伊東乾氏の書いた記事を読んで、たいへん残念なキモチになりました。w

 古代人にとって金属器は極めて貴重で、そんじょそこらに落ちているようなものではなかったわけですね。縄文時代は言うまでもなく、弥生、古墳、飛鳥時代でも、日本の農民は基本、オール木製の農機具が基本だったと考えて外れない。

 飛鳥から奈良期にかけて、日本全国の土地支配体制が体系化、一新されていきます。全国に「国衙」つまり中央支配の国府が置かれ、彼らが地方の農民を支配、徴税するシステムを確立していった。

 でも、日本全国の農民は、どうしてそんな、奈良や飛鳥の中央貴族の言うがままに搾取されていたのか。反乱を起こして税金など拒否すればいいじゃないですか。

 古代中央貴族はテクノロジーの権利料で地方農民を搾取していたんですね。現実には金属製の農機具、これを貸与した。

 古代農民は、木製とは比較にならない高能率で仕事が進む農機具を毎朝役所から借り、夕方には洗って戻さねばならなかった。

 木炭その他を用いた、大陸由来の冶金テクノロジーの権利料支配が「班田収授」を支え、また鉄器だけでは耕地面積は広がらないので「三世一身法」などで開墾、新田開発を促した。

 しかし、公営の土地以外では金属製農具の使用は禁じられていたので、私営田では相変わらず、非能率な木製農具が使われていた。

 日本国内で古代から栄えた土地、大阪でも京都でも奈良でも、あるいは博多でも大宰府でも秩父でも常陸でも相馬でも同じことですが、木製の粗製農具でもどうにか耕作ができるくらい、軟弱な地盤でなければ経済そのものが成立することがなかった。

博多の陥没と地震災害が教える貴重な日本史 日本人はなぜ軟弱な地盤の上に住んでいるのか

《縄文時代は言うまでもなく、弥生、古墳、飛鳥時代でも、日本の農民は基本、オール木製の農機具が基本だったと考えて外れない》←これはマチガイ。

鉄は、朝鮮半島からの輸入品だったが、日本国内で火入れ・加工されて利用された。北部九州では紀元前1世紀頃にかなり普及しており、それ以外の中国・四国・近畿以東でも紀元後1世紀には普及していた。6世紀以降になると、国内での生産がはじまった。

《古代農民は、木製とは比較にならない高能率で仕事が進む農機具を毎朝役所から借り、夕方には洗って戻さねばならなかった》←これは司馬遼太郎の『街道を行く』第7巻(朝日新聞社、1979年)に載っているんだけど、史実をもとに書いたのかよくわからない。

林正之「古代における鉄製鍬先の研究 ―7世紀後半~11世紀の関東・東北を中心に―」を読むと、最後の方に「鍬先出土遺跡一覧」が載っていて、鍬先の出土は、1980年代以降がほとんどで、1970年代以前がほとんどないことがわかる。司馬の文章は、このような出土状況のとき、書かれたものだと思った方がよさそうである。

林論文によると、8~9世紀(奈良時代から平安時代初期)、鉄製鍬先の生産・流通に国家や国家に結びつく勢力が関与していたことは、規格が統一されたU字型の鍬先が南東北と関東で出土することから分かっているが(北東北では独自の鍬先が使われ続けた)、鉄製鍬先がついた農具が、図書館の本のように、いちいち貸出・返却されていたかは分からない。

それ以前は、日本各地でその地域ごとの鉄製鍬先がつくられていて、国家と無関係に利用されていたようである。また、9~10世紀になると、製鉄のラッシュが起こり、鉄製鍬先の生産・流通が国家の手を離れてしまったようだ。

基本的なことだが、農業は、江戸時代以降、沖積平野で行われることが多いが、それは大河の治水・利水が可能になったからで、それ以前は、谷間や中小河川に沿った場所でしかできなかったのだ。軟弱地盤の沖積平野に人が住むようになったのは、江戸時代以降であり、それ以前は、住んでいても、洪水に遭いにくい自然堤防の上に住んでいたようだ。

じつは、谷間や中小河川の流域も、軟弱地盤なんだけどね。そもそも稲作って、地下水位の高い湿田で行われてきたから(今は地下水位の低い乾田でもできるが)、国家や権力者に強制されようが、されまいが、軟弱地盤のところでやらないといけなかったのでは?

そのほかにもツッコミどころがある。

 他方、奈良時代の歴史を学ぶと「和同開珎」が「日本で初めて鋳造・発行された銭貨」として教えられます。和銅元年=708年、つまり奈良時代初期になって初めて「日本(=この場合は埼玉県秩父市・秩父郡)で銅貨を鋳造した」とある。元号まで変えて大変な騒ぎようです。

現在では、「和同開珎」以前に「富本銭」(683年)、それより前に「無文銀銭」(667年~672年)が発行されていたことが知られている。「富本銭」の方は、1999年に飛鳥池工房遺跡から33点も出土して大々的に報道され、高校日本史Bの教科書には11冊中10冊に載っている。伊東氏は、このような記事を書く前に、調べるべきではないだろうか。

 歴史は科学で学ばないと、単なる事項の羅列で知恵になりません。以上は実は、私自身が小学生時代、「青銅器」と「和同開珎」に疑問を持ったとき、史学科出身の母から教わった骨子に肉づけして書いてみました。

いやはや、それでは、現在の考古学や歴史学の知識を知らなくてもしょうがないですね。情報が古すぎる。てか、歴史学や考古学には進歩がないとでも思っているのだろうか? 科学で学ぶ前に、歴史の勉強をしてください。w

2016.11.29 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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