つけたとき、彼女が歌いつづけていくのは、この《贈与》に対する《返礼》だからなのです。

この贈与と返礼について、内田樹氏は、つぎのように、その内面的な効果を論じています。

…それは、「人間は自分が欲しいものは他人から与えられるという仕方でしか手に入れることができない」という真理を人間に繰り返し刷り込むことです。

  何かを手に入れたいと思ったら、他人から贈られる他ない。そして、この贈与と返礼の運動を起動させようとしたら、まず自分がそれと同じものを他人に与えることから始めなければならない。それが贈与についての基本ルールです。

  レヴィ=ストロースによれば、人間は三つの水準でコミュニケーションを展開します。財貨サーヴィスの交換(経済活動)、メッセージの交換(言語活動)、そして女の交換(親族制度) です。どのコミュニケーションも、最初に誰かが贈与を行い、それによって「与えたもの」が何かを失い、「受け取ったもの」がそれについて反対給付の責務を負うという仕方で構造化されています。それは、絶えず不均衡を再生産するシステム、価値あるとされるものが、決して一つところにとどまらず、絶えず往還し、流通するシステムです。

  しかし、この説明だけでは人間的コミュニケーションの定義としては足りません。というのは、婚姻規則に典型的に見られるように、反対給付は二者のあいだでピンポンのように行き来するのではなく、絶えず「ずれてゆく」からです。ある男Aが別の男Bから「その娘」を妻として贈られた場合、その男Aは「自分の娘」を男Bに返礼として贈るのではありません。別の男Cに贈るのです。
 「パートナーたちは、自分が贈った相手からは返礼を受け取らず、自分が贈られた相手には返礼をしない。あるパートナーに贈り、別のパートナーから受け取るのである。これは相互性のサイクルであるが、一つの方向に流れている。」(『構造人類学』)

内田樹 著『寝ながら学べる構造主義』
(文春新書、2002年)


彼女が27歳にもなって、『Cawaii!』のような10代の女性が読むようなファッション雑誌に自分の経験や価値観を書き続けているのは、10代の少女だった自分、そして、かつての自分と同じような少女たちに「伝えたい」と思っているからなのではないでしょうか。

君に届くようにと
こうして歌い続けているよ

さよならの代わりに
この歌をココへ置いて行くよ
また逢える時まで
諦めないで歩いていてね

君に届くようにと
こうして歌い続けているよ
また逢える時まで
諦めないで歩いていてね
その時はいつもの笑顔を見せてね

僕は君へと
君は誰かに
伝えて欲しい
ひとりじゃないと


浜崎あゆみ“Replace”




  レヴィ=ストロースの構造人類学上の知見は、私たちを「人間とは何か」という根本的な問いへと差し向けます。レヴィ=ストロースが私たちに示してくれるのは、人間の心の中にある「自然な感情」や「普遍的な価値観」ではありません。そうではなくて、社会集団ごとに「感情」や「価値観」は驚くほど多様であるが、それらが社会の中で機能している仕方はただ一つだ、ということです。人間が他者と共生してゆくためには、時代と場所を問わず、あらゆる集団に妥当するルールがあります。それは「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルールです。

  これはよく考えると不思議なルールです。私たちは人間の本性は同一の状態にとどまることだと思っていますし、ものを手に入れるいちばん合理的な方法は自分で独占して、誰にも与えないことだと思っています。しかし、人間社会はそういう静止的、利己的な生き方を許容しません。仲間たちと共同的に生きてゆきたいと望むなら、このルールを守らなければなりません。それがこれまで存在してきたすべての社会集団に共通する暗黙のルールなのです。このルールを守らなかった集団はおそらく「歴史」が書かれるよりはるか以前に滅亡してしまったのでしょう。

内田樹、前掲書

2006.08.17 | Ayu(浜崎あゆみ) | トラックバック(0) | コメント(8) |

 どうも、真っ正面から批判して下さったことに感謝するために現れましたこういちろうです。

なるほど、と感じさせていただける面がありました、ありがとうございます。

 本日、私のブログへおいでいただいた方の3パーセントはこちらから来ていただいた方でしたから(^^)

