…と「中東TODAY」の佐々木義昭氏が報じている。ちょっと長いが、明らかなマチガイを直して、引用する。

7月15日にトルコの都、イスタンブール市で起こったクーデターは、どうも胡散臭い感じがする。あまりにも簡単に始まり、あまりにも手際よく終わってしまった、ということが、第一の疑問点だ。

そして、クーデターがまだ鎮圧しない段階で、エルドアン大統領はバカンスを楽しんでいたマルマラから、飛行機でイスタンブール市に、乗り入れたことだ。勇敢であると言えばそれまでのことだが、通常は何処かに身を隠して、指揮を取り、クーデターに参加した将兵を押さえ込んで、鎮圧が完了してから、出て来るのが普通であろう。

しかし、彼はクーデターの途中で、イスタンブール市に入り、義理の子息ベレト氏と一緒に、記者会見の席に就いている。そのベレト氏はニコニコしながら、その席に座っていた。これも勇敢であると言えばそれまでだが、あまりにも不自然ではないか。

エルドアン大統領はトルコ国民に対して、街頭に出てクーデターに反対のデモを行え、と檄を飛ばしている。もし、このクーデターが本物なら『自宅に留まって街頭には出るな・危険だ。』と言うのが普通であろう。エルドアン大統領は国民を犠牲にして、クーデターを止める気だった、とは思えない。

こうしたことを考えると、今回のクーデターは権力側によって、仕組まれたのではなかったのか、という疑問が沸いてくる。そもそも、8月には陸海空三軍の合同会議が、アンタルヤ市で開催される、予定であった。その席では、クーデターの相談が行われるのではないか、という情報が私のところには、届いていた。

エルドアン大統領は陸海空の将軍たちが、クーデターを起こす前に、擬似のクーデターを起こし、本物のクーデターを行わせない、計画だったのではないか。今回のクーデターが失敗に終われば、世界各国はクーデターを、非難するのは国際常識だ。それで本格的なクーデターを、押さえ込んだのではないか、ということだ。

そして、今回のクーデターを理由に、エルドアン大統領にとって、不都合な、あるいは非友好的と思われる軍の幹部を、クーデターに関与していたとして、根こそぎ逮捕、投獄、あるいは更迭、首切り、左遷してしまうのではないのか、という疑問が沸いてくる。

その後のエルドアン大統領の、トルコ国内における権力は、絶大なものとなることは、至極当然の結果であろう。今回のクーデターを理由に、軍だけではなく、警察、検察、裁判官そして国会議員からも、逮捕者が出るのではないのか。それは時間が経てば、明らかになることだ。これは推測だが。

NO4196『トルコのクーデターの裏側・最大の推測だが』 [2016年07月16日(Sat)]



今回のクーデターに絡んで、トルコでは300万人の国家公務員に、足止め(出国国内移動禁止)を命令し、2800人の軍人を拘束し、6000人が逮捕され、その中には判事、検察官、警察官などが含まれている、などなど。多数の逮捕者を出し、多数が追放され、あるいは左遷されている。

挙句の果てには、トルコ政府はアメリカに亡命している、ギュレン氏をアメリカ政府に対して引き渡すよう、正式に交渉を始めているということだ。もし、アメリカがギュレン氏を、エルドアン大統領に引き渡すことになれば、当然死刑の判決を下すことになろう。

その裁判が公正であるか否かなど、全く問題にはなるまい。クーデターを裏で仕掛けた男、という一言で最重大犯罪者ということになるからだ。トルコ国民の多くは、クーデターに対する敵意から、エルドアン大統領のギュレン氏に対する対応を、全面的に支持することになろう。

こうした大イベントの後では、国民は酒に酔ったような状態になるのだから、冷静な判断など、ほんの一握りの人たちにしかできまい。しかし、その人たちが冷静な判断を口にしたりすれば、彼もギュレン派とみなされ、逮捕されることは間違いない。

NO4197『偉大なネオ・オスマン帝国皇帝の誕生は夢』 [2016年07月19日(Tue)]

逮捕者の中には、大学教授や学校の教員も含まれており、そのような人たちがクーデタに参加するとは思えない。クーデタそのものがヤラセかどうかわからないが、それを利用して自らの反対派を一掃しようとするエルドアン大統領の陰謀・謀略の臭いがする。

2016.07.20 | ├ 政治ネタ | トラックバック(0) | コメント(2) |

・・・だとすれば、47人もの死者を出したのは酷なやり方ですよね。、

2016.07.20 11:45 URL | chitose #BXy/Vbyc [ 編集 ]

トルコ共和国は、ケマル・アタチュルクが指導したトルコ革命で成立し、世俗化が進んだ国で、その最大の担い手が軍でした。エルドアンは、宗教(イスラム)政党の党首で、トルコのイスラム化を進めていて、しばしば軍と対立していました。エルドアンは「イスラム国」にも協力的で、ヨーロッパの若者はトルコを通って「イスラム国」に行けたのです。国民の多くはイスラム教徒で、イラン革命後、イスラム復興主義の力が伸びており、エルドアンもそのような流れの中で首相→大統領となったのです。もともと独裁的なエルドアンが、これを機にますます独裁色を強めるのは、気分の良いものではありません。

2016.07.20 21:10 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]












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