VI. 中国の社会主義


1.中国経済の混乱と停滞


  1840年のアヘン戦争勃発以来、中国では列強の侵略と国内の混乱が続き、1949年に社会主義国である中華人民共和国が成立した。

  中国共産党は、土地革命を実施して、大地主から土地を没収し、「耕す者がその土地をもつ」という自作農制がひとまず施行された。そして、農家どうしの共同組織として農業合作社の設立・共営が奨励された。1958年から毛沢東の指導のもとに、急速な工業化がはかられ、大躍進と呼ばれた。農村では、地域を単位とする住民全員で構成される人民公社に編する運動が展開された。

  しかし、現実を無視した急速な工業化は失敗し、それに自然災害も加わって、60年代には中国の経済建設は著しい停滞に直面した。毛沢東は国家主席の座を劉少奇に渡し、鄧小平ら「実権派」による経済発展がはかられた。

  毛沢東とその側近は、1966年、学生など若い世代に革命の意義を学ばせるという趣旨で、文化大革命を開始した。紅衛兵と呼ばれた若者たちは、「造反有理」を合い言葉に、「実権派」を批判し、彼らを失脚させた。文化大革命は、その後、10年間にわたって展開され、合理主義否定、技術軽視の弊害をもたらし、いたずらに伝統文化を破壊して終わった。


2.改革・開放路線


  1976年、毛沢東が死ぬと、側近も失脚し、代わって実権を握った鄧小平は、農業・工業・国防・科学技術の「四つの現代化」推し進め、人民公社は廃止された。先進資本主義国の企業がもつ資本や技術を導入して経済発展をはかる改革・開放路線が採用された。

  (1)生産責任制…1982年以後、農家に生産を請負わせる「包幹到戸(ほうかんとうこ)」と、農家が耕作を請負って超過分を農家の収入とする「包産到戸」が行われた。その結果、「万元戸」とよばれる富裕農家も生まれ、農民の勤労意欲と食糧生産は向上した。

  (2)経済特区…1979年から、南部沿岸の厦門(アモイ)・仙頭(スワトウ)・深■[土へんに川](シェンチェン)・珠海(チューハイ)・海南(ハイナン)省の5地域を指定し、外国資本の進出をうながした。外国資本との共同出資企業(合弁企業)が認められ、香港などの華人資本や日本資本が進出した。

  (3)郷鎮企業…国営企業に対して、地方行政機関である郷や鎮、さらに個人が経営する中小企業である。1984年ころから農村の余剰労働力を吸収して急増した。


3.社会主義市場経済


  1993年の憲法改正で、社会主義市場経済が採用され、市場経済が本格的に導入されることになった。株式会社の設立や株式の売買もさかんになり、各産業部門では、生産物が市場で取り引きされ、価格もそこで決められようになった。その結果、高い経済成長を達成し、「世界の工場」としての役割をはたすようになっている。

  1997年にイギリスから香港が、99年にポルトガルからマカオが返還された。これらは、特別行政区と規定され、50年は資本主義経済が認められる「一国二制度」となった。

  しかし、一方で貧富の格差の増大、とくに都市と農村の格差や、経済犯罪、汚職の増加、環境破壊などの問題も大きくなっている。


4.ベトナムのドイモイ


  ベトナムは社会主義国であるが、1986年からドイモイ(刷新)とよばれる開放政策を採用した。個人経営を認め、食品や生活消費財の生産を重視した結果、急速な経済成長を遂げている。

2016.05.04 | ├経済の基本 | トラックバック(0) | コメント(0) |












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