 まあ、私が少なくともフォーカシングにおいて「背負いたくもなかった、頂点に立つものの苦しみ」をホントに背負っているかどうかはご判断できないでしょうから。

 ただ、いずれにしても。ayuは好きで歌手になったわけではない、ということは、いろんな証言から言い尽くされていますよね。

 ayuが新たに見つけた「居場所」というものそのものは、見つけて安堵できるような場所ではなかった。それでも、みんなに期待され、avexの株価の動向を握っていたから、歌い続けねばならないことに苦しみ続け、何度も逃げてしまいたくなった。(このへんの本音は"Season"マキシの「歌え!!」リミックスで著名ですよね)。

 そして、自分が新曲を出すとayuファンが大挙してアルバムを買いに走り、連続1位が続くことを「何か違う...」と感じていたことも、雑誌での公式発言にありますよね。

 今や、avexの株価を支えているのはayuではなくなりました。むしろ後進たちが稼いでくれる分、マイ・ペースを保てばよくなった分、自由になったとも言えます。

 ただ,コンサート収入ではどうにもこうにも「稼ぎ頭」だという点では経済的にまだ期待されているでしょうが。

 だから、CD発売は、「コンサートに来てもらいための宣伝活動」ぐらいでいい状況になっているのだと思います。だからこそ、あそこまで気前よく、iTune Music Storeで過去にさかのぼり、ほぼすべての曲を購入できるようにする「気前のよさ」を発揮している。

 ただ、少なくとも、"My story"に収められる作品作りの頃から、2つの問題が生じて来ていた。

 ひとつは、もはや公然の秘密と化した父親の死、(これまでは否定されませんよね。ファンクラブ会報を素直に読めばそうなる )2年前のツアーで"teddy Bear"と"mamorial address"を連続して歌ったのが完璧に意図的だし、トキュメンタリーで福岡にいくことを"ayuの方から"提案したのも、むしろ番組を「利用して」、子供時代の自分の気持ちに整理をつけるため。

 そして、その直後にそしてそれと並行して、「自分自身の恋愛問題」にひとつのけじめをつけてしまうこと。

 もうひとつは、ずっとつきあって来た音楽スタッフを入れ替えて新陳代謝すること。この点で"My story"は、明らかにその転換点ゆえの危うさととなりあったアルバムでしょう。

 そこまでやって、やっとayuは、「過去」を清算し、コンザートで以前恒例だった曲を次々切り捨て、古くからのファンを切り捨てる形になるのを覚悟で、「現在進行形」で「今」を生きる余裕が生じるようになった。

 そして、王子のきつねさんも言われた通り、自分自身は過ぎ去った十代を生きる新しい世代のための曲作りをするようになった。

 "Lady's night"に、新しいマキシの方で別歌詞バージョンまで作るこだわりはまさにその反映ですよね。

 ,,,私は知らなかったのだけど、そうですか、十代の女の子のための雑誌には登場し続けてるんだ。何かすごく自然な心境に思えました。

 ところで、新作のPV2本で、ayuはついに自分を"ダンサーたちに埋もれる"one of them"であるかのように、明らかに意識的に描き出したことの意味については、いかにお考えでしょうか?

 以上、「思い込んで」傷つく方が「思い込まないように」慎重に生きるより、実際には「経験値」が増し、人生のチャンスは広がることが多いでしょ? 脱錯覚の「スリル」を犯さんと、なにも人生面白くない!!....がポリシーのこういちろうより。

 ケン・ウィルバーやレヴィ=ストロースのような

「難しい言葉は何もいらない」のかも(爆)

お互い、肩の力、抜きましょうね。自戒を込めて。

2006.08.18 03:30 URL | こういちろう #3y1.48P. [ 編集 ]

