歴史学者・田中希生氏は「真」という言葉が好きだな。






以前、事実と真実のちがいを論じたことがあった。

「ほんとうのこと」という意味では同じだが、「事実」は価値や意味を排除し、「真実」はそれをともなう。「事実」は、現実的・実在的なものとして想像・幻覚・可能性などに対し、また経験的に与えられている現象として理想・当為・価値に対する。これに対して、「真実」は、“まこと”の事実なので、理想・当為・価値が入り込んでいるのだ。

事実と真実

歴史を静態的=共時態的に捉えた場合(これは歴史学というよりも哲学だが)、今この時点での事実と真実があることになる。一方、歴史を動態的=通時態的に捕えた場合(これが歴史学では一般的だ)、「史実」という言葉がある。これには2つの意味があって、過去に起きた出来事という意味と、歴史家が記述した出来事という意味だ。

過去に起きた出来事は、個人に認識できないくらい多く、それ自体は無秩序で意味を持たない。一方、歴史家が記述した出来事は、歴史家の歴史観に基づいて選択され、歴史像のなかに組み込まれ、一定の意味を付与されている。

19世紀の歴史家は、過去に起きた出来事としての史実が積み重なれば、自動的に歴史像が描けると信じていた。いわゆる素朴実証主義だ。しかし、20世紀に入って、歴史像は何らかの歴史観なしには描けないことが明らかになった。その歴史観として、最大のパワーを持ったのがマルクスの唯物史観=史的唯物論であった。

ところが、1970年代に明らかになった社会主義の失敗、1980年代の東欧革命、そして1991年のソ連崩壊で、唯物史観の有効性に問題が出てきた。その結果、歴史学者は再び実証の方向に舵を切ったわけだが、それが気にくわない歴史学者はいる。

田中希生氏は、理想・当為・価値を排除しようとする現在の歴史学のあり方に憤りを感じているようだ。そのキモチは分からないでもないが、「オフコースなんて聴いてるお前は問題意識のないヤツだな」などと罵られたことがあるオイラとしては、いやいやそうなるだけの歴史的出来事の積み重なりがあるんだよ。←と言いたいね。

2016.11.26 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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