いつものことだけどね。w

  タレントのデヴィ夫人(76)が「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)でもおなじみの北村晴男弁護士(60)に「ガチ切れ」した。

  バトルが繰り広げられたのは、2016年10月17日放送の「好きか嫌いか言う時間 3時間SP」(TBS系)。インドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人であるデヴィ夫人に対し、北村弁護士がある言葉を放ったことがきっかけだった。

     (中略)

「(スカルノ元大統領には)第1夫人もいたんだろ!」

デヴィ夫人「いい気になるんじゃないですよ!」 北村弁護士にブチ切れ

デヴィ夫人の言い分はこうだ。

  曰く、スカルノ元大統領は2度の離婚を経験し、3度目の結婚相手が「第1夫人」となった。その後2人は別れることになったが、スカルノ氏は授かった5人の子供のことを思い、離婚ではなく別居という形を選択した。4度目の結婚相手(第2夫人)は国民から拒否されため、スカルノ氏はまたもや別居することに。そこで現れたのが5度目の結婚相手であるデヴィ夫人(第3夫人)だった。

  つまり5度目の結婚時点で、他の妻との関係はすでに終わっており、デヴィ夫人が大統領官邸で他の妻と一緒に住むようなことはなかったという説明だった。

このデヴィ夫人の話、半分はホントで、半分はウソ。Wikipediaの「スカルノ」の項目には以下のように書いてある。

第一夫人:ファトマワティ(1923年-1980年)

  五子をもうける。スカルノのハルティニとの結婚に抗議し、1953年に別居。ハルティニとの結婚が暴露された後、女性団体の抗議を後ろ盾に離婚を望んだが果たせなかった。国民に人気があり、別居後も大統領夫人の称号は保持された。ブンクルの空港や病院、通りなど彼女の名前を冠している物が多数ある。

第二夫人:ハルティニ(1925年-2002年)

  石油会社の職員の妻だったが、不倫関係の後、夫と離婚し、1953年にスカルノと秘密裏に結婚。スカルノとファトマワティとの別居後、実質的なファーストレディーとして権勢を誇ったが、人気のあったファトマワティに同情的な国民からは常に不人気であり、大統領夫人の称号とスカルノとの間にもうけた2子に対してファトマワティとの5子以上の待遇を求めたという風評から、1963年形式的に別居したが、失脚後のスカルノに連れ添った。インドネシア共産党と関係が深かったとされ、1968年にはスハルトによって、一時逮捕、拘束されている。

第三夫人:ラトナ・サリ・デヴィ(1940年- 日本名:根本七保子、タレント)

  一子をもうける。

ダンサー出身のある夫人に説明に「ハルティニ、ラトナ・サリ・デヴィとの結婚が国民の間で不興を買ったことから、1963年に秘密裏に結婚したとされる」とある。つまり、第一夫人以外の女性を夫人にしたことで、国民から不興を買ったので、デヴィ夫人以降は、数人の女性と関係をもち、子どもまでつくったが、夫人にしなかったのだ。

デヴィ夫人の脳内では自分が「大統領夫人」なのだろうが、インドネシア国民はそう思っていないということだ。実際、スハルト政権が倒れた後、インドネシアで要職に就いているのは、大統領となったメガワティを含む、第一夫人の子どもだけである。

2016.10.19 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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