長いコメントありがとうございます。

だいたい“memorial address”で“Endless sorrow”(歌ではない)が終了したな、と見る点では、ちがいがないのかなぁと思いました。


さて各論ですが…、

>"Lady's night"に、新しいマキシの方で別歌詞バージョンまで作るこだわりはまさにその反映ですよね。

“another night”って別歌詞バージョンなんでしょうか。
オリジナルの歌詞のコピペから
>(これって)よくあるパターンなんだけど
の「これって」を削っただけですけど…。

>自分自身は過ぎ去った十代を生きる新しい世代のための曲作りをするようになった。

の反映でもないような気がするんですけど…。どっちかというと、彼女のお友だちがこのような状況になっている(いた)のではないかと…。

(時系列的には逆だけど、)オイラは、この歌を聴くと、ホリエモンがパクられた後、“みかじょん”が、ブログ内容をマスコミに報道されて、ヒドイ目にあっていたことを思い出すんですよ。

>つまり常に見る目ナシ

みかじょんが「常に」そーだとは思えないんですけど、今回の事件はそーだったなぁと…。


>ところで、新作のPV2本で、ayuはついに自分を"ダンサーたちに埋もれる"one of them"であるかのように、明らかに意識的に描き出したことの意味については、いかにお考えでしょうか?

“Beautiful fighters”は、“s”がついているくらいなので、そのとおりだと思います。ただ、この手の歌に対する男性のコメントはだいたい的外れなものが多いので、あまりコメントしたくないのですが…。

ただ、“BLUE BIRD”のほうは、彼女の意図なんでしょうかね。彼女が全体的な構想を監督に提示して、個々のシーンは監督がつくっていくって感じの作業だと思うんですが…。このPVではないんですけど、“Making”を見ていると、監督からどう動いたらいいかを指示されているシーンがいっぱい出てくるんで…。


オイラは、彼女が、意図的に何かしようと思っても、そのとおりにはならず、むしろ、つぎつぎ起こってくる出来事に翻弄されてるのが「ドラマだなぁ」って思ってるんですけど…。オイラの人生にはドラマがないから…。w


あと、難しい言葉を引用するのは、それで権威づけしようとしてるのではなく、人間の思考なんて大したものでなく、他者のディスクールのコピペにすぎない、ということを自覚しているからです。w

2006.08.18 16:36 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]



> 人間の思考なんて大したものでなく
> 他者のディスクールのコピペにすぎない、

ayuに対して限らず、よく、歌詞やメロディが「他の人のパクリだ」と騒ぎ立てる奴がいるけど、そういうのを読むと、バカバカしいとしか思えない。特に音楽なんて、現代音楽を別にすれば12の音の組み合わせでしかないのだから、似たのが山ほど出て来て当然。

ただ、私は、「ディスクールのコピー」と「オリジナル」という二項対立の図式そのものが、西洋哲学の限界そのものだし、西洋人の自我の限界と危機の象徴と思ってます。

 私は、ある言語に個人が込める含蓄はたいへん「自閉的な」面があって、その「自閉的な」暗黙の含蓄は、他者と共有できる意味に「翻訳」不能という立場。つまり、ディスクールというものがあるというのが実はillusionという立場に近い。

 ayuの言語使用には、そういう面が強くて、だからだれもが勝手な理解ができる。でもそれが、自分の中の言葉にならない「何か」をayuが自分のためだけに言葉にしてくれたというillusionを呼び起こす。

 だから、実は、「どういう意図で」その歌詞を書いたかなんて、他人に探り当てられ、「一意的に特定」もできない。

 ayu本人ですら、なせそういう作詞をしたのかとあとで尋ねられても「その時点での思いつき」を述べているだけ。ま、極論すれば「憑衣状態」で巫女が口走る言葉みたいなものでしょう。

"Humming 7/4"って、そのへんへの本人の率直な思いが出てる気がする。

「期待された言葉も用意してるけどね」

なんたあたりまでの部分。

あの歌詞聴いて、ayuがまるで

「あのドキュメンタリーで話したことなんて、○○○○○が書いてたことの『ただのパクリ』でドキュメンタリーをまとめようとした制作スタッフに、かわいそうだから一応あわせてあげただけなの!!」

と言ってるみたいで、(まあ、これも私の思い込みかもしれないが)、私は最初聴いて「笑い転げた」のですが。

でも、彼女、「あの人」に菩薩様にまで神格化されたこと、ありがた迷惑だったのは、間違いないと思ってます。

私がウェブサイトで公開しているけど、「もったいないから教えたげない」と書いている「我が内なるayu」とのタイタニック船上での対話の中身とは、実はそのことなんですが(爆)

などと、自分のサイトでは「公式発言」を控えていることまでこっちで書いちゃって、ごめんなさい(^^)

結局、ロゴスははじめにありき、で、一神教的な「神の視点」に人間がたとうというあがきというかね。

 恐らく、ウィトゲンシュタインの後期(自然言語学派は)は、それをすらも乗り越えようと云う必死のあがきなんだと思う。 

 ayuのPVについては、「今回の2本のPVでayuの認識に何か決定的な生じたと感じるか」というあたり、多くの人の間主観的合意が生じるかどうか、様子をみたいと思います。

2006.08.19 12:17 URL | こういちろう #3y1.48P. [ 編集 ]

オイラも、テクスト論者なんで、オリジナルの特権的地位を認めているわけではありません。「引用であることを自覚的でありたいため」と言ったほうがよかったかもしれません。
   ↓   ↓
http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-715.html

彼女の使う言語は、たぶん「詩的言語」と呼ばれるもので、圧縮と移動によって夢がつくられるのとよく似た「できかた」をしていると思います。

こんな感じですかね。

《潜在歌詞の圧縮》
           A      B      C
        ───→───→───→顕在歌詞(歌詞内容)
           ↑    ↑      ↑
   ┌───┘    │      └───┐
   │            │              │
   A     D     B     E     C
───→---→───→---→───→潜在歌詞
                             (歌詞思想)

ない部分(DとE)を補わないと解釈できないので、本人でないとほんとうの意味はわからない。一方、人によって受けとり方が異なるので、多義的になる。

《複数の潜在歌詞がひとつに圧縮》
           A      B      C
        ───→───→───→顕在歌詞

           A
        ───→-------→潜在歌詞(1)

                  B
        ----───→---→潜在歌詞(2)

                          C
        --------───→潜在歌詞(3)

“PSII”とか“Duty”はコレっぽい。

《上記の複合》
           A      B      C
        ───→───→───→顕在歌詞

           A             C
        ───→----───→潜在歌詞(1)

                  B
        ----───→---→潜在歌詞(2)

逆に“teddy bear”と“memorial address”は、1つの潜在歌詞が2つに顕在化したもの、なのでしょう。

           A      B      C
        ───→───→───→潜在歌詞

           A
        ───→-------→顕在歌詞(1)

                  B
        ----───→---→顕在歌詞(2)

                          C
        --------───→顕在歌詞(3)

“two of us”、“monochrome”、“HANABI”も仲間かもしれない。

まあ、あくまでも仮説ですが…。w


“Humming 7/4”の解釈はちょっとちがってて、彼女の立場って「外から見るほど(゚∀゚)イイ!もんじゃないよ」ってことのような気がします。

よくいるんですよ。「あゆになりたい」っていう人。過去に3回くらい、そんなカキコを見ました。「なにも失うことなく、あの地位にいる」って思ってるんでしょうね。オイラは絶対なりたくないなぁ。w

こういちろうさんは「あの人」にこだわりすぎですよ。たしかにあの人ヘンですけど…。「キリスト教原理主義者なんていない!」って断言してるもんなぁ。ギンちゃんの立場がない。w
   ↓   ↓
http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-700.html

「タイタニック」捜そうとしたけど、検索機能がないんですね。googleで捜したら、一発で見つかりましたが…。


さいごに「今回の2本のPVでayuの認識に何か決定的な生じたと感じるか」ですが、“AUDIENCE”あたりから、ああいう感じだったんじゃないかと思います。

>さあ両手を広げて
>一緒に手を叩いて歩こう
>走り出す時には
>ここへ来て共に始めよう

>別に誰より先を歩いて行こう
>なんて気持ちはなくってね
>だからと言って誰かの後ろから
>ついていくワケでもないけどね

これがわからないと、“forgiveness”の

>僕達はほんの
>点でしかなく
>全てでもあって

>いつの日かそれが
>結び合って
>線になるのなら

がわからない。w

彼女がつくっているのは個々の「作品」ではなく、膨大な「テクスト」なんだなぁって、考えてる今日この頃です。w

2006.08.20 16:49 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

 この歌詞の構造分析のやり方は、全く持って興味深かったです。言語論的な仮説としては、まさにこうしたあたりを念頭において浜崎あゆみの歌詞を読まないとならないと思いますVV

 Humming7/4についても、王子のきつねさんの解釈のラインでいいのかな。私はちょっと「あの人」から自分を「脱洗脳」するための「自己治癒」だけで壮絶なエネルギー食っちゃったから。

 そう、ayuの立場なんて、何もうらやましいものじゃない。普通なら、人間としてやってられない。でも、状況として降りられない。もう、いけるとこまでいくしかない。

 "alterna"をはじめて聴いた時、彼女のような立場で生きることの苦悩の深さに,ちょっと鳥肌立ちました。

 "two of us"って、何か、すごくayuらしくない歌と思ってます。他の歌手がああいう詩で曲書いたら全く「当たり前の」曲になるのに。ayuのあの曲は「痛過ぎる」。よく引き合いに出される同居していた女の子との歌として見るだけではとらえきれない。

2006.08.21 08:04 URL | こういちろう #3y1.48P. [ 編集 ]

“two of us”って歌詞でしか知らないんですよ。“Depend on you”の(マキシ)シングルがなかなか見つからないので…。

彼女は声にコンプレックスがあるじゃないですか。「きれいな声」の女性って、お父さんと暮らしていた女の人なんじゃないかな、と思うんですよ。

「あの人」のサイトに出入りしてる千折さんているじゃないですか。彼、地元なんで(こういちろうさんは元・地元w)、いろいろ情報をもってるんですよ。教えてくれないけど…。「お父さんは、離婚したけど、いなくなったわけじゃないよ」なんて某サイトで書いていたんで、たぶん電話くらいかけたんじゃないかと思います(彼女は言わないけど…。まあ、言う必要もないけどね…w)。

あと、「空飛ぶ焼きそばパン」のおばさんがいるわけだから、お父さんの行方をぜんぜん知らないはずないんだよね。

あゆファンって若い人が多いんで、離婚したら、親子関係まで消滅すると思ってるんですよ。現行民法だと絶対ありえない話なんだけど…。人が死んだとき、さまざまな法手続きのため、親族を徹底的に探し出すことを知らないんだよなぁ。

「名前呼ぶ声」と「髪をなでるその指」って提喩は、歌詞に繰り返し出てくるでしょ。後者は、恋人というより、お父さんでしょうね。

この歌のあつかい、お祖母ちゃんの“ever free”と同じあつかいだし…。

まあ、こーゆー「語りえぬことについては、沈黙しなければならない」(by ウィトゲンシュタイン)なんでしょうけど…。(爆)

2006.08.21 16:52 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

全く同感。

東京に親戚だっているんだし、全く音信不通はありえない。親子の縁は夫婦の縁より深いものです(^^;;;;)

>“two of us”って歌詞でしか知らないんですよ。
>“Depend on you”の(マキシ)シングルがなかなか見つからないので…。

 ayu自身がオリジナルのフルアルバムに入れなかった「秘曲」のひとつですよね。

 あのメロディーは、聴いてると、ホント、「くる」モノあります。「あゆ・みっ・くす」に、オリジナルよりむしろ味わい深いぐらいのは入ってます。カラオケにもあります。

一度聴くと「決して」忘れませんよ。

2006.08.22 00:56 URL | こういちろう #BXy/Vbyc [ 編集 ]

情報ありがとざんす。w

2006.08.22 01:33 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]












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